襖を開くと、おおきく渦を巻いた風が識の全身に吹き付けた。
何故か癪に障る嗅ぎ慣れた香りに、識は再び険しい顔をして固まった。ちらりと見えた人物に心当たりがあったからだ。
かぐわしい沈丁花の香りをまとい、識に負けないくらいの仏頂面をして胡坐をかいていたのは――。
「……えらい遅かったなぁ、識。僕がどんだけ長い間ここにおったと思ってんねん。身体カチコチになってまうわ」
恨めしい顔をした、烏天狗の頭領、凪だった。
その姿を見た識が何も言わずに襖を閉めようとすると、慌てた様子で立ち上がった凪がそれを制止する。
「ちょちょちょ、何で閉めようとしてはるん? せめてなんか一言言ったらどう?」
「必要ない」
「あのな、そうやってあからさまに顔に出すの本当よくないと思うで? 大方香夜ちゃんが待っとるって思ったんやと思うけどな、僕で何の不満があるっちゅうねん」
「不満しかないが?」
二人の妖に挟まれた襖がぎりぎり、と鈍い音を立ててきしむ。常夜で最も強い魔力を持つ識と、それに準じる凪の暴力的な力を前に、薄い襖が耐えられるはずもなく。
そのままみしりと曲がった哀れな襖を、ポイと後ろに投げ捨てた凪が、やけに焦った様子で識の羽織をつかむ。
「……絶対行かせんからな。識。お前はここで僕と遊んで一日を終えるんや」
無遠慮に掴まれた羽織と、言われた意味がわからず、識は純粋な苛立ちを目の前の旧友にぶつける。
「……離せ、何のつもりだ」
「嫌や、絶対離さん! あんな可愛い香夜ちゃん、識なんかに見せ……、あ」
しまった、とでも言うように固まる凪と、同じくピタリと固まる識。
言われてみれば、紙に書かれていた文字とこの座敷を指していた印の文字は香夜とは筆跡が違っていたような気がする。
そもそも、あのような奇怪な文字を香夜が書くだろうか。
フリーズしながら識がそう思案していると、巻き上げるような猛風が襲う。