高本　彦（たかもと　げん）――これは偽名だ。彼は基本的にはこの名前で自分の店を経営し、様々な人々と接している。
　奉日本　源治（たかもと　げんじ）――これが本名だ。この名前で誰かと関わるときは、その相手は裏社会の人間が大多数だ。
　表でも裏でも様々な人間と接し、情報に通ずるのが奉日本、という男だ。その素性の多くは謎に包まれているが彼が保有する情報量は表裏関係なく重要視されている。
　表の人間からは好かれ、裏の人間から一目置かれている――そんな希有な存在だ。

「お、もう閉店か」
　店のドアに掛かる表示をクローズに変えようとしている奉日本はそう話しかけられ、振り返る。その聞き覚えのあるしゃがれた声から相手の察しはついていた。
「一、二杯ぐらいなら飲んで行って頂いても結構ですよ、久慈（くじ）さん」
　奉日本はドアを少しだけ開けて、微笑む。そこには四十代ぐらいでグレーのスーツに四角いレンズで細いフレームのメガネをかけた白髪混じりの男――この周辺で強い勢力を持つヤクザ……高良組の若頭の久慈が立っていた。
　レンズの向こうに見える細く鋭い目は奉日本の言葉を聞くと少しだけ目尻を下げた。
「じゃあ、お言葉に甘えるよ。ちょっと愚痴に付き合ってよ、マスター」
「えぇ、喜んで」