「――なっ……何を言うのだ、椎名」

椎名の口から俄には信じがたい言葉が漏れた。
私は平静を装う風にしようとして、だが出来なかった。
発した声が掠(かす)れ、せっかくこちらを向いていないのに椎名に明らかに動揺しているのがバレてしまう。

「コイツ、思ってる以上にヤバいわ。このままじゃ……ううん、何でもない! とにかく大丈夫よ! ただ万が一のことを考えて隼人くん、先に戻ってって言ってるの」

「……」

椎名の言葉に何も返せない。
強がっているのだと容易に理解できてしまう関係が疎ましい。
全身が震えて呼吸がしづらくなる。

「ああそうだな。行け隼人! お前一人に任せんのも心許ないが、今はそれが一番いい気がするぜ!」

そんな椎名の意見に工藤もあっさりと便乗する。
こんな時だけこいつは妙に男らしいのだ。
ますます動悸が激しくなっていく。
私は恐怖で頭がぐらぐらして吐き気がしそうだった。
こんな事、絶対に駄目だ。
駄目だとは解ってはいるがどうすればいいのかが全く分からない。思考が追いつかなくて。何も考えられなくて。
ただただ震えだけが激しくなっていく。

「私は……、私は……」

一体どうすれば――。
ただただ身体中が震えて何もかもが恐ろしい。
できることなら全て投げ出してしまいたい。
そんな事、できるはずもないし、考えてはいけないことだとは頭では分かっているが、こんな現実、本当に意味が分からない。

「隼人くん、ごめんね」

「――は? ……な、何を謝るのだ椎名」

「私があんなこと言ったからなのかな。美奈の部屋でさ、夏休みの宿題してて、あきあきしちゃって。ずっと夏休みならいいのにって。みんなでどこか遠いところへ行きたいなんて。あんなこと、言わなきゃよかったよ」

力なく笑う椎名。
そこまで聞いて、ようやく彼女の言いたいことを理解する。
椎名はこの世界に来て、いや、来てからも自身の行動を悔いているのだ。

「馬鹿な……そんなこと、誰も気にしてはいない。むしろそんなこと、ここまで全く考えもしなかったのだ」

「そうだぜ椎名! しょーもねえこと言ってんじゃねえよっ! こんなの誰が予想できるってんだっ!」

工藤もそう叫ぶ。
だが椎名の顔には力ない笑みが貼りついたまま。
それに私は、私自身がとても情けなく思えてしまう。

「うん、二人はそうだよね。もちろん美奈だってそんなこと考えもしない。でもね、私は違うの。考えちゃうんだよ。もしかしたら私のせいかもしれないって。わがままだったって。だってあの時あの部屋で、最後に言葉を発したのは私だもん。あれがこの世界に来るトリガーになっちゃったのかもって。どうしてもその気持ちが拭えないんだよ」

「だからといって罪滅ぼしのつもりならお門違いだぞ。そんなことをされても私は嬉しくもなんともない」

「分かってる。私だってこのまま負けてやるつもりなんてない。ただ、今はそれが最善だと思うから。とにかくあなたは行って! 隼人くんっ! 行って!」

「隼人! 大丈夫だ、俺もいる! 俺たちが時間を稼いでやっから、高野を救ってやれって言ってんだよ! バカがっ! 大切なもん一つ守れねえで何が恋人だっ! 貸しとくからなっ!」

こちらを振り向いた椎名の薄い微笑みは、今にも壊れてしまいそうで、泣いているのだと気づくのに少し時間がかかった。

「あぐっ!?」

突然椎名が掌をこちらへとかざしたと思ったら、突風が吹いて盛大に吹き飛ばされた。
それが椎名が発した風だと気づいた時には二人は遥か遠く――。
あっという間に今いる空間の外へと飛ばされ、私一人だけ魔族、グリアモールとの距離が出来る。
それを皮切りに二人はグリアモールへと立ち向かっていく。
私は起き上がり、尻餅をついたまま呆然となってしまう。

「隼人くん! 早く行きなさい! はああっ!」

椎名がグリアモールに手を向けて暴風を巻き起こした。
それに呑み込まれるグリアモール。
暴風はやがて大規模な竜巻へと変わる。

「おりゃあっ!」

工藤は地面から無数の拳程の石を作り出し、竜巻へと放った。
竜巻の中で、ゴガガガッと音がして、グリアモールの体に無数の拳程の穴が空いた。

「これでどうだぁっ!」

だがそれでもグリアモールの表情は一変することはない。
やがて地面にべしゃりと落下した。
だがすぐに何事も無かったかのようにゆらりと起き上がる。
先程と同じだ。
起き上がった頃には今受けたばかりの傷がもう塞がっているのだ。

「だからさ、それじゃあただの物理攻撃なんだよ。フフフ……もう手打ちなのかな? というか、もう一人、ハヤトって言ったカイ? 今の間に逃げなくていいのかナ? ……まあ、逃がすつもりはナイんだけどねえ」

「う……うああああっ」

途端にグリアモールの視線がこちらに向いた気がした。
実際は目など無いように見えるのでそんな事は分かりもしないが、ただただ威圧的なプレッシャーが身体にのし掛かったような感覚だけがあった。
まるで蛇に睨まれた蛙。
私は二人に言われたというのに逃げる事すら叶わずにその場で動けなくなってしまう。
恐怖の感情に脳の、身体の全てが支配され、もう何も考えられないのだ。