私は目の前の惨状が信じられなくて、きっとこれは夢なんだろうって思った。
だけど私の頬を一筋の涙が伝って、目を覚まさないアリーシャの温もりが感じられて。
こんな夢が存在しないなんてことは初めから分かっていた。
ただこの現実を頭が受け入れられないのだ。
こんなのって無いよ。めぐみちゃんが、めぐみちゃんが消滅してしまった。
それをただ私は黙って端から見ていることしか出来なくて――。
最後に狼の魔族が拳を振り降ろして。振り下ろした拳は何故か虚しく空を切った。
それを最期にめぐみちゃんは消えた。
私は思う。この世界では魔物も魔族も死と同時に消滅していた。
それは人であっても例外ではないのだと。
そしてこれだけはどうあっても覆せない事実だ。
――私の大切な、大切な存在がいなくなってしまった。

「めぐみちゃあああああああんっっっっ!!! ……ああああああああっ!!!」

今さらになって声の限りに叫んだ。
叫んだってどうにもならないことは解っている。
だけどどうしようもなかった。
もう止めどなく涙が溢れてきてどうしようもなかった。

ガキンッ!

耳を劈(つんざ)く音に私はふっと我に帰った。
まだ戦いは終わっていないのだ。
目を向けると身体中ボロボロになりながら、血だらけになりながらも必死に剣を振るう人影があった。
一度は倒れたけれど、そこから何とか起き上がり、再び戦いを開始したのだ。
その動作はぎこちなく、フラフラで今にも倒れてしまいそうだ。
そんなの当たり前だ。たぶん再び立ち上がっったことだけでも奇跡と呼べる。
最初40ほどいた魔族は半数以下にまで数を減らしていたけれど、それでも15対1。
めぐみちゃんがいなくなって、数の上での不利は殆ど変わらないようなものだ。
しかも体力も気力も共に失われつつあって、この戦いの結末は誰から見ても明らかだった。

「――だめ……いや……」

隼人くんが振るった剣は散々空を切り、レッサーデーモンにもう何度も滅多殴りにされていた。
その度に血飛沫が空を舞い、それでも彼は倒れない。
その行動はもはや理解の範疇を越えるものだ。
ここまでされて未だに倒れずにいることができるなんて。どうしてそこまで出来るんだろう。
そう思いつつも理由なんて解ってる。
私たちを守るためだ。もしこのまま自分が倒れてしまったら。次に魔族が狙うのは私と未だ意識を取り戻さないアリーシャだ。
そんなことは意地でもさせないと、そんな気迫がひしひしと伝わってくる。

「もう……やめて……」

悲痛な声は彼には届きはしない。届くはずなんてない。
それに、ここで私がいくら願った所で考えを曲げるような人じゃないことは私が一番よく分かっている。
私のことをとても大切に想ってくれてるって理解しているから。
それが彼の足枷になっているんだ。

「――だあっ!!」

渾身の力を込めるように振るわれた剣は一体のレッサーデーモンを斬り伏せた。
倒しはしたけれど、それによって剣を覆っていた光はその輝きを失った。
彼のマインドもいよいよ底をついたのだ。
その直後再びレッサーデーモン数体が彼に群がる。
彼の顔や腹、太ももなどが殴られ蹴られ、数メートル吹き飛ばされる。
それでも彼は倒れない。
魔族は彼を弄んでいるのかもしれない。
明らかに初めと比べて攻撃が単調に思える。
結果的に彼の命はつなぎ止められているのかもしれないけれど、そんな彼を見て楽しんでいるのではないだろうか。
それを自覚した途端に胸に哀しみの渦が大きくうねり広がっていく。

「やめ……て……」

その場に立ち竦む彼に三体のレッサーデーモンがヒートブレスを放った。
その軌道が見えているのかもよく分からなかったけれど、ゆらりと動かした剣に当たり、その衝撃と熱風に吹き飛ばされ、剣は手から転げ落ちた。
それでも彼はやっぱり倒れなかった。
ゆらゆらと、水の中を漂う海藻のように、重力など無いかのように地に足をつけて立ち続けているのだ。
やがてレッサーデーモンは彼を追うのを止めて、代わりに四体の四級魔族たちが前に出てきた。
木の魔族が枝を針状に幾百と伸ばし、亀の魔族が丸太のような腕を振りかぶり、狼の魔族が鋭い爪で彼の頭を引き裂こうと拳を振るい、鷲の魔族が息の根を完全に止めるために心臓を貫こうと空中から嘴で狙いを定めた。

「よくここまで耐えられたものだな……ククク……これで終わりにしてやろう」

四級魔族は下卑た笑みを浮かべて隼人くんを見つめている。

「やめ……て……」

私は何を見ているのだろう。
身体中がガクガクと震え恐怖なのか憎悪なのか、嫌悪なのか悪寒なのかよく分からない感情が胸の中を駆け巡っている。
そしてもうどうにもならないと理解しつつも私の頭の中で何かがぱちんと弾けた。

「やめてっ!!! これ以上彼を傷つけないでえええええええええっっっ!!!」

こんな願い私のわがままだって分かってる!
だけどお願い神様っ……。どうかお願いだから、これ以上私から奪わないで!
必死な願いは胸の中に熱い熱を帯びて広がっていった――――。





















「……み……な……?」

その瞬間私の腕の中に温もりが生まれた。
今ここに在るはずのない温もり。
届かないはずの、届かなかったはずの隼人くんの温もりが腕の中に確かにあって、四級魔族たちの攻撃全てを後ろに置き去りにしていたのだ。
訳はわからない。
だけど確かにここには今隼人くんの温もりがあって。それだけは確かな現実だった。
私はすぐさまありったけのマインドを込めて隼人くんを光で包み込んだ。

「隼人くんっ……ごめんっ!」

声がかすれて涙が溢れて。雫が何滴も彼の頬にぽたぽたと落ちていく。
私の能力でみるみるうちに隼人くんの傷は癒えていった。
だけど私の力で彼の傷は塞げても、体力までは回復できない。
所詮は付け焼き刃の癒しでしかない。その証拠に彼の顔は血を流しすぎて青白いままだ。

「美奈、助かった。ありがとう」

それでも彼は満面の笑顔でそれだけ言うと、立ち上がりしゃがみ込む私の頭にぽんと手を乗せた。
二歩、三歩と歩を進め、落ちていた剣を拾い上げ、そのまま再び魔族へと向かっていってしまう。

「……どうして?」

かすれた声が漏れ出た。
私は再び絶望の中へ突き落とされる。
これでは時間が少し引き延ばされただけではないか。
彼の苦しみの時間をほんの少し増やしてしまっただけではないか。
お願い、お願いだからもう行かないで。
心の中で泣き叫ぶ私はそれを言葉には出来ずに涙を流して俯くことしか出来なかった。
そこからはもう顔を上げていられなかった。
大切な人を苦しめることしか出来ない自分には絶望の気持ちしか湧いてきてはくれないのだ。