それから約一時間程が経った。とはいっても時計がないので感覚でしかないのだが。
椎名は依然として軽々と美奈を背負っている。
先程の発光で超人的な力を得たというのは俄には信じ難かったが、まざまざと事実を見せつけられると認めざるを得なかった。
始めは山を下りるのにも一苦労かと思っていたが、現在の椎名の力もあり、順調に山の麓にまで差し掛かった。
この辺りは先程と違い、木々は葉っぱが生い茂り、雑草も多く、見通しも悪くなっていた。
一応村の大体の場所は把握しているが、辿り着くにはまだもう少し時間がかかりそうだ。
――――そんな折のことだ。
「――やっぱり来たわね」
椎名がふいに立ち止まり、腰を低く構え辺りを警戒し始めた。
「工藤くん、その石貸してくれない? あと隼人くんと二人で美奈をお願い」
そう言って椎名は美奈を木の根本に下ろして座らせた。
美奈は苦しそうに頬を赤く染め、手は力なくだらりと垂れて地に落ちた。
「あっ!? もしかしてさっきのやつか!? 俺も一緒に━━」
事情を察した工藤。共闘を買ってでるが椎名は首を横に振る。
「ううん、大丈夫。私が何とかするよ」
「……だ、大丈夫なのかよ? いくらパワーアップしたからって……」
「工藤くんありがと。でも、私が一人でやるのが一番確実だと思う。それに美奈のことをこんなにしたやつを許せないからさ。――それからあんな魔物にびびってしまった臆病な私自身も」
静かにそう呟く彼女の瞳には怒りが滲み出ているような気がした。
そのまま茂みの方をキッと睨みつける椎名。
こんな彼女の姿を見るのは初めてで、ほんの少したじろぐ気持ちもありながら、やがて件の者達が姿を現した。。
「……二体か」
茂みの中から出てきたのはやはり、先程の二体の獣だ。
「――何なのだ……? 一体あの生き物は……」
一見すると虎のようだが、口の両端から20センチ程の鋭い牙が生えている。
縦長の赤い目は三つ。宝石のようにギラついた輝きを放ち、瞳と呼ぶにはやけに無機質に見えた。
体色はグレイ。古代の獣――サーベルタイガーを彷彿とさせる。
低く唸り声を上げ、口から涎を垂らし、明らかに私達を獲物だと認めている。
獰猛な二体の猛獣を、果たして椎名一人に任せてもいいものだろうか。
「――や……やばくねーかあれ? あんなの倒せんのかよ……やっぱり俺たちも加勢した方が……」
工藤も私と同じような感想を漏らした。
普段は元気な彼もこの時ばかりは流石に恐怖に戦いている。
あんなものが迫ってきたら誰だって驚き縮こまってしまうのは当たり前だろう。
たとえ三人でかかろうがひとたまりもないだろうと思えた。
今からでも遅くはない。三人で共闘すべきだ。
しかし私自身、そう思いながらも足がすくんで動かない。
声を掛けようにも口の中は渇ききって絞り出せる言葉も浮かばない。
命が危険に晒されているのだと切に感じる
これが本物の恐怖というやつなのか。
「グルルルル……」
今私達との距離はせいぜい五メートルぐらいだろうか。
近づく程に恐怖で身がすくむ。
私は唾を飲み込みゴクリと喉を鳴らした。
そんな音は届きはしないだろうが、その魔物はまるでそれを合図にしたように左右に別れ、更にこちらとの距離を詰めてきた。
一気に襲い掛かって来ないのは慎重というよりも、弱者をいたぶる嘲りのように感じられる。
恐ろしい。
私と工藤の少し前方に椎名が立っている。
彼女からすればもうほんの2、3メートルの距離。
そんな状況においても椎名は静かに足を肩幅程に開いて立ち、勇猛であると感じる。
女の子に守られるなど何とも情けない。
そうは思いつつも、やはり今の私には彼女の前に立ち塞がり、せめて最初の攻撃の弾除けくらいにはなろうなどという勇気すら湧いてこないのだ。
ふと視界に彼女の細く白い腕が入った。それが微かに揺れている。いや、震えているのだ。
当たり前だがやはり椎名も怖いのだ。
高校生の女の子なのだ。魔物と戦った経験だって勿論ない。
私よりも非力な彼女が懸命に自分達のために前に出て、恐怖の感情を押し殺し、自身を奮い立たせ、魔物の前に立ち塞がっている。
何が勇猛だ。そんな事はない。
彼女も必死になって私達を守ろうと努力しているのだ。
果たして私はこんな事でいいのだろうか。彼女の姿が私の心の琴線を刺激する。
目の前にいるのは赤の他人ではない。私の大事な友人だ。
そんな彼女を見殺しにするような真似が許されると思っているのかと。
いや、断じて違う。
そうでは無い。
私は何を馬鹿な事をしている。大馬鹿だ。
前へ出るのだ。恐くとも、動かなくとも、そんな事は関係ない。
ただの都合のいい言い訳だ。
そんなもの全てかなぐり捨てて、今動かなければ私はこの後必ず後悔する。
私はここに来てようやく覚悟を決めるに至った。
「うおっ!」
私は気合いと共に動いた。咄嗟に手近な拳程の石を足下に確認し、それを投げつけてやろうと拾い上げた。
「はああーーっ!!」
そんな折、突然椎名が叫んだのだ。
今の私のように自分を奮い立たせたのだろう。
烈迫の気合いと共に声を発した。
気のせいかもしれないが周りの空気が椎名を中心に広がっていくように感じた。
「やあっ!」
椎名は持っている石をまず左側の魔物に向かっておもいっきり投げつけた。
椎名の声を聞いて一瞬動きを止めた魔物に向かって物凄いスピードで石は飛んでいった。
いや、物凄いなんていうものではない。
プロ野球選手も真っ青だろう。
昔バッティングセンターで120キロというスピードに挑戦した記憶があるが、その時ですらこんなスピードではなかったのだ。
椎名の投擲したそれは見事魔物の眉間に命中し、ボンッという音を立てて頭ごと吹き飛ばした。
「んなっ!? 嘘だろ!?」
工藤が思わず驚き声を上げる。
しかし驚いている場合ではない。
戦いはまだ続いているのだ。
完全に事切れた左側の魔物を見て、右側の魔物は一瞬怯んだが、「ガウッ」と吠えながら椎名に跳びかかった。
椎名との距離を詰めていたその獣は、ひとっ跳びで獰猛な牙を剥き出し彼女に迫った。
彼女の首筋が無惨にもその獣に噛み千切られる。
だがそうはならなかった。
実際はそう見えたのだ
だがそれよりも速く、椎名は左に跳んでいたのだ。
噛みつかれたと思ったそれは椎名の残像であった。
「やあっ!!」
「ギャウンッ!」
椎名はそのまま反復横跳びのようにして反動をつけ、魔物の体に横から体当たりを食らわせたのだ。
それを受けた魔物は何と五メートル程も吹き飛び、その先の大木に当たり、「ギャンッ!」と声を上げて地面に転げた。
「隼人くん! その石貸して!」
「! ……そらっ」
自分でも変な返事だと自覚しつつ、椎名に先程拾った石を放る。
ダメージを受けつつもふらふらと立ち上がった獣に向けて、椎名はその石を受け取ると直ぐに投擲した。
再び石は砲弾のように獣の体を貫いた。
「ボンッ」、という音を立てて大穴を開けたその獣はそのまま地に崩れ落ちるように横たわったのだ。
椎名は依然として軽々と美奈を背負っている。
先程の発光で超人的な力を得たというのは俄には信じ難かったが、まざまざと事実を見せつけられると認めざるを得なかった。
始めは山を下りるのにも一苦労かと思っていたが、現在の椎名の力もあり、順調に山の麓にまで差し掛かった。
この辺りは先程と違い、木々は葉っぱが生い茂り、雑草も多く、見通しも悪くなっていた。
一応村の大体の場所は把握しているが、辿り着くにはまだもう少し時間がかかりそうだ。
――――そんな折のことだ。
「――やっぱり来たわね」
椎名がふいに立ち止まり、腰を低く構え辺りを警戒し始めた。
「工藤くん、その石貸してくれない? あと隼人くんと二人で美奈をお願い」
そう言って椎名は美奈を木の根本に下ろして座らせた。
美奈は苦しそうに頬を赤く染め、手は力なくだらりと垂れて地に落ちた。
「あっ!? もしかしてさっきのやつか!? 俺も一緒に━━」
事情を察した工藤。共闘を買ってでるが椎名は首を横に振る。
「ううん、大丈夫。私が何とかするよ」
「……だ、大丈夫なのかよ? いくらパワーアップしたからって……」
「工藤くんありがと。でも、私が一人でやるのが一番確実だと思う。それに美奈のことをこんなにしたやつを許せないからさ。――それからあんな魔物にびびってしまった臆病な私自身も」
静かにそう呟く彼女の瞳には怒りが滲み出ているような気がした。
そのまま茂みの方をキッと睨みつける椎名。
こんな彼女の姿を見るのは初めてで、ほんの少したじろぐ気持ちもありながら、やがて件の者達が姿を現した。。
「……二体か」
茂みの中から出てきたのはやはり、先程の二体の獣だ。
「――何なのだ……? 一体あの生き物は……」
一見すると虎のようだが、口の両端から20センチ程の鋭い牙が生えている。
縦長の赤い目は三つ。宝石のようにギラついた輝きを放ち、瞳と呼ぶにはやけに無機質に見えた。
体色はグレイ。古代の獣――サーベルタイガーを彷彿とさせる。
低く唸り声を上げ、口から涎を垂らし、明らかに私達を獲物だと認めている。
獰猛な二体の猛獣を、果たして椎名一人に任せてもいいものだろうか。
「――や……やばくねーかあれ? あんなの倒せんのかよ……やっぱり俺たちも加勢した方が……」
工藤も私と同じような感想を漏らした。
普段は元気な彼もこの時ばかりは流石に恐怖に戦いている。
あんなものが迫ってきたら誰だって驚き縮こまってしまうのは当たり前だろう。
たとえ三人でかかろうがひとたまりもないだろうと思えた。
今からでも遅くはない。三人で共闘すべきだ。
しかし私自身、そう思いながらも足がすくんで動かない。
声を掛けようにも口の中は渇ききって絞り出せる言葉も浮かばない。
命が危険に晒されているのだと切に感じる
これが本物の恐怖というやつなのか。
「グルルルル……」
今私達との距離はせいぜい五メートルぐらいだろうか。
近づく程に恐怖で身がすくむ。
私は唾を飲み込みゴクリと喉を鳴らした。
そんな音は届きはしないだろうが、その魔物はまるでそれを合図にしたように左右に別れ、更にこちらとの距離を詰めてきた。
一気に襲い掛かって来ないのは慎重というよりも、弱者をいたぶる嘲りのように感じられる。
恐ろしい。
私と工藤の少し前方に椎名が立っている。
彼女からすればもうほんの2、3メートルの距離。
そんな状況においても椎名は静かに足を肩幅程に開いて立ち、勇猛であると感じる。
女の子に守られるなど何とも情けない。
そうは思いつつも、やはり今の私には彼女の前に立ち塞がり、せめて最初の攻撃の弾除けくらいにはなろうなどという勇気すら湧いてこないのだ。
ふと視界に彼女の細く白い腕が入った。それが微かに揺れている。いや、震えているのだ。
当たり前だがやはり椎名も怖いのだ。
高校生の女の子なのだ。魔物と戦った経験だって勿論ない。
私よりも非力な彼女が懸命に自分達のために前に出て、恐怖の感情を押し殺し、自身を奮い立たせ、魔物の前に立ち塞がっている。
何が勇猛だ。そんな事はない。
彼女も必死になって私達を守ろうと努力しているのだ。
果たして私はこんな事でいいのだろうか。彼女の姿が私の心の琴線を刺激する。
目の前にいるのは赤の他人ではない。私の大事な友人だ。
そんな彼女を見殺しにするような真似が許されると思っているのかと。
いや、断じて違う。
そうでは無い。
私は何を馬鹿な事をしている。大馬鹿だ。
前へ出るのだ。恐くとも、動かなくとも、そんな事は関係ない。
ただの都合のいい言い訳だ。
そんなもの全てかなぐり捨てて、今動かなければ私はこの後必ず後悔する。
私はここに来てようやく覚悟を決めるに至った。
「うおっ!」
私は気合いと共に動いた。咄嗟に手近な拳程の石を足下に確認し、それを投げつけてやろうと拾い上げた。
「はああーーっ!!」
そんな折、突然椎名が叫んだのだ。
今の私のように自分を奮い立たせたのだろう。
烈迫の気合いと共に声を発した。
気のせいかもしれないが周りの空気が椎名を中心に広がっていくように感じた。
「やあっ!」
椎名は持っている石をまず左側の魔物に向かっておもいっきり投げつけた。
椎名の声を聞いて一瞬動きを止めた魔物に向かって物凄いスピードで石は飛んでいった。
いや、物凄いなんていうものではない。
プロ野球選手も真っ青だろう。
昔バッティングセンターで120キロというスピードに挑戦した記憶があるが、その時ですらこんなスピードではなかったのだ。
椎名の投擲したそれは見事魔物の眉間に命中し、ボンッという音を立てて頭ごと吹き飛ばした。
「んなっ!? 嘘だろ!?」
工藤が思わず驚き声を上げる。
しかし驚いている場合ではない。
戦いはまだ続いているのだ。
完全に事切れた左側の魔物を見て、右側の魔物は一瞬怯んだが、「ガウッ」と吠えながら椎名に跳びかかった。
椎名との距離を詰めていたその獣は、ひとっ跳びで獰猛な牙を剥き出し彼女に迫った。
彼女の首筋が無惨にもその獣に噛み千切られる。
だがそうはならなかった。
実際はそう見えたのだ
だがそれよりも速く、椎名は左に跳んでいたのだ。
噛みつかれたと思ったそれは椎名の残像であった。
「やあっ!!」
「ギャウンッ!」
椎名はそのまま反復横跳びのようにして反動をつけ、魔物の体に横から体当たりを食らわせたのだ。
それを受けた魔物は何と五メートル程も吹き飛び、その先の大木に当たり、「ギャンッ!」と声を上げて地面に転げた。
「隼人くん! その石貸して!」
「! ……そらっ」
自分でも変な返事だと自覚しつつ、椎名に先程拾った石を放る。
ダメージを受けつつもふらふらと立ち上がった獣に向けて、椎名はその石を受け取ると直ぐに投擲した。
再び石は砲弾のように獣の体を貫いた。
「ボンッ」、という音を立てて大穴を開けたその獣はそのまま地に崩れ落ちるように横たわったのだ。