「実現したわね、アンナ。あなたの計画が」
「皇妃様」
式典が終わり、宮殿のバルコニーで休んでいるとマルムゼに手を引かれた皇妃が現れた。
「ありがとう、マルムゼ殿」
皇妃は、アンナの腹心に向かってにっこりと微笑む。どうやらバルコニーの入り口に控えていたマルムゼに、ここまで案内してもらって来たようだ。
「それでは皇妃様、伯爵閣下、私は廊下に控えておりますのでごゆるりと」
マルムゼは一礼すると、また中へと戻っていた。
「ベルーサ宮であなたが話した筋書き通りで驚きました。あなたが和平交渉団に入らなかったことは意外でしたけど」
「私のような新参貴族、大した力にはなれなかったでしょう。和平の実現はラルガ侯爵の人徳と粘り強い交渉があったからこそです」
「謙遜しないで。今回の事であなたの実力を認めた人は多いでしょう。きっと、宮廷の役職を得ることができますわ!」
「それは、どうでしょう」
皇妃は善意の人だ。宮廷の人間社会が持つ悪性にあれだけ晒されながら、それに染まることがない。手柄を立てれば相応の見返りがあると本気で信じている。
実際には逆だろう。今回のことでクロイス派は、アンナを極力政治の舞台から遠ざけようとするに違いない。
ラルガ侯爵やリアン大公との結びつきを断ち切るために、帝都を離れることになるかもしれない。あるいはヴィスタネージュの宮廷内において、常に監視されることになるか……。いずれにせよ、次の一手を打つ必要があると、アンナは考えていた。
「皇妃様こそ、ありがとうございます」
「え? なんのことかしら?」
「あの時、ゼフィリアス陛下にお口添えしてくれたのでしょう。私の提案に乗っていただくように」
「さすがね。わかっていらしたのですね」
やっぱりそうだったか。
「兄は曲がりなりにも一国の皇帝、あらゆる損得を考えて行動しなければならない人。ですがベルーサ宮で、わがままを申し上げましたの。アンナの……私の最愛の友人の力になってほしいって」
ゼフィリアス帝とは考えが一致することも多かったし、錬金術の裏側を知るもの同士と言う共通点もあった。だから、最終的には味方につけられると考えてはいたけども、これだけスムーズに事が運んだのは、皇妃の口添えがあったからこそだ。
「アンナ、あなたは私が諦めていたものをすべて与えてくれた。二度とみられないと思っていた庭園の景色、ともにお茶会で笑ってくれる友人たち、それに家族との再会……」
「与えたなど……。すべて皇妃様が持っていて当然のものです」
「ううん。この宮廷でそれをすべて用意してくれたのはあなただけ。だから、約束します。何があろうと私はあなたの味方だって」
「皇妃様?」
「例えあなたが、恐ろしいことを考えていようと、私は構わない。あなたを助けます。それが私の恩返しと思って下さい」
恐ろしいこと? まさか……復讐心を見透かされている?
アンナはほんの数瞬だけ焦る。
が、すぐに落ち着きを取り戻した。違う。皇妃のこの態度は、全幅の信頼をおいている証だ。
アンナが完全な善意で皇妃に寄り添っているわけではないことを承知した上で、味方になるというのだ。
「もったいなきお言葉です。私のようなものを、そこまで想ってくださるとは有難き光栄にございます」
アンナは頭を下げつつ、胸中では会心の笑みを浮かべていた。
(本当に純粋で、優しい人だ)
そして愚かな人でもある。上に立つものはここまで家臣に心を許してしまえば、あとは家臣による専横が始まるだけだ。
この人の人間性はとても好ましいものだ。一人の友人として末永く付き合っていきたいとも思う。
しかし、同時に公人としてこれほど手玉に取りやすい人はいない。復讐と野望のため、利用させてもらおう。
「本当に仲が良いのだな」
その時、背後で声がした。よく知っている声。
「え……?」
振り返るとそこには皇帝アルディス3世が立っていた。
(いつの間に?)
背後には表情をこわばらせたマルムゼがいる。皇妃と同じように、アンナのもとまで案内を命じられたようだ。
「まぁ、陛下。そうですの、アンナは私の第一の親友ですわ。ねぇ、アンナ?」
「は、はい……」
皇妃の嬉しそうな声。アンナは慌てて居住まいを整え、深々とお辞儀をする。
「皇帝陛下。此度の式典、誠にお疲れ様でした。我が帝国が新たな道を選んだこと、大変喜ばしく……」
「いや、よい。そのような堅苦しい言葉。それに今回の和平は、そなたが描いたものであろう?」
「それは……」
アンナは返答に窮した。突如現れた、最大の復讐相手。なぜ今ここに? 夜には和平を祝うパーティーがある。それまでは自室にいるのではなかったのか?
「私がここにいることが不思議か?」
頭の中を見透かすようにアルディスが尋ねてきた。
「それは、そうですね。パーティの準備があると思っていましたので……」
「確かに、皇帝ともなると衣装の着替えや準備に時間もかかるし、その間にも給仕長や大臣との打ち合わせもあるからな。本来なら部屋に籠もりきりになる頃合いだ」
「それでは何故……?」
「なに、君やそこにいる君の側近がいつもやっていることさ。隠し通路を使って抜け出して来たのだ。君たちがここにいると聞いてな」
アンナの心臓が跳ね上がる。マルムゼも表情に出すことはしなかったが、肩をピクリと震わせた。
皇帝は、隠し通路のことを、私やマルムゼがそれを使っていることを、知っている……?
「皇妃よ、しばし君の友達を借りたいのだが良いか?」
「……はい? それは、陛下のご命令とあらばもちろん」
「かたじけない」
アルディスは皇妃の手を取り、軽く口付けをしてみせた。
「まぁ、陛下ったら……」
皇妃は、少し顔を赤らめながら微笑む。
「では参ろうか、グレアン伯。それに君もだ、マルムゼ」
「皇妃様」
式典が終わり、宮殿のバルコニーで休んでいるとマルムゼに手を引かれた皇妃が現れた。
「ありがとう、マルムゼ殿」
皇妃は、アンナの腹心に向かってにっこりと微笑む。どうやらバルコニーの入り口に控えていたマルムゼに、ここまで案内してもらって来たようだ。
「それでは皇妃様、伯爵閣下、私は廊下に控えておりますのでごゆるりと」
マルムゼは一礼すると、また中へと戻っていた。
「ベルーサ宮であなたが話した筋書き通りで驚きました。あなたが和平交渉団に入らなかったことは意外でしたけど」
「私のような新参貴族、大した力にはなれなかったでしょう。和平の実現はラルガ侯爵の人徳と粘り強い交渉があったからこそです」
「謙遜しないで。今回の事であなたの実力を認めた人は多いでしょう。きっと、宮廷の役職を得ることができますわ!」
「それは、どうでしょう」
皇妃は善意の人だ。宮廷の人間社会が持つ悪性にあれだけ晒されながら、それに染まることがない。手柄を立てれば相応の見返りがあると本気で信じている。
実際には逆だろう。今回のことでクロイス派は、アンナを極力政治の舞台から遠ざけようとするに違いない。
ラルガ侯爵やリアン大公との結びつきを断ち切るために、帝都を離れることになるかもしれない。あるいはヴィスタネージュの宮廷内において、常に監視されることになるか……。いずれにせよ、次の一手を打つ必要があると、アンナは考えていた。
「皇妃様こそ、ありがとうございます」
「え? なんのことかしら?」
「あの時、ゼフィリアス陛下にお口添えしてくれたのでしょう。私の提案に乗っていただくように」
「さすがね。わかっていらしたのですね」
やっぱりそうだったか。
「兄は曲がりなりにも一国の皇帝、あらゆる損得を考えて行動しなければならない人。ですがベルーサ宮で、わがままを申し上げましたの。アンナの……私の最愛の友人の力になってほしいって」
ゼフィリアス帝とは考えが一致することも多かったし、錬金術の裏側を知るもの同士と言う共通点もあった。だから、最終的には味方につけられると考えてはいたけども、これだけスムーズに事が運んだのは、皇妃の口添えがあったからこそだ。
「アンナ、あなたは私が諦めていたものをすべて与えてくれた。二度とみられないと思っていた庭園の景色、ともにお茶会で笑ってくれる友人たち、それに家族との再会……」
「与えたなど……。すべて皇妃様が持っていて当然のものです」
「ううん。この宮廷でそれをすべて用意してくれたのはあなただけ。だから、約束します。何があろうと私はあなたの味方だって」
「皇妃様?」
「例えあなたが、恐ろしいことを考えていようと、私は構わない。あなたを助けます。それが私の恩返しと思って下さい」
恐ろしいこと? まさか……復讐心を見透かされている?
アンナはほんの数瞬だけ焦る。
が、すぐに落ち着きを取り戻した。違う。皇妃のこの態度は、全幅の信頼をおいている証だ。
アンナが完全な善意で皇妃に寄り添っているわけではないことを承知した上で、味方になるというのだ。
「もったいなきお言葉です。私のようなものを、そこまで想ってくださるとは有難き光栄にございます」
アンナは頭を下げつつ、胸中では会心の笑みを浮かべていた。
(本当に純粋で、優しい人だ)
そして愚かな人でもある。上に立つものはここまで家臣に心を許してしまえば、あとは家臣による専横が始まるだけだ。
この人の人間性はとても好ましいものだ。一人の友人として末永く付き合っていきたいとも思う。
しかし、同時に公人としてこれほど手玉に取りやすい人はいない。復讐と野望のため、利用させてもらおう。
「本当に仲が良いのだな」
その時、背後で声がした。よく知っている声。
「え……?」
振り返るとそこには皇帝アルディス3世が立っていた。
(いつの間に?)
背後には表情をこわばらせたマルムゼがいる。皇妃と同じように、アンナのもとまで案内を命じられたようだ。
「まぁ、陛下。そうですの、アンナは私の第一の親友ですわ。ねぇ、アンナ?」
「は、はい……」
皇妃の嬉しそうな声。アンナは慌てて居住まいを整え、深々とお辞儀をする。
「皇帝陛下。此度の式典、誠にお疲れ様でした。我が帝国が新たな道を選んだこと、大変喜ばしく……」
「いや、よい。そのような堅苦しい言葉。それに今回の和平は、そなたが描いたものであろう?」
「それは……」
アンナは返答に窮した。突如現れた、最大の復讐相手。なぜ今ここに? 夜には和平を祝うパーティーがある。それまでは自室にいるのではなかったのか?
「私がここにいることが不思議か?」
頭の中を見透かすようにアルディスが尋ねてきた。
「それは、そうですね。パーティの準備があると思っていましたので……」
「確かに、皇帝ともなると衣装の着替えや準備に時間もかかるし、その間にも給仕長や大臣との打ち合わせもあるからな。本来なら部屋に籠もりきりになる頃合いだ」
「それでは何故……?」
「なに、君やそこにいる君の側近がいつもやっていることさ。隠し通路を使って抜け出して来たのだ。君たちがここにいると聞いてな」
アンナの心臓が跳ね上がる。マルムゼも表情に出すことはしなかったが、肩をピクリと震わせた。
皇帝は、隠し通路のことを、私やマルムゼがそれを使っていることを、知っている……?
「皇妃よ、しばし君の友達を借りたいのだが良いか?」
「……はい? それは、陛下のご命令とあらばもちろん」
「かたじけない」
アルディスは皇妃の手を取り、軽く口付けをしてみせた。
「まぁ、陛下ったら……」
皇妃は、少し顔を赤らめながら微笑む。
「では参ろうか、グレアン伯。それに君もだ、マルムゼ」