時間は少し遡る。
 ヒストリア王国の城下町、西の広場にてレッサーデーモンの精神世界からの転移の儀式が始まった頃。
 アリーシャはそこでかつての師、ライラと剣を斬り結んでいた。

「はっ!」

 ライラは流麗な動きでアリーシャの剣を受け止め、受け流し、全くつけ入る隙を与えない。
 アリーシャもまた、その実力は達人の域であるというのに。

「この短期間で中々腕を上げたわね、アリーシャ」

 涼し気な表情からは余裕が伺える。
 アリーシャはライラのその余裕の笑みが気に入らない。

「ライラ、私と一騎討ちの勝負をしろ! 私が裏切り者の貴様に引導を渡してやる!」

「あら。おかしなことを言うわね。私は裏切ったのではないわ。最初から敵だったのよ」

「――!? ……くっ……おのれっ……戯れ言をっ!!」

「ふふ……」

 ライラは悪戯っぽい笑みを浮かべつつアリーシャの様子を見て楽しんでいるように見えた。
 そんなライラの挙動がアリーシャの心を益々逆撫でていく。
 だがアリーシャにとっても簡単に心を翻弄されてしまう程にライラの存在は大きかったのだ。
 アリーシャは余計な事を考えすぎぬよう、剣を強く握りしめ一層力を込めた。

「ヒストリア流――」

「バフォアッ!!」

 ヒストリア流剣技の態勢に入った瞬間。
 その剣がライラへと届く前に横からレッサーデーモンが襲い掛かってきた。
 現場はかなりの混戦を極めていた。
 アリーシャはまんまとその勢いを削がれてしまう。

「くっ……邪魔をっ……するなっ!」

 力任せに横凪ぎの一閃を放ち、レッサーデーモンを吹き飛ばす。
 ダメージこそ少ないが、衝撃を与え距離を取るには充分な一撃であった。
 だがその瞬間、アリーシャはライラの姿を見失ってしまう。

「フフフ……ほ~ら死んだ」

「!!?」

 アリーシャは戦慄した。
 すぐ耳元でライラの囁くような声。
 レッサーデーモンに気を取られた一瞬の隙に、完全に後ろを取られた。
 その気になればアリーシャの命はまんまと刈り取られていただろう。
 だがライラはそうしなかった。
 もちろんライラ自身、こんな形での決着を望んではいないからだ。

「ここだと邪魔が入るわね。場所を変えない?」

 涼しげな表情でそう告げる。
 アリーシャは手に握る剣に力を込めた。

「いいだろう。……どこに行くのだ」

「……そうねえ。訓練場なんてどうかしら?」

 愉しげにゆったりと言葉を紡ぐライラ。
 髪をかき上げ遠くを見る。

「……訓練場か」

「いつもあそこでよく稽古したわよね。割と最近のことなのにすごく昔に感じるわね。私たちが決着をつけるなら、やっぱりあそこが一番じゃないかしら。思い出の場所だもの」

 ライラはアリーシャの反応を楽しんでいるのか、うっすらとした笑みを絶やさない。
 アリーシャはそれがどうしようもなく気に入らない。
 アリーシャにとっても場所を変えるという提案は望むべく事だ。
 先程のように横槍が入る事も無い。
 ライラとの戦いに集中出来るし、騎士として正々堂々と戦って勝ちたいという気持ちもある。
 だが気がかりなのは椎名の存在だ。
 彼女を一人ここに残し、自分だけ何処かへ行ってしまうなど。彼女が一人でこの状況を切り抜けられるのか。
 椎名をちらと見やればレッサーデーモンとの戦いに身を投じている。
 とてもではないが悠長に話している暇など無い。

「…………」

「どうするの? アリーシャ」

 アリーシャは逡巡しつつも覚悟を決めた。
 いや、元より覚悟を決めてここにライラとの決着をつけに来たのだ。迷う道理は無い。

「……分かった。行こう」

「じゃあ決まりね」

「なっ!?」

 その瞬間ライラの腕が伸びてきてアリーシャの体を鷲掴みにした。
 引きずり込まれるように体が移動し視界が反転。町の景色から周り全てがグレイな世界へと変わる。
 こんな細腕のどこにこんな力があるのか。
 そのまま凄まじい膂力でライラに引っ張られながら、その世界を移動していく。

「うっ、くっ……!」

「心配しないで? こんな流れで殺したりなんかしないわ。ちょっと手っ取り早く移動するだけ」

 身を捻ろうとするアリーシャの先手を打つようにそんな言葉が掛けられる。
 確かにあのような提案をしておいてこのまま自分を殺すなどあり得ないとアリーシャも感じる。
 彼女の性格からしてもそんな卑怯な手は使わないとも思えた。
 最もそれは、アリーシャの知る中でのライラの性格でしかないが。
 それでもアリーシャは今は一切もがくのを止め、彼女の意思に従う事にしたのだ。
 ――数刻の後、不意に視界に色が戻り二人はヒストリア城近くの訓練場へと身を移していた。

「着いたわよ」

「……こんな」

 一瞬呆気に取られ訓練場を見ていたアリーシャだったが、ライラの手が離され再び気づいたようにすぐ様ライラと距離を取った。

「何だか緊張感が足りないわね」

「う、煩い! それは貴様の方だろうっ」
 
 アリーシャの心を見透かすようにそんな言葉が投げられる。
 アリーシャは半分図星ながらライラに毒づき腰を落とした。
 対峙する二人。
 満天の星空の下、薄暗いはずの訓練場は思った以上に明るく星々の輝きが二つの影を形作った。
 このドーム状の建物の中、今ここにいるのはアリーシャとライラだけ。
 アリーシャは頬に流れる冷や汗を、背中に走る冷たい怖気を感じずにはいられなかった。
 改めて対峙してみてすぐに分かる。
 やはりライラはとんでもなく強い。
 私は本当にこの者に勝てるのだろうか?
 そんな思考がアリーシャの脳裏を過る。
 それほどまでにライラの身のこなし、動きの一つ一つが洗練されており、彼女がその気になれば 自分などいつでも殺せるのだろうと考えてしまうのだ。
 そもそもここに至るまで完全にライラにペースを掴まれてしまっている。
 アリーシャは不安を感じずにはいられなかった。
 だが勿論アリーシャも負ける訳にはいかない。
 勝てる勝てないの問題では無いのだ。
 絶対にこの勝負、負ける訳にはいかない。
 それはアリーシャの誇りの問題だ。
 彼女の王女としての、騎士としての、そしてアリーシャ自身の誇りに懸けて絶対に負ける訳にはいかない。死んでも負けたくは無かったのだ。
 アリーシャはこの戦いのためにヒストリアに戻ってきたと言える。
 絶対に彼女を止めてみせるのだと。
 自分のこの剣で彼女の信念ごと砕くつもりで。
 だから物怖じしている場合ではないのだ。
 アリーシャはライラを見据え、コクリと唾を飲み込みながら屯田に力を込め今一度自分を奮い立たせた。

「フフ……じゃあ、そろそろ始めましょうか」

 アリーシャの覚悟の準備を待っていたかのようにそう告げるライラ。
 二人はそのままゆっくりと互いの剣を引き抜き構えた。
 アリーシャの脳裏には、何故か走馬灯のようにライラと剣を交えた日々が甦る。
 迷いは無い。
 後はこのままこの滾りに任せて自身の剣を思い切りライラにぶつけるだけ。
 自分の全てを懸けて想いを貫くだけだ。
 ふと夜の静寂を切り裂くように一陣の風が吹いた。
 アリーシャの頬を柔らかな風が凪ぐ。
 風の勢いに木の葉が空へと舞い上がり、ひらひらと回転しながら重力に従いゆっくりと落ちていく。
 速度を上げる事も無く、ゆっくりと、秒速五センチメートルの勢いで。
 やがて木の葉と地面が交わる。
 それと同時に二つの影は陽炎のように消え去った。
 命を賭した剣の師弟対決の火蓋が切って落とされた。