紙の上をひた走る指先、ペン先がノートを叩く静かな音。
消しゴムを掛けた痕跡と屑が溜まるのもそこそこに、進捗は緩やかに進んでいた。
僕はいつでも居候をしてよいとの言葉に甘え、部屋の一角を借りて執筆に励んでいる。
しかし、最終選考に残ったという旧友の報告に嫉妬して書き始めた小説。
これと見定めたコンテストの締め切りは早くも一週間後に迫り、しかし僕の小説はまだ完成の兆しを見せられずにいた。
何が駄目なのかというと、結末までの道筋が確定できていないのだ。
僕は序文と結末との端の部分を先に決めて、その二点を結ぶように身頃を繕ってゆくタイプの物書きだった。
製作の過程に焦点を当てると、物語を書く者は二種類に大別される。
設計図を描いてから書き始める者、プロッター。
話を書きながら筋書きを考える者、パンツァー。
どちらが良いというものでもないが、僕はパンツァーに近い性質を持っていた。
自分の経験と勘に頼って、という意味の慣用句であるシート・オブ・ザ・パンツ、あるいは戦車を意味するドイツ語のパンツァーに由来する言葉である。
趣味に奔放な作品が、ぱんつ脱いで描いた、などと揶揄されることもあるがこの場合は異なる。
物語の設計図、プロットを書かなくてもよいという点においてパンツァーは幾らか気楽なのだが、その分だけ大変になる工程もある。
設計図なしに書き始めるため、続きの構想が形になっていないのだ。
モチベーションを保つという観点からすれば、続きのない物語を書くワクワクはとてもよいものなのだけれど、それは結末に辿り着くための道筋を知らない不安とも隣り合わせのものでもあった。
つまるところ、僕は先の展開を考えるのに行き詰まっていた。
続きをどう書いてよいかさっぱり分からない。
物語の締めとなる大トリの部分は用意してあったのだが、むしろそれ自体が進捗の邪魔をしているような気もした。
僕は筆を休めて休憩することにした。
握っていたシャープペンシルを机に転がして、大きく伸びをする。
体の凝り固まった部分がバキバキと音を立てた。
「凄い音だね……」
「すみません、どうにも進まなくて」
僕は進捗が上がらない現状を先輩に打ち明ける。
すると先輩はリュックサックの中をまさぐって何かを取り出した。
「なら、私と出かけてみない?
いつもと違う環境なら、何か浮かぶかもだしさ」
そう言って、先輩は手に持ったものを差し出す。
電車の駅に置いてあるようなパンフレットが握られていた。
この地域の大まかな地図の上に、ランドマークや名所の写真が散りばめられている。
幾つかは通学路の周辺にあるようだが、最短ルートからはやや外れていて、遠目にしか見たことが無かった。
「観光案内ですか?」
先輩はサムズアップして肯定する。
「君、いつも真っ直ぐ帰ってるみたいだからさ。
この辺りを一度歩いてみるのも良いかと思って」
「ありがとうございます」
「うん。
良い切っ掛けが見つかるかもよ」
先輩はふわふわと雲のように笑う。
今日は天気が良くて、窓の外はカラッとした晴天だ。
その日の時間割は二人とも、二限からが空いていた。
僕たちは荷物を整理して、必要最小限の物が入ったショルダーポーチだけを持って、人の少ない平日午前の町に繰り出した。
観光案内のパンフレットを眺めながら、ふらふらと町を彷徨い歩く。
いつもは通らない道、いつもなら気に留めない建物。
改まった目で見ると、世界がより一層色鮮やかに見える。
色とりどりの品物が並ぶ大きな商店街。
異国情緒のようなものを感じる外国人街。
神社にお参りをして、話題のカフェで美味しいランチを摂って、河川敷の遊歩道を南下する。
どんな町にも住む人がいて、その人たちに合わせて作られて居るけれど。
歩いてみて思う、ここは学生の町だ。
「学校がいっぱいありましたね」
「地元を離れて越してきたときは、私もびっくりしたよ。
なんでも、この地域だと十人に一人は学生らしいよ?」
街頭には雑貨屋や飲食店が多く並び、商店街も充実している。
財布の薄い学生をターゲットとしているのか、格安の居酒屋が多い。
いつもは行かない駅の反対側には、大きな市営図書館があった。
最後に僕たちは浜辺へ辿り着いた。
冷たい海の塩水が砂浜へ寄せては返し、波打ち際に縞模様を作っている。
「学生のための町、かあ。
文教都市とかっていうんだっけ」
「詳しいですね」
さざ波の音を聴きながら、柔らかな砂の上をゆっくりと歩く。
靴の中に砂が入ってくるのを嫌って、僕たちは裸足で砂浜を歩いていた。
ぺたりぺたりと足跡をつけてゆく。
先輩が不意に立ち止まった。
「そういえば言ってたな、あの子。
私の書くお話は、独りぼっちで寂しい思いをしているような子を元気づけるためのお話なんだ、って」
少しばかりの沈黙。
いつの間にか沸いた灰色の雲が空を覆っていた。
「私の友達ね、絵本作家になろうとしてたの」
花冷えのひんやりとした風が僕たちの間を吹き抜ける。
そうだ、と呟いて、先輩は僕に問い掛けた。