私のわがままな異世界転移

美奈は若干涙目になりながら、私に詰め寄り腕を掴んできた。
彼女の接近に伴い、女性らしい部分が私の胸に触れる。

「――……っ」

私は平静を装い、ぽりぽりと頬を掻いた。

「えっと……何を話せばいいのだ?」

美奈はそんな私の感情など露知らず。心配そうに眉根を寄せていた。

「んっと……隼人くんがどうしてあんな状態になっちゃったのかなって」

「…………」

なるほど、聞きたいことはそれか。
彼女のその発言から私を慮っていることが十分に伝わる。それが単純にすごく嬉しい。

「うむ、そうだな。――それは私の今回のグリアモールを攻撃した際の方法に起因する。奴と対峙した時、私の能力で攻撃するに際し、二つの選択肢があった」

「2つの選択肢?」

「うむ、それは精神力のプラスマイナス、どちらをぶつけるかだ。簡単に言えば喜びや楽しいといった正の感情を形にしてぶつけるか、恨みや憎しみやといった負の感情を形にしてぶつけるかということだ」

美奈は黙して頷き、真剣な面持ちで私の顔を見つめている。
私の腕を掴まれた手の温もりが心地よかったし、先程から彼女の柔らかい部分がぽにょんぽにょんとしていたがそれこそは間違っても言わないでおくと心に決め、私は話を続けていく。

「そこで考えたことはこうだ。グリアモールに精神攻撃をするにあたって、奴に対する恨みや憎しみを形にしてぶつけても、ヤツにとっては回復魔法をかけられたようになるのではないかと。仮にも魔族、魔の生物だ。そんなものにもし攻撃をするならば、私の皆に対する想いや、感謝、喜び、そんな前向きなプラスの気持ちをぶつけないと効果がないのではないか。そう考えた。だからプラスの想いを形にして奴にぶつけたのだ」

「……ああ……そうしたらプラスの想いがなくなって、マイナスの想いが強くなっちゃったってことかな?」

「そうだ」

美奈はゆっくりと私の言葉を噛みしめるように咀嚼しながら、それでもきちんと理解を示してくれたようだ。

「結果的に予想通りの効果はあった。だが私の中にマイナスの感情だけが残り、渦巻き、溢れだし。ついにはあのような恐慌状態になってしまったというわけなのだ」

少し体が硬直したのもあり、かなり早口で捲し立てるようになってしまった気がする。
だがそれでも彼女は話の中で何度も頷き、今度はしっかりと理解してくれたように思う。
またその頷きのために美奈の柔らかい部分が時折――以下同文。

「心のプラスが無くなってマイナスばっかりになって心の均衡が崩壊したってワケね。それで一時気が狂っちゃったみたいになった。あ、でも待って? 精神がやられたのに美奈の能力で回復したのはなんで?」

椎名は補填を入れながらも自身の考えの矛盾に気づく。
確かにそれは私も思っていた所ではある。
ただそれはちょっと言い難い部分があった。
しかしこうなってしまっては結局言うしかないのだろう。

「あー……これは恐らくでしかないのだが」

「何よ、気づいてるんならはっきり言いなさいよ」

歯切れの悪い私に短いため息を吐き、続きを促す椎名。
美奈も私が話すのを待っている。
まあそうなるだろうなと思いつつ、観念する。

「うむ。肉体と精神は常に繋がった状態であるからだと予想したのだ。病は気からとよく言うが、心の病気は肉体にも影響を及ぼす。そして身体の病気は心にも影響を及ぼす、と言った所か。要するに……」

「? ……要するに?」

椎名が珍しく不思議そうな顔をしている。
察しのいい彼女だからここまで言えば分かると思ったのだが。
私はふうと短い息を吐き、一呼吸おいた。

「やっぱり美奈だったからではないかな」

「――は? は? ノロケってこと? 何よそれ、バカらしい。……ああバカらしい」

「二回……」

椎名はそれを聞いた途端にうんざりとした表情を作った。
自分で聞いておいてそれは酷くないだろうかと思わなくもないが、まあ私も自分で何を言っているのかとは思う。
言った手前だが顔にはしっかりと熱を帯びる感覚があった。
更に美奈の私に触れている部分も熱を帯びていくように思えた。
そんな私の様子を見て大袈裟にため息をつく椎名。

「美奈、良かったわね。隼人くんはあなたのことが好きで好きでしょうがないみたいよ? 良かったわね~」

「えと……うん」

今まで黙って聞いていた美奈が、ここで口を開いた。なんだろう。少し様子がおかしい。思っていたのと違う反応だったのだ。
それは若干照れているようにも見えるが、頬が少し赤いくらいで表情は硬いように感じられた。美奈のこの反応は不思議に思う。
違和感がありまくりなのだ。

「美奈? どうかしたのか?」

そう訊ねると、美奈は視線を逸らしつつ黙り込んでいた。
言い難い事なのか、逡巡しているように見える。

「美奈?」

もう一度名前を呼ぶとスッとこちらを伺うように見つめる美奈。
それから少しだけ言いにくそうに口を開いた。

「あの……ね? 私、隼人くんに無理してほしくない。それって危険だと思うから、出来ればその力はもう使わないでほしいなって思った。あの時の隼人くん、すごく怖かったから」

その言葉を聞いて私はハッとする。
確かにあの時美奈の助けがなければ実際どうなっていたか分からない。
もしかしたら皆に襲い掛かっていてもおかしくはなかったのだ。
美奈がそう言うのも無理はない。
私は自分の浅はかさを反省した。
一体何を浮き足だっていたのかと。

「そうだな。それに関しては私も今回で懲りている。二度と使うまい」

「うん、お願い」

美奈はそこで口の端は弛めてくれたものの、瞳の輝きだけは真摯で真剣そのものだった。
彼女にしてはすごく珍しい反応だ。

「……分かった」

「――うんっ!」

私はもう一度こくりと頷き肯定の意を示した。
そしたらようやく彼女は花のような笑顔を見せてくれた。
それに私は安堵する。
――にしても、だ。
魔族に対抗し得る手段が現状これしかないというのであれば、どうしようもない時が来たらこの攻撃方法に頼るしかないのだろうとも思う。
もちろんそんな事はおくびにも出さないが。

「あのさ、アツアツのところ悪いんだけどさ」

そこで椎名が再び口を開く。
アツアツの言い方が妙に刺々しい。見ればちらちらと私達二人を見ながら大袈裟に咳払いなどもしつつ。そこで少し距離が近すぎたかと気づく。
この時ばかりは私も美奈もびくんと体を跳ねさせ互いに距離を取った。

「おほんっ! ……えっと、何だ椎名」

「ま――まあいいけどさ……あのさっ。その攻撃って、プラマイゼロってわけにはいかないわけ?」

「ん?」

「いやさ、隼人くんが今言った、相手にぶつける力って私的に精神っていうか感情に近い気がするのよね。精神力ってさ、もっとこう透明っていうか、クリアな澱みないものだと思うのよ。別に何色にも染めなくていいんじゃないかなって。まあ言うだけじゃただの言葉遊びみたいなもんなんだけど……」

椎名も自信はなさげではあったが、私は素直に一理あるなと思う。
能力を使える私だから感じる。何となくではあるがそれはあながち間違っていないように思えた。
少なくとも諦めて力を使う事をやめてしまうよりはずっといい。
これから試してみる価値はありそうだ。

「ふむ……分かった。善処してみよう」

「うん、何も対策しないよりはいいでしょ? どうせ隼人くんのことだから……あ、まあいいわ。とにかく頑張ってみてよ」

「……そうだな」

そう言う彼女の言葉尻に何もかも見透かされている気がしつつ、彼女の心遣いにも感謝する。
ウインクしつつサムズアップをしてくる椎名はやはり誰よりも聡明で、理解のある女の子だ。
それにしても魔族に対する対抗手段はこれからの一番の課題だ。
グリアモールは撃退したとはいえ、この先魔族がこれ以上私達を狙って来ないとは到底思えない。
そうなれば戦いは避けられないだろう。
私はグリアモールのあの醜悪な姿を思いだしながら身震いしてしまう。
やはり私達にとって魔族との戦いというのは、全く以て自身の中で御しきれるような経験ではなかったのだから。
――――その後。
工藤と椎名の話もしようか持ちかけたが、大した話にはならなかった。
椎名からすると風と土の能力をそれぞれ得た、以上という事らしい。
まあ二人の能力は分かりやすいので説明は無用だろう。
更にこの先どうしていくかの話もしなければならなかったが、全員ここまで話すと最早お腹一杯という感じになった。
工藤に至っては少し前から完全に会話に入る事を諦めていたし、皆何となく真面目な話はこれ以上したくないなという雰囲気が漂っていた。
一旦休憩にしようかという時、部屋のドアを誰かがノックした。
小気味よい音が部屋の中に響く。

「はい」

返事をすると現れたのは村長のネムルさんだった。
相好を崩し私達四人を見回し口を開く。

「皆さま、少しお時間よろしいですかな?」

私達は顔を見合せつつ、村長を部屋に招き入れた。
ネムルさんは部屋に入ると一番奥のベッドの横に備え付けられた椅子へと腰掛けた。
私達もそれぞれネムルさんを囲んで椅子やらベッドやらに腰掛ける。この部屋に五人は流石に多いか。
椎名は窓を開く。そよ風が吹いた。
彼女はそのままベッドに腰を下ろし、窓の外を眺めていた。
心地よい風は部屋へと流れ込み、カーテンが揺れて陽光が射し込む。小鳥の囀りが耳に届いて長閑な時間が流れた。
ネムルさんは一度私達を一人一人見回し、フッと微笑んだ。
ふうと短い息を吐き、ようやく口を開き始めたのだ。

「昨日は本当にありがとうございました。特にミナ殿。私の命を救ってくださり、心から感謝しております。改めて礼を申し上げる」

深々と礼をするネムルさん。
私の隣に座る美奈は頭を掻き、恥ずかしそう笑った。

「私はそんな……ただ夢中で――」

もじもじと身をよじり、まっすぐな言葉がむず痒いという様が見て取れた。
彼女はとても優しい女の子だが、昔から人と接するのがそこまで得意な方ではなかったりもするのだ。
きっと嬉しさよりも恥ずかしさの方が勝ってしまうのだろう。
そんな彼女にネムルさんはにこやかに微笑み頷く。

「それに村に現れた魔物を退治していただき、結果的に村の皆の命までをも救っていただいた。本当に感謝してもしきれませぬ。この村はあなた方のお陰で今もここに存在しておるのです」

再び深々と腰を折る。
そんなネムルさんの深い礼に些か複雑な想いが込み上げる。

「ネムルさん、もう頭を上げてください。私達に親切にしていただき感謝しているのはこちらの方なのです。それに感謝されても少し複雑な気持ちもあります。あの魔物は恐らく私達が招いた結果だと自覚しています」

私は当初、美奈の毒を癒す事しか考えていなかったのだ。
そこにたまたま自分達を狙ってきたであろう魔族が現れ、やむなく戦闘となってしまっただけのこと。
その後村が戦場になり、巻き込まれた村人を守れただけのこと。
元々村を救うなどという大義名分があったわけではないのだ。
それに裏を返すと私達が居なければ村は平和であったはずだ。
本来非難される云われはあれど、感謝されるのはお門違いという気がしていたのだ。
そんな私の心情を察したのか、ネムルさんは少し苦い顔をした。

「うむ。……確かにそうかもしれません。この村には今日を除いて、未だかつて魔族やワイバーンが現れたことは一度もありませんでしたからな。それも立て続けに現れたとなれば、まあ……そういうことなのでしょう」

ネムルさんは素直にそう所感を述べた。
私もそれを何ら否定するつもりはない。
だがいざはっきりとそう言われてしまうと、それはそれで胸が締めつけられるものだ。

「はい、なので寧ろ、こちらこそ面倒事に巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」

私はそう言って今度はこちらが深く頭を下げた。
後ろで椎名が少し息を呑むのが分かった。
その時私の肩にネムルさんの手が置かれた。
顔を上げ、体を起こし、ネムルさんを見た。
彼は黙って首を横に振ると、にこやかに笑みを浮かべた。

「お気になさるな。それに経緯はどうあれ、あなた方が私達を助けてくれた事実に変わりはない。事実、私たちを無視して戦うことも出来たのですからな。あなた方は皆、優しい方ばかりだ。本当に……安心しました」

そして破顔したネムルさんの表情は、どこか晴れ晴れとして、清々しくさえもあった。

「……なんかちょっと含みを感じるんだけど」

椎名が後ろで呟く。それは私も同意見で、私は黙してネムルさんを見つめ、次の言葉を待った。

「……実は今回のようなことが起こるのは、ある程度予見してはいたのです。そのためにこの村がここにあったと言っても過言ではないのですから」

「━━は? ……というと?」

ネムルさんが突然そんな事を言ったので、私は呆けた表情をしてしまう。
同時に私以外の三人も、驚いたような声を上げたのだ。

「はい。……ふむ……何から話したものですかな。まずは、この世界の歴史から話さねばなりませんかな」

そう言ってネムルさんはこの世界の成り立ちについて語り始めたのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

それは今から約五百年前。
この世界、グラン・ダルシは滅びの危機を迎えた。
ある日突然、人々の平和を脅かす存在、魔族とその王が現れたのだ。
彼らは魔王を中心に世界を蹂躙し始めた。
突如現れた厄災。
世界は混乱の渦に巻き込まれた。
勿論人間側もそれを黙って見過ごすわけはない。
各国、格種族、魔族と応戦したのだ。
だが魔族は人間が思っていた以上に強かった。
そもそも奴らにはどんな武器の攻撃も、どんなに強力な魔法もダメージを与えることが出来ないのだ。
人々はその力の大きさに抗えず、無力にも滅びの一途を辿ろうとしていた。
そんな時だ。
何処からともなく一人の勇者が現れた。
名をヒストリア、勇者ヒストリアと言う。
彼は強かった。
そして強いだけではない。
彼は人々の心を惹き付ける何かがあったのだ。
それは世界の全ての種族を巻き込んでばらばらだった人々を一つにした。
人間側の協力なリーダーとなったのだ。
個々では到底太刀打ちできなかった人々は諸手を上げて立ち上がり、そこから大きな衝突が始まった。
戦いは熾烈を極めた。
決して少なくはない犠牲を生み出しながら、二年の時を経てようやく魔王を封印することに成功したのだ。
「――それが五百年前の出来事……」

私は全く以て非現実的過ぎるその歴史を、夢物語や童話のように聞いていた。
工藤は若干興奮しているのか、瞳が輝いているように見えるのは気のせいではないだろう。
本当にこういう時、彼の単純さは羨ましくすら思える。

「はい。……これはこの世界の住人であれば誰もが知っている、ヒストリア歴誕生の歴史です」

なるほど、中々壮大な話だ。
私は以前ネムルさんから聞いた年号を思い出していた。
今は確かヒストリア歴499年だったか。

「しかし、その話が私達に一体何の関係があるのですか?」

この世界の成り立ちは分かった。
だがその話を私達に話した意図は未だ見えてこない。
ネムルさんはふと片目を瞑った。

「はい、本題はここからです。勇者ヒストリアはただ強いだけではなく、ある能力をお持ちだったのです」

「能力? それは一体?」

「未来予知です」

「未来予知!?」

椎名が唐突にベッドから立ち上がった。
未来予知。
その能力を想像し、私の脳裏にこれから話される内容がある程度想像できてしまったのだ。
恐らく椎名もそうなのではないか。
椎名は少しだけこちらに近づいてこようとして、結局またベッドに座った。

「はい、勇者ヒストリアは未来に起こる出来事を予見することが出来たらしいのです」

「ふむ……」

そこで考えるのは、勇者ヒストリアは魔王を封印することすらも予知した上で行ったということなのだろうか。
それはある意味、結末に向かうべく運命をなぞっただけとも取れる。
結局ヒストリアの予知では五百年前の時点で魔王を倒せず、封印するしか手立てがなかったということなのだろう。
それはさておき、とにかく私はこの時既にこの話の行き着く先が見えてしまっていた。
だからだ。胸の中に言い様のない不安が溢れてくる。
そんな私の気持ちを知らず、ネムルさんは話を続けていく。

「彼は魔王を封印して間もなく、誰にも何も告げることなく姿を消したのです」

「消えた? ……何だかおかしな話ね。魔王にやられたってわけじゃないの?」

今まで黙って話を聞いていた椎名が口を開く。確かにそれは私も気になる所だ。

「そういう風には伝えられてはおりませぬ。姿を消した――と言われております」

「じゃあさ、代わりに何か残したってこと? 生きてる内に……例えばそうね、予言書とか」

椎名の言葉にネムルさんは目を見開いた。

「そうです! 中々察しがよろしいですな。ヒストリアは五百年後の私達に予言を残していたのです。五百年後、再び魔王の封印が解かれる時、この地に四人の勇者が現ると」

「はあ!? お、俺たちが勇者だって!?」

今度は工藤が声を上げた。
心なしかその声が嬉しそうに聞こえるのは気のせいではない。
大方勇者という単語に嬉々としているのだろう。
相変わらず単純な奴だ。
そんな工藤とは裏腹に、私は頭を抱える思いだった。

「――すみませんが」

私は俯きながらそっと立ち上がる。
隣の美奈が私を見上げている。

「……はい」

ネムルさんも同様だ。私を見つめ、次の言葉を待っている。

「……隼人くん?」

美奈の声が不安そうに呟かれる。
皆が私を見ているのが分かった。

「意味が……分からないです。勇者? いい加減にしてください。私は……私はただの高校生なのです。あの魔族だって……あり得ないくらい強くて……恐くて……。皆、必死だった……死ぬかと思ったんです。それでもなんとか生き残れた。生き残れたのです。それが……勇者? 魔王? 魔王を私達四人が倒せというのですか?」

「ハヤト殿……」

ネムルさんは私を黙って見つめている。
それがどうしようもなく嫌だった。
そんな目で――そんな目で見ないでくれ。
私は……私は……。
ふざけるなと言いたかった。
叫んで怒鳴り散らしたかった。
そう出来れば幾らか楽になれたのかもしれない。

「――失礼しますっ!!」

「ちょっと隼人くん! どこ行くのよ!?」

「うるさいのだっ!!」

私は逃げるように部屋を出た。それで精一杯だったのだ。
バタンと扉を閉めた音がやけに大きくて、その場から逃げ出すように走り出していた。
やりきれなくて、走っていないとどうにかなってしまいそうだ。
覚醒して、心が強くなれたなんてきっと嘘だ。
私は弱い。弱いのだ。
そう自覚するとこれまでの記憶が胸の中に溢れてきた。
大切な人を失う恐怖。
魔物と戦わなければならない恐怖。
仲間が傷つくのを見ているしかできない恐怖。
心が失われそうになる恐怖。
恐怖。恐怖。恐怖。恐怖。
走りながら私の胸の内はどんどんぐしゃぐしゃになっていく。
恐くて、恐くて、苦しくて。
あっという間に村を置き去りにして森に出てしまった。
以前の自分では考えられないような速度で駆け抜けていく。
変だ。
こんなのは変だ。こんなのは……おかしい。
クソ、何だこれは。
異世界に来て、ここまで必死にやって来て、何とか一つ、越えて。
そう思ったら今度は勇者だと?
魔王を倒す? 世界を救う?
ふざげるな!
一体どこまで行けばいいのだ!?
何故私が、私達がこんな世界の命運を懸けた戦いに身を投じなければならない!?
私は、――――私はただ元の世界に帰りたいだけだ。
元の世界に四人で平穏無事に帰れるのならばそれでいい。
それだけでいいのだ。
他には何も望まない。望みたくなどないのだ。
森の中を駆けていく。
どこまでも、どこまでも――。
村を出てから暫くして、ふと歩みを遅め木陰に立ち止まる。
見上げた空は腹立たしいくらいに澄みきっている。
――――美しい空だ。
こんな気持ちの中で見るには、本当に息苦しすぎる。
胸の中がざわざわとして、落ち着かないのだ。

「――全く、急に走って行っちゃわないでよね」

ふと振り返ると美奈、椎名、工藤の三人の姿がそこにあった。
皆それぞれ三者三様の表情で私を見つめている。
すぐに追いかけてきてくれたのだろう。
私はそんな彼らを見て、少しだけ冷静な気持ちを取り戻した。
途端に今度は先程までの自分自身の対応に、恥ずかしさが込み上げてくる。

「――すまない……皆」

「断っちゃうの?」

椎名の反射的なその質問に、私は言葉を詰まらせてしまう。
美奈は顔を曇らせている。
工藤は何だかいつも通りだ。
彼女達を見つめながら、私はふうっと一つ深呼吸をする。
瞬きをしながら上を向き、目を閉じる。
――光が――眩しい。

「…………正直話が壮大過ぎて、私達ではどうする事も出来ないと思っている」

「はっ!? マジかよ。てか別にやってみなきゃわかんねえじゃねえかよ」

工藤の予想通りの答えが返ってきた。
あっけらかんと言い放つ彼の言動には清々しささえ感じられる。
それが酷く羨ましくて、腹立たしい。
元々この世界に肯定的であったし、覚醒によって特別な力に目覚めたのだからそう考えるのも分からなくはない。
それはそうなのだが――。

「私達は覚醒によって特別な力を得た。だが、特別な力を得た事と自分が特別だと思うことは別問題だ」

皆黙って私の言葉に耳を傾けてくれていた。
そこに皆の優しさを感じてしまって胸が熱くなる。
私自身は一体何のためにこんな気持ちを感じているのか。それが分からなくなりそうなほどに。
日射しが斜めに差し込み、体を包む空気はほんのりと温かい。

「私達は特別でも何でもないのだ。ただの平凡な高校生だ。これまでの戦いも、たまたまうまくいっただけ……もしかしたらこの中の誰かが欠けていたかもしれなかったのだ。もしこの先、そんな事になってしまったら……。そう思うととてもやりきれない気持ちになってしまうのだ」

「ああ……まあ……な。……う~む……」

珍しく工藤が私の言葉に考え込むように腕を組んで下を向いた。
私の言葉を受け、流石に彼も彼なりに現実を慮(おもんばか)ったのだろう。

「それに、こちらの世界の人々もどうかしていると思うのだ。予言にあったとはいえ、別世界から現れた私達に世界の命運を託すなど、少なくとも私ならそんな考えは抱かない。とてもではないが正気の沙汰とは思えないのだ」

別に彼らを責めたいわけではない。少なくとも今回の事には大いに感謝している。
だが私の価値観ではどうにも受け入れがたい動向だ。

「私ならもっと、自分の力でどうにかしたい」

「う~ん……言いたいことは分かるよ。だけどさ、だからって私たち、この先どうすんのさ」

今度はここまで黙って話を聞いていた椎名が呆れたように肩を竦(すく)めてみせた。

「……では椎名はこの話を受けるべきだと?」

彼女は私の発言にふうとため息を吐く。
眉根を寄せて、くしゃくしゃと頭を掻いて。
少しだけ乱れた髪を今度は手ぐしで直しながら、ちらと私の目を見た。

「う~ん……。何て言うかさ、そもそも私達ってこれからどうするべきなわけ? 世界を救うのはほっぽっといて、帰るあてもなくこの村で暮らさせてもらうの? のほほんと?」

「それはまた別の問題であろう。帰る方法は探すべきだと思う。だが世界を救うために戦うなんて危険な轍(てつ)を踏む必要は無いと言っているのだ。私達は自分達の事で手一杯なのだからな」

「んー。まあ解るけどさ。でも結局似たようなものじゃないの?」

「――似たようなもの?」

「うん。多分だけどね、そもそも私達って、どこにいてもこれから魔族との戦いは避けられない気がするのよ。だってあの魔族、私達のこと知ってたじゃない? 方法は分からないけど、たぶんある程度私たちの居どころも割れてる可能性も捨てきれないのよね」

「……それは私も思っていた事だ。魔族との関わりはこれからも続いていくと考えておいた方が賢明だろう」

「うん、そしたらきっとこれからもグリアモールみたいな魔族が私たちの目の前に現れるわ、私たちを狙って」

確かに奴等魔族は私達を狙っているのだろう。
先の戦いでそれは嫌という程実感した。
これからもきっと、グリアモールのような魔族が私達の前に立ち塞がるに違いないという予感は、私の胸の中にもある。
それにどう対処していくかは私達にとって最も重要な課題となる。

「それにね、世界を救うためにがんばりま~すっ! て言っておけば、何かとこの先便利だと思うの。私たち勇者様ご一行ってことでしょ? 色々親切にしてもらえると思うし、協力者は多いに越したことはないわ。まだまだ知らないことだって沢山あるんだし」

椎名は大げさに身振り手振りを交えながら説明する。
彼女の話を聞きながら、一理あるとは思ってしまう。

「ね? そう考えると世界を救うことも案外メリットあるでしょ?」

「……」

椎名らしい考え方だ。
それに何だか今の彼女はいつも通りに楽しそうだ。
一時は危ぶまれる部分もあると感じたが、しっかりと持ち直したらしい。
まあ確かに悲観的になり過ぎても、いい方向に転ぶものも転ばなくなってしまうとも思う。
それもそうなのだが――。
結局私は、私が最も恐れていることはそんな事ではないのだ。

「――私は……私は皆が危険な目に合うのが嫌なのだ」

「……隼人くん……」

私が嫌だと思っている事は結局それに尽きる。
皆を危険な目に合わせたくない。
皆と笑って過ごしたい。
皆を絶対に、失いたくはない。

「この世界に来た途端、美奈が命の危険に晒された。皆が皆、昨日の今日で何度も危ない橋を渡ってきたのだ。私は……今こうして四人でいられることが奇跡なのではないかと思っている」

「――まあ……それはそうだけど……」

椎名は苦い顔をし、罰が悪そうに頭を掻く。
ここまでの辛い出来事を思い起こさせてしまったのかもしれない。
だがそれでしっかりと現実を見てくれるのならばそれでいい。それがいいと思った。

「こんなことは……もう終わりにしたい。――嫌なのだ。わがままだと言われてもいい。皆が危険な目に合うよりは、よっぽどマシだっ……」

私は話しながら胸が熱くなり、言葉に力がこもる。
その熱量が両の頬へと込み上げてくるのを感じ、歯を噛みしめ、固く、強く拳を握りしめる。
そんな私を見て椎名は再びため息を吐いた。

「はあ~……。隼人くんのネガティブラー、そしてバカ。でもまあ――……よし、美奈お願い」

「――え!? き、急に!? ……」

今まで黙って会話を聞いていただけだった美奈は、急に話を振られて困ったように眉根を寄せた。
美奈は私と目が合うと、しばらく目を左右に泳がせ、ふうと短く息を吐いた。
それからゆっくりと体を私の方へと向け、前に立つ。
すすすと数歩前に歩み寄り近づき、上目遣いで遠慮がちに私を見つめたのだ。
恥ずかしそうにして、両の手をもじもじと弄びながら、何かを言おうと頬を赤くする。
その一連の仕草があまりにも可愛らしくて、一瞬惚けたようになってしまう。
やがて彼女はふっと花のように微笑んだ。

「……っ」

それだけで私は言葉を失ってしまう。
彼女の瞳はいつもと変わらない、優しさに満ち溢れた温かなものだ。
私の心を何度も照らし続けてきてくれた。
確かな輝きを持つそれは、私の心を掬い上げる一筋の光なのだと思える。

「……あの、さ? えっ……と……私もみんなが傷つくのは見たくないよ? だけど……さ? この世界が大変なんだよね? みんな、困ってるんだよね? 私たちなら、もしかしたら助けてあげられるかもしれないんだよね?」

美奈は私の目を見つめたり、逸らしたりしながら頬を赤らめている。時折かち合う瞳が私の心の奥底を掴みとっていくようだ。
美奈に見つめられる。
たったそれだけのことがひどく特別なことのように思えて。
きっと誰しもその瞳の前では、例外なく優しい気持ちになってしまうのではないかと思える。
少なくとも私はそうだ。
そのくらい彼女の眼差しは、慈悲と慈愛に満ちているのだ。
私は小さく息をつく。

「……うむ、そうかもしれない。可能性は……低いかもしれないが」

「じゃあさ、みんなで助け合ってみたらどうかな?」

彼女は胸の前で手をぱちんと叩き、小首を傾げにっこりと微笑んだ。

「……美奈」

「どうやったってさ、上手くいかなかったり、つまづいたりすることって、あると思う。何が正しいかはわからないよ? けど私は、自分が正しいと思うことをしたい。苦しいことも皆で分け合って、助け合って乗り越えていけばいいんじゃないかなって」

最初の内こそたどたどしかった言葉が今は流暢に彼女の口から溢れていた。
彼女の瞳の揺らめきがどうしようもなく愛おしいのだ。

「私たちは一人じゃないから。4人もいるんだから。皆で力を合わせて世界を救って、必ず元の世界に帰ろうよ……ていうのはダメ? わがまま……かな?」

正しいと思うことをしたい、か。
美奈はいつもそうだ。
結局そうして自分の事よりも周りを優先してしまう。
今回も椎名を庇って毒に侵されて、自分の命が危険に晒されたのだ。
そんな目に合っておきながらも、再び周りの困っている人達を助けたいと願う。
私は誰よりも、美奈に傷ついて欲しくないというのに……。
しかしそれでも、いつだって私は美奈の言葉に、誰よりも心が動かされてしまうのだ。
誰よりも大切だから。守りたいから。
それはわがままなどではない。
私にとっても、――大切な願いなのだ。

「ん~、うんうん。さっすが美奈。分かりやすい! 私も隼人くんもさ、打算的過ぎなのよっ!」

「よっしゃ! 俺もよくわかったぞ! お年寄りには席を譲れってことだろっ!?」

「あんたが喋ると何かムカつくのよっ!」

「え!? 最早ただの悪口だよね!?」

やかましく言い合う工藤と椎名を横目に、ふうっ、と私は今日何度目かの深いため息を漏らした。
やはりとは思ったが、どうやら逃げ場はないようだ。
決意を固め、とは行かないまでも、ある程度私も覚悟は決まった。

「――ではいいのだな?」

私の言葉に椎名は口角を上げてこちらを振り向いた。

「てゆーかさ、結局反対してたのって隼人くんだけな気がするんだけど?」

人差し指で襟足をくるくると弄びながら、呆れ顔でため息を吐く。
彼女の口元にニヤリと挑戦的な笑みが零れた。
私は思う。
つまるところ、こんな皆のことが好きなのだ。大切な、大切な友人なのだ。
彼らにこう言われてしまえば最早断ることなどできるはずもない。

「……それもそうだな。私は本当にわがままで、臆病者だったらしい」

椎名につられてか、観念すると笑みが零れてきてしまった。
胸の中は今も不安で一杯なのだ。
だが先程とは違い、やってやろうではないかという気概も溢れていた。
ふと繋いでいた手がきゅっと握られて、顔を前へと戻した。
――そこにはもちろん、すぐ近くに美奈の顔があった。

「わがままなんかじゃないです。隼人くんの優しさは十分伝わったから。私も……私たちもあなたの願いに応えたいんだよ?」

「――っ」

彼女の笑顔はどこまでも輝いて見えた。
私はそんな彼女の笑顔に心から破顔してしまう。
――――大好きだ。
私は彼女の掌に指を絡め、きゅっと優しく握り返し、見つめ続けた。
そんな視線を彼女は優しく受け止めて微笑んでくれる。
私達の心はしっかりと繋がっているのだと確信できる。

「……えっと……急に世界に入り込まないでくれるかなあ~……」

「「っ!!??」」

そんな私達を見て椎名はこほんと大袈裟に咳払いした。
それにより綻んだ笑顔は露と消え、私達は慌てて繋いだ手を放した。
ちっ、という軽い舌打ちが耳に届いた。

「ったく……ちょっと近づくとす~ぐイチャイチャするんだからっ……ここまでのやり取りがバカらしくなるんデスケド」

「す、すまない……その、色々と、反省している」

私は顔に熱を帯びるのを自覚しながら、冷ややかな椎名の視線に胆が冷える。
再び椎名の大袈裟なため息が漏れた。

「……まあいいわ。とにかくさ、隼人くん。そういうことだからっ。でもね、あんまり私たちが無茶しすぎてたりしたら、ちゃんとブレーキを掛けてもらわないとなんだからね? その辺は冷静なあなたの仕事。頼むわよ?」

そう言いつつ、最後にはぴしっとサムズアップを決める椎名。
そんな彼女も陽光に照らされて充分過ぎるほど綺麗だと思った。

「ああ、任せておけ。私が全力で皆を守ってやる」

「ふざけんなっ、隼人! 俺が守ってやんだよ!」

「だからあんたが喋ると何かムカつくのよっ!」

「え!? 椎名! ただの悪口傷つくんですけどっ!?」

「ふふっ、めぐみちゃん、あんまりはっきり言うと工藤くんが可哀想だよ?」

「え? 高野、否定してくんねえの!?」

森の中に笑い声が響き渡る。
陽光が眩しくて、鳥の囀りが心地良くて、この津々とした森の中で、初めて穏やかな時間が流れている。
自分達で出来る範囲で魔族との戦いに身を投じる。
それが今の私達の結論だ。
大それた事は言えない。言いたくもない。
世界を救うとか、勇者として扱われるとか、そんな事は深く考え過ぎない。
だが結局魔族との関わりからは逃れられない畏れがあるのだ。
そうなれば当然降りかかる火の粉は払っていくし、勿論世界を旅しながら元の世界に帰れる方法も探していくつもりだ。
だからこれは利害の一致、という言葉が一番しっくり来るのだろうか。
ネムルさんも、そんなこちらの都合のいい話を受け止めてくれた。
そもそも自分達に私達の行動を強要する権利などなく、それで構わないと。
ネムルさんや村の人々も実際五百年前の事は半信半疑な部分もあるのかもしれない。
だがそれでも予言を信じ、決して安全とはいえないこの場所に、こうして村を構えここに居続けたこの人達は単純に凄いと思った。
それにもし彼らがこの場所に居続けてくれなかったならば、きっと私達は今頃この周辺での垂れ死んでいただろう。
そんな風に考えてしまうと、酷く恐ろしい気持ちになるし、改めて彼らに感謝の念を抱かずにはいられないのだった。
さて、それでは改めて私達これからについて――。
当面の直近の目的だ。
どうやら既に、王国であるヒストリア王国からの使者がこちらへと向かっているという話をネムルさんから聞かされた。
というか昨日の内に私達が魔族とワイバーンを撃退したという報告を伝書鳩で送ったらしいのだ。
まだ返事は受け取っていないらしいが、手筈通りなら毎月初めに王国からこの村に防御魔法を施したり、物資を支援してくれる馬車が来る。その時に使いの者が一緒に現れて、ヒストリア王国へと案内されるのだとか。
ある程度準備していただけあって、手並みはかなりスムーズだ。
当然ながら、次の目的やこの先の当てがあったわけではない。
よって断る理由などないのだ。
皆異論はなく、先ずはその王国へ行ってみようという事になった。
――ヒストリア王国。
そこは剣術で栄えた騎士の国。勇者ヒストリアの名前を冠してつけられた。
そこへ赴けばこの世界について、より深く知る機会に恵まれるだろう。
――そこで、だ。
ヒストリアの使者が来るまではおおよそ少なく見積もっても一週間から十日程の時間があるらしい。
ただただ何もせずに待っているだけというのも勿体ない。
それまでの間、私達は各自、自分達がもっと強くなるために力を磨く、という事になった。
いわゆる修行、というやつだ。
私達四人の中で真っ先に覚醒した椎名は、たった一日程度で風の扱いが相当進化した。
しかも彼女曰く、『私、まだまだ強くなれそう――』とのことらしいのだ。
そこから他の三人も同じように、とんでもない成長速度と可能性を秘めていると思ったのだ。
魔族は強い。
正直まだまだとてもではないが敵う相手ではないというのが本音なのだ。
だがそれは今この段階での話。
今は魔族に敵わなくとも、いずれそうなれるよう自分達の伸びしろを充分に埋めておくべきだと考えたのだ。
そう考えるとこの動きは必然のような気がしてくる。
すぐに動こう、と。
そこまで決めると工藤は行動が早かった。

「山籠りしてくるぜっ!」

彼は一言そう告げて、少ない荷物だけ持ってさっさと村の外へ出ていってしまったのだ。
正に思いつきの行動。
工藤らしいと言えば工藤らしいのだが――。
まさか本当に求道者のような行動に出るとは思わなかった。
私達は苦笑しながらもまず彼を見送った。
一人で大丈夫かとも思ったが、今の工藤ならばその辺の魔物に対しても危険はないだろう。
万が一強敵に出くわしても、一人なら逃げる事も雑作ないと思ってしまうのだ。
それに椎名も寝泊まりは村でしてはいるが、日中は村の外で何やら色々試すようであった。
そんな彼女の行動から、何だかんだ言って工藤が心配なのではとも思った。友達想い、もしくはそれ以上の感情から来るのかもしれない。本人には間違っても言えないが。
美奈はというと、この村の人達にこの世界での戦い方というものを聞いているようだった。
特に興味を示していたのが魔法と弓。
村の人達と一緒に弓矢を持って狩りに付き添ったり。夜に村の灯りを魔法で点けて回る事に付き合ったりしていた。
私も魔法には興味があったので、一緒に話を聞いて試してみた。
だが、残念だが使う事は出来なかった。
この世界でも、魔法は全ての人が使えるものではないらしい。
魔力を様々な属性の魔法に変換して行使するものらしいのだが、そもそも魔力を持っている人自体がそう多くはないらしいのだ。
それに魔力をどの属性の系統に変換出来るかどうかも人それぞれというのだから、思っていたより万能ではないようだ。
魔法はある程度に止め、私は私でそれなりに色々試したい事もあった。
それを実行しつつも、村の人達にこの世界の事を聞いたり学んだり、情報収集をメインに行った。
魔法の事もそうだが、世界の国や種族。多岐に渡る一般的な知識は収集しておきたかった。
ヒストリア王国に行ってからの方が詳しく学べるかもしれないが、今知れる情報は仕入れておいて絶対に損はない。
そんな事をしている内に、あっという間に時間は流れ――――。
――――遂にその日は訪れたのだ。
「――要するに、だ」

心地よい日差しの照りつける昼下がり。
窓から差し込む光でぽかぽかと暖かく、穏やかな陽気に包まれてともすれば眠気に襲われそうになる。
隣に座る美奈なんかは一応起きてはいるが、頭が回らずぼうっとしてしまっているのではないだろうか。
先程からその小ぶりな頭が振り子のように、右へ左へと揺れている気がするのだ。いや、間違いなく揺れている。
まあ、そんなところはとても可愛いらしいので私としては大いに良しとしてしまうのだが。

「魔法とは人の持つ魔力を媒介にマナをかき集め、具現化させる方法を取っていると。そしてそれぞれ異なる属性があり、大きく分けて六つ――地・水・火・風・光・闇の属性に分かれるということなのだな?」

私は目の前の男、チャドルにここまで聞いた講義についての要約を話した。

「ああそうだ。あと魔力そのものを放つ無属性なんてのもあるが、これは基本中の基本だから属性とは呼ばねえ、とこんなところだな」

チャドルは私の話にうんうんと太い腕を組み、頷きながら満足げな表情を浮かべた。
彼、チャドルは今私達が滞在しているネストの村の一番の魔法使いらしかった。
年の頃は四十過ぎ。魔法使いというには似つかわしくない逞しい肉体をしている。
ボサボサの茶髪を短く乱雑に切られ、申し訳程度に口周りに生やした髭は年相応と言うべきか。
普段は魔法というよりも、村の力仕事や狩猟を主に受け持っているらしい。
魔法使いと述べはしたが、村で一番魔法に詳しいだけで、いわゆる魔法を噛った程度の気のいいおっさんといったところだ。
午前中は狩猟に付き合い弓の扱いを教わり、午後は彼の家で獣肉のスープや蒸し焼きなどをご馳走になった。
その後こうして彼の魔法の講義を受けているというわけだ。
魔族を撃退し、ワイバーンを倒してからおおよそ三日が経っていた。

「隼人くんすごいっ。もうそんなに理解したんだね!」

嬉々として私を褒める美奈。
彼女は私の恋人であり異世界での旅の道連れとなってしまった女の子。
隣でふらふらと舟を漕いでいるようだった彼女だが、私の話した理論に突然表情をぱあっと明るくさせ小動物のような笑顔を見せる。
本当にコロコロと表情が良く変わる娘だ。
そんなところも可愛いのだが。

「いやいやミナちゃんっ、こんなの大したことねえよっ! 誰だってすぐに理解できらあっ!」

そんな美奈の褒め言葉をやけに否定するチャドル。
どうやら自分がお気に入り美奈が、事あるごとに私を褒めるのが気に入らないようだ。
会ってそこまで時間の経っていない私達だが、こんな時にはいつもうざ絡みしてくるのだ。
そんなチャドルさんの挙動にも流石に少し辟易してきた頃合いであった。
本当に、いい大人なのだから勘弁してほしいものだ。

「え……でも、私、その大したことない部分がまだあんまり理解できてないですよ?」

「あっ!? ちがっ……ほらっ、ミナちゃんは頭で理解するより体で理解するタイプだからいいのっ! それに、ほらっ! 可愛いしっ!」

美奈は頭の回転が早い方ではない。
特に理論的な物事を理解するのはめっぽう弱いのだ。
それにより、私を褒める美奈。それを否定するチャドル。それにより美奈が否定された気持ちになる。チャドルが慌ててフォローする。
といった図式がしょっちゅう成り立っていた。
それもこれも美奈が可愛いから仕方ないことなのだと片付けるが、可愛いからなんでもありだ。
その辺の気持ちはチャドルとは共通していると言える。

「ああもういいやっ! 理論の講義はここまでだっ! こんなの理解したところで何の役にも立たねえよっ! とにかく外出て魔法ぶっぱなそうやっ!」

「いや……ぶっぱなすのはちょっと……」

最後は投げやりにこう締めた。本当に荒々しく適当な男である。
私の言葉など聞いてはいない。
チャドルはミナのフォローが苦しくなってきたとあって、未だ俯く美奈を元気づけるように一際大きな声でそう告げ、外へと私達を誘おうとした。

「チャドル、その前に」

「ん? 何だよハヤト! ミナちゃんが悲しんでるってのにようっ」

私は手を上げチャドルを見たが、彼は案の定私への語気を荒げ睨みつけてきた。

「もう一度昨日やった魔法適正を試したいのだが」

「――はんっ! んなの一回やったらそれまでなんだよっ。往生際が悪いやつだなあっ。それでも勇者かってんだっ」

「あ、チャドルさん。私もそれ、もう一回やってみたいですっ」

「よしっ! やろう! 今すぐやろう!」

私の提案に難色を示したチャドルであったが、美奈がやりたいと言った途端、手際よく動いて準備をし始める。
そんなチャドルを見ながら私は苦笑し、ふと美奈と目が合う。
すると彼女は控え目に、どこか悪戯っぽいこやかな笑みを注いでくれるのだ。
いや美奈さんそんな笑顔も破壊力抜群ですね。
それは全てのマイナスごとを吹き飛ばす、天使の笑みであったのだ。
 さて、講義は唐突に終わりを告げ、次にやるのは魔法適正の儀式だ。
 儀式と言うと仰々しく聞こえるが、実際そこまで大したものではない。
 やる事と言えば至って単純明解。目の前のテーブルに置かれた木の葉に念を込める、以上なのだ。
だからそうだな、これは検査という方が一番しっくり来るかもしれない。

「じゃあさっさとやっちまえよハヤト」

「――うむ」

私は椅子に座り直し姿勢を正すと、改めて目の前の葉っぱへと視線を注ぐ。
何の変哲もない緑色の葉っぱだ。
この世界の特別製とかそういうものではない。
そこら辺に生えている木の葉を千切って持ってきただけ、ただそれだけのものなのである。まあ異世界のものという時点で私にとってはレアリティの高い代物なのかもしれないが、これを私達の元いた世界に持って帰られれば、という条件付きだ。
私はこくりと喉を鳴らすと掌を葉っぱの周りにかざし、目を閉じむううと念じてみた。
私の中に流れる魔力で以てマナに干渉し、その力を葉へと伝える。
先程習った理論を元に、そんなイメージを膨らませながら実践してみるのだが――。

「――やっぱ無理だな。ハヤト、おめえに魔法の才能はねえよ」

「うぐっ……」

チャドルにそう突っ込まれ、幾らか精神的ダメージを受ける。
私は葉っぱわ握りしめガクリと項垂れたのだ。
改めて葉っぱを観察しても何も変わった様子は見受けられない。
くりくりと目の前で回して眺めてみるが、これっぽっちの変化も起こっていないようであった。
やはり、ダメか。

「そのようだな。では次は美奈、やってみてくれ」

私はこの事案はきっぱりと諦め気持ちを切り替えることに決めた。
さて、次は美奈だ。

「え? あ、――うん」

彼女は私の言葉を受けてちょっと戸惑うような複雑な表情をしながらも、私が明け渡した席へとちょこんと座った。
そうして私の時と同じように、手を葉っぱの周りへと持っていく。そのまま目を閉じ、精神を集中し始めたのだ。

「――――」

突如美奈の体が、淡い光を放っているように感じられた。
今は昼間。部屋の中とはいえかなり明るい。
だからはっきりとは分からないが、恐らく本当に彼女の体は今薄い光の幕で包まれているのだろう。
程なくして光が収まり、美奈はそっと手をのけた。

「――ふう」

「おおっ! 昨日とおんなじだっ! 流石俺のミナちゃんだぜっ!」

どさくさに紛れて俺の美奈ちゃん呼ばわりはかなり聞き捨てならないが、それは今は措いておくとして。昨日と同じく葉っぱの様相が変化しているのを見て私は感嘆の息を漏らした。
――葉っぱが薄い光を放っているのだ。

「へへっ! ミナちゃんはやっぱり光属性の適正があるみてえだなっ! さしづめ光の女神ってとこだっ」

「えへへ……そんなことないです」

このおっさん良くそんな臭いセリフ言えるなと思いつつ、頬を朱に染めはにかむ彼女の笑顔があまりにも眩しくて、尊いとは思うのだ。
――うむ。光の女神。確かに。

「ところで女神よ、その感覚とは一体どういった感じなのだ?」

美奈は私に女神と言われ、嬉しそうにするかと思えば若干ムッとした表情を見せた。
それがまためちゃめちゃ可愛い。
チャドルさんなんか「うはっ……」とか完全に胸を射抜かれたような声を上げた。

「えっと……普通だよ? なんかこう、身体の中を流れる血液を感じて一体になるっていうか。とにかく目を閉じて自分の中にある不思議な力を感じるの。あとはそれをうまくイメージしながら動いてくださいってお願いするみたいな?」

――うむ、よく分からん。
流石私の美奈なのだ。
頭で考えるより体が勝手に理解し、そう動けてしまう。
天才というやつだな。

「なるほど。まあその辺の感覚は人それぞれなのかもしれないな」

「ハヤト、ミナちゃんの才能に嫉妬するなよ? ミナちゃんはもしかしたら天才魔法少女かもしんねえんだからなっ。ガッハッハッハッ!」

そうして言い馴れ馴れしく美奈の肩に手を置くチャドルさん。
私は少しめんどくさくなり、曖昧な返事を一つ返すに止めた。
さて、この魔法適正の結果とそれに対する属性の見分け方なのだが。
――至ってシンプルだ。
地属性ならば葉が何らかの形で成長する。
水属性ならば葉が潤う。
火属性ならば焦げたり燃えたりする。
風属性ならば宙に浮いたり舞い上がる。
闇属性ならば葉に黒い靄がかかり、枯れたりする。
光属性ならば今のように淡く光るといった風なのだ。
私の場合は昨日に続き今回も何も起こらなかったので、そもそも魔法は使えそうにないのだとか。
ちなみに椎名も工藤も私と同じ結果であった。
彼らはそれぞれ風の能力と地の能力を持つ。
その属性の魔法は使えるだろうと思っていただけに、かなり意外であった。
やはり彼らの能力は本来の魔法とは全く違った性質のものなのかもしれない。
まあしかし、この結果も悪いことばかりではない。
椎名と工藤も魔法が使えるとあれば、魔法適正がない者が私だけとなり、仲間外れ感、疎外感みたいなものに苛まれたに違いないのだ。
今もチャドルさんに何を言われていたか分からない。
この人は割と思ったことをずけずけ言うタイプのようだからな。
そういった意味では助かったと言えるのかもしれなかったのだ。

「あの……隼人くん」

「ん?」

一人思考の海に耽る私の袖をくいくいと引っ張って、美奈が私の名を呼んだ。
何の気なしに振り向くと、美奈は申し訳なさそうな表情でこちらを見ていた。

「あの……ごめん、ね?」

自分だけが魔法適正があったことを気に病んでいるのだろう。
私はそんな彼女ににこりと微笑む。

「美奈、そんな事で気に病む必要はない。これはお前がこのグラン・ダルシで得た素晴らしい才能だ。これに賞賛を送ることはあれど、嫉妬や劣等感などといった感情を抱くことは一ミリも無い。本当に、私の彼女はすごい人だ」

私の言葉を目を見ながら最後まで真剣に聞きつつ、徐に目を逸らした。それから彼女は頬をほんのりと朱に染めたのだ。

「――あ……えと……ありがと」

「――っ」

「……隼人くん?」

「あ、ああ。いや、何でもない」

「??」

私は若干言葉を失いつつ目を背けてしまう。
変に思われただろうか。いや、でも勘弁してほしい。そういったはにかむような表情は反則だと思うから。
私は一人、薄明かるい室内で二人から顔を背けつつ額に手を当て思うのだ。
――女神越えてる、と。