「まだ何も言う気になりませんか?」
アンナは獄中の人物にそう問いかけた。
獄中と言っても貴族専用の特別監房で、一般に想像される冷たい石造りの牢獄からは程遠い。
扉にこそ無骨で大きな鍵がつき、太い鉄格子がはめられているが、その鉄格子から見える内部はカーペットが敷かれ、テーブルや書棚といった調度品が置かれている。
アンナにとってはあまり愉快な記憶のある場所ではない。ここはかつて、高等法院に呼び出しを受けたエリーナ・ディ・フィルヴィーユが収監され、非業の死を遂げた場所なのだ。
バティス・スコターディ城。
その昔、帝都がベルーサ宮殿を中心とした小規模な城塞都市だった頃、城壁の一角に造られた砦だ。
その後、帝都の拡大によって城壁は取り壊され、砦だけが拡大する都市の中に残された。
元軍事施設という性質から、人の侵入や脱出を阻む構造となっていたため、いつしか監獄として使われるようになったという。
主に、謀反を企てた貴族や皇族が収監されることから、帝室の権力の象徴と目されることも多い。そんな場所だった。
「……あなたがここに保護されていることは、誰も知りません。だから今ここで何を話したとしても、あなたに報復する人間はいません」
「ふ……君や女帝陛下が手を下す可能性はないのかね?」
「我々にとっては、あなたは大切な情報源。もしご協力いただけるなら、安全は保証いたします、ベレス伯爵」
鉄製の扉の向こうにいる男は、前宮内大臣ベレス伯爵だ。
マリアン=ルーヌ皇妃によるクーデター「白薔薇の間の政変」後も、クロイス政権はひとまずの存続を許され、ほとんどの閣僚が留任している。
しかしただ1人、ベレス伯爵のみは病気を理由に大臣職を辞していた。
あのクーデターは、皇妃が帝位の象徴である3遺物を主柱に収めたことで決着がついた。その遺物のひとつ「リュディスの短剣」は長らく行方不明となっており、それを認めるような発言をベレスはしてしまったのだ。
これが致命打となり、クロイスは女帝の即位を認めざるをえなくなった。その責任をとるためにベレスは退任したのである。
「あの日、あなたはサン・ジェルマン伯爵の名を出した。かの錬金術師とリュディスの短剣にどのような関係があるのです?」
「……」
ベレスは何も答えない。彼を保護して以来、ずっとこんな調子だ。
「あなたは、サン・ジェルマンとクロイス派のパイプ役だったのではありませんか?」
「……」
やはり黙秘。
果たして、この男はどこまで知っているのか? アンナが自らこの監獄にやってきたのはそれを知るためでもある。
先帝アルディス3世はホムンクルスだった。
それは、ごく一部のものだけが知っている事実だ。その「ごく一部」の中に、この男も含まれている、というのがアンナの推測だ。
宮廷の中枢に錬金術に通じている者がいなければ、マルムゼ=アルディスのような男は存在し得ない。
そして、サン・ジェルマンの名を口走ったこの男は容疑者として申し分ない。宮廷や帝室の政治的な側面を司る宮内大臣なら、あのような陰謀を実現させるのにうってつけの役どころだ。
「何度もその妄言を聞いてきたが……」
だんまりだったベレスが口を開いた。
「まったくの出鱈目だ。私が咄嗟に口走った名前だけで、勝手な妄想をするのはやめていただきたい」
「では、かの錬金術師と繋がりがあることはお認めいただけるのですね?」
「私が認めるのは短剣の管理不備。それのみだ。それとて私一人の責任。クロイス公にも、ましてや先帝陛下にもなんの関係もないこと」
ベレスはまっすぐ、アンナの瞳を見据えた。
覚悟を決めた目だ。自分ひとりが犠牲になることで、全てを闇に葬る。そんな決意を固めたのだろう。
(白薔薇の間でオロオロしていた男とまるで別人ね……。こんな胆力がある人だったなんて)
アンナはこれまで、この男をクロイスの腰巾着としか思っていなかった。こんな目をする気骨のある政治家がなぜ、クロイス派で宮内大臣なんてやっていたのか?
まあ、これまでの態度から、ベレス一人をどう攻めても埒があかないことはわかっていた。
しかし今日は違う。今朝、別方面で捜査に進展があった。それを使い、この男を落としてやる!
「残念ながら、あなたひとりを罰して終わり、というわけにはもういかないのです。共犯者を見つけましたので」
「なに?」
「お連れして」
アンナがマルムゼに命じると、程なくして獄卒が一人の老婦人を連れてきた。
「離しなさい、無礼者!」
老女が獄卒にむかって叫ぶと、それを聞いたベレスの顔色が変わる。
「扉を開けて、彼女と私たちを中へ」
無骨な鉄錠が外され、ベレスの監房の扉が開かれる。アンナとマルムゼ、そして連れてこられた老婦人がベレスの房内へと入っていく。
「ペティア夫人!!」
ベレスは老婦人の名を叫んだ。
前宮廷女官長ペティア夫人。厳格な規律を宮廷人たちに課し、ヴィスタネージュで権勢を誇った女性は、今や獄卒に両手を拘束される身となっていた。
「ベレス伯爵!」
「夫人、なぜあなたが!?」
「私にもわかりません!朝、近衛兵が私の屋敷に入ってきて……」
「わからないという事はないでしょう? マルムゼ、彼女の罪状を」
「はっ!」
黒髪の腹心が一歩前に歩み出た。
「ペティア夫人、あなたは宮廷費を不正に着服し、どこかへ送金した疑いがある。そのため逮捕しました」
「馬鹿な、いったい何を根拠にそのような……」
「あなたが女官長になってから30年分の帳簿を調べさせました」
「は……?」
「巧妙に隠されていましたが、使徒不明の資金がどこかへ流れておりました。それも、毎年同額です」
マルムゼは手にしていた報告書を広げ、それを彼女に見せる。
「厳格なあなたは、毎年ほとんど完璧な帳簿を残していた。にも関わらず、いくら調べても使途のわからない金額が、毎年同じ金額だけ出てくる。おかしくはありませんか?」
「……」
ペティア夫人は言葉を失っていた。そして、ベレスも顔を青くさせている。
「そして、あなたが女官長を解任された後も、同じ金額があなたを経由してどこかへ流れていることが明らかになりました。しかも、その金の出所は宮内大臣。つまりベレス伯爵、あなたです」
「そんな……!」
「お二人が繋がっているのは明らか。そして宮廷費の不正な送金先こそ、サン・ジェルマンなのでしょう?」
アンナはそう言い切る。実のところ、突き止めたのは資金流出の事実のみで、サン・ジェルマンとの繋がりは憶測に過ぎない。
だからベレスとペティアは、まだ反論しようとすればいくらでもできる立場にいた。しかし2人は何も言わない。
特にベレスの瞳からは、先ほどの覚悟の色は完全に失せてしまった。代わりに深い絶望の色がその両目を染め上げている。
(これはアタリね。どうやら)
アンナは確信する。
「どうしても偽装がバレたのか、とでもお思いですか?」
「それは! いや……」
ベレスは何かを言おうとしてすぐにやめた。白薔薇の間での自分の失態を思い出したようだ。
いいぞ、完全にこちらのペースになっている。ならば、2人を完全に屈服させるために、手の内を見せつけてやろう。
「確かに、並の人間では見つけられないほど完璧な偽装でした。彼らでなければ、これを見破ることは難しかったでしょう」
「彼ら……?」
「元フィルヴィーユ派の官僚たちです」
「フィル……ヴィーユ……?」
エリーナがかつて国政改革の夢を分かち合った同志たち。
権力を握ったアンナはすぐに彼らのその後を調べた。死刑となった者、前線に送られ戦死した者、失意の中病に倒れた者と、その多くは二度と会えぬ運命を遂げていた。しかし、地方に左遷されたり、国外追放の憂き目にあいながらも生き延びた者たちがいた。
アンナは彼らを呼び戻し、皇妃派に加えたのだ。そして宮廷に復帰して最初の仕事が、ペティア夫人の身辺調査だった。
「彼らがどれだけ優秀か、ベレス伯爵ならご存知でしょう? あなた達の盟主クロイス公を一度は追い詰めた者たちなのですから」
「彼らが……復帰していたとは……」
ベレスは膝からくずおれ、ペティアは呆然と立ち尽くしている。もはや言い逃れはできない、そう悟ったのだろう。
さて、本題はここからだ。
「マルムゼ、サーベルを貸してちょうだい」
「どうぞ、お好きなように」
マルムゼは腰に下げていた暗い革張りの鞘をベルトから外し、剣の柄をアンナに向けて差し出した。
アンナはそれを掴むと、刃を抜き払う。
「さて、それでは審問を始めましょうか?」
アンナは獄中の人物にそう問いかけた。
獄中と言っても貴族専用の特別監房で、一般に想像される冷たい石造りの牢獄からは程遠い。
扉にこそ無骨で大きな鍵がつき、太い鉄格子がはめられているが、その鉄格子から見える内部はカーペットが敷かれ、テーブルや書棚といった調度品が置かれている。
アンナにとってはあまり愉快な記憶のある場所ではない。ここはかつて、高等法院に呼び出しを受けたエリーナ・ディ・フィルヴィーユが収監され、非業の死を遂げた場所なのだ。
バティス・スコターディ城。
その昔、帝都がベルーサ宮殿を中心とした小規模な城塞都市だった頃、城壁の一角に造られた砦だ。
その後、帝都の拡大によって城壁は取り壊され、砦だけが拡大する都市の中に残された。
元軍事施設という性質から、人の侵入や脱出を阻む構造となっていたため、いつしか監獄として使われるようになったという。
主に、謀反を企てた貴族や皇族が収監されることから、帝室の権力の象徴と目されることも多い。そんな場所だった。
「……あなたがここに保護されていることは、誰も知りません。だから今ここで何を話したとしても、あなたに報復する人間はいません」
「ふ……君や女帝陛下が手を下す可能性はないのかね?」
「我々にとっては、あなたは大切な情報源。もしご協力いただけるなら、安全は保証いたします、ベレス伯爵」
鉄製の扉の向こうにいる男は、前宮内大臣ベレス伯爵だ。
マリアン=ルーヌ皇妃によるクーデター「白薔薇の間の政変」後も、クロイス政権はひとまずの存続を許され、ほとんどの閣僚が留任している。
しかしただ1人、ベレス伯爵のみは病気を理由に大臣職を辞していた。
あのクーデターは、皇妃が帝位の象徴である3遺物を主柱に収めたことで決着がついた。その遺物のひとつ「リュディスの短剣」は長らく行方不明となっており、それを認めるような発言をベレスはしてしまったのだ。
これが致命打となり、クロイスは女帝の即位を認めざるをえなくなった。その責任をとるためにベレスは退任したのである。
「あの日、あなたはサン・ジェルマン伯爵の名を出した。かの錬金術師とリュディスの短剣にどのような関係があるのです?」
「……」
ベレスは何も答えない。彼を保護して以来、ずっとこんな調子だ。
「あなたは、サン・ジェルマンとクロイス派のパイプ役だったのではありませんか?」
「……」
やはり黙秘。
果たして、この男はどこまで知っているのか? アンナが自らこの監獄にやってきたのはそれを知るためでもある。
先帝アルディス3世はホムンクルスだった。
それは、ごく一部のものだけが知っている事実だ。その「ごく一部」の中に、この男も含まれている、というのがアンナの推測だ。
宮廷の中枢に錬金術に通じている者がいなければ、マルムゼ=アルディスのような男は存在し得ない。
そして、サン・ジェルマンの名を口走ったこの男は容疑者として申し分ない。宮廷や帝室の政治的な側面を司る宮内大臣なら、あのような陰謀を実現させるのにうってつけの役どころだ。
「何度もその妄言を聞いてきたが……」
だんまりだったベレスが口を開いた。
「まったくの出鱈目だ。私が咄嗟に口走った名前だけで、勝手な妄想をするのはやめていただきたい」
「では、かの錬金術師と繋がりがあることはお認めいただけるのですね?」
「私が認めるのは短剣の管理不備。それのみだ。それとて私一人の責任。クロイス公にも、ましてや先帝陛下にもなんの関係もないこと」
ベレスはまっすぐ、アンナの瞳を見据えた。
覚悟を決めた目だ。自分ひとりが犠牲になることで、全てを闇に葬る。そんな決意を固めたのだろう。
(白薔薇の間でオロオロしていた男とまるで別人ね……。こんな胆力がある人だったなんて)
アンナはこれまで、この男をクロイスの腰巾着としか思っていなかった。こんな目をする気骨のある政治家がなぜ、クロイス派で宮内大臣なんてやっていたのか?
まあ、これまでの態度から、ベレス一人をどう攻めても埒があかないことはわかっていた。
しかし今日は違う。今朝、別方面で捜査に進展があった。それを使い、この男を落としてやる!
「残念ながら、あなたひとりを罰して終わり、というわけにはもういかないのです。共犯者を見つけましたので」
「なに?」
「お連れして」
アンナがマルムゼに命じると、程なくして獄卒が一人の老婦人を連れてきた。
「離しなさい、無礼者!」
老女が獄卒にむかって叫ぶと、それを聞いたベレスの顔色が変わる。
「扉を開けて、彼女と私たちを中へ」
無骨な鉄錠が外され、ベレスの監房の扉が開かれる。アンナとマルムゼ、そして連れてこられた老婦人がベレスの房内へと入っていく。
「ペティア夫人!!」
ベレスは老婦人の名を叫んだ。
前宮廷女官長ペティア夫人。厳格な規律を宮廷人たちに課し、ヴィスタネージュで権勢を誇った女性は、今や獄卒に両手を拘束される身となっていた。
「ベレス伯爵!」
「夫人、なぜあなたが!?」
「私にもわかりません!朝、近衛兵が私の屋敷に入ってきて……」
「わからないという事はないでしょう? マルムゼ、彼女の罪状を」
「はっ!」
黒髪の腹心が一歩前に歩み出た。
「ペティア夫人、あなたは宮廷費を不正に着服し、どこかへ送金した疑いがある。そのため逮捕しました」
「馬鹿な、いったい何を根拠にそのような……」
「あなたが女官長になってから30年分の帳簿を調べさせました」
「は……?」
「巧妙に隠されていましたが、使徒不明の資金がどこかへ流れておりました。それも、毎年同額です」
マルムゼは手にしていた報告書を広げ、それを彼女に見せる。
「厳格なあなたは、毎年ほとんど完璧な帳簿を残していた。にも関わらず、いくら調べても使途のわからない金額が、毎年同じ金額だけ出てくる。おかしくはありませんか?」
「……」
ペティア夫人は言葉を失っていた。そして、ベレスも顔を青くさせている。
「そして、あなたが女官長を解任された後も、同じ金額があなたを経由してどこかへ流れていることが明らかになりました。しかも、その金の出所は宮内大臣。つまりベレス伯爵、あなたです」
「そんな……!」
「お二人が繋がっているのは明らか。そして宮廷費の不正な送金先こそ、サン・ジェルマンなのでしょう?」
アンナはそう言い切る。実のところ、突き止めたのは資金流出の事実のみで、サン・ジェルマンとの繋がりは憶測に過ぎない。
だからベレスとペティアは、まだ反論しようとすればいくらでもできる立場にいた。しかし2人は何も言わない。
特にベレスの瞳からは、先ほどの覚悟の色は完全に失せてしまった。代わりに深い絶望の色がその両目を染め上げている。
(これはアタリね。どうやら)
アンナは確信する。
「どうしても偽装がバレたのか、とでもお思いですか?」
「それは! いや……」
ベレスは何かを言おうとしてすぐにやめた。白薔薇の間での自分の失態を思い出したようだ。
いいぞ、完全にこちらのペースになっている。ならば、2人を完全に屈服させるために、手の内を見せつけてやろう。
「確かに、並の人間では見つけられないほど完璧な偽装でした。彼らでなければ、これを見破ることは難しかったでしょう」
「彼ら……?」
「元フィルヴィーユ派の官僚たちです」
「フィル……ヴィーユ……?」
エリーナがかつて国政改革の夢を分かち合った同志たち。
権力を握ったアンナはすぐに彼らのその後を調べた。死刑となった者、前線に送られ戦死した者、失意の中病に倒れた者と、その多くは二度と会えぬ運命を遂げていた。しかし、地方に左遷されたり、国外追放の憂き目にあいながらも生き延びた者たちがいた。
アンナは彼らを呼び戻し、皇妃派に加えたのだ。そして宮廷に復帰して最初の仕事が、ペティア夫人の身辺調査だった。
「彼らがどれだけ優秀か、ベレス伯爵ならご存知でしょう? あなた達の盟主クロイス公を一度は追い詰めた者たちなのですから」
「彼らが……復帰していたとは……」
ベレスは膝からくずおれ、ペティアは呆然と立ち尽くしている。もはや言い逃れはできない、そう悟ったのだろう。
さて、本題はここからだ。
「マルムゼ、サーベルを貸してちょうだい」
「どうぞ、お好きなように」
マルムゼは腰に下げていた暗い革張りの鞘をベルトから外し、剣の柄をアンナに向けて差し出した。
アンナはそれを掴むと、刃を抜き払う。
「さて、それでは審問を始めましょうか?」