私のわがままな異世界転移

「――なっ……何を言うのだ、椎名」

椎名の口から俄には信じがたい言葉が漏れた。
私は平静を装う風にしようとして、だが出来なかった。
発した声が掠(かす)れ、せっかくこちらを向いていないのに椎名に明らかに動揺しているのがバレてしまう。

「コイツ、思ってる以上にヤバいわ。このままじゃ……ううん、何でもない! とにかく大丈夫よ! ただ万が一のことを考えて隼人くん、先に戻ってって言ってるの」

「……」

椎名の言葉に何も返せない。
強がっているのだと容易に理解できてしまう関係が疎ましい。
全身が震えて呼吸がしづらくなる。

「ああそうだな。行け隼人! お前一人に任せんのも心許ないが、今はそれが一番いい気がするぜ!」

そんな椎名の意見に工藤もあっさりと便乗する。
こんな時だけこいつは妙に男らしいのだ。
ますます動悸が激しくなっていく。
私は恐怖で頭がぐらぐらして吐き気がしそうだった。
こんな事、絶対に駄目だ。
駄目だとは解ってはいるがどうすればいいのかが全く分からない。思考が追いつかなくて。何も考えられなくて。
ただただ震えだけが激しくなっていく。

「私は……、私は……」

一体どうすれば――。
ただただ身体中が震えて何もかもが恐ろしい。
できることなら全て投げ出してしまいたい。
そんな事、できるはずもないし、考えてはいけないことだとは頭では分かっているが、こんな現実、本当に意味が分からない。

「隼人くん、ごめんね」

「――は? ……な、何を謝るのだ椎名」

「私があんなこと言ったからなのかな。美奈の部屋でさ、夏休みの宿題してて、あきあきしちゃって。ずっと夏休みならいいのにって。みんなでどこか遠いところへ行きたいなんて。あんなこと、言わなきゃよかったよ」

力なく笑う椎名。
そこまで聞いて、ようやく彼女の言いたいことを理解する。
椎名はこの世界に来て、いや、来てからも自身の行動を悔いているのだ。

「馬鹿な……そんなこと、誰も気にしてはいない。むしろそんなこと、ここまで全く考えもしなかったのだ」

「そうだぜ椎名! しょーもねえこと言ってんじゃねえよっ! こんなの誰が予想できるってんだっ!」

工藤もそう叫ぶ。
だが椎名の顔には力ない笑みが貼りついたまま。
それに私は、私自身がとても情けなく思えてしまう。

「うん、二人はそうだよね。もちろん美奈だってそんなこと考えもしない。でもね、私は違うの。考えちゃうんだよ。もしかしたら私のせいかもしれないって。わがままだったって。だってあの時あの部屋で、最後に言葉を発したのは私だもん。あれがこの世界に来るトリガーになっちゃったのかもって。どうしてもその気持ちが拭えないんだよ」

「だからといって罪滅ぼしのつもりならお門違いだぞ。そんなことをされても私は嬉しくもなんともない」

「分かってる。私だってこのまま負けてやるつもりなんてない。ただ、今はそれが最善だと思うから。とにかくあなたは行って! 隼人くんっ! 行って!」

「隼人! 大丈夫だ、俺もいる! 俺たちが時間を稼いでやっから、高野を救ってやれって言ってんだよ! バカがっ! 大切なもん一つ守れねえで何が恋人だっ! 貸しとくからなっ!」

こちらを振り向いた椎名の薄い微笑みは、今にも壊れてしまいそうで、泣いているのだと気づくのに少し時間がかかった。

「あぐっ!?」

突然椎名が掌をこちらへとかざしたと思ったら、突風が吹いて盛大に吹き飛ばされた。
それが椎名が発した風だと気づいた時には二人は遥か遠く――。
あっという間に今いる空間の外へと飛ばされ、私一人だけ魔族、グリアモールとの距離が出来る。
それを皮切りに二人はグリアモールへと立ち向かっていく。
私は起き上がり、尻餅をついたまま呆然となってしまう。

「隼人くん! 早く行きなさい! はああっ!」

椎名がグリアモールに手を向けて暴風を巻き起こした。
それに呑み込まれるグリアモール。
暴風はやがて大規模な竜巻へと変わる。

「おりゃあっ!」

工藤は地面から無数の拳程の石を作り出し、竜巻へと放った。
竜巻の中で、ゴガガガッと音がして、グリアモールの体に無数の拳程の穴が空いた。

「これでどうだぁっ!」

だがそれでもグリアモールの表情は一変することはない。
やがて地面にべしゃりと落下した。
だがすぐに何事も無かったかのようにゆらりと起き上がる。
先程と同じだ。
起き上がった頃には今受けたばかりの傷がもう塞がっているのだ。

「だからさ、それじゃあただの物理攻撃なんだよ。フフフ……もう手打ちなのかな? というか、もう一人、ハヤトって言ったカイ? 今の間に逃げなくていいのかナ? ……まあ、逃がすつもりはナイんだけどねえ」

「う……うああああっ」

途端にグリアモールの視線がこちらに向いた気がした。
実際は目など無いように見えるのでそんな事は分かりもしないが、ただただ威圧的なプレッシャーが身体にのし掛かったような感覚だけがあった。
まるで蛇に睨まれた蛙。
私は二人に言われたというのに逃げる事すら叶わずにその場で動けなくなってしまう。
恐怖の感情に脳の、身体の全てが支配され、もう何も考えられないのだ。
「さて……そろそろコッチからいこうかネえ……」

不穏なグリアモールの呟きがやけに大きく耳に届く。
呟いた瞬間のことだ。グリアモールの右腕がふっと消えた。
気づくとそれは工藤の目の前にあって。それは彼の左頬をズッ、と横に凪いだ。
まるでスローモーションのように。
いや、実際その動きはそんなに速いものではなかった。
常人である私にすら目で追う事が出来る程に。
だが、工藤はまるで動きを封じられたように動かなかった。

「――ごはっ!」
「きゃっ!!?」

一拍の間を置いて工藤は勢い良く横に吹き飛んだ。
そのままその先にいた椎名を巻き込み、岩壁へと一直線に突き進む。
だが壁に激突する直前、椎名は風でクッションを作り地面に着地した。
椎名は無事だが工藤は――。

「――工藤くん!?」

「……」

返事はない。

「うそ……でしょ?」

椎名の掠れた声が響く。
信じられない。
覚醒以降、あれだけ洞窟の中で無双していた工藤がたったの一撃で気を失ってしまったのだ。

「さあ……コレで一人戦線離脱ダが、どうスル? そこの女の子一人でどう立ち向かってクルのかなあ? フフフ……」

「――っ!」

何なのだ、これは。
この強さは。
私は悪い夢でも見ているのか。

「君さあ……危機感が足りなナイんじゃないかなあ」

明らかに私に向けられた言葉だ。今度はグリアモールの左腕がふっと消えた。
その左手が気づけば椎名の頭を掴んでいる。

「うくっ!?」

あっさりとその腕に空中に持ち上げられ、足をバタバタとさせながらもがく椎名。
だがそれが悲鳴へと変わるまでには、そこまで時間を擁さなかったのだ。

「あああああっ……!!」

「椎名っ!」

私はただその場に佇み彼女の名前を呼ぶ事しか出来ない。何も出来ない。

「フフフ……、ほら……このまま握り潰してしまウヨ? 人間の頭なんてゴミクズみたいなものなんダカラねえ」

「くっ! あああああっ……!」

椎名の体がびくびくと震え、痙攣を繰り返す。最初は必死にばたつかせていた足もやがて動かなくなる。

「――はあっ!!」

「……ほう」

「ゴホッ、ゴホッ……」

動きを止めたと思ったら、椎名は風を駆使してグリアモールの腕を砕いた。
自由になりはしたが深いダメージを負ったのか、立ち上がれずに四つん這いの状態だ。
それでもすぐにふらふらと立ち上がった。
その様子を何をするでもなくグリアモールは見つめていた。

「隼人くん……私は大丈夫だから。美奈に助けられた命なんだもん。今燃やさなくてどうするのよ」

椎名はちらとこちらを向き、私に向けてサムズアップを決めた。
必死に作り出した笑顔なのだろう。
それでもその笑顔はいつもと変わらぬ彼女笑みで。
その笑顔を見た瞬間、私の中でプチンと何かが弾けたのだ。

「――も……もうやめろおおおおおおっっ!!!」

恐怖を湧きおこる感情の奔流が凌駕した。
体の内が熱く燃え滾(たぎ)り、光が身体を包み込んだのだ。

「フフフ……。やっと覚醒できたミタいだねえ……」

「……ぐっ……ああっ……」

「隼人……くん……」

とさりと目の前で倒れる椎名。
だが心が熱く熱を発し続けるような感覚に陥り、同じく体も焼けるように熱い。
身動きが取れない。
鼓動は早鐘を打ったように脈打ち、少しずつその熱が身体の隅々にまで浸透していくのが分かった。
裏腹に私の頭の中は急速に冷えて、落ち着きを取り戻していったのだ。
恐怖の感情が薄れ、震えが止まる。
体からは溢れんばかりの力が漲ってきた。
そんな私の様子を黙して見つめている魔族。
ヤツはやがて満足したように呟いた。

「フフフ……。もういいだロウ。……でも確か……君たちはあと一人いたんダッタよねえ」

「っ!?」

そんな捨て台詞のような言葉を残してグリアモールは虚空の中へと姿を消したのだ。
  結局あの魔族は私の覚醒を確認すると、そのまま姿を消してしまった。
 今思えば最初から奴の目的は私達の覚醒にあったのではないかと思えた。
 最後の奴の呟きから次の行動も予測できる。
 ――急がないと。
  焦燥感には駆られるものの、今の私は体から力が溢れ、充足感で満たされている。
単純に覚醒とは凄いものだと思った。
あの魔族にさえ出会わなければかなり興奮していたかもしれない。いや、どうだろうか。
自分自身、割と何事に対しても感動が薄い性格をしている。どちらかと言えば情緒に乏しいのだ。
そんなだから恐らく、そういったことはないだろう。
それよりも、そんな事よりも。今は絶望的な気持ちの方が強かった。
一命はとりとめたが、果たして良かったと言えるのか。
椎名と工藤に目をやれば、共に沈黙している。
恐らく致命傷は受けてはいない。
暫くすれば動けるだろう。別に近くで確認したわけではないが、何故か感覚的にそうだと思った。
妙だ。
思いの外頭がクリーンで、落ち着いている。
これも覚醒の影響か。
先程までは常に不安な気持ちが込み上げてきてばかりだったというのに。
まるでドーピングが何かだ。後々体に尋常でない影響が出たりしなければいいが。
そんな事を考えながら気絶している二人の元へと歩いていく。
結局あの魔族の最終的な目的は何なのか。
覚醒させて、その後いたぶって私達を殺すつもりなのか。
殺そうと思えばいつでも殺せた。それは確実だろう。だがそうしなかった。
手加減とかそういう次元ではない。
私達は奴に何も出来なかったのだ。
更に驚くべき事に私達が異世界からやって来た事を知っていた。
もしかしたら私達はあの魔族にこの世界に呼ばれたのだろうか。
その辺りの事は今考えても仕方無しだ。
とにかく今は動こう。
私は気絶している二人を両の肩に抱えた。
大丈夫だ。実際持ってみると思っていたよりもずっと軽い。
手提げの鞄を二つ所持している程度の負担にしか感じない。
移動に支障が無いことを確認した私はそのまま反転し、来た道を戻っていく。
少し駆け足程度のつもりがかなりの速度が出た。
何も持たない状態だと一体どのくらいの速度になるのか。
しかも息すら切れていない。
昨日美奈を背負って山を下っていた時とは大違いだ。
びゅうびゅうと耳に届く風切り音が妙に心地よかった。
さて。ここからどうするか。
まずは村に戻る。できるだけ早く。
来た道を戻るだけだ、魔物の心配もそこまではないはずだ。
もし遭遇しても今の私ならばショートソード一本でも大抵の魔物は何とかなるだろう。
とにかく今は村に帰還し、美奈の毒を回復させるのが先決だ。
グリアモールはきっとネストの村へ向かっている。
美奈に何か手出ししようとしている可能性が高い。
やつは私達を監視していたようなことを言っていたが、それならば今現在美奈がどういう状況か分かってもいそうだが、何にせよ奴に美奈を一人の状態で会わせたくはなかった。
もし仮に私達を殺すつもりがないにしても村の人達はどうか分からない。
私達が戻るのが遅く、皆殺しにされている可能性も否定はできないのだ。
色々なことが頭の中を駆け巡りながらあらゆる可能性を模索していく。
なんだろう。やけに冷静だ。
これも覚醒の影響なのだろうか。
先程まではあんなにも不安と恐怖の気持ちが強かったというのに。
今は心の中が妙に凪いで、落ち着いている。
もしかしたら死ぬかもしれないとさえ思うのに、それすらも客観視している自分がいるのだ。
グリアモール。
それでも奴は強敵だ。
あんな未知の生物にどう立ち向かっていくのかと今でも思う。
だが不思議なものだ。
あれだけ椎名と工藤がやられるのを目の当たりにしておいて、四人がある程度万全な状態で揃うということができれば或いはと思ってしまうのだ。
今の自分の能力とも照らし合わせて、もしかしたら、と。
私は前を見据えながら踏みしめる足に更に力を込めた。
とてつもなく足が軽い。気分が高揚している。
覚醒することによって身体能力が十倍に膨れ上がると仮定すれば、ここから村までの距離はせいぜい二十キロ。
普通の人が走れば二時間もあればたどり着ける距離だ。
ということは今の私ならば、そこまで無理し過ぎずとも三十分もあれば村に戻る事が可能だ。
あっという間に洞窟を抜けた。
視界が拓けると斜陽が目に射し込んできた。
まだ夕方、日が沈む前だ。
時計を確認すると時刻は6時。
流石に運動不足の私は少し息が切れてきたが、このペースで行けばそこまで体力を減らすことなく村に辿り着けるだろう。
その時肩に担いだ二人がぴくりと動いた。
「――う……ん」

「椎名? 目を覚ましたか?」

「……? 隼人くん? きゃっ、何!? もしかして私のお尻触ったでしょ!?」

「え? あ……どうだろう」

突然の椎名の雰囲気に私は若干戸惑ってしまう。
それでなくとも先程のことが頭の中にしこりを作っていた。

「否定しないんだ、えっち。美奈に言いつけてやろ」

「椎名……そんなことを言ってる場合では――」

「わかってる」

そう言うと椎名は私の肩から降りて一緒に走り出した。
足どりはしっかりとしており、先程の戦闘によるダメージはほとんど無さそうだ。
私は安堵の息を漏らした。

「隼人くんも覚醒したんだね! おめでと! て言うか雰囲気変わった?」

椎名は走りながら私の顔を覗きこむ。
かなりの速度を出しているので心配になるが、彼女の場合ある程度よそ見して走っても問題はないのだろう。

「さあ、どうだろうな。だがやけに落ち着いているのは確かだ。不思議なものだな」

「ふう~ん。あ、そういえば髪の色は変化しなかったね。私も工藤くんも緑と茶色に変わったのに」

「え? ああ、そうなのか。自分では髪の色は確認できないからな」

髪の色は自分では分からなかったが、どうやら私の髪は覚醒を経ても黒いままらしい。

「そっか……黒なんだ……」

椎名は考え込むようにふむと息を吐いた。
私は椎名の呟きにドキリとした。

「しかし覚醒したと言っても全く喜べる状況ではないのだがな……」

「あ……うん、そうだね。アイツには私と工藤くんがどれだけ頑張って攻撃しても、ダメージすら与えられてなかったみたい」

「うむ……」

「でもさ、隼人くんも覚醒したでしょ? このまま戻って美奈の毒を治して。四人揃えば分からないわよね?」

「さあ、どうだろうな」

曖昧な返事をするが、椎名は何故か嬉しそうに笑いを噛み殺した。

「うんうん、そこは無理だって言わないんだね。流石だよ」

「あ~……まあ、あまり期待はできないと思うがな」

全く椎名はいつも私のちょっとした言葉じりを読み取って私の意図を察してしまう。
やりやすいのかやりにくいのか、微妙なところだ。

「それにしても工藤くん、酷いやられようだねー。顔が変」

彼女は急に話題を今も沈黙している工藤の方へと移した。

「え? 流石に回復力も早く、腫れは引いたように思うが?」

「……。顔は変」

「てめっ! 椎名!? ふざけんじゃねーぞ!」

突然工藤もガバッと目覚めた。というか、目覚めていたのだ。
工藤も起き上がり、私の肩から下りて走りだした。
二人は走りながらお互いに威嚇し合い、睨み合いをしている。
思っていた以上に二人共に元気だ。
一安心しつつ、三人はお互い付かず離れずの距離で森の中を駆け抜けていく。もう半分は来ただろうか。
それでも息は大して上がってはいない。
本当に、月並みな感想だがすごいものだ。

「しかし、二人掛かりであのやられようでは、私が増えたところで結末は同じかもしれないのだがな」

「いやいや、何言ってるの。だから美奈もいるじゃない。私と工藤くん、それに隼人くんに美奈。四人揃えばきっとどうにかなるわよ。私と工藤くんでさえこんななのよ? 隼人くんと美奈はきっともっとすごいわよ」

魔族の話題に戻した私の言葉をそう否定してくる椎名。
やはり美奈も戦いに駆り出すのかという気持ちもありつつ。
なんだろう。椎名の発言にどうしても違和感を感じてしまう。
彼女はやけに自分を卑下する嫌いがあるように思える。
まるで自分はすごくないというような、そんな自信のなさが伺えるのだ。
彼女は聡明で、判断力も四人の中では群を抜いていると思うし、誰にも負けず劣らず強いと思う。
やはり当初から色々と責任を感じ、それが尾を引き、劣等感に苛まれているのだろうか。
だとしたらそれは良くない。危ういのだ。
もしこの先自分の力がやっぱり及ばないと、そんな状況の中で一人、誰にも頼る者がいないような場面に遭遇したとして、それを切り抜けられる胆力があるだろうか。
早々と諦めてしまうのではないか。
それは自分の力にブレーキを掛けてしまうことになりかねない。
かといってその問題は他人がどうのこうのというものでもないのだが。

「でもさ、さっきの奴、結局どこ行ったんだ?」

思考する私の隣で、工藤が不意に首を傾げた。
まるで沈黙を破るように。まるで椎名の言葉で少し重くなった雰囲気を変えようとするように。
そんなことを感じるのは気のせいだろうか。工藤はそこまで空気を読む奴ではない。
工藤の様子に椎名は案の定、呆れたようにため息を吐いた。

「いやいや、工藤くん。今どこに向かってるか気づいてないの?」

「は? ……ここ……どこだっけ?」

そう言い頼りない笑みを浮かべる工藤。
まあつい先程まで気絶していたのだ。
話について来れないのも無理はない。むしろ椎名が察しが良すぎるのだ。

「あー。めんどくさ。だからっ! 今回のあの魔族の目的は私達を殺すことじゃなくて、皆を覚醒させることにあったのよ。何のためかは知らないけどね」

椎名は問答が面倒くさくなったのか、魔族の目的を工藤に打ち明けた。
椎名の考えている事は私と同じだ。
一時気絶していたにも関わらずもう自体を把握している。
流石と言うべきか。椎名の頭の回転の良さにはやはり目を見張るものがあるのだ。
で、当の工藤はというと、相変わらず怪訝な表情であった。

「は? それでアイツなんか得すんのかよ?」

「だから知らないわよ! この後直接本人に聞いてみれば?」

「あ? どこで?」

「……村で」

「なんで村にいるってわかんだよ?」

「……」

「……」

「スルーかよっ!? 二人して!?」

流石にここまで説明されれば察してほしかったが、工藤の事は一旦置いておこう。
だが二人ともあれだけの事をされたのだ。
恐怖を感じて逃げ出してもおかしくはないというのに今は平然としている。
これも覚醒のお陰なのであろうか。

「隼人くん、そろそろじゃない?」

「……そうだな」

そうこうしているうちに村の近くまでやって来ていた。
時計を確認すると6時15分。
本当に凄い。この距離を多少息が上がっているとはいえ、バテることなく超スピードで走破してしまったのだから。
私達はもう紛れもなく超人と呼べる身体能力だ。

「二人共、ちょっと待ってくれ!」

私は走り続ける二人を呼び止めた。私自身も歩を止める。

「何だよ隼人! 急ぐんじゃねーのかよ!?」

急に止まった反動で地面に落ちている木の葉がぶわりと舞い上がる。
斜陽に照らされた赤い葉は高く中空へ飛んだかと思うと、今度はカサカサと地に舞い落ちていく。

「闇雲に行ってもグダグダになるだけだ。うまく行くかは分からないのだが、私のこれからの展望だけは先に二人に伝えておくのだ」

その言葉に椎名はやけに嬉しそうで。工藤は一瞬目を見開いたかと思うとニヤリと笑みを浮かべたのだった。
風も吹かない、光も届かない。
おおよそ生き物が奏でる物音もしない。何もない静謐な空間の中。

「クックックッ……楽しいねえ……こんな気持ちは久しぶりダ」

表情からは一切の感情は読み取れない。
まるで能面のように変化を見せないのだ。
ただ、その声の響きからは嘲りや愉悦といった感情が入り混じっていることだけは感じ取れた。

「……でも、まだまだだ。……こんなんじゃあ私達魔族は全く満足しようガナイ。彼らにはこれからもっともっと頑張ってもらわなくちゃネエ……」

彼の者を取り囲むその空間には色が無かった。
目に映るその全ての色がグレイな世界。
それはひっそりとその場に佇み続けている。
ねっとりとした湿り気のある眼差し。
それを彼らへと向け、じっとしてただただその時を待っているのだ。

「ククククク……」

その声音だけが空間に響き渡る。
そんな事は今の彼らは知る由もなかったのだ。
村に辿り着くと、そこにグリアモールの姿は未だなかった。
平穏な空気が流れていることと、穏やかな小鳥のさえずりがそれを物語っている。
ともすればグリアモールの襲撃を受けて家屋から火の手が上がっていてもおかしくはないとすら思っていたのだ。
私達の方が早かった?
その事にふと頭の中に違和感が駆け巡る。
私はあの魔族の消える能力は空間を移動するようなものだと思っていた。
なので一瞬にして村へとテレポートしたのかと思い、急いだのだがどうやら検討違いだったようだ。
とはいえこれはただの好機でしかない。
まだ着いていないとなれば、更に状況を有利に出来る可能性を得る。

「あ!? あなた方は、無事に戻られたのですね!?」

村の門番の一人が私達に気づいて駆け寄っそのまま私達は村の中へと足を踏み入れる。

「つーかアイツ来てねーじゃねーか!」

「そうね。でも必ず現れるはず。今のうちに美奈の毒をを治しちゃいましょう?」

「うむ、そうだな。それと念のために村の人達を一ヶ所に避難させておくとしよう。工藤、出来ればそれを頼みたい。無駄な犠牲は出ないようにしたいのだ。何かあればすぐに知らせてくれ。地の能力で大きな音でも出してくれればいい」

「ああ、わかってるよ」

私は門番に事情を説明し、工藤と共に村の人達に声を掛けてもらうよう頼んだ。
門番は疑う事なく二つ返事で協力してくれるようだ。
本当に常に思うのだが、この村の人達は素直で親切すぎる。
外から来た私達の言葉を何故そこまで信用し、言うことを聞き入れてくれるのか。
それにも私は違和感を覚えていた。今はそれが助かってはいるのだが。
次に私達はネムルさんの元へと向かった。
彼は私達を見るなり破顔して帰還を喜んでくれた。

「おおっ、よくぞご無事で戻られましたなっ!」

ネムルさんは帰還を破顔して喜んでくれた
私達も彼の笑顔に少しホッとした気持ちになる。
だがゆっくりしている場合でもない。
そんな事を考えていた矢先、ネムルさんの方が神妙な表情を作ったのだ。ことりと杖を鳴らし、俯いた。

「実は……あなた方に後でお話があります。――ですが、まずはミナ殿を助けるのが先ですな」

「はい」

ネムルさんの物言いは引っ掛かるが、今は美奈のいる部屋へと向かう。
彼女の容態が心配で正直気が気ではない。
部屋に着くと、美奈は眠っているというよりうなされていると形容した方がしっくりくるような状態だった。
私達が出発する時よりもさらに息が荒く、汗だくだ。

「美奈!」

私は彼女に駆け寄り、手を握りしめる。
掌はねっとりと汗ばんでおり、火でも吹くのではないかというくらい熱かった。
まだ二日目だというのにこの苦しみよう。
早く戻って来ることが出来て、本当に良かった。

「はあっ……、はあっ……」

「美奈、かなり苦しそう。早く、薬を!」

「出来ました! どうぞ!」

メリーさんが丁度、先程渡していたココナの花びらを煎じた薬を持ってきてくれた。仕事が早くて助かる。
陶器の器に入ったそれは白濁色の液体であった。
それを受け取った私は美奈の体を支えつつ、体を斜めに起こす。

「隼人……くん?」

気がついた美奈が弱々しく、掠れた声を上げた。胸が締めつけられる。

「美奈、薬だ。ゆっくり飲むんだ」

私は手にした薬の容器をゆっくりと彼女の口の中へと注ぎ込む。

「けほっ……けほっ……」

薬が思ったよりも苦かったのか、喉を通すのが辛いのか、すぐに咳き込む美奈。

「大丈夫だ美奈、焦らなくていい」

黙って頷き、そこからはこくこくと喉を鳴らしながら少しずつ、少しずつ飲み込んでいく。
ゆっくりと時間を掛けて全てを飲み干した頃、荒い息づかいは落ち着き、最後には穏やかな表情で目を閉じていた。

「……すう」

「また眠ったみたいね」

「……ああ、本当に良かった」

安堵したのか、美奈は再び眠りについたようだ。
安らかな寝息を立てて、呼吸も落ちついた。これでもう大丈夫だろう。

「……良かったのだ。美奈を――救えて」

「うん。本当に良かった」

胸に熱いものが込み上げてきた。椎名の手が肩にぽんと乗せられて、彼女の声も若干震えていた。
美奈の手からは確かな温もりが伝わり、緊張の糸が切れそうになってしまう。

『ドガァンッ!!!!』

「――っ!!」

外で岩が物にぶつかる音が響き、ネムルさんが顔を上げる。

「今の音は……」

ようやくその時が来たのだ。
感傷に浸っている暇はない。

「椎名、美奈の事は頼んだのだ」

「うん。すぐに二人で駆けつけるから」

私達は互いに目配せするとパチンッと手を合わせた。
彼女の瞳からは一筋涙が零れていたが、それは言わないでおく。
私は顔を上げ、前を向く。
二人をその場に残したまま、私は扉を開き外へと駆けていったのだ。
私が工藤の元へ駆けつけると、村人達は教会とも礼拝堂とも言えるような村の大きな建物の中に避難したようであった。
工藤の目の前には、先程の魔族、グリアモールの姿が。
奴は私達とは少し離れた場所に置物か石像かというように無機質に佇ずんでいる。
二度目とはいえ、やはり何度見ても慣れない。
相変わらず気持ち悪い様相をしている。

「工藤、大丈夫か?」

「おせえよっ!」

工藤はグリアモールを睨みつけたままぶっきらぼうに答える。
どうやらまだ戦いが始まったわけではないようだ。
それに私はほんの少し安堵する。
だが工藤の肩は少し震えているように見える。
つい先程の戦いは記憶にまだ新しい。恐れを抱いているのも無理はない。

「フフフ……待っていたヨ。しかし中々早かったねエ。ここまではあの洞窟カラかなりの距離があると思ったんだケド。ちょっとばかり驚いたよ」

「貴様は遅かったのだな。もうとっくに村に着いているものと思っていたが?」

グリアモールの物言いに違和感を覚えつつ、探るような言葉を返してみる。

「フフフ……。まあいいじゃないか。その方が助かっただろう? フフフ……」

けれど奴は不敵に笑うだけ。
相変わらず不気味な奴だ。
本当のところは分からないがその物言いから何かあるのではと思わせてくる。
人の心理を利用するのが上手いのか、何を考えているのか分かりづらい。
だが先程のような恐怖心はすっかり失せていた。妙に落ち着いているのだ。

「貴様の目的は何なのだ。なぜこんな事をする?」

「フフフ……」

「何がおかしい?」

「おかしいのは君達の方サ。なぜこんなコトをするのかだって? 楽しいからに決まっているじゃナイカ。我々魔族ガ人間ごときと関わるのに、そんな大層な理由などナイよ。君達はサ、おもちゃで遊ぶのにいちいち理由を求メルのかい? 敢えて言うなら暇潰しとカ、そんな所カナ?」

「くっ! てめえ! いい加減にしやがれってんだ! 俺達を何だと思ってやがる!」

工藤が叫ぶがそれは逆効果だ。
奴はきっとそうやって私達が恐れたり、戦いたりする様を楽しんでいるのだ。
そんな掠れた声で叫んだりするなど、私は怖がっていますと相手に示すようなものだ。

「フフフ……、だからおもちゃだって言ってるダロう? 本当に君は馬鹿なんダねえ」

「なっ、何おうっ!?」

「やめろ工藤、奴の話に耳を傾けるな」

「くっ……隼人……」

ヒートアップする工藤を私は一旦手で制する。
渋々ながらも工藤は一度口をつくんだ。

「グリアモールとやら。貴様の目的がどこにあるのか、その全容は分からない。だが今、貴様は私達を覚醒させ、私達全員の能力を確認しているのだと推測するが、それについてはどうだ?」

グリアモールがどこまで話せる相手なのかは分からない。
だがこのまま真っ向から戦っても勝機が無い事は先程の戦いで身を以て実感している。
私は思いきって一度、冷静にこの魔族と会話をしてみる事にしたのだ。

「フフフ……そうダヨ。だから君の能力と、もう一人いるだロウ? その子の能力を見せてもらってもいいカナ? まだ覚醒していないのナラそうなるように手伝ってあげるケド?」

グリアモールは自分の腹の内を案外あっさりと吐露した。
それが何処まで信用出来るのかは分からない。
だがおおよそ予想通りの返答であったのだ。
ならば交渉の余地はあると私は確信する。

「そうか、了解した。その心配はいらん。もう一人もじきに覚醒してここへやって来るのだ。待っている間に、どうだ。まずは私の能力を見せようと思うのだが、構わないか?」

「――ナンダ。随分素直じゃないカ」

「…………」

若干の間。そこから放たれた言葉に凄みを感じる。
口の中が渇いて心臓がドクドクと脈打っていた。
私の言葉に少し意表を突かれたか、こちらを警戒したかもしれない。
だが今更引き下がるつもりはない。
それに警戒された所でそれは些末なことだ。
この魔族は自分に相当の自信を持っている。
結局のところ私達を嘲っているのだ。
警戒を強めるとはいっても所詮気には留めないだろう。
私はそれを確信していたのだ。

「貴様とまともにやりあってもどうしようもないのは先程の戦いで分かっている。なので一つ、ゲームをしてはくれまいか?」

「――ゲーム? ナンダソレハ」

「遊戯だ。遊びということだ」

グリアモールは相変わらずの無表情。だがかなり訝しんでいる。
意味不明な言葉が飛び出し、意表をつけたといったところか。
少しだが、こちらのペースに上手く嵌まったのではないだろうか。
「グリアモールよ。貴様にとって我々人間は大した相手ではないのだろう? ならばそう構える必要などないはずだ。私とのやり取りなど、ただの遊戯だ。そうではないか?」

「…………」

グリアモールが初めて押し黙った。
私の思考が読めないのか、戸惑っているのか。

「何をそんなに警戒することがある?」

「警戒などシていない。たダ――」

その先の言葉は紡がない。いや、紡げなかったの方が正しいか。
もう一押しだ。

「所詮私達にはどうすることも出来ない。そう思っているのだろう?」

「……」

逡巡している。
迷っているという程ではないが、確実に訝しんでいる。
だがそこに魔族としてのプライドが邪魔してノイズとなっているのだ。
この流れの中でグリアモールが断るなどあり得ない。

「……何をスルんダ、言ってミロ」

予想通りの回答。
この答えは私の中では最早必然だった。
頭の中がクリアで妙に落ち着いている。
ふむ、こんな状況だというのに心地好いとすら感じている。
これが、覚醒の力か。

「簡単な事だ。私が今から貴様に攻撃を仕掛ける。それを受けて、私がダメージを与える事が出来れば私の勝ち。先程の戦いのようにダメージを与えられなければ貴様の勝ちだ」

「……何だか僕が全面的に不利な条件のような気がするんだけどねエ」

「貴様に取ってゴミに過ぎない程度の価値しか持たない相手に、それぐらいのハンデがあってもいいのではないか? 貴様は先程椎名と工藤の攻撃をどれだけその身に受けても全くダメージを受けなかった。貴様が今さら私一人の攻撃でダメージを与えられるのか? あれを見せられて、私の方が不利な条件だと考えるのはおかしいか?」

一気にそこまで捲し立てる。
グリアモールはため息のような短い息を吐いた。

「ふん、言うじゃないカ。ゴミが魔族に向かってネエ。それで、私が勝ったらドウスル?」

「うむ。貴様が勝てば私達はそちらに全面的に協力しよう。ゴミはゴミらしく貴様の道具に成り下がろうではないか。だがもし私が勝つことが出来れば……金輪際私達に関わるな」

グリアモールの表情は依然として変わらない。コイツの性質上そういうものなのだろうということはここまでの観察で知れている。
思考まで読めればよいのだが、そこまで上手くはいかない。
だが上出来だ。
私自身、ここまでのやり取りに及第点をつける。
姿形も違えば価値観も違う。
そんな相手にここまで話を持っていけてしまっている自分自身の変化に驚きつつも、それを第三者のように俯瞰して見れている自分もいるのだ。
このまままともにやりあっても勝ち目は限りなく薄い。
私はそう見立て、ある種の賭けに出たというのに、まるでこうなる事が必然であるかのような心持ちを実感していたのだ。

「ふーん、協力か。デハその保証は何で証明するんだい? 後になって口約束なんでやっぱりナシ、なんて茶番は無いよねエ?」

「それはお互い様だろう。ゲーム――遊戯だと言ったはずだ」

「……。中々屁理屈が好キナやつだねえ。ならコウしよう」

グリアモールは私の目の前に突如として直径50センチ程のリングを出現させた。
ふと見るとグリアモールも同じ物を手にしている。

「そのリングは嘘発見器みたいなものサ。お互いに、嘘をツイたり騙したりした時に反応シて対象者の命を奪う仕組みになってイル。それを首につけてもらおうカ。私もつけてやるカラサ」

――これは少々予想外だ。
ふむ、――どうしたものか。

「なるほど。しかし、その効果も公平か判断しかねるが」

「君にそんな事言う権利はナイ」

そこで明らかな奴からの圧が掛かる。
確かにグリアモールがその気になれば私達の命は一瞬で無きものにされるだろう。
それでもゲームに興じてやると言っている。
譲歩してやったと言うのだろうが、これが保険で罠だとしたら。
そこまでは看破出来ない。
所詮グリアモールとの間に始めから公平な取り引きなどありはしない。
ここはグリアモールをこちらの土俵に立たせる事に成功しただけでも良しとするべきか。

「――分かったのだ」

「おい隼人っ!」

ここまで黙って成り行きを見守っていた工藤が叫ぶ。

「大丈夫だ」

全く根拠のない言葉だが、私はリングを手に取るとそのまま首に装着した。
リングはシュルッと小さくなり、首にしっかりとフィットした。
グリアモールの首にもいつの間にか同じように装着されている。

「隼人……お前……」

「工藤よ、心配するな。何ともないのだ」

「おいっ、でもよっ! お前さっき俺たちに言ってたことと違うじゃねえかっ。こんな首輪までしてよおっ。四人で協力して奴を倒すんじゃなかったのかよっ!?」

工藤は私の行動に流石に焦り声を上げたが、もう遅い。
今更後戻りなど出来ないのだ。
確かに当初の予定では時間を稼ぎつつその間に美奈を覚醒させ、四人揃ったところで全面対決。とそんなビジョンを描いていると椎名を含め伝えていた。
だがそれは私の中では始めから第二案。
本当の狙いは私との一対一で決着をつけることだ。
美奈をあんな相手と戦わせるなどしたくはなかった。
病み上がりでいきなり危険な目に合わせるなど絶対に嫌だ。
これは私のわがまま。
だが責任は取るつもりだ。こうして一人で奴に立ち向かう。
だから許してほしい。
そんな免罪符を心に思いながら、工藤を見る。

「何て顔をしている工藤よ。私は命を捨てようという訳ではない」

「あ、当たり前だろっ! そんな事になったらブッ飛ばすぞっ!」

死んだ後にブッ飛ばされるのかと思うが、こんな状況でその突っ込みは場違いだ。
けれどそれが工藤らしい。
何故かフッと頬が弛む。

「工藤、とにかく私を信じて今は黙って見ているのだ」

「――っ!? くそっ……」

そう言うと彼も観念したのか、項垂れ力無く俯いた。
彼の心境を思うと些か胸が痛んだ。

「気に入らないなら全てが終わった後で幾らでも殴られてやる」

「……ちっ、勝手にしろ……」

半ば諦めたようにそう呟いた。

「……ありがとう、工藤」

本気で怒る彼の思いやりに、私は心からの感謝を述べた。

「フフフ……最後にもう一つ確認シてもいいかねえ」

「……何だ?」

「私が負けとなるのハ、私がダメージを受けた時(・・・・・・・・・)でいいんだネ?」

嬉しそうな声音に私の産毛がゾワリと総毛立つ。
何だ、これは?
私は何か間違えたか?

「……そうだ。そういう事だ」

「ククク、いいだロウ。いつでもどうゾ。君の攻撃とやら、受けてあげルヨ」

グリアモールの不敵な笑いに逡巡するがもう遅い。
流石にここからは後戻りなど出来ないのだ。

「サア……来るがイイ」

グリアモールの笑い声を耳に響かせながら私は奴とと対峙する。
ゲームは始まったのだ。
私は覚悟を決めて、ただの置物のように無防備に佇むグリアモールへと歩を進めていった。
「美奈! 美奈! 起きて!」

薬が効いて安らかに寝息を立て始めた美奈を、揺すって無理やり起こそうとする。
毒との戦いで、きっと彼女はかなりの体力を消耗している。
このまま休ませてあげたいのは山々なのだけれど、そういうわけにもいかないのだ。
今は一刻を争う。
私たちの代わりに美奈を看病していてくれていた村長さんとメリーさんは、先程村の皆と共に教会の方へと避難してもらっていた。
何かあった時に一ヶ所にいてくれた方が守りやすいから。
今この場所には私と美奈の二人きり。
胸の焦燥とは裏腹に、部屋の中はやけに静かだ。

「う……う……ん」

「美奈……」

未だ額に汗を滲ませつつ、彼女の目がようやく開かれた。
視点は定まらず、ぼんやりと天井を見つめている。
そんな彼女の顔には赤みが差して、最早毒の後遺症はほとんど無さそうに見えた。
私は安堵の息を漏らしながらも、彼女の視線を遮るように顔を覗きこんだ。

「起きた? 美奈」

「――めぐみ……ちゃん? ……ここは?」

「――美奈! ……よかった!」

私はそれだけで胸が苦しくて涙が出そうになる。
そんな自分を見られたくなくて、無理矢理彼女を抱きしめた。
もちろん力は入れすぎないように。

「……私、確か変な獣に噛まれて……それで」

少しずつ記憶の断片が掘り起こされて繋がっていく。
彼女の頭の中に、うっすらと今の状況が思い出されていっているようだ。
私は彼女に気づかれないように目尻の涙を拭い向かい合った。

「うん。――美奈、あの時は私を庇ってくれて本当にありがとう。信じられないかもしれないけど、ちゃんと聞いてほしい。今から私が言うことは、嘘じゃないから」

「え? ……う、うん」

感動の再会はこのくらいにして、私は美奈をベッドに起き上がらせ、座らせる。
まだクラクラするのだろう。ふらついて倒れそうになるのを優しく手で受け止めて、支えて。
彼女の背中をさすりながら柔らかな感触と温もりに胸がいっぱいになる。
彼女に微笑もうとするけれど、上手く笑顔が作れなかった。
――――本当に、助かったんだ。

「めぐみちゃん?」

「――あ」

いぶかしむ美奈の表情に、私はまた涙が溢れてしまっていることに気づく。

「私ったら、こんな場合じゃないのにっ」

乱暴に目尻や頬を拭うけれど、手が濡れていくばかりで、全然止められない。
その度にどんどんと募っていく焦り。こんな場合じゃないのにっ。
焦燥に駆られる私の肩に、そっと温かい手が乗せられて。
顔を上げると涙でぼんやりと輪郭の薄れた美奈の顔があった。

「めぐみちゃん、大丈夫だから。焦らないで?」

「――ごめん美奈。ちょっと、泣く」

「ん、いいよ」

そうして美奈は私の背中に手を回し、優しく包み込むように抱きしめてくれた。
急がなきゃいけないのにどうしても気持ちが切り替えられない。
私はほんとダメだ。

「めぐみちゃん。きっとすごく頑張ったんだね」

「――!! ……そんな言葉……反則じゃん……」

美奈の優しい声音に堪らず嗚咽が口から漏れ出た。
堪えきれそうになくて、彼女を強く抱きしめる。
覚醒した私の力でどうにかしてしまうんじゃないかと思ったけれど、今は細かいことが考えられない。
これまでの様々な記憶が、もうそれは走馬灯みたいによみがえってきて。すごく苦しくて、色々限界だったみたいだ。

「うっ……うっ……美奈……美奈……。良かった。本当に良かった……おかえり、美奈」

「うん、ただいま。めぐみちゃん」

彼女はそんな私の背中に手をやり、幼な子をあやすみたいにぽんぽんと叩いては撫でてくれる。
もう無理、とてもじゃないけど止められそうもない。

「うっ……わああああああああっ!!」

そこからはしばらく嗚咽が止められなかった。
美奈は泣き続ける私のことを、何も言わずに温かく抱きしめてくれていた。
彼女の匂いに包まれて、涙は後から後から流れ続けている。