「そんなことは――……」
そんなことはどうだっていいと、識は心の中で即答する。
凪に言われずとも、刀に反射する自身の表情がひどく歪んでいることには気が付いていた。
それでも、このとめどなく溢れ出てくる感情を今更止めることなどできないのだ。
そうやって自嘲的に笑った識を、呆気にとられた顔をしてぽかんと見つめた凪もまたフッと吐き出すようにして笑みを作る。
「お互い、止められんっちゅうわけやな。なら、予定通りやり合おうやないか」
臨戦態勢に入り、密集した刃のごとく集まった風の中で不敵に笑う凪に合わせるようにして姿勢を低くさせた。
互いの魔力が真正面からぶつかり合うかと思われた、その時。
すさまじい音を立てて回廊を駆けまわる足音と共に香ってきた、柔らかな香りに識の動きが止まった。
ほぼ反射的に振り返った識と凪の動きが綺麗にシンクロし、大破した障子の先へと目線が移る。
「はぁ、は……セ、センリ、走るのはや……っ、」
「あっ、やーっと見つけたぞ凪さま!! オイラが書いた置手紙を持ってどっかいっちまったから探しに……って、ひえ!? な、何でこんな殺伐としてるんだ!?」
またもやピシ、とフリーズする識と目が合ったセンリの顔がみるみるうちに真っ青になっていく。
ものの見事に空気を破った闖入者は、センリの他にもう一人。モフモフの手に引っ張られ、ぜえぜえと息を切らした彼女の姿を確認した瞬間、身体が先に動いていた。
「……ん? なんか、寒気が……、え、し、識……っんむ!?」
無言で羽織を脱ぎ、何かを言いかけた香夜の上へとかぶせ自分の方へと乱暴に引き寄せる。
刹那、識から漏れ出した殺気に、センリがびくりと飛び上がった。
「あ~~、もう、最悪や……!! 香夜ちゃん、早く僕の方へ……、」
凪が言葉を完結させる前に、ゆるりと顔をもたげた識が蝶を発現させ、空間にひずみを作り出した。
誰にも見せたくない。この場に流れる空気にさえ、彼女を晒したくない。この狂おしいほどに愛らしい花は、自分だけのものだ。感じたことのない理不尽な感情に識は顔をぐっとゆがめ、苦しそうにもがく自身の羽織に口づけた。
「は、嘘やろ、もしかして移るつもりやないやろな!? 待て、お前またそうやって無理矢理……っ」
「うるさい」
最後、吐き捨てるようにそう言った言葉の響きに、自分でも驚く。
驚くと同時に、思い通りにいかない感情に識は低く息を吐き出した。
識の動きと共に、空間が移る。抱きしめた先の香夜が身体をこわばらせるのが分かった。