ソーダ水で満たした水槽に熱した鉄球を落とすように、私は君に恋をした。
 
 鉄球が水槽の底に沈み、周りは激しく気泡を上げ、水槽の底は熱で日々が入り始める。
 それくらい、私は君に恋い焦がれているし、その気持ちを表現したい。

 だけど、私はコミュ障でそんなこともできない――。


 君――。湊くんと1対1になったのは、図書館だった。

 私はいつものように学校の近くにある図書館で本を借りて、帰ろうとしたら、湊くんと入口でばったり会ってしまった。湊くんは私のことを無視するかと思った。 
 だって、湊くんは私のことなんて、きっと同じクラスメイトとなんて認識してないかもしれない。私はクラスの中でうまく話せない所為で不気味がられていた。だから、空気みたいな扱いをされている。
 10月にふさわしくなく、湊くんは長袖の白いワイシャツを腕まくりしていた。
 その腕は筋肉質で図書館よりはジムのほうが似合いそうな雰囲気だった。

「おー、柊佳奈(ひいらぎかな)じゃん」と湊くんは、本当に何もないかのように、昨日まで関係性があるかのように、軽やかにそう言ってくれた。じんわりと両手が汗で滲むのがわかる。てか、初めて話すのになんでこんなにフレンドリーなんだろう――。

「――ど、どうも」と私は何も思いつかず、そう返した。
 
 休み時間1軍女子の話を盗み聞きというか、勝手に聞こえてきた話のなかで湊くん人気は異常なのは伝わってきた。昨日、帰りのバスで二人っきりで、話すのチョー緊張したとか、篠山がコソコソ話していた。きっと、篠山は湊くんと付き合いたいらしい。篠山心晴(しのやまこはる)を囲む、石井澪(いしいれい)も、河岡(かわおか)みすずも、いいじゃん、チャンスじゃんとか、LINE交換した? とか、そういうやり取りをしていたのを思い出した。
 
「どうもって、恥ずかしがり屋だな。佳奈は」
 湊くんはしっかりと、前歯が見えるくらい明るく微笑んだ。その笑顔はきっと、後天性のものじゃないと思う。先天的に明るくて、どんな人もポジティブにしちゃうような、そんな笑顔だ。筋が通ったこぶりな鼻、そして、二重の左目の少し下にある涙ボクロが、かっこよさよりも、愛嬌、かわいさを出しているように感じる。なんか、吸い込まれちゃうくらい、親しみやすそうだし、優しそうで、湊くんはいつもクラスで遠くから見るよりキラキラしていた。

 ――だけど、何を話せばいいのかわからない。

「俺、こうみえて意外と、読書家なんだよね。佳奈は、もとから読書家だろうけどね」
「――どうも」と私は芸のない他人行儀な返事を返した。本当はもっとまともなことを話せたらいいのに。

「いつも学校の帰り、図書館に寄ってるの?」
 そう聞かれたから、私は小さく頷いた。
「だろうね。そんな感じかと思った。てかさ、ここで話すのもあれだから、自販機で飲み物買って、少し外のベンチで話そうよ」
 私は急に頭が真っ白になった。そもそも、友達なんていないし、人からこうやって誘われたことも、ほとんどない。小学校低学年くらいで私は周りからあまり誘われなくなった。

「――じゃあ」
「よっしゃ。そしたら、行こうぜ」
 じゃあねって言おうと思ったのに、それを遮るように湊くんは急に私の手を繋いだ。私は動揺したまま、何が起きているのか理解しようとしている最中に、湊くんは自販機コーナーの方へ歩き出し、私は引っ張られた。



 10月に入ってもまだ、冬は本気を出していなかった。
 だから、私と湊くんは、20℃くらいのちょうどいい微温さの中、図書館の向かいにある公園のベンチに座った。私は缶のつめたいカフェオレを買い、湊くんはペットボトルのつめたいブラックコーヒーを買っていた。

 ベンチに来るまでも、湊くんは無邪気そうにベラベラと、こないだ篠山とバスで二人っきりになったんだけど、気まずかったとか、LINE聞かれなくてよかったとか、噂を知ってるから、少しだけ嫌気がさしてるって話を、マシンガンを空中に打ち込むみたいに話し続けていた。
 私はその間、ずっと、へぇ。とか、そうなんだ。とか、意外。とか、自分でもうんざりするくらい、愛嬌もかけらもない返事ばかりしていた。

 なんで、そんなこと、私になんか言うんだろう――。

「あーあ、だから、うんざりしてるんだよ。乾杯ー」
 湊くんは一通り、そう言ったあと、私のカフェオレにペットボトルを当てて、コーヒーを美味しそうに飲んだ。だから、私もカフェオレの缶を開けて、一口、飲んだ。

「――ど、どうして、うんざりしてるの?」
「どうしてって、どう考えても俺の内面を評価してくれてないと思うから。みんな外面で近寄ってくるんだよ」
「いいことじゃん」
「よくないよ。どうせ、そんなのすぐに別れるんだから。それで、ここが駄目だったとか、がっかりしたとか、顔の割に大したことなかったとか、そんなこと言われるんだよ」
 湊くんは、わざとらしく、ため息をついた。そして、もう、一口、コーヒーを飲んだ。そのあと、私はどうやって話を進めればいいのかわからなくて、そのまま黙ってしまった。そのあと、しばらくの間、私と湊くんはお互いにカフェオレとコーヒーをちまちま飲んでいた。目の前に広がる空には小さい雲がひとつだけ、風にゆっくりと流されていて、そのうち、ちぎれて消えてしまいそうだった。
 きっと、湊くんはこんなコミュ障な私に手を焼いているに違いない。
 きっと、気まずいと思っているだろうし、私に声をかけたことを後悔しているに違いない。

「俺さ、陽キャに見える?」と聞かれたから、私は静かにうんと頷いた。すると、だよなって言って、湊くんはそっと微笑んできたから、私は直視できず、そっぽを向いた。

「実は高校デビュー組なんだよね。俺」
「――そうなんだ」
 それをわざわざ高校デビューすらしてない私に言うことなのかって考えながら、くるくると空回りしたスピンドルみたいに私はどう会話を続ければいいのか全くわからなかった。

「だから、元々、根暗だし、コミュ障だし、こうやって読書も好んでるんだ」
「なんか、秘密なこと聞いてるみたい」
「別に秘密ってわけじゃないけどね」
「そうなんだ」
「うん。だけど、時々、苦しいときがあるんだ。陽キャでいるの。だから、佳奈には言ってもいいかなってふと思ったんだ。さっき会ったときに」
「なんか、頑張ってるんだね」
「優しいね。佳奈は」
 そう言われて、急に身体が熱くなっていくのを感じた。胸にじんわりと感じる不思議な感覚。きゅっと締め付けられるような、ほわっとしてしまうような、そんな変な感じに身体が包まれているみたいだった。

「なんか、やっぱり勇気持って話しかけてみるもんだな」
「え、私に話しかけることが、そんなに勇気いることだったの?」
「当たり前じゃん。女の子なんだし。クラスでは接点ないから、俺のこと、悪く思われてるかもしれないし」
「そんなわけないじゃん。クラスでも好感度高いのに」
「いや、あれは俺が努力して作った偽善の好感度だから」
 湊くんがコーヒーを一気に飲み干したから、私も慌てて、残っていたカフェオレを飲み干した。

「なあ」
「――なに?」
「偽装彼女になってくれない?」
「えっ――」
 私は言っていることがわからなくて、言葉を失った。
 というか元々、半分、失っているようなものだから、コミュ障の所為でなんて返せばいいのかわからなくなっているのかもしれない――。
 というか、偽装ってなに?

「あ、偽装って、言い方悪かったな。実は篠山にストーキングされてるんだよね」と言ったあと、湊くんはそっと、私の左手の上に右手を乗せてきた。びっくりして、思わず湊くんを見ると、左手を自分の顔の前に立てて、悪いと言うようなジェスチャーを送ってきた。そのあと、湊くんの右手は私の左手を繋いだ。

「これで、ショック受けてくれたらいいんだけど」と言ったあと、小声であそこ、見ろよ。と首で弱く左の方に一瞬、顎を上げたから、そちらを見ると、かなり先のほうにあるベンチに、私たちの学校の制服を着ているように見える女子高生が座っていた。

「篠山、いいiPhone持ってたから、きっとカメラの最大望遠で俺らのこと、見まくってるぜ」
 湊くんがわざとらしく、私の手を繋いだまま、右手を上に上げた。だから、私の左腕は引っ張られるように上がり、胸が思いっきり張り出した状態になって、ちょっと恥ずかしかった。

「よし、これくらい、しとけばいいかな」
 湊くんはゆっくりと右手を下げた。だけど、私は手を繋がれたままだった。これが本当の恋だったら、いいのにってふと思って、私はもうすでにそんな湊くんに恋しちゃったのかもしれないと思った。

「佳奈、もう少し、歩こうぜ」
 湊くんはそう言いながら、立ち上がった。だから、私も慌てて、立ち上がって、手を繋いだまま、公園を歩き始めた。


 あれから、週が明けても、私は自分が湊くんの偽装彼女なのかどうかわからないまま、もやもやした日々を過ごしていた。
 今日も、朝、教室に入るとき、ちょうど湊くんと入口で鉢合わせたけど、湊くんは誰にでも接するように「おはよう」と微笑みなが言ってきたから、私は小さな声で「お、おはよう」と最初の「お」の音が掠れたから、言い直したら、まるで自分が動揺しているかのようにどもってしまった。

 あの日、結局、偽装彼女ってなに? って聞くこともなく、ただ、湊くんに「助かったよ。ありがとう。この礼はどこかで返すから」と言われて、私はうんと頷いて、公園から駅前まで繋いだままだった手をそっと離した。
 じゃあねと言って、湊くんが私が乗る反対方向のホームに繋がる階段に吸い込まれるのを立ったまま、見つめていた。湊くんが階段を降り始め、姿が見えなくなったあと、右手の手のひらを眺めた。
 まだ、右手には湊くんの熱が残っているような気がした。

 そんなことを考えているうちに6限の数学Ⅱが終わった。机の上に右手を返して、右手を眺めた。当たり前だけど、もう5日も経った右手には湊くんの熱なんて残っていなかった。
 息をすっと吐いた。
 帰る準備しなくちゃ――。

 私は右手をそのまま、右のほうへスライドさせた。そのとき、机の端に置いていた赤いシャーペンがありえない勢いでコロコロと机の上を転がり、そして、床に落ちた。

 また、やっちゃったよ、ピタゴラスイッチ。
 こういう不注意なところが嫌になる。だって、この些細な不注意で、もし、隣の席の子の椅子の真下にシャーペンが入ってしまっても、私はきっと、シャープペンを取ることができない。帰りのホームルームが終わってから、そっと、シャーペンを回収するか、それでもダメなら、掃除当番に落とし物扱いにしてもらって、次の日、こっそり担任にもらいに行く。
 もし、掃除のときに捨てられたら、もうそのシャーペンはそれっきりだ。

 憂鬱な気持ちで下を見ると、やっぱり厄介なところにシャーペンが落ちていた。右側の席の様子を伺う。1軍のバカ男子二人組、吉岡蒼(よしおかあお)と伊藤誠(いとうまこと)がガヤガヤとちょっかいを掛け合っていた。
 シャーペンはちょうど、吉岡蒼と伊藤誠の間に落ちていた。二人はバカ騒ぎの最中で私のシャーペンになんか気づいてもいなかった。
 クラスでは奇跡の組み合わせと言われているらしい。
 このバカ二人組がクラスの雰囲気を牽引していると言っていいほど、仲が良くて、こうして、チャイムが鳴った途端に常にふざけあっている。

「今日の踊るヒット賞は明らかに俺らじゃないよな」
「残念だけど、ニシマリちゃんだな」
「うぇーい。マネしてよ」
「いいよ。いくよ? ちょ、せんせぇぇぇーん! 全部、忘れましたー!」
「ちょっと私の真似しないでよー!」と声が後ろのほうから聞こえたあと、クラスの3分の1くらいが笑いに包まれた。
 こういうとき、私は困る。というか、私にしてみたら、最悪の奇跡だ。こんなうるさくて、よりによって、クラスの中心みたいな場所の席にいるのはつらい。こんなときどんな反応すればいいのかよくわからなくなる。
 それも、たまに普通に面白いときがあるから、笑いそうになり、ほころぶ頬を手で覆い、隠したりする。だけど、今みたいに人の真似をして、小バカにするネタは好きじゃないから、周りから笑いが上がるたびに気まずい気持ちになる。

「お前ら、いつからヒット賞決め始めたんだよ」と後ろのほうから、湊くんの声がした。そして、私の席の真横まで来て、バカ二人組の前に立った。
「悔しいなら、面白いことしな。このリア充め」と伊藤誠が言ったあと、うぇーいと言いながら、湊くんにパンチをするフリをしたのを、湊くんは華麗に身体を捻って、パンチをかわすフリをした。
「バーカ。先月から非リアだよ。俺」
「お、そうだったな。おめでとうございまーす!」
「うるせーよ。ヨッシー。お前はアイランドでマリオの配送でもしてろ」と湊くんはそう言いながら、かがみこみ、左手で吉岡の脇に手をすっと入れて、吉岡の脇をくすぐろうとしていた。

「おいやめろよーーー。俺の脇はガラスなんだって。誠、笑ってないで助けろーーー」
「うるせぇ、お前なんて笑い死ね!」と伊藤誠が下品な声で楽しそうにそう言った。湊くんは一通り、吉岡のことをくすぐったあと、再び立ち上がった。
 そして、右手を背中のほうに回した。湊くんの右手には私の赤いシャーペンが握られていた。私は驚いて、思わず凝視してしまった。

「はよ」と湊くんは私のほうを向かずにそう言った。そして、手に持っているシャーペンを上下に細かく揺らしていた。私を誘っているかのように――。

「え、なにを?」と伊藤誠はもっともらしいことを言った。
「なんだと思う?」と湊くんは何事もないかのように、そう言ったあと、シャーペンを揺らすのをやめた。だから、私はそっと、湊くんの右手から、シャーペンを取った。
「笑い死ねーーー!」と湊くんはそう言って、再び、かがみ込み、今度は吉岡の両脇をくすぐり始めた。そして、吉岡は本気で笑い死ぬんじゃないかってくらい、息を乱しながら笑い転げていた。



 いつもの帰り道を歩いているだけなのに、私の心はふわふわとしていた。気持ち、いつもより早足で、まだ心臓は冷静にドキドキしている。今日もこうして、ホームルームが終わってすぐに学校を出ることができたのも、湊くんのおかげだ――。
 
 というか、どうして、私のシャーペンを拾ってくれたんだろう――。
 どうして?
 だって、私は偽装彼女なんじゃないの?
 私のことなんて、ほっといてもいいのに。
 今までみたいに。
 
 


「湊、付き合い始めたらしいよ」
「え、マジで。誰と?」
「柊とだって」
「えー、なんで?」
 津久井萌夏(つくいもか)が河岡みすずにそう話している会話が聞こえた。津久井萌夏が始めた話は私自身をドキッとさせた。昼休みが終わる15分前に、職員室に提出物を出しに行った。その帰り、廊下を曲がろうとしたとき、このやり取りが聞こえてきた。シャーペンを拾われてから1週間、偽装彼女になってから10日が経とうとしていた。
 とうとう、噂になったんだって、ふと思った。
 廊下の曲がり角の先できっと、二人は話しているに違いなかった。そんな話をしている本人が真横を通り過ぎたら、どんな表情されるかわからない――。
 一気に余計な汗が吹き出てきた。
 そして、余計に心拍数が爆発的に上がっていく――。
 私はその場に立ち止まった。教室に戻りたいけど、戻ることもできず、とりあえず、話を聞くことにした。

「てか、萌夏と真逆のタイプじゃん」
「そうだね。いいんじゃない。私よりきっとお似合いだよ」
「いや、それでも釣り合ってないじゃん」
「そう? 価値観はあいつと釣り合わなかったけどね。私」
「だから、柊と釣り合ってるって言いたいの?」
「そう、そう言うこと」と津久井萌夏が言い終わると、二人はゲラゲラと笑い始めた。
 きっと、あの日、篠山以外にも私と湊くんが一緒にいるところ、そして、手を繋いでいるところを見られたんだ。少なくとも、津久井には見られているはずだ。
 津久井はクラスの中で一番かわいい子だと思う。
 というか、実際に男子にもちやほやされてモテているのは知っている。それなのに、1軍女子にもしっかり馴染んでいて、クラスの立ち回りがすごいなって感心しちゃうときがある。
 そんな津久井萌夏も裏ではこんな噂話が好きだったんだと思うと、勝手にそんなのと無縁だと思いこんでいたから、少しだけショックだった。しかもよりによって、私のことだし、私はそもそも湊くんの偽装彼女に過ぎないのに――。

「萌夏って、変な男のこと好きになるよね」
「まあね。私も変わってるからかな。別れたけど」
「別れたってことは普通に戻ったってことだよ。あいつ、イケメンなのに、たまに行動が謎で残念なときあるよね」
「それ、元カノの私にいうこと?」
「あー、ごめんごめん。だって、もう別れたからいいでしょ」
 この会話をはたから聞いていると、本当にこの二人は仲がいいのかわからないような会話の内容になってきた。だけど、津久井萌夏はそんなことは気にもとめずに軽やかな声色で話を進めていた。津久井と湊くんが付き合い始めたとき、クラスでもちやほやされて、話題になることが多かった。何かの授業でペアを組むときは周りが、無理やりもてはやして、カップルで組ませて、また、ちやほやするというのが鉄板ネタになっていた。

 4月に付き合っていることがクラスに広まり、そして、津久井と湊くんは8月末に別れた。たった4か月で一体、どれくらい湊くんのことをできたんだろう――。それで、それがチャンスだと思ったのか、篠山心晴が9月から、猛烈に発情し始めた。
 そして、こないだ湊くんが言ってたことが本当なら、放課後に湊くんのことをストーキングし始めたのも、つい最近のことだったのかもしれない。

「問題は心晴にどう話すかだよね」
「そうだよね――。萌夏が目撃したんだし、萌夏が言ったほうがいいと思うな。私」
 やっぱり、この二人、本当は仲が悪いのかもしれない。女の嫌なところが出ていて、私はこんな話、もう聞きたくなくなってきた。
「えー、私が言うのは良くないよ。元々、付き合ってたんだし」
 篠山心晴はもう知ってるよ。って言いたくなったけど、朝、教室に入ったとき、露骨に篠山心晴ににらまれたのを思い出した。その目は突き刺すように鋭くて、私は思わず下を向き、自分の机へ向かった。篠山心晴が私のことをじっと睨んだことはきっと、まだ、誰も気づいてはいない。
 だって、篠山心晴は私が湊くんと手を繋いでいたことをまるでなかったかのように、湊くんに話しかけていたんだもん。そして、湊くんもいつも通りだったし、クラスの中でこの異変に気づいているのは、湊くんの元カノの津久井萌夏と、篠山心晴と津久井萌夏と交流がある河岡みすず、そして、当事者の私――。
 事故に巻き込まれているのはもちろん、湊くんで、その事故にさらに巻き添えにされたのが、私だ――。
 そして、ストーカーの篠山心晴。
 
 チャイムが鳴った。予鈴のチャイムだ。

「あー、鳴っちゃった。みすず、もうダメだね。またあとで考えよう」
「わかった。授業中めっちゃ考えておくわー。心晴ショックだろうなぁ」
「そうだね。行こう」

 ようやく、二人がゆっくりとした足音が聞こえて、私はようやく水面から出て、息ができるような開放感に感謝した。