コトコトと荷馬車に揺られ、私達は街頭を行く。
普段からこの道を行く人の数は少ないのか、そこまで整備された道ではなかった。
時折大きな石を踏みつけては荷馬車はガタンと大きく上下し、その度に中で私達は小さく悲鳴を上げるのだ。
お世話にになったネムルさん達と別れ、もう小一時間ほどが経っていた。
異世界の初めての土地、初めての景色。
そう言えば聞こえはいいが、目に映る景色は特に目新しさを感じるようなものではなかった。
木や草花の種類に詳しいような人ならば、おそらく新種であるだろうそれらに歓喜するのではと思わなくはないが。
残念ながら私はそういった知識には疎いのだ。
それは他の三人も同じらしく、外の景色に大変興味がある、といった風な者はいなかった。
美奈が目を細めながら外からの風を涼しげに頬に受けている。
その表情はとても心地よさげで。月並みな感想かもしれないがとても可愛らしい。
彼女の愛らしさを想うだけで胸が幸せで満たされてご飯三杯はいけるのだ。
そんなしょうもないことを考えつつ、彼女の微笑みに癒されながら、先日のことを思う。
美奈がグレイウルフの毒にやられた時は本当にどうなることかと思った。
もしかしたらここにはもういなかったかもしれないのだ。
不遜なことを考えながらいかんいかんと首を振る。
不意に美奈と目が合った。
彼女は私と目が合うなり、小首を傾げたかと思うと思いきり破顔して笑顔を向けてくれる。
そんな仕草がまたとてつもなく愛らしく、可愛い。
何にせよ、この笑顔を守れたということが、今の私にとって、この異世界でかけがえのない、最高の成果だったと素直に思えるのだ。
私はこの先どんなことがあってもこの笑顔だけは守りたい。
キザなセリフかもしれないが、密かに私はそんな決意を確かに胸に刻みながら、美奈の微笑みにそっと頷きで返すのだった。
「ねえ、ちょっと待って」
突然向かいに座る椎名が声を上げた。
それと同時に馬車が止まる。
「みなさんっ、魔物です!」
御者台で馬車のたすきを握るフィリアが叫ぶ。
私は窓からそっと顔を出し、前を見た。
するとそこには今しがた思考の中にいたモンスター、グレイウルフが道を塞いでいた。
灰色の毛並み。獰猛な牙と魔力の宿る赤い瞳。
低いうなり声を上げながら、こちらに殺意の籠るまなざしを向けている。
その数七匹。
「迎え撃とう」
「待ってくれ」
「???」
剣を携え馬車の外へ出ようとしたアリーシャを私は手で制した。
「アリーシャ。ここは私達に任せてもらえないか?」
不思議そうな顔をするアリーシャにそう告げると私は馬車の外に躍り出た。
「椎名、工藤。行くのだ。美奈は能力的に戦闘タイプではないのだ。馬車の中にいてくれ」
「あ……うん」
ついて来ようとする美奈は制しておいた。
今の私達なら一人でも問題なく倒せる相手で、勿論それは美奈も例外ではないとは思う。
だが以前毒に苦しんだ経験を与えた相手を前に戦うことが、そう気分のいいものではないだろうとは思うのだ。
いわゆるトラウマというやつだ。
よってこれは美奈に対する私なりの配慮であった。
だがそんな私の配慮にため息混じりで馬車から降りてくる者がいる。
もちろん椎名だ。
「ほんと隼人くんて椎名づかいが荒いわよね。美奈には甘々なクセに」
彼女は大袈裟にため息を漏らし、自分が美奈と違って戦いに駆り出されたことに不満を漏らした。
そんな彼女を横目で見つつ、私はフッと笑う。
「すまないな、椎名。毎度のことながらまた頼りにさせてもらうのだ。それに、お前の風の能力は早めにアリーシャにも見てもらっておいた方がいいかと思ってな」
こんな時は彼女を必要以上に持ち上げるのがベストだと考える。
案の定彼女は満更でもないような表情で頬を赤らめる。
「べ……べつに……このくらいどうってことないけどさ」
椎名は頬は赤いまま、腕を組んでそっぽを向いた。
「うっし! んじゃいっちょ、やってやりますかっ!」
工藤はというと、やる気満々なご様子で、拳を胸の前でバシッと一つ打ちつけた。
ニヤリと笑んだその表情には自信が満ち溢れ、歴戦の戦士のような頼りがいを感じさせる。
グレイウルフに対して臆するようなことは全くもってないだろう。
こういう時は好戦的な彼の性格が地味に助かるのだ。
「うむ。ではリベンジマッチといこうではないか」
私は背に負ったツーハンデッドソードを引き抜き、正眼に構えてグレイウルフを見つめた。
いつの間にかやつらはジリジリとこちらににじり寄ってきていた。
もう彼我の距離は三メートルほどにまで迫っている。
「グルルル……」
先頭のグレイウルフが低く唸った。
強い殺気に当てられてか、無意識にゴクリと喉が鳴る。
アリーシャをちらと見ると、彼女は私に言われるままに馬車の窓からこちらを伺い見ていた。
それにより胸には多少なりとも緊張感が駆け抜ける。
修行中もそれなりに魔物とは戦ってはいたが、少し状況が違うのだ。
アリーシャは間違いなく剣の達人。
そんな彼女に戦いを見られるというのは、試験のような心待ちがして鼓動が速くなってしまうのだ。
「余裕余裕。こんなやつ、もう過去の遺物よ」
「いや……遺物ではないが」
私の心待ちを知ってか知らずか。不意に椎名がお気楽な声を上げた。
それにすかさずツッコミを入れつつも苦笑する私。
コイツはいつもそうやって、なんでもないような振りをして。
それでも心が少し軽くなったのを自覚して、私も随分単純だなと思う。
私はふうと短く息を吐き、そして吐き出した。
「はあっ!」
列泊の気合いと共に最初に飛び出したのは椎名だ。
彼女は私達の中でも特に素早い。
更に自身の風の能力も手伝ってとにかく特攻隊長よろしく、勇猛果敢に攻めていった。
とはいっても少し無謀である。
七体も魔物がいる中に、ほとんど丸腰で突っ込んでいったのだ。
それに身を低くして迎え撃つ姿勢を取るグレイウルフ。
右手には工藤に作成してもらったというユニコーンナックルを携えてはいるが、流石にやつらも素早い。
あの数を一度に相手取るには少々心許なさすぎる武器だ。
流石にそれはと椎名を強く呼び止めようと、思わず声を上げそうになった時。
「なあ~んてねっ」
突然椎名は地を蹴り大きく空へ跳躍。五メートル程上空へと跳び上がった。
かと思うと、右手をL字に形取り、立てた人差し指の先端を先頭のグレイウルフへと向けた。
「ストーム・バレット!」
力ある言葉と共に、指先からパンッという渇いた音が鳴る。
そのまま目には見えづらいが風の弾道が生まれたのだろう。
一迅の風が巻き起こり。
「ギャンッ!?」
直後その風の弾丸はグレイウルフの顔面に直撃したと思われた。
頭部の破砕と共に一体のグレイウルフは赤い魔石へと姿を変えたのだ。
突然の仲間の末路に慌てふためくグレイウルフたち。
「ストーン・バレット!」
そんなグレイウルフの群れへと向けて、私の斜め後方から、今度は工藤の攻撃が炸裂した。
椎名の風の弾丸と同じような、石の弾丸。
三つ同時に形成されたそれは、それぞれ直線的な軌道を描き、グレイウルフ三体の脇腹や足、頭部に直撃
した。
当たった場所がまちまちなのは、まだ三つ同時に精度よく操るのが難しいのだろう。
最も同時に三つもの弾丸を精密に操るようになれるかは甚だ疑問ではあるのだが。
脇腹と頭部に直撃を受けたグレイウルフはそのまま事切れ魔石と化す。
足に傷を負い、素早さを失ったグレイウルフは椎名のユニコーンナックルにより急所を貫かれあっさり事切れた。
うむ。中々連結の取れた動きだ。
流石この二人は相性がいい。
二人の動きを観察しているうちに、私の周りには残りのグレイウルフ三体が集まってきていた。
三方から私を囲い込み、同時に襲撃する腹積もりなのだろう。
「隼人くんっ!」
しまったと声を上げる椎名を手で制し、私はツーハンデッドソードを構える。
椎名と工藤が修行中にとある冒険の戦利品で手に入れたというこの剣。
重量は30キロはあるだろうか。
ずっしりと手に沈みこんでくるような感覚がある。
だが今の私は覚醒により、普段の数倍の身体能力を得ているのだ。
そこには当然膂力の向上も含まれている。
本来両手でしっかり握りしめておかないと扱いが難しい剣を、私は軽々と操った。
「ガアウウウッ!!」
一斉に飛びかかってくるグレイウルフ。
三体のタイミングもばっちりで、三方向からの同時攻撃は私に逃げる場所を失わせていた。
だがそんな事は些末なことだ。
「ふんっ!!」
私は構えたツーハンデッドソードを気合いの声と共に横薙ぎに大きく振り回す。
円の周期で繰り出された剣はものの見事にグレイウルフ三体を上下に分断せしめた。
一瞬にして、断末魔の声を上げる間も無く、それらは魔石へと姿を変えたのだった。
「ほえええ……」
感嘆の声を漏らす工藤。
私としても思った以上に上出来だ。
身体も剣も軽い。予想以上に速く動く。
私はうんうんと頷きながら馬車へと視線を向けた。
するとこちらを見ていたアリーシャと目が合う。
彼女は目が合うなり優しく微笑んでこくりと頷いてくれた。
「うむ。皆中々の身のこなし。戦いを始めたのが最近とは思えないくらいだな。流石予言の勇者。これは心強い」
そう言うアリーシャの表情は朗らかだ。
その反面私は少し複雑な心境であった。
予言の勇者。
この言葉はこれからの私達の行く先々で当たり前のようについて回るのかと。
そう考え始めると、少し憂鬱な気持ちになってしまうのだ。
そんな折、美奈と目が合う。
「お疲れさま」
そう言い微笑んでくれる美奈。
大して疲れているわけではないが、その微笑みを見るだけで疲れが吹き飛んで身体も心も軽くなるようだ。
だが私はこの時は気づきもしなかったのだ。
彼女のその笑顔に、ほんの少しの翳りが混じっていたことに。
ヒストリアの地域は今日も晴れ晴れとした青空が広がり、穏やかで過ごしやすい気候であった。
ネムルさん達と別れ、ネストの村を出てからもう二日が経っていた。
アリーシャとフィリアという現地人がいるので、迷うということはないとはいえ、長旅というのは中々にハードであった。
夜は馬車で寝泊まりしなければならないのだ。
地べたで寝るよりだいぶマシだとは思うのだが固い床で眠るというのは想像以上に疲れが取れないものだ。
それに夜は昼間よりも危険だ。
交代で見張りも立てなければならないのだ。
アリーシャの侍女であるフィリアが結界を張る魔法が使えたので、特に何事も無かったは無かったのだが、それでも魔族に狙われている可能性のある私達は、人一倍警戒した方がいいとのアリーシャの提案だった。
彼女の言葉を受け、改めて未知の生物に目をつけられているかもしるないという現実は、想像以上に私の心を重くした。
だがそんな中でも憂鬱な心持ちになるようなことばかりではない。
ネストの村を発ってからずっと続いていた森を、今朝ようやく抜けた。
鬱蒼とした森を抜けると視界が大きく開け、広大な丘陵地が広がっていたのだ。
開放的な緑と青のコントラストは、いくらか私の心を晴れやかにしてくれたのだ。
私達がまず目的地としているのは、ヒストリア王国への道程の中で、ちょうど中間に位置するピスタという街であった。
ネムルさんのいた村が百人規模の村に対し、そこには数千人規模の人達が生活を営んでいるらしい。
聞く所に依ると、ヒストリア王国からインソムニア王国へ入るための国境を目指すに際し、中継地として栄えた街なのだとか。
今私達が馬車で走っている街道は丁度ネストの村とそのピスタの街の中間くらいに位置しているらしい。
後二日、このような行程をひた進めば一旦の目的地ピスタに辿り着ける。
覚醒により身体能力が格段に向上したとはいえこのような馬車による旅は生まれて初めてだ。
勿論他の三人もそれは同様である。
ただでさえ見ず知らずの環境で戸惑いや不慣れはあれど、思いの外皆不平や不満を漏らすことはない。
寧ろこの状況を楽しんでいるとさえ感じる。
それはやはり我々が四人いるという事が大きいのだろう。
私自身も時折悲観的な思考が頭を過るものの、ずっとそうというわけではない。
見た感じ私がしっかりそういう悲観的な思考を維持していないとまるで遠足のようなムードになるのではないかと懸念してしまうほどである。
それが悪いことだとも思わない。
ただ、何事も孤独ではない、一人ではないという事がこんなにも心強いのだと改めて実感したのである。
人数も女性が二人増えて賑やかで華やかになり、旅はそれなりに順調且つ快適と言えた。
見上げた空もきらきらと華やいで見えた。
「ハヤト、少しいいだろうか」
現在御者台に座り、この馬車を走らせる私の隣にアリーシャがやって来た。
私は返事の代わりに御者台の右側に寄り、アリーシャが横に座れるだけのスペースを空ける。
彼女はフッと笑んでそこに腰掛けた。
「済まないな、君達に強制的に手伝わせるような事になってしまって」
「いや、私達もヒストリアに向かう予定だった以上、何も手を貸さない訳にも行くまい。それはもう気にしないでくれ」
運転中のためアリーシャの方は見れないが、彼女の申し訳無さそうな表情が脳裏に浮かぶ。
正直私もアリーシャからヒストリアの現状を聞かされた時は嫌な予感しかしなかったが、話を聞いてしまった以上無下にする事は出来ない。
しかも、私一人ならまだしも四人で行動している以上、アリーシャの話を聞いて面倒なので放っておこうとはならないと分かってしまっている事も辛い所だ。
私はふとアリーシャから聞いた話を思い出していた。
今から約二ヶ月程前。
ヒストリア王国の城下町に突然何処からともなくレッサーデーモンが出現するという事件が起こった。
いきなり町に最下級とはいえ魔族が現れたのだ。
当然人々はパニック状態に陥り騒ぎとなる。
幸いその時は王国の騎士団が直ぐ様赴き、レッサーデーモンを仕留めた。
それにより死者を出す事も無く事無きを得たが、それはその時だけに止まらなかった。
その後も度々何処からともなくレッサーデーモンが町に出現するという事件が多発しだしたのだ。
そんなだから騎士団は警備を増やし、厳戒体制でレッサーデーモンの討伐と町の警備に当たったが、結局の所それがいつ果てるともなく皆疲弊していった。
原因が全く分からなかったのだ。
そんな時にある噂が流れ出した。
この一連の事件は、我がヒストリア王国を邪魔だと考える北方の大国、ホプティア王国の仕業ではないかと。
そんな事はあり得ないとは思いつつも、火のない所に煙は立たない。
更にはそんな折りにホプティア王国の使いと思われる者が捕まったのだ。
流石にこのままにしておく訳にもいかなくなったヒストリア王国は、アリーシャの双子の兄であるアストリアをホプティアへの使者として送る事にした。
そしてアリーシャには国の対魔族の戦力増強のため、同盟国であるインソムニアへ行くという王からの勅命を受けた。
そこからアリーシャはインソムニアに行き魔石を仕入れた。そして帰国の折りに勇者出現の報を受ける。
その事からも私達を迎えに来たのは単なる偶然や定形の行動という事では無く、初めから私達に力を借りたかったためだったという事なのだとか。
勿論私達が信用に足る者達なのかの見極めは必要だろう。
そしてその逆もしかり。
そうなれば一国の王女であり騎士であるアリーシャというのは正に打ってつけの人物のように思えるのだ。
ちらとアリーシャの方を見ると、彼女は遠くの空を見つめていた。
そこに自身の母国、ヒストリアを思い浮かべているのだろうか。
彼女は多くを語らず私の横に座し、一点を見つめている。
時折馬車が揺れ、肩がこつんと触れた瞬間にフローラルな香りが漂い鼻腔をくすぐる。
まるでおとぎ話の一節のような光景がそこにあった。
アリーシャはこうも言っていた。
私達と合流を果たした際に、自分の身近に魔族がいた事。
その事に自身の周りに予想以上に魔族の手が入っており、危険感が膨れ上がったと。
そして恐らく今回の一連の流れ、それは魔族の仕業に違いない。
私はアリーシャの神妙な横顔をちらと見つつ、まだ見ぬ魔族の陰謀に胸焼けのような嫌な気持ちが込み上げてくるのだった。
出来る限りピスタの街で有益な情報が得られれば良いが。
花や枝葉は穏やかな風に揺らめき、街道は暖かな日差しが届き私達を包み込んでいる。
世界はこんなにも美しく平和だと感じさせてくるというのに、胸のもやもやは広がるばかりであった。
――更に二日間が経過し、その日の午後。
本日中には確実にピスタの街に着ける所まで辿り着いた。
現在右に岩山がそびえ立つ街道をひた走っている。
いよいよここを越えればピスタの街だ。
流石に皆、まともな宿に泊まっていない事もあり、疲労もある。
だがそれでも異世界に来て初めてのきちんとした街という事で、車内は比較的明るかった。
それに数日の旅で皆気心が知れた。
皆歳が近い事もあってか、初めの頃の緊張感のある空気は消え、時折車内から賑やかな笑い声がこの御者台の方まで聞こえてきていた。
「いよいよだね」
少しだけ振り向くと美奈が車内から御者台の方へと移動してきていた。
「危ないぞ」
「ん、ありがと」
私は馬車を走りながらで彼女が心配になり思わず手を差しのべる。
彼女は私の手を取り、そのままちょこんと左隣に腰を下ろした。
先日はアリーシャがそこに座ったが、小柄で軽装な美奈が座ると二人でもより広いスペースに感じられる。
「何事もなく事が運べばいいのだがな……」
ピスタの街が近づく程に、先日からあった不安は広がるばかりだ。
その想いは今やピークと言ってもいいだろう。
その時、私の太腿に美奈の小さな手が触れた。
「隼人くん」
美奈は安心しきったように御者台から流れる景色を見ていた。
彼女の触れた部分が熱を帯びているように感じる。
「美奈」
私は彼女の名前を呼んで、左手の手綱から手を離し、そっと彼女の手の上に自分の手を重ねた。
それだけで私の心は温かな火が灯ったようになる。まるで穏やかな陽光が射し込むように。
「ねえ、この世界ってさ、すっごく綺麗だよね?」
「ん――」
美奈の突然の問い掛け。
その言い様はすごく曖昧だ。だが何となく彼女の言いたい事は理解出来る。
それはただ単にこの世界が空気が澄んでいるとか、環境が汚染されていないとかそういう類いのものでは無い。
私も同じような事を思った時があった。
「ああ、確かにな。この世界には争いは絶えないのかもしれない。だが、目に映る景色や、空気の匂い。ここで暮らす人々。まだまだほんの少ししか目の当たりにしていないのかもしれないが、私達がいた世界よりも、もっと純粋で、もっと輝いているように感じてしまうのだ。――うむ、この世界はとても美しい」
私が感じていたままを、想いを美奈に打ち明けてみた。
すると彼女は驚いたように目を見開いた。
「そうっ、私もそう思ってたのっ。まだ来て間もないけど私、この世界がすごく好き。私たちがいた世界が嫌いってことじゃなくて、ここにある世界を、世界が壊れてしまうなんて、すごく悲しいって思ったの。だから、出来る限り守りたい。守っていきたい」
「――ああ。私もそのつもりだ」
ほんの少し上気したように見える美奈の頬。
私もそう思っているし、美奈がそう思っているのならば応えたい。そうも思っている。
だが少し引っ掛かるのだ。
何故か美奈は少し伏し目がちだ。
それに私には分かる。分かってしまう。
彼女の胸の内に渦巻く負の感情。
それがどういったことなのかまでは確信を得ることはできないが。
「あのさ、隼人くん」
そう言う美奈は何か逡巡しているように思える。
何か言いたそうだが言い難そうにしている雰囲気だ。
「どうした? さっきから少し変ではないか? 何か気になる事があるなら言ってくれ」
そう言うとしばらく彼女は黙り込み、やがて私の瞳を見つめた。
何か思い詰めたような、決意を秘めた瞳だ。
「あのさ、ごめんね?」
それは謝罪の言葉だった。
まるで懺悔するように。何かを悔いているように。切なく、ほんの少しの哀しみが混じっていると感じさせた。
「……何故謝るのだ?」
「この前、ネムルさんからこの世界を救ってほしいって話を聞いた時の事、私ずっと気になってたんだ」
「――あ」
予想しなかった言葉が美奈から紡がれた。
まさか今更その時の事を話されるとは思いもしていなかった。
確かにあの時は私だけが世界を救うという事に反対だった。
だが皆から話を聞いて、私の中では気持ちの整理はついたつもりだった。
だが美奈はそうではなかったのだ。
逆に私の考えをねじ曲げたように感じ、後々悔いていたのかもしれない。
「私が……当初反対していたからか?」
恐る恐るそう訊ねると、彼女はこくんと頷いた。
「うん。あの時どうして私は隼人くんの味方をしなかったんだろうって」
やはりそうだ。彼女はあの時のやり取りを悔いているのだ。
私の意見が皆と食い違い、一人取り残されたようになった。そう言いたいのだろう。
「美奈、違うのだ。そんなことはない。美奈はあの時正しい事を言って私に気づかせてくれたのだ。自身の私欲のために、それ以外の事を考えられない私の心を導いてくれた。だから何も気にすることはないのだ」
精一杯の柔らかな否定をする。
彼女にそのことで責任を感じてほしくはない。
だが依然として彼女の表情は明るくはない。
「……うん。でも、それでも私達のことを第一に考えてくれることは決して悪いことじゃない。それに、誰だって自分の身を守ろうとするのは当たり前のことなのに。結局私は隼人くんを悩ませただけなんじゃないかって、後からそう思うと、何だか申し訳なくて……」
美奈の長い睫毛が揺れる。
そういう風に思ってくれることが私はとても嬉しい。
私は彼女の手を少しだけ強く握る。
「美奈、私は今まで美奈に言われて心が温かくなる事はあっても、美奈の発言で心を痛めたり、嫌な気持ちになった事など一度もない」
「……隼人くん」
「だからそんなに自分を責めないでくれ。もう私も決めた事だ。それに、美奈にそんな顔をされてしまうと、私にとってはその方が辛いのだ」
私は馬車を運転している手前、美奈の方を向く事が出来なかったが、代わりに美奈と重ねた手を更に力強くきゅっと握った。
そこから美奈の温もりが伝わってくる。
それだけで私はとても穏やかな気持ちになれた。
美奈もそうであってくれると嬉しいのだが。
「……うんわかった。……隼人くん。変なこと言ってごめんね? あと、ありがとう」
その言葉を聞いて、美奈の心が少し落ち着いてくれたように感じられた。今となれば目覚めた自身の能力を使って彼女の暗くなった気持ちを取り除き、そうした解決をする事も出来なくはない。
だが、この時ばかりは流石に違うと思った。
今のやり取りで美奈の心はさざ波のように落ち着いていってくれたようだ。
申し訳ない気持ちも少しあったが、それだけは能力で確認しておいた。
ふと視界に白い花が映り、ふわりと揺れる。
それに気持ちが優しく引っ張られる。
思えば美奈とこうして落ち着いて話すのはこちらに来て初めてではないだろうか。
時には互いの想いをさらけ出し、打ち明け合うのも大切な事だ。
それが恋人というのならば尚更だ。
「美奈、私達の旅はまだ始まったばかりだ。これから多くの困難が待ち受けているだろうが、皆で力を合わせて乗り越えていこう」
「そして私は美奈の可愛らしい唇にキスをしたのだった」
突然背後から見知った声がする。
振り向くとそこにはジト目で腕を組む椎名の姿。
「――し、椎名! 何を言っている!?」
見れば他の面々も色々様々な表情を浮かべながらこちらを伺い見ているではないか。
私達は途端に恥ずかしくなり顔に熱を帯びていくのを止められなかった。
「ほんと、何二人の世界作っちゃってんのよっ! てか私たちに隠れてイチャつかないでよねっ! 全然隠れてはないけどっ!」
「あ……あうう……」
美奈があたふたしつつ顔を赤らめ俯く。
全員の視線が凄く痛い。
「わ――私達は真面目な話をだな!」
苦し紛れに吐いた言葉に椎名は大袈裟にため息をついた。
「何が真面目な話よっ! 真面目な話にかこつけてキスしようとしたくせに!」
「――し、してないっ」
「いや、その間、何なの? 隼人くんてほんとムッツリなの?」
「うぐうっ……」
椎名に簡単に手玉に取られ、逃げ場を失う。
いや、自身の態度があからさま過ぎるのが悪いのだが……。
とにかくこうなっては最早成す術はない。
潔く平謝りモードに突入しようかと決めた矢先。
意外なアリーシャの反応に私達は驚かされることになる。
「なっ!? ハヤトとミナはその……け、結婚していたのか!?」
「――はい?」
アリーシャの突拍子もない反応に私は一時返す言葉を失う。
何? 結婚? アリーシャさん?
「アリーシャ違うのよ。隼人くんはね、結婚もしてないのにミナにキスしまくって手だけは早いのよ」
そんな私の心中の思考をよそに、説明をする隙すら与えず、ここぞとばかりに椎名が余計な事を吹聴する。
本当に、こういう時の彼女の反応の速さにはいつも舌を巻くのだ。
だが椎名は割といつもの冗談のつもりだったのだろうが、この時ばかりはアリーシャの反応は一堂の予想の更に斜め上を行くものだった。
「なっ!? ……ハヤト、見損なったぞ! 君は誠実な振りをしてそのような軽い男だったのだな! そ、そんな事をして万が一ミナが身籠ってしまったりしたらどうするつもりなのだ! ……というかもうその可能性もっ!?」
「「――は?」」
これには私の椎名もアリーシャの顔を見つつハモってしまう。
アリーシャ当人意外、一瞬何を言っているのか理解が追いつかず、目は点だ。
アリーシャの年齢は16だと聞いていたが。まさか一国の姫様がここまで男女間の話に疎いとは。
この反応は流石にうぶ過ぎるのではないだろうか。
皆して絶句し、固まってしまっていた。
「……アリーシャ……可愛いすぎ」
「……可愛いな」
椎名と工藤の可愛い発言にみるみる顔を赤らめるアリーシャ。確かに可愛いが。
この発言で場は更に混沌を導いていく。
「く、クドー! 可愛いなどと破廉恥なっ! 君は一体どういうつもりだっ!? 君達の世界の男共は一体どうなっているのだ!?」
……可愛いなアリーシャ。
ふと横を見ると、美奈がすっごい笑顔で私の方を見ていた。こんな笑顔、今まで見たことがない。
何故か笑顔のはずなのに、めちゃくちゃ怖い。というか彼女の胸の内に渦巻くあのどす黒い靄はなんだ?
え? 魔族より黒くないですか? ちょっと本当に怖いんですけど美奈さん?
私は反射的に目を逸らしてしまう。
冷や汗を拭いながら思う。
どうしてこういう時の女の子の勘はいつもこんなにも鋭いのだろうか。
いや、それとも美奈だけが特別なのか。なんとなくだが椎名はこんなことはない気がする。
まあ私にとって美奈は間違い無く特別だが。
しかしながら彼女の手を握りつつ、別の女の子を可愛いなどと思ってしまう事は不謹慎極まりない。
屑と罵られても仕方無い程の所業だ。
そんな事を考えていると、美奈は今度はむくれた表情で、私と触れていない方の手で服の裾を強く握ってきた。
不服そうな反面顔を赤らめて前を向いている。さ、流石にこれは可愛い過ぎるだろう。
「ちょっとそこの二人! いつまで手を握ってるのよ!」
椎名の怒号が空に響き渡った。
「おい!いよいよピスタの街の近くまで来たみたいだぞっ!?」
「よくわかるものだな。やはり君達の魔法は特殊だ」
工藤の感知能力にアリーシャは素直に驚いていた。どうやらこの手の魔法には覚えがないらしいのだ。
岩山を抜けて、視界が開けた場所に出た。遠くに石壁に囲まれた街が一望出来た。あれがピスタの街だろう。
しかしどうも街の様子がおかしいように感じる。
「……あれ……煙じゃないかな?」
「確かに。穏やかな雰囲気じゃないわね」
美奈、椎名も異変に気づいて呟きを漏らす。そう、遠目から見ても明らかに黒煙が上がっているのだ。察するに街で何かしらの争いが起こっているのではないか。
「工藤。何か分からないか?」
彼に尋ねると暫し思案顔で首を捻る。
「う~ん……詳しくはわからねーが……。街の人たちが走り回ってんな。……後それを追いかける足音を感じる。……人が倒れたりもしてるな」
「何者かに襲われているという事か!?」
アリーシャの顔色が険しくなる。これは早く助けに行った方が良さそうだ。
「椎名」
「はいはい行きますよ。アリーシャとでいい? 大人数は厳しいから」
呼んだだけで意図を察しため息混じりにそう答える。私はこくりと頷く。自分の方に移動してくる椎名を見て今一意図が掴めていないようで困惑した表情を作るアリーシャ。
「? ……ハヤト、一体どうするというのだ?」
「アリーシャ、恐らく何者かに街が襲われている。事態は一刻を争うのだ。先行して椎名と街に向かってくれ。椎名の風の能力で飛んでいけばここからでも数分で街に着ける筈だ」
相手が何者かは分からない。だがあらゆる状況に於いて、この二人が最も最善の対応をしてくれるだろう。
「じゃ、もう行くよ。アリーシャ」
「え? う、うわあーーーっ!!!?」
言うが早いか私達の周りに一陣の強風が巻き起こる。その推力を利用してあっという間に二人は空へと上昇。アリーシャの焦ったような声が気には掛かったがそのまま街へと飛んで行ってしまった。風が収まった後に見やれば二人は最早豆粒程の大きさとなっている。それを確認しつつ工藤の方を振り返る。
「工藤。お前も走って行ってくれ。お前の足なら五分と掛かるまい」
戦力は少しでも多い方がいい。今ならすぐに椎名達に追い付けるだろう。
「そうだな、椎名が無茶しねーか心配だしな!」
「あ、あのっ! クドーさん!」
「ん?」
フィリアが身を乗り出してきて工藤の手を握った。
「姫様のこと、よろしくお願いします。私じゃ姫様の力になれないから……。昔から、結構無茶をする人だから」
「お、おう……。フィリアちゃん大丈夫! 俺に任しときな!」
まんざらでもないニヤけた笑みを浮かべ、暫くフィリアの手を握り返し見つめ合う二人。椎名が見たらジト目で蹴り飛ばす姿が目に浮かぶ。
「じゃなっ! 行ってくるぜ!」
少しだけ名残惜しそうに、最後にフィリアにウインクを一つ残し、猛然と走り去って行く工藤。結果的に椎名達とは少しタイムロスが生まれてしまったが、あの速さならば大きな問題は無いだろう。最早工藤も豆粒程の大きさになり、あっという間に見えなくなる。
「よし、では私達も急ごう」
そして私は手に握る手綱に力を込めた。
「あ、あのっ!」
「ん? フィリア?」
馬車のスピードを上げようとした矢先、フィリアは今度は私の方を向く。一旦そのままの速度で馬車を走られる。
「あの……出来ることならお二人も先に行って下さい! 私のせいでお二人は馬車に残って街に向かってくれてるんですよね? 私は大丈夫ですからっ!」
「……だが、もしフィリアを残して私達も先に行き、万が一何かあったらどうするのだ?」
「私なら防護魔法で馬車ごと守ってますから。街に入るのも少し経ってからにします。何なら様子が落ち着くまでこの辺りで待ってますので。それよりも姫様を守ってあげてください。昔から向こう見ずな所があって、きっと無理をしてしまうから。私じゃ姫様を守ってあげることは出来ないから」
工藤に言ったような事を私達にも訴えてくるフィリア。余程アリーシャの事が心配なようだ。まあ幼少期からアリーシャの隣で侍女として共に過ごして来た相手が、危険な場所に身を投じるのだから当然と言えば当然の行為。だが、フィリアも決して安全という訳では無いのだ。
「……分かったのだ。では、街からの黒煙が消えるまではここで待機していてくれ。一時間でケリをつけてくる」
少考した後、結局フィリアの防護魔法を信用し、待っていてもらう事にした。街での戦いに、戦力があるに越した事は無い。フィリアに関しては補助系の魔法は使えるようだが戦力的には足手まといになる可能性が高い。ここは比較的安全なこの辺りで待っていてもらう方が得策と考えた。
「はい! お願いします!」
私は街道の端に馬車を止め、武器を持って道へと降りた。
「では美奈、私達も行こう」
「うん、わかった。……フィリアさん、本当に無理しないでくださいね?」
「はい。ここに隠れてるだけですから」
フィリアは微かに笑って手を振ってくれた。
私と美奈はフィリアが防護魔法を掛け終わるのを待ち、数分遅れで皆に次いで街へと駆けた。
「しかし、人を飛ばせる魔法とは……凄いものだな」
「んー、まあ正確には風でブッ飛ばしてるだけなんだけどね」
「?」
私の空の飛行は、気流の流れに乗せたり、風の噴射する方向を微調整したりするものなので、はっきり言って小回りが利かない。
方向転換するにしても行きたい方向と反対方向の風を体に浴びさせて行っているだけなので、風圧もすごいし最悪目を開けるのも厳しい瞬間がある。
その辺はまあ自分一人ならまだ上手くやれるようにはなったけれど、他の誰かを飛行させるとなると途端に難易度が上がり、せいぜいあと一人くらいしか飛ばす自信がない。
さらに今のように気流に乗せたりした状態じゃないととてもではないが相手の気分を著しく害するような飛行になってしまい、実用的ではないのだ。
本当に改めて空を自由に飛び回れる鳥が羨ましい。ってこの飛行方法って鳥よりも有利な状況なのかな。
って話が逸れたけれど、そんなこんなで私の半ば強引な空の遊泳に最初こそ慌てまくっていたアリーシャだったけれど、すぐに落ち着きを取り戻し、何なら私がより飛行させやすい体勢すら会得している。今はまるで遠足の日の子供のように回りをキョロキョロしながら現状を楽しんでいるように見える。
そしてそろそろ私の感知範囲でもピスタの街を捉えた。何なら物の焼ける臭いが風に運ばれてやってくる。その臭いに二人は顔をしかめ、途端に表情が険しくなる。どうやら街の中はとてもじゃないけれど穏やかとは言える状況ではないらしい。
「アリーシャ、お話してる暇はあんまりないみたい。やっぱり魔族よ」
「そのようだな」
こくりと頷くアリーシャの横顔は凛々しくてやはりとても美人さんだ。
間もなく街の上空。私は飛行の手をほんの少しだけ緩めて街の感知に意識の重きを置く。
街の中では逃げ惑ったりそれらを追い回す人外の生き物、魔族。そしてほんの少しだけ応戦する人々などの情報が風を通して流れ込んできた。
アリーシャから聞いた情報から察するに、恐らく魔族の殆どがレッサーデーモンと思われる。これなら私でもまともにやり合えるとは思うけれど、如何せん数が多い。
「シーナ、魔族の数はどのくらいだろうか?」
「んー。まだ街の全部が見渡せたわけじゃないから解らないけど、ざっと50はいそうね……。その殆どがレッサーデーモンよ」
「五十っ……か」
アリーシャの眉根がぴくりと歪み、顔が蒼白になる。これだけの数を二人で相手取るのは流石にキツい。というか無理。
でも、だからといって諦めるわけにはいかない。少なくとも後から隼人くんたちが駆けつけて来てくれるはず。それまで何とか持ちこたえればいい。
「とにかく一塊になってるわけじゃないから、一番密集してる所に突っ込むわよ!」
「うむ、承知した!」
アリーシャの返答を聞くや否や、私は高度を下げて約十匹のレッサーデーモンがいる方へと急降下。
「エンチャント・ストーム!」
降下の最中に右手のユニコーンナックルに暴風を纏わせる。その魔力に反応して、アリーシャからもらった光の魔石が輝きを放つ。
「食らいなさいっ!」
降下のスピードを付加しつつ、まずは子供を追いかける二匹のレッサーデーモンの先頭の一匹に拳を突き立てる。
私の攻撃をまともに受けたレッサーデーモンは、光の暴風に巻き込まれ、金切り声のような悲鳴を上げながら霧散した。そしてその近くにいたもう一匹のレッサーデーモンは、暴風に飛ばされて空に舞い上がった。
「はあっ!!」
そこへすかさず剣に光を纏わせたアリーシャの一撃が決まる。
これで二匹。
私は今の初撃で手応えを感じる。
正直下級魔族とはいえ相手は魔族。実際に相対しなければ、戦いになるかはわからなかったけれど、レッサーデーモンであれば今の私でもまともに戦えるようだ。
「なんだお前らはぁ……」
私の背後に魔族の気配。言葉を話すということは四級魔族か。
私は前に飛んで既の所で魔族の拳を避ける。
魔族の拳は地面を爆砕し、無数の石礫を周りに撒き散らした。まるで弾丸のごとく散っていく石の塊。このままでは街の人たちが巻き添えになるのは必死。そしてそれも当然魔族の狙いの内なのだろう。
「ストームウォール!」
私は瞬時に風の防護壁を展開し、その全ての行く末を阻む。それと同時に四級魔族へと突っ込んで、ユニコーンナックルをお見舞いする。
その四級魔族は体全身が岩に覆われていて、ゴーレムのようだった。
私の攻撃は、魔族の岩をほんの少しだけ破壊して、それだけに止まってしまう。
やはり四級魔族には、こちら側の物理攻撃も魔法も殆ど意味を成さないらしい。
「残念だったなあ。レッサーデーモンならイチコロだろうが、俺ぁそうはいかねえぜ」
勝ち誇った顔で私を見下ろしてくる魔族。けれどそんな事は私だって百も承知。私の本当の狙いは魔族の気を私の方へと向けること。
「こっちも忘れてもらっては困るな」
「あぁん?」
「ヒストリア流剣技、火!」
振り向いた魔族の頭上から、アリーシャの光の剣の一撃が振り下ろされる。
「ぐあああああああああっ!!」
かと言われたそれは、漢字にすると火ということだろうか。
別に炎が燃え滾る剣という訳ではなかったけれど、私が思いきり振り抜いた拳が肌を削る程度だったのに対して、強固な魔族の岩肌を頭から易々と斬り砕いて見せた。
「ヒストリア流剣技、風!」
さらに返す刀でふうと呼ばれた技を繰り出す。こっちは風か。加速度的な瞬発力で繰り出された横薙ぎの一閃はひとっ跳びで十数メートルの距離を疾駆。直線上にいた四匹のレッサーデーモンを余すことなく上下に斬り分けてしまった。
これにはさすがにどん引きを通り越して呆れ果てた。
ホントにこのお姫様はなんなのよ。強すぎるんですけど。
この一瞬の惨劇に、残ったレッサーデーモン数匹は慌てふためいて動きを止める。正直レッサーデーモンに対して御愁傷様と呟きたくなった。というか呟いた。
そこからその場の残りのレッサーデーモンを全滅させるまで、そう長くは掛からなかったことは言うまでもない。
「さて、と。次行きますか」
「うむ。行き先はシーナに任せる」
初めの一群はアリーシャの活躍で難なく倒しきり次の目的地を決めるべく私は再び感知に意識を飛ばす。
私とアリーシャが最初に降り立ったこの場所は、街の中心からは少し外れた所だ。
比較的円に近い形をしているこのピスタの街は、その全てが風の感知範囲内に納まっていた。
数千人規模の街ならそんなもんなのだろうか。
街には未だ数十体の魔族が蔓延っている。
その中には四級魔族と思われる独特なフォルムをした魔族も数体残っていた。
「アリーシャ! こっちよ!」
「承知した!」
私はレンガ造りの建物が並ぶ街の中を比較的魔族が多くいる方へと駆け出していく。
魔族はばらばらに動いているわけではなく、ある程度集団で行動しているからか、この辺りは特に敵と思わしき者は見当たらない。
そんな矢先、建物の裏側から私たちの様子を伺っているような影を察知した。
私は不審に思い立ち止まる。
当然アリーシャも歩を止めて訝しげな表情をこちらに向けてきた。
「シーナ? どうしたのだ?」
「そこにいる人。出てきなさい!」
アリーシャに答える代わりに建物の向こうにいるであろう人に声を掛ける。
しばらくあっちも様子を伺うようにじっとしていたけれど、やがてゆっくりと建物の影から姿を現した。
出てきた人物はアリーシャと同じような騎士の格好をしており、鎧に身を包んだ女性だった。
アリーシャよりは10くらい年上だろうか。大人の女性といった感じの雰囲気で、とても綺麗な人だった。
だけどどうしてこんなに落ち着いているのか。
この街の惨状を見ていながらも、余裕を崩さずしかも私たちの様子を伺うなんておかしい。
騎士なら尚更のことだ。
そんな違和感しかない彼女を見て私はさらに警戒心を強めた。
けれどアリーシャは全く違う反応を見せた。
「ライラ! ライラではないか! こんな所にどうして!?」
「アリーシャ、戻って来たのね。お帰りなさい」
アリーシャの緊張が弛む。
その女性は柔らかい物腰でアリーシャの方に近づいてきた。
アリーシャもライラと呼んだその女性に近づいていく。
どうやらアリーシャの知っている人だったらしい。
それも当然か。見るからにアリーシャと同じように騎士の格好をしているんだもの。
アリーシャが知っていたって何ら不思議はない。
「アリーシャ、知り合いなの?」
「ああ。ライラは王国騎士団の副団長で、私の剣術の師匠でもある人だ。ライラ、こちらが予言の勇者の一人、シーナだ」
「貴方が勇者ね。随分と可愛らしいのね。他のお仲間は?」
ライラと呼ばれた騎士は、私のことを嬉しそうに見ている。
何故かその笑顔に再び違和感が走った。
「ああ。近くまで来ているのだが、魔族が街にいることが分かって、私とシーナだけ先に救援に来たというわけだ。ライラ。一緒に戦ってくれ!」
アリーシャが私に代わって答える。
私はというとその場に硬直し、立ち止まったままライラを見ていた。
「そう。というか、魔族の存在までわかっちゃうのね。それがシーナさんの能力というわけかしら?」
ライラは笑顔のまま。アリーシャの方を向くことがない。
まるで用は私にあるとばかりに。
流石にアリーシャもいつもと違うライラの様子に違和感を覚えたようだ。
そして私は更に警戒を強める。
「いいえ、違うわ。私は風の能力で周りの状況を感じ取れるだけ。魔族かどうか見分けられるのは他の仲間の能力よ」
私は話しながら自分の周りの空気をうねらせる。
「へえ。じゃあその人がいれば魔族か人間かなんてどんなに取り繕ってもバレちゃう訳ね?」
そこまで話してライラの右手が剣の柄に触れる。その瞬間、ライラからおぞましいまでの殺意が溢れた。
そしてそれを見て刹那的に動く私。
背中から溢れ出るどす黒く、紫掛かった障気のようなそれは私の疑いを確信に変えるにはもはや充分すぎた。
「アリーシャ! 逃げるわよ!」
私は未だぽかんとした表情のアリーシャの手を引っ張る。
そのまま一気にアリーシャごと空へと上昇。
アリーシャは若干慌てふためいていたけれど、そんなのは関係ない。
全速力で空高くへと疾空していく。
少し前に私の感知範囲内に隼人くんと美奈が入ったのが分かった。
これは私の直感みたいなものでしかないのだけれど、とにかく皆と合流すべきだと思った。
具体的な所はよくわからない。
でもあのライラって人、何かすごくヤバいと感じるのだ。
アリーシャの話では自分の師匠だと言っていた。少なくともアリーシャよりは剣の腕は立つということは間違いないだろう。
今しがた驚嘆しまくったこのアリーシャよりも強い? そんなの私たちじゃ相手にもならないじゃない。
「シーナ! 一体どうしたというのだ!? ライラから逃げるなど、私の師匠であり、王国騎士団なのだぞ!?」
私の思考を遮って、アリーシャが戸惑いと抗議の声を上げる。
アリーシャの言い分ももちろん分かる。何ならアリーシャの意見が正しいことを祈るばかりだ。
「ごめんアリーシャ。後でいくらでも怒られるから。ただ、女の勘ってだけだから!」
「女の勘って! ……そんなっ! 意味がわからないぞ! レッサーデーモンも放っておくのか!?」
五十メートル程上昇して、そこから方向転換。
一気に隼人くんの元へと向かおうとした矢先。
「話の途中で逃げるなんてひどいわね」
ライラの声が耳元で聞こえた。こんな事でもはや驚く気にもなれなかった。怖気が走ると同時に苦し紛れに力を開放する私。
「くっ! 風よ切り裂け!!」
咄嗟に声のした方向に風の刃を放つけれど、虚しく空を切るに止まる。その瞬間、私の首筋にか細い指の感触が伝う。
「焦っちゃって、可愛らしいわね」
ぞくりと悪寒が走り、やられると直感した。
「大丈夫。あなたはまだ傷つけたりはしないわ」
そんな私の心を見透かすようにライラの声が耳元で聞こえた。
そして私の横から一筋の剣閃が走った。
それは私ではなく、横にいたアリーシャの腹部を切り裂いた。
目の前に飛び散る赤々とした鮮血。
頬に帰り血が滴り驚きの表情で目を見開くアリーシャと一瞬目が合った。
「アリーシャ!?」
「え……? ライラ……? どう……し……て……」
気を失ったアリーシャのお腹からどばどばと鮮血が溢れ滴っていく。傷はかなり深い。
私は一旦近くの建物の屋根にアリーシャと共に降り立つ。次いでライラも数メートル離れて着地。
どうやっても逃げられそうにない。かといって戦って私一人でどうにか出来るとも思えない。
現状完全に詰んでいる。
「ふふ。ちょっとアリーシャが邪魔だったから。戦線離脱してもらったわ」
「あなた! 一体どういうつもり!?」
顔面蒼白のアリーシャを抱えながらライラに問う。早く手当てしないとアリーシャの身が危ぶまれる。
私は強気な視線でライラと対峙するくらいが精一杯だった。
そして大して動いてもいないのに身体中が汗でびっしょりだ。
「貴方たち……まだ弱すぎるのよ。せっかく500年も待ってあげたんだから、私たち魔族をもう少し楽しませてちょうだい」
あくまでも柔和な笑みを崩さず、さらりと自分は魔族だと言ってのけるライラ。
さっき一瞬だけ溢れ出た殺意は今はまるで最初から無かったかのように嘘みたいに消え去っていた。これ以上私たちと争う気はないと言わんばかりに。
いや、争いなんかになりはしない。
たぶんライラがその気になれば私なんか赤子の手を捻るように蹂躙虐殺されてしまうだろう。
それくらいの力をあの瞬間感じたのだ。
「私たち勇者だけで現状を打破しろってこと?」
私は答えながら声が掠れていた。
口の中が思いの外渇いて息が苦しい。鼓動がどくどくと脈打っているのが分かる。冷や汗が頬を伝い流れ落ちていく。
そんな中ライラは嬉しそうな表情を作った。
ここまで来ればそれが無機質で人間味の無いものなんだって分かってしまう。
「あら。随分と察しがいいのね。長生きしないタイプかしら。まあいいわ。とにかく、この街を救った後にヒストリア城まで来なさい。そうね……、五日待ってあげるわ。それまでにもう少しマシになって私たちとヒストリア城で戦いなさい。それより遅れたら、ヒストリアは滅ぶわよ?」
魔族に対して前から思っていたことだけれど、本当に私たちを暇潰しの玩具のように思っているようだ。
何というか、私たちを相手取るに当たって常にゲーム感覚なのだ。
「ああ、後念のため人質も取ってあるから。見殺しにするならしょうがないけど、逃げても無駄よ?」
「!?」
人質という言葉に私はハッとなると同時に刺すような焦燥感が身体中を駆け巡る。
私の感知範囲に工藤くんとフィリアがいないのだ。今さら気づいてももう遅い。
「あなた! 工藤くんとフィリアをどうしたのよ!」
反射的に叫ぶ私をまた嬉しそうに見るライラ。
「あら。気づいちゃったのね」
「返しなさい! エンチャント・ストーム!」
私は頭に血が昇って自身すらも顧みず、ユニコーンナックルでライラに襲いかかる。
「バカね。四級魔族すら倒せないのに、今の貴方が私に勝てるはずないでしょう?」
ユニコーンナックルの一撃は中空で見えない壁に阻まれたようになって、ピクリとも動かなくなった。
おまけに体も身動きが取れない。
「くっ……」
「少しお仕置きよ」
ライラの剣が身動きの取れない私の肩口に振り下ろされる。
駄目だと思った時、今度はライラの剣が中空に止まった。
そしてパキンと跳ね返ったかと思うと剣はライラの手を離れ、そのまま遠くへ飛んでいってしまった。
呆然とその状況を見つめるライラ。
やがて再び私の方へと視線を戻し微笑んだ。
「貴方……少し掴んでるじゃない」
「ど……どういうこと?」
ライラの言った意味が分からず、思わず聞き返してしまう。
ライラは納得したように一人頷いた。
「じゃあもう行くわ。お仲間にもよろしく。可愛らしいお嬢さん」
そのままライラの姿は欠き消え、それと同時に金縛りから解放される私の体。
どばっと身体中から汗が吹き出す。
おそらく精神世界へと行ったのだろう。
間違いない。ライラは三級魔族だ。
何とか助かった喜びよりも三級魔族を初めて目の当たりにした絶望の方が勝るなんてなんて皮肉なものだろうか。
ふと視線の先にアリーシャの姿が映る。
かなり出血がひどい。
顔面も蒼白でこのまま放っておくとかなり危険な状態だ。
私は両手でぱちんと自分の頬を張った。
とにかく今は気持ちを切り換えて私の出来る限りのことをする。
私は未だ震える足をひっぱたき、アリーシャを肩に担いで隼人くんと美奈の元へと向かった。