彼は、走っているその先から微かに人の声と匂いが流れてきたのを感じ取った。
《もうすぐだな?》
「うん」
彼の確認に千歳が頷いた。
「狼鬼、もう匂いする?」
《うん、声もするよ》
「そっか、良かった」
緩やかに曲がった細い道を彼らが素早く駆け抜けると、唐突に現れた光に目が眩んだ。
洋燈を持った男性と道の真ん中に居た女性が、此方を見て驚いたように目を見開いた後、ほっとしたような表情になった。
女性の方が大きな声を上げた。
「千歳!」
「お母さん、お父さん」
千歳が勝の背中から飛び降りると、男性と女性の方に転がるように走っていった。
《お父さんとお母さんだね》
勝が柔らかい表情で3人を眺めている。
「そうだね」
主人も嬉しそうだったが、その瞳の中に微かに寂しさと切なさが映り込んでいるのを、彼の目は捉えていた。
彼は居た堪れなくなって目を逸らした。
「お姉さん、ありがとう」
父親と母親のところから此方に戻ってきた千歳が言った。
「うん、良かった、もう大丈夫だね」
「うん」
千歳が嬉しそうに笑った。
「お姉さんは、またザントーを倒しにいくの?」
「うーん、とりあえずさっきのが最後の一体の筈だから、上に報告して......」
「さっきので最後?」
千歳が驚いたように言った。彼らも目玉が飛び出さんばかりに驚いた。
《え、 、どゆこと?》
煌が珍しく混乱したように言う。勝も思い切り目を泳がせている。
「え、言ってなかったっけ?」
《聞いてないよ‼︎》
彼も思わず大きな声を出した。
「 がやられた妖を倒した時に、彼奴がそんな事言ってたんだよ、あと一体だけだ、みたいに」
《え、あんな雑魚が残ることあんの?》
「ただ強いだけの奴が最後に残るとは限んないでしょ、それに彼奴、逃げや隠れは結構上手かったし。妖が言ってたこと10割信じるのもちょっと不安だけどさ」
《ふーん、でも 、もうちょっと早く言って欲しかった》
煌がニコニコと笑いながら主人に言った。
「ごめん」
主人は目が全く笑っていない煌の圧に完全に負けてしおしおと小さくなった。
え、と千歳がまたしても驚いたように声を出した。
「お姉さんたち、お友達を食べたアヤカシも倒したの?」
「勿論」
《かなりギリギリだったけどな》
煌がぼそりと呟いた。
「そうだったんだ、良かった」
「もしかして千歳、気にしててくれてたの?」
主人が驚いたように言う。
ウン、と頷く千歳を見て、彼も驚いた。
「あー、千歳」
少し戸惑ったような声が聞こえて、彼らは一斉に振り向いた。
千歳の父親と母親が、彼らを見つめていた。
「其方の、方?方々?は、えーと、どちら様?」
あ、と主人と千歳が顔を見合わせたが、先に口を開いたのは主人の方だった。
「すみません、申し遅れました」
主人は自分の名前を名乗った後、彼らを指し示して言った。
「で、此奴らは私の仲間、というか友達?です。人を襲ったりはしないのでご心配なく」
「はぁ」
千歳の両親は曖昧に相槌を打った。
「えーと、千歳とはいつから知り合いだったのですか?」
「ふた月ぐらい前からですかね、町で千歳ちゃんと会いまして」
あ、と千歳の母親が何かに気づいたように千歳に訊いた。
「もしかして、千歳が町に行った時に優しくしてくれた女の人って」
「うん、この人」
あぁやっぱり、と千歳の両親は納得したような顔をしている。
彼らは顔を見合わせた。
「えーと、やっぱり、と言いますと?」
「お母さんとお父さんにお話したの、優しくしてくれた、すごく大きないぬを連れたお姉さんがいたって」
「あ、そうなんだ」
「今日、千歳は迷子になっていたんですか?」
今度は父親が主人に尋ねた。
「うーん、まぁ、そんな所です」
主人は言葉を濁して、曖昧に頷いた。
「それで、 さんがここに連れてきてくれたと」
「はい」
「そうだったんですね、ありがとうございます」
「いえいえ、良かったです、千歳ちゃんが無事で」
主人は柔らかい口調で言った。
今度は母親が口を開いた。
「じゃあ、今日はもう遅いですし、またお礼をさせてください」
「お心遣い痛み入ります、でも残念ながら職場の規則上貰ってはいけない決まりなんです、お気持ちだけ頂いておきますね」
主人はやんわりと断った。
ぶんぶんと手を振る千歳と頭を下げる千歳の両親に挨拶をしてから、彼らは揃って、元来た道を引き返していった。