「シャアアアアッ!!」

無数の触手がアリーシャ姫目掛けて彼女を穿とうと伸びるが、その全てを身のこなしと剣の往なしで防ぎきる。
横からもう一体の魔族が彼女に肉薄するが、紙一重の所でその全てを避わしきる。その様子を私達は距離を置いて見つめていた。

「ねえ、加勢した方が良くない? 確かに攻撃は受けてないけどさ、全部ギリギリって感じで危なっかしいんだもん」

椎名がハラハラした様子で言う。

「ああ。姫のピンチにナイトが颯爽と手助けしてポイント稼ごうぜ!」

「誰がナイトよ! あんたなんか見るからにそこら辺のゴロツキでしょうよ」

「ぐはっ! 流石に酷くないですかね!? 椎名さん!?」

「あ、ゴロツキさんごめんなさい」

「そっち!?」

二人の痴話喧嘩は置いておくとして、確かに先程からアリーシャ姫はギリギリの戦いをしているようにも見えた。だがそこには確かな違和感があった。明らかにギリギリの戦いを強いられている者の表情ではないのだ。

「隼人くん、どうするの?」

美奈も流石に心配した表情を見せる。私は少し思案した後アリーシャ姫からは視線を逸らさず呟いた。

「加勢する気はあるがもう少し様子を見たい、椎名」

「ん?」

「もしアリーシャ姫が本当にヤバそうな時は、風の力で助けられそうか?」

「うん大丈夫。もう準備してるよ」

椎名は聞くまでも無いと言わんばかりに二つ返事をくれる。結局彼女からしたらいつでもどうにでも出来る、という事なのだろう。相変わらず抜け目のは無い奴だ。

「……分かった。ではこのまま少し様子を見よう。代わりと言っては何だがフィリアさんの安全だけは確保しておこう。気兼ね無く全力で戦えるようにな」

「……ふむ。オッケー。じゃ、工藤くん。フィリアさんの側についてるわよ」

「ちっ、わーったよ」

そう言って二人はフィリアさんの側に移動し、彼女に何やら話し掛けたようだ。フィリアさんは一つこくりと頷いた後、椎名と工藤の後ろへと下がったようだった。

ガキンッ!

今日何度目かのアリーシャ姫の剣が魔族の胴を薙いだ。だがやはり斬り口はすぐに塞がりダメージは与えられていないようだ。
先のグリアモールでの戦いでもそうだったのだが、魔族に物理攻撃は利かない。先程から幾度と無く彼女の剣は魔族を斬り伏せているが、大したダメージを与えられていないのだ。
多少戸惑いの色が顔に滲んでいるのが分かる。それでも騎士と言うだけあって、あれだけの運動量でも未だに息一つ切らしてはいない。

「グハハハハハハハッ! 無駄無駄ぁ! そんな攻撃いくらやっても効かねーぜ?」

魔族は自分の絶対的優位を自覚しているのか、攻撃を防がれても焦りはない。
アリーシャ姫はチラリとこちらを一瞥した。

「そうだな。フィリアの安全も確保出来たようだし、そろそろ全力で行かせてもらおう」

フィリアさんの身を案じて注意が自分に向くように戦っていたと主張するアリーシャ姫。しかしここまで見た所、魔族に有効な攻撃は全く入れられていないと言っていいだろう。自身に不利な状況は変わってはいない。もしかしたら彼女は魔族に物理攻撃が効かないという事を知らないのではないか。

「ハハアッ! 今までも全力だったろう! 必死こいて俺らの攻撃を避けるので精一杯なんだろう!? そろそろお前の首筋に風穴開けてやるぁっ!」

魔族は同時に駆け出していく。無数の触手を掻い潜りながら、アリーシャ姫は力ある言葉を紡いでいく。

『我が身から創造されし闇のマナよ』

「魔法!?」

美奈が呟いた。そう、これは魔法の詠唱。あの始まりの一節は闇属性の魔法だ。私はアリーシャ姫の紡ぐ呪文に耳を疑った。
魔族も私の予想通り嘲笑を浮かべている。

「ヒヒッ! バカがっ! 闇魔法だと!? そんなもの俺達魔族に効く訳がねーだろうがっ! ハーッハッハッハーッ!!!」

勝ち誇ったような魔族の笑い声が響き渡る。
それもその筈。闇属性というのは基本的に魔族に等しく備わっている属性。そんな魔法を放っても、ダメージを与えるどころか逆に癒しを与えてしまうのだ。

私も美奈も、この一週間で幾つか魔法の知識を身につけた。
この世界で使われている魔法には地・水・火・風の四属性に加え、光と闇、無属性というものがある。
魔法を使用する際に必要なのが魔力。その魔力を媒介として、それぞれの属性のマナを引き出し、魔法として使役するのだ。
そして魔法は当然この世界に具現化しているものなので、この世界と隔絶された精神世界の生き物、魔族には通用しない。ただ一つを除いては。
この七つの属性の内闇属性だけが唯一精神世界の魔法となる。四大属性は自然からマナを得、光と無属性が自身の体内からマナを得るのに対し、闇魔法だけが自身の精神からマナを生成するからだ。
なので魔族に闇魔法は作用する。しかし、魔族にとっては闇魔法は単に回復魔法となるだけの無意味なものなのだ。
なので結論、魔族に通用する魔法は概ねこの世に存在しないという事になる。
これが私達がネストの村で得た魔法の知識だ。

しかし、魔族に罵られようが、アリーシャ姫の詠唱が止まることは無かった。

『我が手に集いて黒に染まれ』

『ダーク』

力ある言葉を手に握った剣に込めて放つ。
次の瞬間彼女の手から闇の煙のようなものが立ち上った。そしてそれが出たのも束の間、剣の柄に埋め込まれている宝玉へと吸い込まれていったのだ。
闇を吸い込んだ宝玉は一瞬黒く染まったかに見えた。だが一拍の間を置いてその刹那、宝玉は強い輝きを放ち、その輝きは次第に刀身へと移っていった。

「隼人くん。……あれって光?」

美奈が刀身から放たれる光を見て呟いた。

「……ああ。そう見えるな」

闇魔法を唱えた筈が刀身から放たれる魔法はまるで光魔法のようだ。魔族達も同じ事を思ったらしい。

「何だそれは……。光魔法なのか?」

「その身に受けて確かめてみたらどうだ? 尤も、拒まれた所で引き下がりはしないがな」

アリーシャ姫は光の剣を携えて猛然と魔族へと突っ込んでいった。

「し、しゃらくせえっ!」

魔族は再び触手を放つ。だが、先程と同様紙一重で避けられる。それも当然。結局ただの一度も触手はアリーシャ姫へと届いてはいなかったのだから。

「はっ!」

アリーシャ姫の横凪ぎの一閃が今度は深く入り、青い触手の魔族の身体が二つに分断される。先程までなら再び再生する所だったが、今度はそうはならなかった。

「ぎゃああああああああっ! 何いいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!? 熱い! 熱い! 熱いいいいいいいいいっ!!」

返す刀で今度は縦に両断し、青い触手の魔族は一瞬で身体を消滅させてしまった。

「なっ!? 何だとっ!? こ、こんなことが!?」

紫の触手の魔族は信じられないと言った表情で後退った。

「最後くらい正々堂々と正面から来たらどうだ? 魔族とは人間よりも高位な存在なのだろう?」

アリーシャ姫は魔族の正面で対峙した。魔族はビクッと身体を震わせた。

「く……クソがあーーーーーーっ!!」

魔族は半ばヤケクソ気味に触手を振るうが、そんな攻撃がアリーシャ姫に届く筈もなく。

「ぎゃあああっ……」

紫の触手の魔族も断末魔の声を上げる間も無く、細切れになり消滅したのだった。