11 寵妃からのお誘い
「ローズ様!アイファー様!」
「どうしたの、ブランシェ」
「セレイア皇妃の御遣いが来られ、ローズ様とアイファー様を皇宮にお招きしたいと!」
アイファーと共にスレライカ領へ移り住んでから5年後、皇帝は側室の1人・セレイア皇妃を寵愛している。
セレイア皇妃は御年19歳。
今や政治においても大きな発言力を持ち、皇帝を除いて唯一、エリザベス皇后と肩を並べられる存在だとか。
「セレイア皇妃…」
「それって皇帝陛下が寵愛なさっているという?」
「そうです!」
「お母様、どうしますか?」
「…」
…めんどくさーい。
セレイア皇妃は悪意があって招いたわけではないだろうけど、絶対なんかあるでしょ。
私が転生してしまったことで、この世界は原作とはすっかり変わってしまった。
もうなにが起こるのかは誰にも分からない。
だからスレライカでゆっくり好きなことして過ごそうと思ってたのにぃ…!
「…お断りしますか?皇宮はお母様にとってもあまり良い場所ではありませんし」
「…少し考えます」
「お母様…」
ため息をついてブランシェを見れば、ブランシェは心得たというように頷き部屋を出た。
「お母様、どうかご無理をなさいませんように」
皇后と会う可能性を気にしているアイファーは不安げに眉を寄せる。
「ええ、ありがとう。アイファーは優しい子ですね」
「お母様ったら。私はもう幼子ではありません」
アイファーは今年で17歳。
対して私は25歳。
若すぎる母娘だ。
可愛らしく頬を膨らませるアイファーにくすりと笑い、出かける支度を始める。
「お出かけですか?お供しますわ」
「いいえ、あなたはそれよりもやらなければならないことがたくさんあるでしょう。ヴァイザー様の鎮魂祭(※年回忌法要のこと)で頂いたお見舞い品の整理をして、お礼の手紙を書いて、それから返礼品も用意しなければ」
「分かりました。でもミレーナは連れて行ってくださいね!」
「分かっていますよ」
亡きヴァイザーの唯一の娘としての務めがあるアイファーは毎日多忙だ。
私にできることはアイファーの負担をなるべく減らし、アイファーを一生支えられる男性を探すこと。
…まさか娘の婿探しをするなんてねぇ…。
広い廊下を歩きながら複雑な心境に苦笑いをこぼす。
「ローズ様、どこへ行かれるのですか?」
「ヴァイザー様の慰霊碑よ」
「王殿下の…」
「最近は忙しすぎてあまり行けていなかったでしょう。アイファーのことをちゃんとご報告しなければ、あの方のことだもの、とても心配なさっているわ」
「…」
ミレーナは口をつぐむ。
「ミレーナも、ヴァイザー様になにか言いたいことがあるんでしょ?」
「っ!」
「ゆっくりお話ししてきなさいな」
「ありがとう…ございます、ラフツィア様」
うつむいて礼を言ったミレーナの頬は涙で濡れていた。
「ヴァイザー様、参りましたよ」
馬車に乗ってヴァイザーの慰霊碑へやってきた。
「アイファーはたくましく育っております。なにもご心配なさることはございません。ただ…そろそろ一生を共に過ごす婿殿を決めても良いやもしれませんね」
ヴァイザーの姿を思い浮かべながら話しかけると、自然と涙が出てきた。
「貴方がこの世から去って、今年で5年が経ちます。月日が経つのは早いものですね…」
屋敷へ帰ってくると、アイファーが笑顔で出迎えた。
「おかえりなさいませ!…って、お母様ったらお泣きになったのですか?ミレーナまで。まさか、お母様…」
「アイファー、ただいま」
なにかを察したアイファーに微笑みかけ、自室へ戻る。
ベッドにダイブしてごろごろしていると、少し気持ちが落ち着いた。
コンコンコン
「ローズ様、ブランシェです」
「入って」
「失礼致します」
ブランシェが入室してきた。
「ローズ様、セレイア皇妃の御遣いがローズ様のお返事を急かしておりますが」
「…」
…忘れてたー!!!
ヴァイザーのこと思い出して泣いてたらすっかり忘れてた!!
もー!皇帝の寵妃が私になんの用だよ!!?
「…日時が確定したら伝えさせて」
「よろしいのですか?」
「いいわ。皇帝の寵妃の誘いを断れば面倒なことになる」
「かしこまりました」
ブランシェは静かに部屋を出た。
「もー…頼むからほっといてよぉ」
面倒くさーい…。
12 いざ皇居へ
「セレイア皇妃に失礼のないように、アイファー」
「はい、お母様」
二人で気合を入れて馬車から下りる。
「ようこそいらっしゃいました」
数人の女官たちが私たちを出迎える。
「ローズライラ夫人、アイファー嬢、ようこそ」
「…アイファー嬢?」
おもわず聞き返した。
私はいいとして、アイファーに敬称がないのはおかしいでしょ。
「なぜ敬称をつけられないのです?亡きヴァイザー王殿下の奥様と姫様ですよ」
眉をひそめた私に代わってブランシェが怒ったように言う。
女官たちは特に焦る様子もなく笑顔でブランシェを見返す。
「大変失礼致しました。しかしお二人とも正式な位階がございませんのでこのようにお呼び致します。お許しを」
「位階がないですって?」
そこにユリアが参戦する。
「ええ。たしか夫人は王位を返上なさったはずですが、わたくしの勘違いでしたでしょうか」
女官AとBとC、笑顔で言ってるのつよ。
しかしブランシェやユリアも黙っていない。
「王位を返上してもお二人が皇家の一員であることは事実です。貴女がたは皇族に無礼を働いているのですよ」
「ですが―」
「なんの騒ぎなの?」
奥から一人の女性が女官たちを従えてやってきた。
「セレイア皇妃様」
AとBとCが頭を下げる。
…なるほど、これが皇帝の最愛か。
セレイア皇妃は穏やかな笑みを浮かべた優しそうな女性だ。
しかし、だからこそ油断はできない。
「あら、こちらのお二人は…」
「ローズライラ夫人とアイファー嬢です」
呼び方を改める気はないらしい。
もうなんでもいいから中に入れてよ…。
「そうなの?ようこそ、皇宮へ。わたくしがセレイアですわ。はじめまして、ローズライラ様、アイファー様」
「はじめまして」
「それにしてもこのような場所でなにを?」
ちらりと女官ABCを見る。
「この者たちがなにか?」
「皇族に対しての態度について少し注意しただけです。お気になさらず」
「そう…ですか。まあいいわ、お二人ともこちらへどうぞ」
セレイア皇妃が先導し、私たちはやっと皇宮に入った。
「本日は庭園にお席を設けさせていただきましたわ。色とりどりの花が愛でられますのよ」
「素敵なお庭ですね」
当たり障りのない感想みたいに聞こえるかもしれないけど、マジで素敵よ!?
どこに神経使ってんだってぐらい整ってる!!
「ふふ、ありがとうございます」
全員が席につくと紅茶やお菓子が運ばれてきた。
カップや皿の色を見てから、ブランシェが大事なことを思い出す。
「セレイア皇妃、大変恐縮ではございますが、ローズライラ様並びにアイファー様のカップやお皿などはすべて銀色のものにしていただけますでしょうか」
「なんですって?」
セレイア皇妃から笑顔が消える。
「ローズライラ様は以前、毒を盛られたことがございますので」
「わたくしが毒を盛ると?」
「決してそのようなことは。しかし、女官や下女の中にローズライラ様方に毒を盛るような輩がいないとも限りません。どうかお聞き届けくださいますよう」
ブランシェは深々と頭を下げる。
「そうなのですか、ローズライラ様」
「ええ。王妃だった頃に黄金のカップを勧められて毒を…」
「そうでしたのね。それなら過敏に反応なさるのも仕方ありません。ローズライラ様とアイファー様は陛下の大切なご家族です。万が一のことがあってはなりませんものね。誰か、銀色の食器をここへ」
「ありがとうございます」
「いいえ、間違いがあっては大変なことになりますし」
うーん、これはよくない流れ…。
セレイアの複雑そうな笑顔をちらりと見て、アイファーに目配せする。
よし、行け!アイファー!
アイファーは小さく頷いてセレイアに話しかけた。
「セレイア皇妃様、私、スレライカのお土産をお持ちしましたのよ」
「スレライカ領のお土産?」
「はい。イルテの実ですわ」
「イルテ!?」
イルテの実は日本でいうイチゴみたいな果物で、フリーデンでは貴族たちから絶大な人気を集める高級果実だ。
「我がスレライカではイルテがよく育つのですよ。フリーデンで最も日が当たる領地ですから」
そう、実はスレライカってフリーデン帝国の中で一番日当たりのいい土地と言われていて、たくさんの日光を浴びて育つイルテの実は極上の甘さを宿すの。
この世界の人間を味方につけるならスレライカのイルテは欠かせないのよね〜!!
とりあえずイルテあげれば敵になることはないっしょ!
ってかなり楽観的に考えてたけどまさかほんとにうまく行くなんてねぇ…。
「わたくし、イルテの実が大好きですの!」
「私も大好物です!あの甘さがクセになりますわよね!」
「ええ、ええ!わたくしはとっても甘いのに後味はさっぱりしているところが好きですわ!」
「セレイア皇妃が召し上がってくださるのなら、我がスレライカの領民たちも育て甲斐があるというものです」
横から口を挟むとセレイアはアイファーと私の手を握った。
手汗が心配なんだけど。
「アイファー様とローズライラ様には感謝しかございませんわ」
「そう言っていただけて光栄です。民たちも喜びますわ」
『イルテによってセレイアを味方につけた!』
というゲームでの表記のようなものが頭の中に浮かんだ。
前世はゲーム大好きだったもんなぁ…。
それから三人は穏やかに談笑し、解散となった。
「セレイア、今日は招いてくださってありがとう。とても楽しかったわ」
「ローズ様、わたくしも楽しかったです。また三人でお話ししましょうね」
「今度はセレイア様がスレライカにいらしてくださいな」
「陛下のお許しが出れば訪ねさせていただくわ、アイファー」
私たちは名前で呼び合う仲になった。
でも私がセレイアって呼んでも大丈夫なわけ?
仮にも皇妃よ?しかも後宮一の寵妃よ?
「ローズ様、アイファー、今日お迎えした際にわたくしの女官がお二人に無礼な振る舞いをしたと聞きましたわ。ここに謝罪致します。すべてわたくしの責任です」
セレイアは少し頭を下げた。
「セレイア、顔を上げて。私たちは気にしていないわ。それよりもあなたが出迎えてくれたことの方が驚きだったもの」
「ヴァイザー様のお妃と姫君ですもの」
「あら、ヴァイザー様と親しかったの?」
「…いいえ、陛下からよくお話をお聞きしていたのですわ」
「そう」
なんか間があったよね!?あの間はなに!!?
え、待って待って、ヴァイザーとセレイアって仲良かったの!?
にっこり笑って答えたけど絶対セレイア嘘ついてるでしょ!!
「まあいいわ。今日はこれで失礼するわね。わざわざ見送りに来てくださってありがとう」
「はい、お二人も道中お気をつけて」
「ありがとうございました!」
馬車に乗り込み、アイファーがセレイアに手を振ると、セレイアは慈愛に満ちた暖かい眼差しで手を振り返す。その様子になにかもやもやを抱えながら、馬車は皇宮を後にした。
「…ね、お母様」
「えっ?」
「お母様ったら聞いていらっしゃらなかったのですか?セレイア様はお優しいお方でしたねって言ったのですよ」
「え、あ、ええ、そうね」
「私はセレイア様とお母様がなんだか似ていらっしゃるように感じましたわ」
「私がセレイアと似ていると?」
「ええ。なんと言えばいいのでしょうか、私への接し方がお父様やお母様に近く感じました」
「そう…?」
たしかに、言われてみればセレイアのアイファーへの態度や眼差しは慈愛に満ちたものだった。
それはまるで、我が子に接するような―。
「…我が子…」
「え?」
「まさか…、待って嘘でしょう…?」
私は馬車の中で体を震わせた。
「…皇妃様、そろそろお部屋へお戻りになっては?」
「うるさいわね!黙っていなさい!」
「は、はい…」
セレイアは腸が煮えくり返るほどの怒りを感じていた。
「絶対に許さないわ…ローズライラ…!」
その原因は先程帰っていった客人。
「戻るわよ!」
セレイアは遠くに見える馬車を睨みつけ、踵を返した。
13 敵の敵は味方
帝都から遠く離れた町に住むシュナには父、母、そしてセレナという姉がいた。一家は貴族ではなく貧しい庶民。両親は流行り病で早くに亡くなった。
両親を亡くしたシュナはセレナと一緒に修道院に入り、そこで働きながら修道女に勉強を教えてもらっていた。
ある大雨の日、2人のいる修道院に1人の男性がやってくる。男性と男性が乗っていた馬はずぶ濡れで、一晩泊めてほしいと言うのだ。
しかし修道院は男性を拒否した。
しかも泊まりたいのなら金を出せと要求したのだ。
お金も持ち合わせておらず、困り果てていた男性を助けたのはセレナだった。
『ぜひこちらでお休みになってください』
セレナは修道女に嘘をついて男性のために風呂を沸かし、食事と眠る場所を用意した。
男性はセレナに深く感謝し、翌日去っていった。
その一週間後、修道院に客人が現れた。
遠き帝都におわす皇帝の従兄・ヴァイザー王だ。
王は先日の男性が自分であったことを明かし、改めてセレナに感謝を述べた。
そして、王はセレナに求婚する。
セレナはそれを受け入れ、シュナと共に王宮で暮らすことになった。
一年ほどして、セレナは娘を産む。娘はアイファーと名付けられた。幸せの絶頂にいる二人を見るのが、シュナは好きだった。
両親が亡くなってからずっと苦労してきたセレナが幸せそうな笑顔を見せることが、なによりも嬉しかったのだ。
しかし、幸せは突然終わりを告げる。
セレナが病気で亡くなってしまったのだ。
ヴァイザーはもちろんシュナも深く悲しみ、立派な葬式をしてセレナを送り出した。
セレナが亡くなった後、シュナはアイファーの乳母としてアイファーの養育にいそしむ。
セレナが亡くなってから二年後、ヴァイザーはフリーデンの名門・セラフィム家から王妃を迎えることになった。
シュナが三歳のアイファーと共に出迎えると、そこには豪華な花嫁衣装に身を包んだ少女がいた。
ひどく傲慢で、我儘な少女だった。
結婚して日が経っても、ヴァイザーに対しての傲慢な態度は変わらない
ある日、アイファーと庭を散歩していたら王妃に会った。王妃はアイファーの存在が気に入らないと言い、その母であるセレナをも罵った。
それからだ。王妃がアイファーに強く当たるようになったのは。
朝食を用意させなかったり、贈り物の中に虫を仕込んだり、廃棄寸前の茶葉を使ったお茶を出したり。
シュナは反抗した。大好きな姉の忘れ形見であるアイファーを守るために。
しかしシュナが反抗しても、王妃にとってはハエが飛び回るのと同じ。シュナは無実の罪を被せられて王宮を追い出された。
王宮を追い出されたシュナは助けを求めようと帝都に向かった。そこで親切な伯爵夫妻に出会う。
シュナは名を変え、セレイアと名乗り、二人を上手く言いくるめて二人の遠縁ということにしてもらい、貴族令嬢としての教育を受け、実の娘のように二人に尽くした。
子がいなかった夫妻はとても喜び、セレイアを皇宮へ連れていく。
皇帝に挨拶をしてパーティーに参加し、屋敷へ戻ってくると、夫妻はセレイアが皇帝に見初められたことを告げた。
皇帝の妃になれば王妃なんて敵ではない。
そう思って後宮に入った。
しかし皇帝はなかなかセレイアの前に現れず、月日だけが過ぎていった。
鬱々としていたセレイアの元に、ヴァイザーが戦死したという知らせが入る。
己の命令で出兵したヴァイザーの死に、皇帝は大きなショックを受けているらしい。
これは使える。今が皇帝に取り入る最後のチャンスだ。
セレイアは自責の念に駆られていた皇帝を慰め、寵愛を受けた。
ヴァイザーが亡くなってから五年後、セレイアは後宮一の寵妃になっていた。敵対する妃をことごとく蹴落とし、残る敵は皇后のみ。
皇后本人やその実家は実に厄介で、セレイアを世話していた伯爵家よりも格上の存在だった。
皇宮、特に後宮では実家の格の違いが妃の扱いに大きく影響する。いくら寵妃であれど、この格の違いは足枷となってセレイアを縛っていた。
自分一人では、いつまでも格の違いに縛られる。
しかし皇后を退けねば、今はスレライカ領の領主となっている憎き女を倒すことはできない。
その中でセレイアが出した答えは、
『敵の敵は味方』
この言葉だ。
まず、元王妃とアイファーを皇宮に招く。そこで二人を取り込み、皇后と対立するように誘導する。
皇后には一時休戦を申し込み、以前まで不仲だった元王妃と再び対立するように仕向ける。
二人が激しく対立し、セレイアは高みの見物をする。二人が衝突し、仲良く砕けた後、アイファーを引き取って手元で大切に育てるのだ。
第一段階はかなり上手くいった。どうやらあちらもセレイアを取り込もうとしていたらしく、スレライカでしか採れない貴重な果実を手土産に寄越した。顔を知られているから向こうが気づく恐れはあったが、幸いにも気づかれていないようだ。
次は皇后。あの皇后は思っていることが表情に出やすいため非常に動かしやすい。実家はかなり厄介だが。
馬車を見送った後、セレイアはエリザベス皇后の宮殿を訪ねた。
「後宮一の寵妃がわたくしの宮殿に来るなんて、不思議なこともあるものね」
セレイアの姿を見た皇后は一番にそう言った。
口元には可笑しそうな笑みが浮かんでいる。
「わたくしはずっと、皇后様とゆっくりお話ししたいと思っておりましたのよ。良い機会ですし、散歩をご一緒致しません?」
皇帝を落とした笑みで言うと、皇后は少し考える素振りを見せ、ソファを立った。
暖かい午後の日差し。
柔らかい日光が辺りを優しく包み込む。
「それで?今日はなんのご用なの?」
皇后が口を開く。
「このお花、とても素敵ですね。わたくしの宮殿にも同じお花を植えようかしら」
セレイアは皇后の言葉を無視して庭の花にゆっくり手を伸ばす。
「あなた、わたくしの話を聞いているの?」
皇后の苛立ちを含んだ声に、セレイアは少し振り返る。
「もちろん聞いておりますわ、皇后様」
「なら早く要件を言いなさい」
セレイアは花に伸ばしかけていた手を止めた。
「先程、亡きヴァイザー王殿下の王妃と王女を招きましたの」
ヴァイザーの妃という単語に、皇后はしっかり反応する。
「ローズライラ・セラフィムが来たの?」
「ええ。わたくしがお招き致しました」
「っ!」
「皇后様はローズ様と折り合いが悪かったとお聞きしましたわ。ですので、どのような人物かを見極めるためにお招きしました」
再び花に向かってゆっくり手を伸ばす。
そして一輪の紅い薔薇を愛おしむように撫でた。
「…会ったのね。感想は?」
「…」
セレイアは黙ったまま薔薇をジッと見つめ、握り潰した。
「皇后様があの女を厭われる理由がよく分かりましたわ」
「…そうでしょう?」
皇后は口の端を持ち上げて自分も薔薇へ手を伸ばした。
「一時休戦としましょう。ローズライラ・セラフィムを倒さねば、皇妃とて不安なことがあるものね」
「…どういうことですの?」
「あの女は陛下の正妃候補だったのよ」
セレイアと同じように薔薇を握り潰す。
「っ!?」
「先の皇后と折り合いが悪かったこともあって、候補に上がった途端セラフィム公爵夫人が辞退させたらしいわ」
「…」
まさかそんな事情があったとは。初耳だ。
「もしかしたら、皇妃もあの女に寵を取られるやもしれないわね」
皇后が挑発しているのは分かっている。
それでもなお、腹が立つのを抑えられなかった。
「ローズライラ・セラフィム…!」
皇后などではない。
やはりこの女がセレイアの宿敵だ。
「そんなに怒らないで。わたくしたちが協力してあの女を倒しましょう」
「ええ」
二人は互いを軽く睨み、握手を交わした。
それからエリザベス皇后とセレイア皇妃はローズライラを倒すため陰謀を企て、ローズライラは投獄され、最終的に処刑される。
そしてローズライラが目を覚ましたのは一面銀色の部屋。見覚えのあるその部屋はヴァイザー王を主とする王宮の王妃の部屋で、ローズライラは自分が転生したときと同じ日に戻ったことを悟る。
自分は投獄された挙げ句処刑され、アイファーも殺された。ローズライラはヴァイザーとアイファー、傍で仕えていた侍女たちなど、愛しい家族を奪ったエリザベス皇后とセレイア皇妃に復讐すること、そして次こそ家族を守り抜くことを誓い、一歩を踏み出す。
「ローズ様!アイファー様!」
「どうしたの、ブランシェ」
「セレイア皇妃の御遣いが来られ、ローズ様とアイファー様を皇宮にお招きしたいと!」
アイファーと共にスレライカ領へ移り住んでから5年後、皇帝は側室の1人・セレイア皇妃を寵愛している。
セレイア皇妃は御年19歳。
今や政治においても大きな発言力を持ち、皇帝を除いて唯一、エリザベス皇后と肩を並べられる存在だとか。
「セレイア皇妃…」
「それって皇帝陛下が寵愛なさっているという?」
「そうです!」
「お母様、どうしますか?」
「…」
…めんどくさーい。
セレイア皇妃は悪意があって招いたわけではないだろうけど、絶対なんかあるでしょ。
私が転生してしまったことで、この世界は原作とはすっかり変わってしまった。
もうなにが起こるのかは誰にも分からない。
だからスレライカでゆっくり好きなことして過ごそうと思ってたのにぃ…!
「…お断りしますか?皇宮はお母様にとってもあまり良い場所ではありませんし」
「…少し考えます」
「お母様…」
ため息をついてブランシェを見れば、ブランシェは心得たというように頷き部屋を出た。
「お母様、どうかご無理をなさいませんように」
皇后と会う可能性を気にしているアイファーは不安げに眉を寄せる。
「ええ、ありがとう。アイファーは優しい子ですね」
「お母様ったら。私はもう幼子ではありません」
アイファーは今年で17歳。
対して私は25歳。
若すぎる母娘だ。
可愛らしく頬を膨らませるアイファーにくすりと笑い、出かける支度を始める。
「お出かけですか?お供しますわ」
「いいえ、あなたはそれよりもやらなければならないことがたくさんあるでしょう。ヴァイザー様の鎮魂祭(※年回忌法要のこと)で頂いたお見舞い品の整理をして、お礼の手紙を書いて、それから返礼品も用意しなければ」
「分かりました。でもミレーナは連れて行ってくださいね!」
「分かっていますよ」
亡きヴァイザーの唯一の娘としての務めがあるアイファーは毎日多忙だ。
私にできることはアイファーの負担をなるべく減らし、アイファーを一生支えられる男性を探すこと。
…まさか娘の婿探しをするなんてねぇ…。
広い廊下を歩きながら複雑な心境に苦笑いをこぼす。
「ローズ様、どこへ行かれるのですか?」
「ヴァイザー様の慰霊碑よ」
「王殿下の…」
「最近は忙しすぎてあまり行けていなかったでしょう。アイファーのことをちゃんとご報告しなければ、あの方のことだもの、とても心配なさっているわ」
「…」
ミレーナは口をつぐむ。
「ミレーナも、ヴァイザー様になにか言いたいことがあるんでしょ?」
「っ!」
「ゆっくりお話ししてきなさいな」
「ありがとう…ございます、ラフツィア様」
うつむいて礼を言ったミレーナの頬は涙で濡れていた。
「ヴァイザー様、参りましたよ」
馬車に乗ってヴァイザーの慰霊碑へやってきた。
「アイファーはたくましく育っております。なにもご心配なさることはございません。ただ…そろそろ一生を共に過ごす婿殿を決めても良いやもしれませんね」
ヴァイザーの姿を思い浮かべながら話しかけると、自然と涙が出てきた。
「貴方がこの世から去って、今年で5年が経ちます。月日が経つのは早いものですね…」
屋敷へ帰ってくると、アイファーが笑顔で出迎えた。
「おかえりなさいませ!…って、お母様ったらお泣きになったのですか?ミレーナまで。まさか、お母様…」
「アイファー、ただいま」
なにかを察したアイファーに微笑みかけ、自室へ戻る。
ベッドにダイブしてごろごろしていると、少し気持ちが落ち着いた。
コンコンコン
「ローズ様、ブランシェです」
「入って」
「失礼致します」
ブランシェが入室してきた。
「ローズ様、セレイア皇妃の御遣いがローズ様のお返事を急かしておりますが」
「…」
…忘れてたー!!!
ヴァイザーのこと思い出して泣いてたらすっかり忘れてた!!
もー!皇帝の寵妃が私になんの用だよ!!?
「…日時が確定したら伝えさせて」
「よろしいのですか?」
「いいわ。皇帝の寵妃の誘いを断れば面倒なことになる」
「かしこまりました」
ブランシェは静かに部屋を出た。
「もー…頼むからほっといてよぉ」
面倒くさーい…。
12 いざ皇居へ
「セレイア皇妃に失礼のないように、アイファー」
「はい、お母様」
二人で気合を入れて馬車から下りる。
「ようこそいらっしゃいました」
数人の女官たちが私たちを出迎える。
「ローズライラ夫人、アイファー嬢、ようこそ」
「…アイファー嬢?」
おもわず聞き返した。
私はいいとして、アイファーに敬称がないのはおかしいでしょ。
「なぜ敬称をつけられないのです?亡きヴァイザー王殿下の奥様と姫様ですよ」
眉をひそめた私に代わってブランシェが怒ったように言う。
女官たちは特に焦る様子もなく笑顔でブランシェを見返す。
「大変失礼致しました。しかしお二人とも正式な位階がございませんのでこのようにお呼び致します。お許しを」
「位階がないですって?」
そこにユリアが参戦する。
「ええ。たしか夫人は王位を返上なさったはずですが、わたくしの勘違いでしたでしょうか」
女官AとBとC、笑顔で言ってるのつよ。
しかしブランシェやユリアも黙っていない。
「王位を返上してもお二人が皇家の一員であることは事実です。貴女がたは皇族に無礼を働いているのですよ」
「ですが―」
「なんの騒ぎなの?」
奥から一人の女性が女官たちを従えてやってきた。
「セレイア皇妃様」
AとBとCが頭を下げる。
…なるほど、これが皇帝の最愛か。
セレイア皇妃は穏やかな笑みを浮かべた優しそうな女性だ。
しかし、だからこそ油断はできない。
「あら、こちらのお二人は…」
「ローズライラ夫人とアイファー嬢です」
呼び方を改める気はないらしい。
もうなんでもいいから中に入れてよ…。
「そうなの?ようこそ、皇宮へ。わたくしがセレイアですわ。はじめまして、ローズライラ様、アイファー様」
「はじめまして」
「それにしてもこのような場所でなにを?」
ちらりと女官ABCを見る。
「この者たちがなにか?」
「皇族に対しての態度について少し注意しただけです。お気になさらず」
「そう…ですか。まあいいわ、お二人ともこちらへどうぞ」
セレイア皇妃が先導し、私たちはやっと皇宮に入った。
「本日は庭園にお席を設けさせていただきましたわ。色とりどりの花が愛でられますのよ」
「素敵なお庭ですね」
当たり障りのない感想みたいに聞こえるかもしれないけど、マジで素敵よ!?
どこに神経使ってんだってぐらい整ってる!!
「ふふ、ありがとうございます」
全員が席につくと紅茶やお菓子が運ばれてきた。
カップや皿の色を見てから、ブランシェが大事なことを思い出す。
「セレイア皇妃、大変恐縮ではございますが、ローズライラ様並びにアイファー様のカップやお皿などはすべて銀色のものにしていただけますでしょうか」
「なんですって?」
セレイア皇妃から笑顔が消える。
「ローズライラ様は以前、毒を盛られたことがございますので」
「わたくしが毒を盛ると?」
「決してそのようなことは。しかし、女官や下女の中にローズライラ様方に毒を盛るような輩がいないとも限りません。どうかお聞き届けくださいますよう」
ブランシェは深々と頭を下げる。
「そうなのですか、ローズライラ様」
「ええ。王妃だった頃に黄金のカップを勧められて毒を…」
「そうでしたのね。それなら過敏に反応なさるのも仕方ありません。ローズライラ様とアイファー様は陛下の大切なご家族です。万が一のことがあってはなりませんものね。誰か、銀色の食器をここへ」
「ありがとうございます」
「いいえ、間違いがあっては大変なことになりますし」
うーん、これはよくない流れ…。
セレイアの複雑そうな笑顔をちらりと見て、アイファーに目配せする。
よし、行け!アイファー!
アイファーは小さく頷いてセレイアに話しかけた。
「セレイア皇妃様、私、スレライカのお土産をお持ちしましたのよ」
「スレライカ領のお土産?」
「はい。イルテの実ですわ」
「イルテ!?」
イルテの実は日本でいうイチゴみたいな果物で、フリーデンでは貴族たちから絶大な人気を集める高級果実だ。
「我がスレライカではイルテがよく育つのですよ。フリーデンで最も日が当たる領地ですから」
そう、実はスレライカってフリーデン帝国の中で一番日当たりのいい土地と言われていて、たくさんの日光を浴びて育つイルテの実は極上の甘さを宿すの。
この世界の人間を味方につけるならスレライカのイルテは欠かせないのよね〜!!
とりあえずイルテあげれば敵になることはないっしょ!
ってかなり楽観的に考えてたけどまさかほんとにうまく行くなんてねぇ…。
「わたくし、イルテの実が大好きですの!」
「私も大好物です!あの甘さがクセになりますわよね!」
「ええ、ええ!わたくしはとっても甘いのに後味はさっぱりしているところが好きですわ!」
「セレイア皇妃が召し上がってくださるのなら、我がスレライカの領民たちも育て甲斐があるというものです」
横から口を挟むとセレイアはアイファーと私の手を握った。
手汗が心配なんだけど。
「アイファー様とローズライラ様には感謝しかございませんわ」
「そう言っていただけて光栄です。民たちも喜びますわ」
『イルテによってセレイアを味方につけた!』
というゲームでの表記のようなものが頭の中に浮かんだ。
前世はゲーム大好きだったもんなぁ…。
それから三人は穏やかに談笑し、解散となった。
「セレイア、今日は招いてくださってありがとう。とても楽しかったわ」
「ローズ様、わたくしも楽しかったです。また三人でお話ししましょうね」
「今度はセレイア様がスレライカにいらしてくださいな」
「陛下のお許しが出れば訪ねさせていただくわ、アイファー」
私たちは名前で呼び合う仲になった。
でも私がセレイアって呼んでも大丈夫なわけ?
仮にも皇妃よ?しかも後宮一の寵妃よ?
「ローズ様、アイファー、今日お迎えした際にわたくしの女官がお二人に無礼な振る舞いをしたと聞きましたわ。ここに謝罪致します。すべてわたくしの責任です」
セレイアは少し頭を下げた。
「セレイア、顔を上げて。私たちは気にしていないわ。それよりもあなたが出迎えてくれたことの方が驚きだったもの」
「ヴァイザー様のお妃と姫君ですもの」
「あら、ヴァイザー様と親しかったの?」
「…いいえ、陛下からよくお話をお聞きしていたのですわ」
「そう」
なんか間があったよね!?あの間はなに!!?
え、待って待って、ヴァイザーとセレイアって仲良かったの!?
にっこり笑って答えたけど絶対セレイア嘘ついてるでしょ!!
「まあいいわ。今日はこれで失礼するわね。わざわざ見送りに来てくださってありがとう」
「はい、お二人も道中お気をつけて」
「ありがとうございました!」
馬車に乗り込み、アイファーがセレイアに手を振ると、セレイアは慈愛に満ちた暖かい眼差しで手を振り返す。その様子になにかもやもやを抱えながら、馬車は皇宮を後にした。
「…ね、お母様」
「えっ?」
「お母様ったら聞いていらっしゃらなかったのですか?セレイア様はお優しいお方でしたねって言ったのですよ」
「え、あ、ええ、そうね」
「私はセレイア様とお母様がなんだか似ていらっしゃるように感じましたわ」
「私がセレイアと似ていると?」
「ええ。なんと言えばいいのでしょうか、私への接し方がお父様やお母様に近く感じました」
「そう…?」
たしかに、言われてみればセレイアのアイファーへの態度や眼差しは慈愛に満ちたものだった。
それはまるで、我が子に接するような―。
「…我が子…」
「え?」
「まさか…、待って嘘でしょう…?」
私は馬車の中で体を震わせた。
「…皇妃様、そろそろお部屋へお戻りになっては?」
「うるさいわね!黙っていなさい!」
「は、はい…」
セレイアは腸が煮えくり返るほどの怒りを感じていた。
「絶対に許さないわ…ローズライラ…!」
その原因は先程帰っていった客人。
「戻るわよ!」
セレイアは遠くに見える馬車を睨みつけ、踵を返した。
13 敵の敵は味方
帝都から遠く離れた町に住むシュナには父、母、そしてセレナという姉がいた。一家は貴族ではなく貧しい庶民。両親は流行り病で早くに亡くなった。
両親を亡くしたシュナはセレナと一緒に修道院に入り、そこで働きながら修道女に勉強を教えてもらっていた。
ある大雨の日、2人のいる修道院に1人の男性がやってくる。男性と男性が乗っていた馬はずぶ濡れで、一晩泊めてほしいと言うのだ。
しかし修道院は男性を拒否した。
しかも泊まりたいのなら金を出せと要求したのだ。
お金も持ち合わせておらず、困り果てていた男性を助けたのはセレナだった。
『ぜひこちらでお休みになってください』
セレナは修道女に嘘をついて男性のために風呂を沸かし、食事と眠る場所を用意した。
男性はセレナに深く感謝し、翌日去っていった。
その一週間後、修道院に客人が現れた。
遠き帝都におわす皇帝の従兄・ヴァイザー王だ。
王は先日の男性が自分であったことを明かし、改めてセレナに感謝を述べた。
そして、王はセレナに求婚する。
セレナはそれを受け入れ、シュナと共に王宮で暮らすことになった。
一年ほどして、セレナは娘を産む。娘はアイファーと名付けられた。幸せの絶頂にいる二人を見るのが、シュナは好きだった。
両親が亡くなってからずっと苦労してきたセレナが幸せそうな笑顔を見せることが、なによりも嬉しかったのだ。
しかし、幸せは突然終わりを告げる。
セレナが病気で亡くなってしまったのだ。
ヴァイザーはもちろんシュナも深く悲しみ、立派な葬式をしてセレナを送り出した。
セレナが亡くなった後、シュナはアイファーの乳母としてアイファーの養育にいそしむ。
セレナが亡くなってから二年後、ヴァイザーはフリーデンの名門・セラフィム家から王妃を迎えることになった。
シュナが三歳のアイファーと共に出迎えると、そこには豪華な花嫁衣装に身を包んだ少女がいた。
ひどく傲慢で、我儘な少女だった。
結婚して日が経っても、ヴァイザーに対しての傲慢な態度は変わらない
ある日、アイファーと庭を散歩していたら王妃に会った。王妃はアイファーの存在が気に入らないと言い、その母であるセレナをも罵った。
それからだ。王妃がアイファーに強く当たるようになったのは。
朝食を用意させなかったり、贈り物の中に虫を仕込んだり、廃棄寸前の茶葉を使ったお茶を出したり。
シュナは反抗した。大好きな姉の忘れ形見であるアイファーを守るために。
しかしシュナが反抗しても、王妃にとってはハエが飛び回るのと同じ。シュナは無実の罪を被せられて王宮を追い出された。
王宮を追い出されたシュナは助けを求めようと帝都に向かった。そこで親切な伯爵夫妻に出会う。
シュナは名を変え、セレイアと名乗り、二人を上手く言いくるめて二人の遠縁ということにしてもらい、貴族令嬢としての教育を受け、実の娘のように二人に尽くした。
子がいなかった夫妻はとても喜び、セレイアを皇宮へ連れていく。
皇帝に挨拶をしてパーティーに参加し、屋敷へ戻ってくると、夫妻はセレイアが皇帝に見初められたことを告げた。
皇帝の妃になれば王妃なんて敵ではない。
そう思って後宮に入った。
しかし皇帝はなかなかセレイアの前に現れず、月日だけが過ぎていった。
鬱々としていたセレイアの元に、ヴァイザーが戦死したという知らせが入る。
己の命令で出兵したヴァイザーの死に、皇帝は大きなショックを受けているらしい。
これは使える。今が皇帝に取り入る最後のチャンスだ。
セレイアは自責の念に駆られていた皇帝を慰め、寵愛を受けた。
ヴァイザーが亡くなってから五年後、セレイアは後宮一の寵妃になっていた。敵対する妃をことごとく蹴落とし、残る敵は皇后のみ。
皇后本人やその実家は実に厄介で、セレイアを世話していた伯爵家よりも格上の存在だった。
皇宮、特に後宮では実家の格の違いが妃の扱いに大きく影響する。いくら寵妃であれど、この格の違いは足枷となってセレイアを縛っていた。
自分一人では、いつまでも格の違いに縛られる。
しかし皇后を退けねば、今はスレライカ領の領主となっている憎き女を倒すことはできない。
その中でセレイアが出した答えは、
『敵の敵は味方』
この言葉だ。
まず、元王妃とアイファーを皇宮に招く。そこで二人を取り込み、皇后と対立するように誘導する。
皇后には一時休戦を申し込み、以前まで不仲だった元王妃と再び対立するように仕向ける。
二人が激しく対立し、セレイアは高みの見物をする。二人が衝突し、仲良く砕けた後、アイファーを引き取って手元で大切に育てるのだ。
第一段階はかなり上手くいった。どうやらあちらもセレイアを取り込もうとしていたらしく、スレライカでしか採れない貴重な果実を手土産に寄越した。顔を知られているから向こうが気づく恐れはあったが、幸いにも気づかれていないようだ。
次は皇后。あの皇后は思っていることが表情に出やすいため非常に動かしやすい。実家はかなり厄介だが。
馬車を見送った後、セレイアはエリザベス皇后の宮殿を訪ねた。
「後宮一の寵妃がわたくしの宮殿に来るなんて、不思議なこともあるものね」
セレイアの姿を見た皇后は一番にそう言った。
口元には可笑しそうな笑みが浮かんでいる。
「わたくしはずっと、皇后様とゆっくりお話ししたいと思っておりましたのよ。良い機会ですし、散歩をご一緒致しません?」
皇帝を落とした笑みで言うと、皇后は少し考える素振りを見せ、ソファを立った。
暖かい午後の日差し。
柔らかい日光が辺りを優しく包み込む。
「それで?今日はなんのご用なの?」
皇后が口を開く。
「このお花、とても素敵ですね。わたくしの宮殿にも同じお花を植えようかしら」
セレイアは皇后の言葉を無視して庭の花にゆっくり手を伸ばす。
「あなた、わたくしの話を聞いているの?」
皇后の苛立ちを含んだ声に、セレイアは少し振り返る。
「もちろん聞いておりますわ、皇后様」
「なら早く要件を言いなさい」
セレイアは花に伸ばしかけていた手を止めた。
「先程、亡きヴァイザー王殿下の王妃と王女を招きましたの」
ヴァイザーの妃という単語に、皇后はしっかり反応する。
「ローズライラ・セラフィムが来たの?」
「ええ。わたくしがお招き致しました」
「っ!」
「皇后様はローズ様と折り合いが悪かったとお聞きしましたわ。ですので、どのような人物かを見極めるためにお招きしました」
再び花に向かってゆっくり手を伸ばす。
そして一輪の紅い薔薇を愛おしむように撫でた。
「…会ったのね。感想は?」
「…」
セレイアは黙ったまま薔薇をジッと見つめ、握り潰した。
「皇后様があの女を厭われる理由がよく分かりましたわ」
「…そうでしょう?」
皇后は口の端を持ち上げて自分も薔薇へ手を伸ばした。
「一時休戦としましょう。ローズライラ・セラフィムを倒さねば、皇妃とて不安なことがあるものね」
「…どういうことですの?」
「あの女は陛下の正妃候補だったのよ」
セレイアと同じように薔薇を握り潰す。
「っ!?」
「先の皇后と折り合いが悪かったこともあって、候補に上がった途端セラフィム公爵夫人が辞退させたらしいわ」
「…」
まさかそんな事情があったとは。初耳だ。
「もしかしたら、皇妃もあの女に寵を取られるやもしれないわね」
皇后が挑発しているのは分かっている。
それでもなお、腹が立つのを抑えられなかった。
「ローズライラ・セラフィム…!」
皇后などではない。
やはりこの女がセレイアの宿敵だ。
「そんなに怒らないで。わたくしたちが協力してあの女を倒しましょう」
「ええ」
二人は互いを軽く睨み、握手を交わした。
それからエリザベス皇后とセレイア皇妃はローズライラを倒すため陰謀を企て、ローズライラは投獄され、最終的に処刑される。
そしてローズライラが目を覚ましたのは一面銀色の部屋。見覚えのあるその部屋はヴァイザー王を主とする王宮の王妃の部屋で、ローズライラは自分が転生したときと同じ日に戻ったことを悟る。
自分は投獄された挙げ句処刑され、アイファーも殺された。ローズライラはヴァイザーとアイファー、傍で仕えていた侍女たちなど、愛しい家族を奪ったエリザベス皇后とセレイア皇妃に復讐すること、そして次こそ家族を守り抜くことを誓い、一歩を踏み出す。