泣くだけ泣いて少し落ち着いた有紗は昴にカフェの中へと案内されカウンター席の椅子に座った。
びしょ濡れだった髪も身体も少しずつ乾いてゆく。
彼女の隣に座った幼馴染である昴と、有紗のために甘いミルクティーを作ってくれたカフェの店主である姉・七海にさっきまでの経緯を全て話した。
北欧系の雑貨やほんのりとした暖色の照明。久しぶりに来たカフェは有紗の思い出のままだった。


「はぁ?!何そのクソ野郎と寝取り女!!最低過ぎない?!!」
「姉貴うっさい」
「だって許さないでしょ!有紗ちゃんをこんなに泣かせて、挙げ句の果てにこんな勝ち誇りメールなんて送ってくるなんて!!何この写真?腹立つ!!」
「突然来た挙句こんなの見せて申し訳ないです…。でも、1人で見てたら何するか分かんなかったからココに来て正解でした…あ、ミルクティーありがとうございます」
「いいのいいの!!じゃんじゃん飲んで!!私の奢りよ!!ご両親にはもう連絡したからいつでもここに居ていいからね!」
「うぅ…何から何までありがとうございますぅ…」

さっきまで流していた涙が感謝からくるものへと変わる。七海の優しさと明るさとミルクティーのまったりとした甘さが今の有紗の心にはとても刺激的だった。
昴はすぐさまテーブルに置いてあった紙ナプキンをケースごと渡した。

「元から嫌な奴だったからこうなる気はしてた」
「え…?」
「おめー結構前にそのクソ男と一緒にここ来た時にパンケーキ頼んでただろ?そん時にん?って思って」
(……そうだった。マーキュリーに来なくなったのは…)

昴のその言葉に有紗はミルクティーを飲みながら思い出していた。トラウマになっている言葉もその出来事からだったことも。
昴はある席に指を刺しながら話し始めた。

「確か結構前にあそこの2人用席に座ってさ、パンケーキ頼んでただろ?それ食ってる時にクソ野郎が言ってたの聞いちまって」
「……」


"こんなの豚の餌じゃん"

"馬鹿みたいに甘いもの食ってブクブク太る様な女より優しくて可愛い子の方が良い"

"俺のこと好きならこんなの食ってないで痩せろよ"



自分の為に言ってくれているのだと思い込んでいた言葉は有紗の心と容赦なく傷つけた。大好きな甘い物も控えダイエットに勤しむようになったのも恋人から言われたのがきっかけだった。
ミルクティーが入ったティーカップを持つ手が少し震える。

「その時の有紗すんごく可哀想だった。何か言ってやろうかって思ったけど幸せそうに笑うお前を見たら言えなかった。ごめんな」
「……ううん。その気持ちだけで十分だよ。それにもうさっきら全部終わったことだし…」

最初からどこか見下しているような節はあった。けれど、初めてできた彼氏ということもあって問いただそうという気にはなれなかった。
梨花ともずっと前から付き合っていたのだろうと今は思える。
また目から溢れ出した涙を紙ナプキンで吐きミルクティーを乱暴気味に喉に流し込む。
すると、治っていた腹の虫が再び鳴き始めた。
有紗はあまりの恥ずかしさに顔を赤らめてお腹をグッと抑えながら顔を下に向けた。

(そうだった。お腹すいて彷徨ってたら良い匂いがしてここに来ちゃって…)

必死にお腹を抑え続けるも腹の虫は治ることを知らない。恥ずかしさが更に増し、有紗は顔が熱くなってゆくのを感じ顔を上げるタイミングを完全に見失ってしまった。

「もしかして腹減ってるんか?」
「……うん。お昼から何も食べてないからお腹すいちゃって…それでココに…」
「おっしゃ!!お腹がすいて困ってる乙女を助けるのが私の仕事よ!!それで何食べたい?」
「え?」
「今の有紗ちゃんが食べたいヤツ作ってあげる!!何がいい?」
「え?え、えっと、あの…」

突然、七海から振られた質問に有紗は戸惑う。張り切る姉の姿に昴は慣れているせいかあまり驚かなかった。

(姉貴のやつ妙に張り切ってらぁ…)

有紗は今自分が食べたい物を必死に頭の中で思い浮かべる。
すぐには思い浮かばなかったが、しょっぱい物か甘い物かのどちらかはあまり考えることなく決まった。
自分を裏切った恋人のせいで避けていた甘い物。
そして、泣き疲れてお腹をすかせた有紗にはもってこいの物が思い浮かぶ。
ばっと顔を上げ、今一番食べたい物を高らかにリクエストした。

「あの…ここの名物の蜂蜜たっぷりのふわふわのパンケーキが食べたいです。生クリーム多めでお願いします…!もうアイツとは別れたんでダイエットなんかもう知りません!!」
「よし!よく言った!!待ってて今作ってくるから!!」

パタパタと急いでキッチンの方に向かう七海。
カウンター席に残された昴は少しだけ元気を取り戻した有紗の頭を撫でた。

「やっと泣き止んだな」
「だって、いつまでも泣いてるわけにもいかないでしょ。それにお腹すいちゃってそれどころじゃなかったし」
「まーな。でも、久々にマーキュリーに来たお前があんな思いしてなんて知らなかった。やっぱりあの時、あの男に一言いってやれば良かったって後悔してる」
「すぐに本性に気が付かなかった私が招いた事だから昴が気にする必要ないよ。でも…そう思ってくれたのは嬉しい」

泣き腫らした顔のまま笑う有紗に昴は胸を締め付けられる。それは幼馴染で友人という感情と、有紗には打ち明けられない別の感情。
前にマーキュリーに来た時も有紗はここの名物のパンケーキを食べていた。幸せそうにそのパンケーキを食べる姿を彼女の恋人である男は笑いながら蔑んだ。
昴がこれ以上にない嫉妬と怒りを覚えたのはこの時と今日だけ。
だから有紗の笑顔は昴には眩し過ぎたのだ。

「初めての恋人がコレってあんまりだよね。早く優しくて浮気しない彼氏見つけなきゃね」
「こんなのの後なんだからゆっくり探せよ。また焦ると碌なことねーぞ」
「あはは…確かにね。まだ時間はあるしゆっくり探そうかな」
「……そうしろよ。有紗に見合う奴が必ずいるからさ」

気持ちを伝える勇気が恐怖に負けて伝えられない昴に有紗はまだ気付かない。
新たな決意を固めた乙女と、自分の気持ちに正直になれない星。
どこか寂しげな雰囲気となった昴に有紗が話しかけようとした時だった。キッチンの方からドタドタと慌ただしい足跡が近づいてきた。

「お待たせーー!!!」

七海の明るい声と共に有紗のテーブルにキラキラ輝いた素敵なプレートが並べられた。

「わぁ…」

そのプレートに乗せられた3枚の分厚いパンケーキと四角いバター、真っ白な生クリームと可愛い小さなミント。そして、もう一つの主役である白い小さなポットに継がれたたっぷりの蜂蜜。
ずっと我慢してきた大好物が目の前にあるという現実に有紗は感動していた。

「さぁ♪食べて食べて♪」
「は、はい!!いただきます!!」

重ねられた3枚のパンケーキに蜂蜜を垂らしてゆく。てらてらと蜂蜜がバターとパンケーキに流れてゆく。とても食欲を誘う光景だ。蜂蜜は生クリームにも伝う。
有紗は渡されたステンレスのナイフとフォークを使ってパンケーキに切り込みを入れてゆく。蜂蜜とバターが染みたパンケーキを一口サイズに切り、フォークでしっかりと刺してゆっくりと口は運ぶ。
有紗の口の中に蜂蜜の甘さとパンケーキの香ばしさが広がる。
今まで有紗を蝕んでいた悲しみと憎悪が大好物の甘いパンケーキの至福によって消え失せた。もう、ここから消えてしまいたいという思いも完全に無くなった。
無意識にペーストあげながらパンケーキを食べすすめてゆく。

「美味しい…!!すごく美味しいです…!!」
「よかった〜。やっぱり美味しそうに食べてる有紗ちゃんじゃなきゃね」
「確かに」
「アンタも有紗ちゃんに恋人できたって知った時にコレ食べてたよね?やけ食いってやつ」
「あ!おい!!」

慌てふためく昴のことなど構うことなく七海は続ける。

「え?昴がなんで?」
「あー!いい!!聞かんでいいからパンケーキ食っちまえって」
「いつまでもいじいじしてるアンタが悪い。最後に有紗ちゃんがここに来た時もコレ食べてたんだから。"俺はあんなこと言わない。幸せそうに食べてる時のアイツが好きだ"ってやけ食いしてたし」
「え、まって、昴ぅ…?」
「っ……」

恥ずかしそうに頬を赤らめてそっぽを向く昴を見て有紗はついに気付く。治っていたはずの顔の熱さと赤らみがぶり返す。
思わずパンケーキを食べる手が止まってしまう。

「……やっと気づいたか。おせーよ馬鹿野郎」
「だ、だって、仕方ないでしょ?!いや、そうじゃなくて!!えーーー?!!」

ようやく昴の気持ちに気付いた有紗だが悪い気は全くしなかった。寧ろ、心の奥底で次の恋人は昴みたいな人がいいと密かに願っていた。
幼馴染から恋人に変わるまでそう時間はかからないだろうと七海はにやついた。
若い2人は唖然しながらもゆっくりとお互いの想いを受け入れようとそっと歩み寄る。


蜂蜜がたっぷりとかかったパンケーキは悲しみに暮れる乙女に恋焦がれる星を呼び寄せた。
乙女を裏切り罵った愚かな男女が願った幸せは代償となり、乙女と星の幸せへと変換される。
パンケーキの上の蜂蜜は2人を祝福しているようにキラキラと輝いていた。