「――う……ん」

「椎名? 目を覚ましたか?」

「……? 隼人くん? きゃっ、何!? もしかして私のお尻触ったでしょ!?」

「え? あ……どうだろう」

突然の椎名の雰囲気に私は若干戸惑ってしまう。
それでなくとも先程のことが頭の中にしこりを作っていた。

「否定しないんだ、えっち。美奈に言いつけてやろ」

「椎名……そんなことを言ってる場合では――」

「わかってる」

そう言うと椎名は私の肩から降りて一緒に走り出した。
足どりはしっかりとしており、先程の戦闘によるダメージはほとんど無さそうだ。
私は安堵の息を漏らした。

「隼人くんも覚醒したんだね! おめでと! て言うか雰囲気変わった?」

椎名は走りながら私の顔を覗きこむ。
かなりの速度を出しているので心配になるが、彼女の場合ある程度よそ見して走っても問題はないのだろう。

「さあ、どうだろうな。だがやけに落ち着いているのは確かだ。不思議なものだな」

「ふう~ん。あ、そういえば髪の色は変化しなかったね。私も工藤くんも緑と茶色に変わったのに」

「え? ああ、そうなのか。自分では髪の色は確認できないからな」

髪の色は自分では分からなかったが、どうやら私の髪は覚醒を経ても黒いままらしい。

「そっか……黒なんだ……」

椎名は考え込むようにふむと息を吐いた。
私は椎名の呟きにドキリとした。

「しかし覚醒したと言っても全く喜べる状況ではないのだがな……」

「あ……うん、そうだね。アイツには私と工藤くんがどれだけ頑張って攻撃しても、ダメージすら与えられてなかったみたい」

「うむ……」

「でもさ、隼人くんも覚醒したでしょ? このまま戻って美奈の毒を治して。四人揃えば分からないわよね?」

「さあ、どうだろうな」

曖昧な返事をするが、椎名は何故か嬉しそうに笑いを噛み殺した。

「うんうん、そこは無理だって言わないんだね。流石だよ」

「あ~……まあ、あまり期待はできないと思うがな」

全く椎名はいつも私のちょっとした言葉じりを読み取って私の意図を察してしまう。
やりやすいのかやりにくいのか、微妙なところだ。

「それにしても工藤くん、酷いやられようだねー。顔が変」

彼女は急に話題を今も沈黙している工藤の方へと移した。

「え? 流石に回復力も早く、腫れは引いたように思うが?」

「……。顔は変」

「てめっ! 椎名!? ふざけんじゃねーぞ!」

突然工藤もガバッと目覚めた。というか、目覚めていたのだ。
工藤も起き上がり、私の肩から下りて走りだした。
二人は走りながらお互いに威嚇し合い、睨み合いをしている。
思っていた以上に二人共に元気だ。
一安心しつつ、三人はお互い付かず離れずの距離で森の中を駆け抜けていく。もう半分は来ただろうか。
それでも息は大して上がってはいない。
本当に、月並みな感想だがすごいものだ。

「しかし、二人掛かりであのやられようでは、私が増えたところで結末は同じかもしれないのだがな」

「いやいや、何言ってるの。だから美奈もいるじゃない。私と工藤くん、それに隼人くんに美奈。四人揃えばきっとどうにかなるわよ。私と工藤くんでさえこんななのよ? 隼人くんと美奈はきっともっとすごいわよ」

魔族の話題に戻した私の言葉をそう否定してくる椎名。
やはり美奈も戦いに駆り出すのかという気持ちもありつつ。
なんだろう。椎名の発言にどうしても違和感を感じてしまう。
彼女はやけに自分を卑下する嫌いがあるように思える。
まるで自分はすごくないというような、そんな自信のなさが伺えるのだ。
彼女は聡明で、判断力も四人の中では群を抜いていると思うし、誰にも負けず劣らず強いと思う。
やはり当初から色々と責任を感じ、それが尾を引き、劣等感に苛まれているのだろうか。
だとしたらそれは良くない。危ういのだ。
もしこの先自分の力がやっぱり及ばないと、そんな状況の中で一人、誰にも頼る者がいないような場面に遭遇したとして、それを切り抜けられる胆力があるだろうか。
早々と諦めてしまうのではないか。
それは自分の力にブレーキを掛けてしまうことになりかねない。
かといってその問題は他人がどうのこうのというものでもないのだが。

「でもさ、さっきの奴、結局どこ行ったんだ?」

思考する私の隣で、工藤が不意に首を傾げた。
まるで沈黙を破るように。まるで椎名の言葉で少し重くなった雰囲気を変えようとするように。
そんなことを感じるのは気のせいだろうか。工藤はそこまで空気を読む奴ではない。
工藤の様子に椎名は案の定、呆れたようにため息を吐いた。

「いやいや、工藤くん。今どこに向かってるか気づいてないの?」

「は? ……ここ……どこだっけ?」

そう言い頼りない笑みを浮かべる工藤。
まあつい先程まで気絶していたのだ。
話について来れないのも無理はない。むしろ椎名が察しが良すぎるのだ。

「あー。めんどくさ。だからっ! 今回のあの魔族の目的は私達を殺すことじゃなくて、皆を覚醒させることにあったのよ。何のためかは知らないけどね」

椎名は問答が面倒くさくなったのか、魔族の目的を工藤に打ち明けた。
椎名の考えている事は私と同じだ。
一時気絶していたにも関わらずもう自体を把握している。
流石と言うべきか。椎名の頭の回転の良さにはやはり目を見張るものがあるのだ。
で、当の工藤はというと、相変わらず怪訝な表情であった。

「は? それでアイツなんか得すんのかよ?」

「だから知らないわよ! この後直接本人に聞いてみれば?」

「あ? どこで?」

「……村で」

「なんで村にいるってわかんだよ?」

「……」

「……」

「スルーかよっ!? 二人して!?」

流石にここまで説明されれば察してほしかったが、工藤の事は一旦置いておこう。
だが二人ともあれだけの事をされたのだ。
恐怖を感じて逃げ出してもおかしくはないというのに今は平然としている。
これも覚醒のお陰なのであろうか。

「隼人くん、そろそろじゃない?」

「……そうだな」

そうこうしているうちに村の近くまでやって来ていた。
時計を確認すると6時15分。
本当に凄い。この距離を多少息が上がっているとはいえ、バテることなく超スピードで走破してしまったのだから。
私達はもう紛れもなく超人と呼べる身体能力だ。

「二人共、ちょっと待ってくれ!」

私は走り続ける二人を呼び止めた。私自身も歩を止める。

「何だよ隼人! 急ぐんじゃねーのかよ!?」

急に止まった反動で地面に落ちている木の葉がぶわりと舞い上がる。
斜陽に照らされた赤い葉は高く中空へ飛んだかと思うと、今度はカサカサと地に舞い落ちていく。

「闇雲に行ってもグダグダになるだけだ。うまく行くかは分からないのだが、私のこれからの展望だけは先に二人に伝えておくのだ」

その言葉に椎名はやけに嬉しそうで。工藤は一瞬目を見開いたかと思うとニヤリと笑みを浮かべたのだった。