「――くっ……何なのっ!!?」
目の前が昼間のように光に包まれる。
「シルフッ!」
眩しさに目がくらみそうになるのを堪えながら精霊の力を解放。それにより広場内の感知の目を広げる。実際に広場で今何が起ころうとしているのか。そこに意識を集中させる。
ズズ……、ズズズ……。
耳朶に響く衣擦れのような音。私はその音の正体にすぐに気づいた。それと同時に胸の中にどうしようもないほどの絶望感が駆け巡った。
「まさか……こんなっ!?」
「一体どうしたというのだシーナ!? ……あっ……あれは……」
光はやがて収まり、感知を無理にする必要もなくなった。
私とアリーシャは改めて広場に目を向け、目の前で起こっている光景に絶句する。
「……こんな……サイアク」
私の口から無意識にそんな言葉が漏れ出た。
広場で次から次にレッサーデーモンたちが出現し始めていたのだ。
一体、また一体と突如空間を切り裂くように現れては咆哮を上げつつ暴れ始めている。
それに戸惑い怯える兵士たち。でも流石、騎士たちは面食らいながらもすぐに気持ちを切り替えたか携えた剣を抜き放ち応戦していく。
広場の周りに集まった町の人たちはというと、逃げ惑いながらも数人の騎士たちに誘導され、この場所からは散り散りになりながらも離れていく。
とりあえず騎士たちが逃げ道を確保してくれているようなので町の人々に被害が出ることはなさそうだ。この辺りは流石と言うべきか。慣れてる。めちゃめちゃ有能。
「――あれは……魔方陣か!?」
不意にアリーシャがそう発言した。
よく見ると確かにアリーシャが言うように、広場全体に六芒星の光の線が見える。
そしてその中心にいるのが工藤くんだ。
これじゃあまるで――神話に出てくる悪魔の儀式か何かみたいだ。
私の脳裏には嫌な予感が駆け巡っていた。鼓動が脈打ち警鐘を打ち鳴らしている。
色々観察している間にも一体、また一体とどんどんと広場にレッサーデーモンは溢れていく。
特に工藤くんの周りには、すでに十数体にも及ぶ魔族がひしめきあっていた。
それでも安心だと思ったのは常に工藤くんの体からは魔力の光のようなものが発せられていて、魔族は近寄れないように見えることだ。
それにより彼自身が魔族に攻撃される心配は無さそうに見える。
なので彼の身の安全は今のところは保障されている気はするけれど、問題なのは工藤くんの力を利用して、この現象を起こしているのだろうという事。
いわゆる人柱というやつなのだろうか。
この儀式? 魔法? を消すために工藤くんの今の状況を何とかしなければ勝機はない。でもどうやって――――。
一刻も早く動いて対処しなければならない。
そうは思うけれどこんな乱戦。ただ闇雲に動いてもタカが知れてる。
だから何か、方針というか、動いてどうすべきか。情報を集めてそれだけは決めておきたかった。
自体は悪化していくのかもしれないけれど、騎士たちもいる。すぐに破綻することはないだろう。
この中で私がすべき最優先事項は――。
私はそこでちらりとライラとホプキンスの方へと視線を向けた。
ライラはにこやかな笑みを讃えながら前を向き、その場に佇んでいる。
何度か兵士に声を掛けられていたが頷きながら指示のようなものを出したのか、それで兵士は彼女の元からは離れていく。
ホプキンスはというと……ブツブツと何か独り言のように声を発し続けているように見えた。
不思議と彼の周りには今、兵士も魔族もいはしない――ふむ。なるほど。
正直どうするべきなのか確かな事は何もない。けれど見ているだけでは何も変わらない。もういい加減覚悟を決めた。
「アリーシャ! 私たちも参戦するわよ!」
「勿論だっ!」
たぶんだけれど、今か今かとこちらの様子を見ていたのだろう。アリーシャとばっちりと目が合う。
彼女は私の気合いの入った声を聞くと、凜としたコバルトブルーの瞳に確かな輝きを宿しながら、準備は万端とばかりに頷き腰の剣に手を掛けた。
「シルフ、お願いっ!」
『ああっ、任せて!』
「行くわよっ!!」
「ああっ!」
互いに声を掛け合いながら一足飛びで広場へと飛行しつつ急降下。途中アリーシャの「ひゃんっ」というかわいい声が聞こえたけれど、今はそれは措いておく。
狙いは一旦ライラとホプキンス。というかホプキンス。
最早兵士の数をもレッサーデーモンの数が上回ろうとしている。考えることに時間を取り過ぎてしまった。こういうところは戦い慣れていない素人かと自分で反省しながら内心で舌打ちする。
こうなってしまっては乱戦は必死。
私は逸る気持ちを抑え冷静に今の状況を判断していく。
工藤くんはまずは後回しにしようと思う。
もちろん一刻も早く助けたいのは山々なのだけれど、彼の体は今光を放ち魔族からの攻撃を受けることがなさそうだから。
人質ではあるけれど人柱でもある以上、彼が敵からのターゲットにされることはまず無い。
そうなるとしても今行っている儀式によって、それなりのレッサーデーモンの召還に成功した後になると思われる。
一応工藤くんの力が吸いとられていき、力尽きてしまうという可能性もあるにはあるけれど、今だ爆睡を決め込んでるくらいなのだ。しばらく放っておいてもまあ大丈夫だろう。
それよりも先ずは現状の頭であるライラとホプキンスを倒すの方が先決だと判断する。
特にホプキンス。彼はこの広場に現れてしばらくしてから、何か呪文のようなものを口ずさんでいる。
この魔方陣はきっとこのホプキンスが操っているに違いないと思えるのだ。
そこまで考えた私は迷い無くホプキンスに狙いを定めた。
「アリーシャ! ライラは頼むわ! 私はホプキンスの方を狙う!」
「ああ、最初からそのつもりだ!」
アリーシャと短い言葉を交わし、ライラとホプキンスに肉迫しようとする直前。
そこで彼らは私たちの存在に気づく。別段驚く様子もなく嬉しそうな笑みを浮かべる二人。
「あら、遅かったわね。もうとっくにお祭りは始まっているわよ?」
「ふざけるなライラッッ!!」
柔らかな笑みを浮かべるライラに向けてアリーシャが吠えた。
激情と共に剣を抜き放ち、正に目にも止まらぬスピードで一閃する。
そんな超速の横凪ぎの一閃ですらもライラは涼しい顔で受け止めてみせた。
やはりただ者じゃない。けれどそれはアリーシャも同じ。
確かに一度ライラに手傷を負わされはしたけれどそれは油断していたから。
ここまでの彼女の戦いっぷりからアリーシャの実力は充分に信用している。
彼女ならきっと大丈夫だ。
確たる保証はないけれど、今は仲間を信じる。そう思うことにした。
そして私はというと、そんな彼女たちを横目にもう一人の魔族であるホプキンスへと一直線に駆けた。
ホプキンスは私の姿を認め、下卑た笑みを顔に貼り付かせたまま後ろへと飛び、私から距離を取ろうとした。
「逃がすわけないっ!」
ホプキンスの元へと疾駆する私の行く手には、進行を阻むように三体のレッサーデーモンが立ちはだかった。
昨日ならばこの状況でも充分脅威となってはいたけれど、正直もうこのくらい何てことは無い。今の私にはシルフという心強い味方がいるのだ。
私は精神を集中。右手に力を込めた。
「――はああ……エンチャント・ストーム!」
ユニコーンナックルに急速に風が収束。それと同時にアリーシャから貰った魔石が眩いばかりの光を放つ。
風は竜巻のような荒々しさを伴って右手に纏われいく。かなり濃密に腕の周りを風が取り巻いているのが分かる。正しくこれは嵐と呼ぶに相応しい。
私とシルフ、二人のマインドを込めたエンチャント・ストーム。
昨日は私のマインドが枯渇した状態だったため、力は半減していたに等しい。けれど今は私もかなり全開に近い状況。さあ果たしてこの状態でどれ程の威力を発揮するのか。
私は手前のレッサーデーモンに拳を振りかぶり、ユニコーンナックルをクリーンヒットさせた。
「――グワッハアァアアアアッッ……!!!」
「ガアアッッ……!!!」
なんとっ……。レッサーデーモンの体は紙を切り裂くように霧散。
更に驚くべきことに、その衝撃で後ろの二体までもが消失してしまった。
たったの一撃で三体のレッサーデーモンを葬り去ってしまった。その事に素直に驚愕する私。
「――まじ……?」
『ふふ……まじだよ?』
戦いの最中というのにも関わらず、思わずポロリと間の抜けた声を上げてしまう。その声に嬉しそうにドヤ声で返すシルフ。
エンチャント・ストームは私の予想を遥かに上回る威力になっていた。
昨日までであれば今の一撃でレッサーデーモン一体を倒すのがやっとだった。
それが全力てもない、ちょっと軽く殴った程度の力加減でこの威力。
これは嬉しい誤算だ。
シルフのドヤ声がちょっぴり癪に障るけれど、これはかなり予想外だった。
「――ぐはあっっ!!?」
そんな折、私の放った暴風の一撃に吹き飛ばされた陰がもう一人。
それは私のターゲットであるホプキンスその人だった。
彼はそのまま風に吹き飛ばされ、ごろごろと勢いを止めることなく広場の壁まで突っ込んだ。
「ぐえっ……」
「……ウソでしょ?」
ホプキンスの姿を見て私は思わず呆れたような声を漏らす。
彼は壁に強く体を打ちつけられたかと思うと、なんとそのまま気を失ってしまったのだ。
「――――は?」
私はその意外すぎる結末に、戦いの最中だというのに再び間抜けな声を上げてしまう。
三級魔族なのにいくらなんでも弱すぎる。
確かに先刻一戦交えた三級魔族、グレイシーも正直そこまで強いようには思わなかった。けれどこれはさすがに弱すぎる。
考えられる可能性としては三級魔族にも様々いてホプキンスやグレイシーは個体そのものの強さというよりは特殊能力に特化した個体であるということか。
ライラなどはその逆で、単純に魔族としての強さ。戦闘能力に特化しているタイプなのかもしれない。
『シーナッ、のんびり考え事してる場合じゃないよ?』
「――ごめんっ」
そこまで思考を巡らせ、シルフの一言で私は現実に引き戻された。
結局――だ。ホプキンスが気を失っても魔族の出現は止まりはしなかった。
今もレッサーデーモンは次々と空間の揺らめきから出現し続けている。しかも――。
「アリーシャ!?」
ふと冷静になつて周りを見渡すと、どこにもアリーシャとライラの姿がない。
感知の範囲を広げても近くに気配すら感じられなくなっていたのだ。
「――どういうこと?」
『たぶんライラの方の仕業だね』
「だよね……」
たった一瞬目を離した隙にこんな事……私は内心で歯噛みする。
二人は決着をつけるため、ここ以外の場所に移動してしまったと考えるのが妥当だろうか。
不安は胸にもやもやと渦巻く。けれどこうなってしまってはもうアリーシャを信じて任せるしかない。
アリーシャもそんなヤワじゃない。簡単にはやられはしないだろう。それよりも今重要なのはこの場の状況を何とかすることだ。
「シルフ、どうすればこれを止められるかわかる!?」
『ん~……』
色々なことが起きて数刻ごとに状況が目まぐるしく変わっていく。
正直色々考えすぎて後手後手感は否めない。
ホプキンスも倒しきる前に周りにかなりの数のレッサーデーモンが集まってしまいすぐには手が出せそうもなくなってしまった。
何というか、乱戦に対する経験が圧倒的に足りないのだ。
考える前に体を動かせって話だどやっぱり出たとこ勝負つてのも性格上どうかと思ってしまう。
けれど経験が足りなくて判断が遅くて、結局どんどんと状況が悪化していってしまっているのを肌で感じていた。
くそう……。
歯噛みしつつ、それでもやはり先決なのは、この魔族が無尽蔵に広場に出現する現象を止める手立てを見つけることだという結論へと行き着く。
『シーナ。落ち着いて。とにかく考えながらでも攻撃しなくちゃっ』
「――分かったわよっ!」
シルフにいさめられながら、私は指先に意識を集中させる。
「ストームバレット!!」
少し先の一人の騎士に襲いかかろうとしていたレッサーデーモンへと向けてストームバレットを放った。
バレットは指先の手前に出現し、としゅんと小気味よい音を発しながら一直線にレッサーデーモンへと突き進む。
「バオオォォッッ……!!」
魔族は一瞬にして霧散。騎士は目の前に起こったそれを目の当たりにした後、一瞬だけじっとこちらを向いて顎で会釈だけすると他の仲間の救出へと向かった。
正直騎士たちは私が思っている以上に強い。今のも別に私の助けなんかなくても一人で何とかなっただろう。
それに今はもう町の人々の避難を一般の兵士に任せ、自分たちは兵士が避難させる時間を稼ごうとしているのだから。それも未だに一人の犠牲者を出すこともなく、だ。
『シーナ』
「どうしよ、シルフ?」
我ながら情けない。
大した策の一つも思いつかぬまま、精霊の意見に頼ろうとしている。
『恐らくなんだけど、この魔方陣はクドーとその精霊、ノームの繋がりを利用して、精神世界とこっちの世界を行き来するゲートのようなものを作り出していると思うんだ』
「……なるほど、そういう原理なんだ」
四級魔族以下の魔族は精神世界とこちらの世界を自由に行き来することが出来ない。
なので要するにこの魔方陣を使い、向こう側の魔族をこちらに呼び寄せる儀式、といったところなのだろう。
人間と精霊の繋がりを利用して精神世界からこちらの世界へと渡るゲートのようなものを作り出しているのだろうか。
『うん、そうだね』
私の頭の中の呟きに相づちを打つシルフ。
「うりゃっ!!」
私は手近なレッサーデーモンを暴風を纏わせたユニコーンナックルで紙のように切り裂きながら少しずつ頭を冷やしていった。
どうにかしてこの儀式の仕組みを破る方法について考えようじゃないか。
六芒星の光を出現させた張本人であるホプキンスは今や気絶している。
これは術者を倒すことではこれを終わらせる結果に至らなかったことを意味する。
では他に考えられる方法とは――。
「――はっ!」
私は風の能力を駆使して数メートル上空へと移動。広場を上から俯瞰して見てみる。上から見るときれいな六芒星が目に入る。
そこであることに気づいた。
なるほど。あれか。
『ご名答』
「ストーム・バレット!!」
シルフの言葉を受けて暴風の弾丸を放つ。
その行き着く先には地面に埋め込まれた魔石があった。
この六芒星を形作る光。それを描く交点に魔石が設置されているのだ。
おそらくアリーシャがインソムニアから手に入れてきた物で間違いない。
術者が排除されても収まらないというのなら、術の発動の動力機関となるものを壊してしまえばいい。それがあの魔石だ。
暴風の弾丸は見事魔石の一つに命中。破片を撒き散らしながらただの石の欠片となった。
うまくいった。そう思ったのだけれど――。
「……だめみたいね」
そう呟きつつ、私的にそれは予想の範囲内。
「はああっっ……」
更に風を練り込んでいく。マインドの消耗は否めないけれど、そんな事は言っていられない。
「ストーム・バレット!」
再び暴風の弾丸を放つ。今度は他の魔石へと目掛けて。
「はああっっ!! まだまだあっ!!」
立て続けに暴風の弾丸を次々と形成。
次々と魔石を破壊していく。道中何体かのレッサーデーモンが巻き添えを食らって霧散した。
何度目かの弾丸を放ち終え、いよいよ残った魔石はただ一つ。
「これで終わりよっ! ストーム・バレット!」
最後の一つの魔石も見事に破壊。
勝ち誇ったように六芒星の光に目を向ける。
私の予想通りなら、光は絶ち消え、レッサーデーモンの増加も打ち止めになるはずだ。
けれど――。
「――なんでよ……」
これには流石に弱気な声が漏れた。
六芒星は私が予想した結果には至らなかったのだ。
六芒星は今もずっと変わらず眩い光を放ち、レッサーデーモンを広場に排出し続けている。
「くっ……」
こうしている間にもどんどん形勢は悪くなってきている。
レッサーデーモンと戦っている騎士たちもいよいよ苦戦を強いられてきていた。
幸いまだ犠牲は出ていないものの、そうなる未来もそう遠くはない。
『シーナ、一度ゲートが開いてしまったら、魔石は関係ないみたいだ……』
「見ればわかるわよ! くそっ……どうすればいいわけっ!?」
シルフの無情な宣告が私の頭の中に響き渡り、思わず声を荒げてしまう私。
「くそっ……エンチャントストーム!!」
私は半ばヤケクソ気味にユニコーンナックルに暴風を纏わせレッサーデーモンの群れへと突っ込んでいく。
このまま数が増え続ければやがて広場にレッサーデーモンが溢れ、身動きも取れず物量にみんな押し潰されて全滅は免れない。
そうなってしまったらもう儀式を止めるどころの話じゃないのだ。
「エンチャント・ストーム!!」
私はさらに四肢に暴風を纏わせ、空を縦横無尽に駆け巡りながら手当たり次第にレッサーデーモンを切り裂いていく。
あるものは細切れになり、あるものは吹き飛びながら消失し、改めてシルフの能力の凄さに内心身震いしていた。
『……シーナ、よく聞いて。この術はもはや動き始めたら終わるまで止まらない術式なのかもしれない』
シルフは私の頭の中に神妙な声音を響かせる。
私は出てくる魔族を片っ端から蹴散らしながらシルフの声に耳を傾けていた。
『ただ、これを止めるには後一つ試せることがある』
シルフの声色からはこの先に話されることが良くないことなんだということが伝わってくる。
彼が何を言いたいか言わなくても分かる。分かってしまった。
「却下! ふざけないで!」
私はシルフの言葉を遮り声を荒げる。そんな事、絶対するわけ無い。私が工藤くんをこの手で――。
『でも、このままじゃ皆やられてしまうよ!?』
「うるさい! バカ!」
そんな事は分かってる。分かっているけれど。
いくら倒しても倒しても、魔族は増え続け、今やその数は百に迫ろうとしているのではないか。
何とか応戦し続けている騎士たちも流石に限界が近づいているように見える。明らかに手傷を負っている者も出てきていた。
どうする? どうするのが最善だ? この戦いに勝ち、かつ皆を救う方法。
下唇を噛みながら、私は一つの可能性を頭の隅に見出していた。
これは賭けだ。
けれどもうそれをやるしかない。覚悟を、決めるしかない。
「――シルフ、私のやりたいようにやらせて」
『え……でもそんなの……』
「無理とかそんな弱気なこと言わせない。お願い、手伝って」
私の思考を読んだシルフの言葉を遮ると、しばらく彼は黙り込んだ後、短いため息を吐いた。
『全く……無茶苦茶な主を持つと苦労するよ……』
「――ありがと。がんばろ?」
シルフの声音は私が思っていたよりもずっと嬉しそうな響きを持っていて、思わず私の口からは謝辞が述べられていたのだった。
レッサーデーモンの叫声が広場に響き渡る。
レッサーデーモンはその数を着々と増やしながら周りにいる騎士たちに集団となり襲いかかっていた。
彼らは知能そのものは高くない。
今もヒートブレスを騎士の一人に吹き散らし、周りの仲間を巻き込んで同士討ちしていたりするくらいなのだ。騎士や私の戦闘力を考えれば一体一体は大した問題にはならない。
けれど最早彼らの物量がその戦闘力の差をほとんど埋めつつあった。
騎士たち十数人は離れすぎず近づき過ぎず。お互いがお互いを支え合い助け合える絶妙の距離感でそれらを斬り裂く、というような戦法を取っている。
それによりまだ態勢は崩れずになんとかなっているけれど、正直いってそれもいつまで持つか。
皆が皆肩で息をし、汗を滴らせ。限界が近いのは私の目から見ても明らかだった。
私は空から彼らの中心。台風の目のようなその空間に滑り込んだ。
そんな挙動をしても、騎士たちは私の方を振り向くことはなかった。
余裕が無いのだろう。ただ、私の存在には気づいているはずだ。
「騎士のみんな! 悪いけどここから離れて!」
そう叫ぶと騎士の一人が後退してきて私の隣に並んだ。
彼は凛々しく勝ち気な瞳でちらと私を見た。おそらくこの人が隊のリーダーだ。
「何を言うのだ! どこの馬の骨とも分からぬ輩にこの国の命運を委ねろとでも言うのか!?」
騎士の隊長さんは不本意だと言わんばかりに目を剥いて叫び返してきた。かなり高圧的な物言い。
その声音の鋭さに一瞬怯みそうになるけれど、それでも私に退く気はなかった。
「そうよ! あんたたちがいたらはっきり言って足手まといなの! 守りながらじゃ、全力で戦えないのよ!」
私の技は広範囲のものもある。何も考えずに使用するとこの人たちを巻き込みかねない。
彼らと一緒に戦うという選択肢ももちろんあるけれど、それはつまり、彼らに常に気を配って戦わなければならないということになるのだ。
それは私にとってはアドバンテージではなく、ハンデになる。
要するに、レッサーデーモン一体一体を狙いを定めて戦っていくことになるのだから。
そんなちまちまと悠長に戦っていたら、次から次へと溢れ出てくるレッサーデーモンの群れを殲滅することなんてまず不可能なのだ。
「何を言うのだ! 元より助けて貰うつもりなどない! 私たちは例えこの身が朽ち果てようとも、この国を守るため己の全てを出しきるつもりだ!」
リーダーの騎士は私の言葉なんて受け入れるつもりはないとばかりに詰め寄ってきた。
どうでもいいけれどすごい剣幕ね……これがこの人の普通なんだろうか。
そう思わないと怖くてまともに相手出来ないかもと思うから、私はこれが彼の平常だと割り切ることにした。
とにかく思う。確かに私みたいな小娘にいきなりどっか行けとか言われたら、男としてプライドが傷つけられるに違いない。
うむ。言葉のチョイスを誤ったかもしんない。
けれどそんな事に今更気づいてももう遅い。言っちゃったものはしょうがない。
ただ先にも述べたように私は引く気はないのだ。
だからここで弱気になるわけにはいかない。
私ははうと一息に空気を肺の中に取り入れた。
「何が朽ち果ててもよ! あんたたちが死んだら後に残された人たちを一体誰が守るってのよ! 真の騎士なら生きてこの国を守り続けなさいよ!」
自分自身、思いの外激昂していることにびっくりした。語気が自然と荒くなってしまつたのだ。
たぶん騎士の言葉があまりにも身勝手すぎると思ったからかな。
正直自己犠牲とか私は嫌いだ。格好つけるにもほどがある。
そんな簡単に命を投げ出すようなことを言わないでほしい。
だけどこの騎士の反応は私の予想とは少し違ったものだった。
騎士の男の人は先ほどまでとは打って変わって哀しそうな表情を見せた。
「フ……そうしたいのは山々だが、私達も一般兵と町の人々を逃がすために残ったのでな。最早退路は絶たれてしまっているのだ」
哀し気な表情に諦めたような微笑み。
この人も出来ることなら生き抜いて、この国を守り続けたいのだということは嫌でも伝わる。
前言撤回。初めから死にたい人なんていない。
ただ彼にはそうなっても構わない程の国へ対する忠誠心みたいなものがあるのだ。
「…………」
私はこの人たちの想いが痛いくらいに解りすぎてしまって。一度目を伏せて黙り込んでしまう。
それから握りしめた拳を震わせては再びゆっくり顔を上げて、にっこりと笑顔を作った。
「しょうがないわねっ。私が何とか道を切り開いてあげるから、その隙に逃げて」
「――っ!? いや、だからっ! お前一人を置いてはいけんというのだ!」
今度はあっちが激昂し始めたけれど、私は食い気味に彼の目の前に人差し指をおっ立てて、チッチッチッと指を振る。
「こう見えても私、ただの美少女じゃないの。シルフっていう風の精霊使いなの。だから正直言って半端なく強いのよ。対魔族っていう意味ではおそらく人類最強に近いかもよ?」
「――っ!? か、風の精霊使いだと!? ……成る程。先程からの驚異的な攻撃。そういう事だったか」
騎士さんは目を向きつつ――この人よく目を向くよね――それでも深く納得したようだった。
アリーシャの時といい、やっぱり精霊の力っていうのはこの世界ではかなりすごい力として通っているようだ。
確かにすごいけどさ、ここまで説得力があられると逆にちょっと引いてしまう。
まあ今は助かるんだけどさ。
「だから精霊の力を全力で使いたいわけ。それにこの数よ。さすがにいくつか取り逃がすに決まってる。そんな時、町の人たちを守る役割の人が必要なのよ。だからその憂いを無くしたいわけ。だからお願い。行って」
「ボクからもお願いするよ。騎士さん?」
いつの間にか私の顔の横に出現したシルフも騎士にお願いする。それを見て驚き、またまた大きく目を見開いた。
どうやら効果は抜群だったみたいた。
それまでは何だかんだ若干半信半疑な感は否めない気がしていたけれど、これでようやく観念したように彼は俯いた。
「む……むう……本当に大丈夫なのだな?」
「だいじょーぶよ。それに一人ならいつでも離脱できるし。あんたたちがいたらそれも出来ないのよっ」
「た、隊長っ! もう持ちませんっ!」
囃し立てるようにレッサーデーモンとの死闘を繰り広げる騎士の一人が彼に呼び掛ける。
呼ばれた彼をやっぱり隊長だったと改めて認識する。
彼は俯いたまま逡巡した後、悲壮な面持ちで呟いた。
「……分かった。頼む……」
「おっけー」
私はサムズアップで返すとにっこりと微笑み、そのまま二メートルほど宙へと浮かび上がったのだ。
それから胸の前に両手を掲げ、ふっと目を閉じマインドを集中させたのだった。
『いいのかい? シーナ』
一瞬外へと出てきたものの、もう私の中へと戻ったシルフ。
精霊はこちらの世界では人を媒介にしてじゃないと存在できない。
外に出続けるのはキツいのだ。
「いいって何がよ」
『いや、ボクの主は無茶するなあと思ってね』
「しょうがないでしょ。騎士さんたちがいい人だって分かったんだから」
『うん、そうだね。でも、君も大概お人好しだよね』
「――うっさい」
私はほんの少し嬉しそうに聞こえるシルフの反応を素っ気なく返しながら、暴風の塊を自身の胸の前で練り込んでいく。
それはどんどん大きくなっていき、暴風のサッカーボールのような玉となった。
「はああああ……ストームキャノン!!!」
私の手を離れたそれは、一直線にレッサーデーモンの群れへと飛んでいく。
地面に着弾したそれは周りにいた者たち全てを呑み込んだ。
「ギュワアアアァッ……!!」
断末魔の悲鳴を上げながら塵と消え行くレッサーデーモンその数数十体。
その後にはレッサーデーモンで敷き詰められていた広場に僅かな一本道が生まれる。私の狙い通り。
「皆今だっ! 走れっ!」
「「はいっ!」」
隊長のかけ声と共に走り出す騎士たち。
流石に行動が早い。言わなくても私の意図を察してくれるのも良き。
こうして少しの隙をついて彼らは広場の外へと躍り出た。
何体かのレッサーデーモンが彼らを執拗に追い回しているみたいだったけれど、もはやそれくらい大した障害にはならないだろう。
「ゴハアッ!!」
彼らを見送る私の不意を突くように、四方からレッサーデーモンが私へと詰め寄ってきた。
「エンチャント・ストーム!」
両腕に暴風を纏わせ、それを一瞬で蹴散らす私。
その凄まじい威力にたじろぐレッサーデーモンたち。
「それじゃああんたたち! かかってきなさいよ!」
「ゴバアア!!」
私の声に呼応するようにレッサーデーモンの群れが襲い来る。
そこからは堰を切ったように次から次へとレッサーデーモンの群れが押し寄せてきた。
というかこんな可愛い美少女に寄ってたかってとかほんとどういう神経してるのかしら。
「はああっ!!」
彼らの攻撃を既の所で避け、避わし、往なし、飛び上がり、次々と葬り去っていく。
『本当にここにいる全てのレッサーデーモンを倒すつもりかい?』
戦いの最中にそう語り掛けてくるシルフ。いや、その話はもう済んでるんですけど。
私は少し、辟易した。
この術を止めるための考え得る他の方法。
それは工藤くん自身の息の根を止めること。
これならマインドの供給源が根本から絶たれるのだ。止まらない道理はない。
きっとこれがどんなやり方よりも確実な方法だ。
だけどそんな選択肢、あって無いようなものだ。
私がどうして工藤くんを自身の手に掛けるなんてことができようか。そんなバカな真似、何があってもするはずない。
だから私はもう一つの無茶を実行することにした。
それはここに現れる魔族を全て倒しきってしまう事。
魔族がどんどん湧いてくるとはいえ、決して無限ではないはず。
それなら話は簡単だ。打ち止めになるまで倒して倒して倒しまくってやればいい。
それがたとえ、千や二千だとしても。
今の私は完全に精霊の力を使いこなせるまでになった。それくらいのこと、やってやれなくはないはずだ。
少なくとも可能性は0じゃない。
これが皆が助かる唯一の方法だというのなら、やってやろうと思える。
「はああっ!!」
私は迫りくるレッサーデーモンをバッサバッサと紙切れのように切り裂いていく。
もう何体倒しただろうか。
五十体を越えた辺りから完全に数えるのを止めてしまった。
「……シルフ、ありがとね。私のわがままに付き合ってくれて。大好きよ」
私はどんな時でも一緒にいてくれるこの小さな相棒を改めて心の底から愛しく思った。
そして、心の底から感謝するのだ。
『……やっぱり君はズルいよね』
「知らなかった? 私けっこうズルい女なのよ?」
顔は見えないけれど、声音から判断するに少し照れているようだ。
何だかんだでシルフはかわいいやつ。
私は飛び散る緑の鮮血に晒されながら一度高く空へと飛び上がり、広場全体を見やる。
広場にいるレッサーデーモンはもう二百体はいるだろうか。
「ブッハアア!!」
「ゴバアッ!!」
そしていよいよその全てが私に狙いを定めたようだ。
中空にいる私目掛けて度々幾条のヒートブレスが飛んでくる。当たりはしないけどね。
けれど、眼下に広がる地獄絵図のような景色に身体が冷えていく感覚を覚えていく。
魔族はそうこうしている間にもどんどん増え続け、広場には収まりきらなくなってきている。ゴクリと自然に喉が鳴った。
何体かは広場の外へと行ってしまったりもしている。
それらのレッサーデーモンは先ほどの騎士たちに何とかしてもらうしかない。
工藤くんは無事だろうかと思う。
視界の見通しが悪すぎて、彼の姿がもう目視できないのだ。
きっとまだあの場所に横たわっているのだろうけれど、近くにいるはずの彼の存在がとても遠くに感じられた。
少し前まではあんなに側にいたのに――。
「ああっ、ダメダメ! こんなんじゃっ!」
私は自分を奮い起たせながら一度思い浮かべた工藤くんのアホ面を脳裏から無理矢理消し去る。
心の中のアイツはいつも通り間抜けな顔で笑っていた。それを、それを取り戻すんだ。
あのバカ。この後マジで往復ビンタだからね。
『シーナ、一応言っておくけど、急がないと魔族が全部出てくる前に、クドーが力尽きる可能性だってあるんだからね』
「――分かってる。けどね、アイツはそんなやわじゃないわよ」
シルフの言葉にいつの間にか自分が少し弱気になってきていることに気づいてハッとさせられる。
いかんいかん。前に、出なきゃ。
こうしている間にもレッサーデーモンは次々と湧いてきているのだ。立ち止まっている場合じゃない。
震える手をギュッと強く握りしめた。
今やっていることは可能性の低い事なのかもしれない。
シルフを巻き込んで申し訳ない気持ちもない訳じゃない。
ただ、ここまで来てはいそうですか逃げましょうなんて。その方が絶対死んでも無理だ。
「――行くわよ」
『うん、行こう』
改めて自分を鼓舞しつつ唇を強く噛んだ。
コイツらをどうにかして絶対に工藤くんを助ける。
私は諦めない。
諦めることなんて絶対に、死んでもしないんだから。
どうしようもないくらいの気だるさに苛まれながら、俺はゆっくりと目を開けた。
けれど目の前は光で眩しくて、景色がよく分からない。
確か俺は犬っころと一緒にいて、それから――。
記憶を手繰り寄せようとするけれど、未だ微睡みの中。思うように現状と過去が繋がらない。
ここは一体何処なのだろうか。仰向けに寝転がりながら背中に冷たいアスファルトの感触がある。
外なのだろうか。
見上げた先には夜空が広がり、こんな時だってのにどうしようもないくらい美しいって思ってしまった。
久しぶりに見た星々の瞬きに目を奪われてしまうんだ。こんなにも色鮮やかな星が瞬く空は久しく見ていなかったから。
――色のある……世界?
そこに来てようやく気づく。
自分がいる場所は確か牢獄の中だったはず。それに色も無ければ手足の自由も利かぬ状態のまま何日も過ごした。
そことは今、全く違う状況の中にいる。
「ゴハアッッ!!」
「うおわっ!?」
突如視界に映り込んだ魔物の姿に目を見開いた。
全身毛むくじゃらで翼の生えた魔物。獰猛な爪と、鋭い牙の生えた口からよだれを垂らしながら俺に近づいてきた。
明らかに俺を襲うつもりだろうから身を捩ろうとするも体が一向に動かない。
「クソがあっ!!」
万事休す。そう思ったけれどその魔物の大きな手が俺の顔面目掛けて振り下ろされた時、目の前の光に阻まれてここまで届きはしなかった。
「ゴハアッッ!!」
それでダメージを受けたのかそいつは後退り、どこかへ移動していった。
「ここはっ……!? ――一体なんだってんだ!?」
すぐに上体を起こして周りを確かめようとするが、うまくいかなかった。
ただ、周りに視線を巡らせるとさっきの魔物はそこかしこにいるではないか。
「――この光のせいなのか……?」
先ほど魔物から俺を守ってくれた光。
たが同時にそれは俺自身を縛りつける檻のようでもあるのだ
「――う……く……」
改めてそれを認識した途端、再び目を覚ました時のような強い倦怠感に見舞われた。いや、改めてそれを認識したと言った方が正しいか。
最初からずっと倦怠感は感じていたのだ。ただあまりにも必死になってそれを一瞬忘れていただけのこと。
更に強いめまいを覚え、力が抜けていくような感覚があった。
――苦しい。
「ぐ……ああっ……俺は……一体どうしちまったんだ……」
光の輝きが増すのと同じように増していく苦しみ。
絞り出すように声を発しながら、気を失う直前の記憶が甦ってくる。
確か男が一人、牢獄の中へと入って来た。
そして確か怪しい煙を嗅がされて眠らされてしまった。
「――くっ……苦しい……」
本格的に自分の力が失われていくのを感じる。
その苦しみを味わいながら、沸々の胸の中に湧き上がってくる感情があった。
恐怖だ。
「俺は……このまま死ぬのかよ……」
せっかく取り戻した意識が再び遠退いていくのを感じながら、今意識を失えば本当に終わりなんじゃねえかと思う。
嫌だ――俺はまだ――。
「――っ」
その時、喧騒の中で何かのを聞き取った。
これは……誰かの……声?
まさかと思い、けど俺はその声に一縷の望みを抱きながら何とか少しだけ首を捻り横を見た。
俺の周りの夥しい数の魔物。それは変わらない。
だがその中で魔物以外の何か、いや、誰かがいるのが分かる。
その内魔物の何体かが吹き飛び砂のように霧散した。
間違いねえ。誰かがいる。
そう思いながら、俺はその誰かが誰なのか。一瞬で感じ取ってしまった。
よく分からねえ。状況も、俺の身に起こっていることも。
だだ、俺はたぶん、悪い奴に捕まっちまって、きっとそれをどうにかしようと踏ん張ってくれてる奴がいるんだよな。
そんでもってそいつが誰なのか。俺はよく知ってる。
「工藤くん!!」
闇夜を切り裂き、文字通り魔物をも切り裂いて、目の前には今、彼女の姿があった。
「椎名!? 椎名ぁーーーーーーーっ!!」
「相変わらずうるさいわね! 聞こえてるわよ!」
思わず情けない声で叫んでしまう俺の声に、いつもの彼女の呆気らかんとした声が間髪入れず帰ってくる。
たったそれだけの事で俺の心には輝かしい光が灯るんだ。
体にあった倦怠感も嘘みてえにフッと消えた。
本人には絶対に言えねえけどよ、正直椎名のことが女神に見える。
本当に何年ぶりかのように感じる。
懐かし過ぎて思わず涙が出そうになったけど、それを俺は唇を噛んでグッと堪えたのだ。
私の名前を呼ぶ一日ぶりの工藤くんの声に、少しだけ安堵した気持ちになる。
それと同時に胸が熱くなって込み上げるものがあったけれど、私はその気持ちをきゅっと唇を引き結んで押し殺した。
『シーナ。クドーが目を覚ましたけどさ、悪い知らせだよ』
「わかってる」
というのも、彼が目を覚ました途端魔族の出現スピードが明らかに早くなったのだ。
ここまで私は現れた魔族をすでに百体以上は葬ってきた。
それでも魔族が出てくるスピードは予想以上に早かった。今では百数十体にも及ぶ魔族がこの広場に蔓延っているのだ。
このままでは魔族が増え続けてどうにも出来なくなるのも時間の問題だ。
一番問題なのは私のマインド。
ここまで一日中マインドを消費し続けている。
途中回復を入れたりはして、更に今はシルフの恩恵を受けているとはいえ流石に底が見えてきた。
体も度重なる戦いやここまでの移動による酷使が響いてきて疲労も色濃い。
生傷も増え、血が流れ、体の感覚も曖昧になってきている。
そんな折、目の前にレッサーデーモン数体のヒートブレスならぬヒートビームが迫った。
あまりにもタイミングがドンピシャすぎて回避が遅れてしまう。
「あつっ……!!」
咄嗟に体を捻るも左腕に痛烈な一撃を食らってしまう。
いくら覚醒で体が強くなっているとはいえ生身の人間ということに変わりはない。
「――くっ……うう……」
『シーナ!?』
下手を打った……。このダメージはデカい。
左腕に鋭い痛みが走り思うように動かせなくなる。
これじゃあ正直使いものにならない。
さらに今の衝撃で体が流されて、その隙を縫うようにレッサーデーモンが私に殺到してきた。
「くっ……! ストーム・バレット!!」
捻りを加えながら数発の風の弾丸をやけっぱちのように放ち続ける。
マインドの無駄使いと言えるかもしれないけれど、もはやどこを狙っても魔族魔族魔族。ボーナスタイムに突入して撃ち殺し放題となっているのだ。何をどうやっても外すことの方が難しい。
「はああっ……!!!」
バスバスと弾丸を撃ち続け、一気にレッサーデーモン数十体を葬っていく。
私はひたすらに撃ちまくった後、一度広場に着地し顔を上げた。
「――くっ……」
私は目の前の景色に愕然となる。
あれだけのレッサーデーモンを一気にに葬ったというのにまだまだ後から後から魔族は押し寄せ出現し、あっという間に広場を満たしてしまうのだ。
私はほんの一瞬。瞬きほどの時間目を閉じ短い息を吐いた。
「はああああっ……!!!」
そして目を開いた瞬間。いよいよ覚悟を決めてマインドを身体の隅々まで行き渡らせる。
『シーナ! それはいけない!』
シルフは焦ったように声を上げるけれど構わずマインドを注ぎ込む。
そうしなければ、きっと物量に押し流されて捻り潰されるのも時間の問題なのだ。
「ディバイン・テリトリー!」
感知する範囲を広場全体に狭め、その分より強く、より深く、より確かに空間内の情報を感じ取っていく。
それによりレッサーデーモンの動きを完全に読み取ってしまうのだ。
私がこの戦いにおいて今取り得る最善手。
正直もうこの後の事なんて考えていられない。
工藤くんを救い出すという目的をより確実に達成するために全力を注ぐと決めた。
「――がっ……は!?」
けれど唐突に私は猛烈な頭痛に襲われる。
目の前が霞み、思考が強制的に停止しそうになる。
シルフとの契約を結んだ為か、より多くの情報量が一気に頭の中に流れ込んできたのだ。
その結果私の脳が悲鳴を上げている。左腕の痛みなんか消し飛ぶほどに。
けれどその痛みとは裏腹に、広場の全ての空間が自分の身体の一部のように感じられる。
これはすごい。私が通るべき道筋が、一筋の光となって軌跡を描いていると感じられるのだから。
「はあっ!!」
私は吠えながら飛び上がる。
痛みを堪えつつ、光の軌跡をなぞっていく。
頭痛なんかそっちのけ。集中すれば問題ない。
周りの動きが全てスローモーションに見えて、それでも世界はより鮮明さを増していく。
「はああああっっ!!」
下手な技は必要無い。
右手に装着したユニコーンナックルに力を込め、光の筋道にある魔族をただただ作業的に貫いていくだけ。
頭の痛みなんかあってもそんな単純作業の障害になんかならない。
それからほんの数十秒、5分にも満たない時間が流れ――――。
最初に見えた光の軌跡を全て辿り終えた時、そこにはおよそ百体に及ぶ魔族の亡骸が生まれていた。
その直後から光となり消えていく魔族の亡骸。そして再び見える広場の床。
「はあっ……はあっ……はあっ……! ……あぐっ!?」
肩で息をしながら立ち止まる。
領域を展開している以上治まることのない頭痛。
これはもはやこの痛みに耐える自分自身との戦いと言っても過言ではない。
「……くそっ……」
汚い言葉が思わず口から漏れる。
ぼやきたくもなる。だってこれだけの魔族の群れを狩りとっても未だ魔族は増加の一途を辿っている。
それに引き換え私の代償は大きかった。
マインドはごっそり削られ残り半分以下か。予想以上の消耗。
けれど、そんな事が些末に思えるほどに私は最悪の事態を把握してしまう。
領域を展開したことにより、通常よりも感覚が鋭敏になった結果の産物だ。
見えてしまったのだ。
精神世界の景色が。
私がいるこの場所の裏側の世界。そこにあとどのくらいのレッサーデーモンが待ち受けているか。
普段はそこまでは見えないけれど、一時的に工藤くんを媒介として向こうとこちら側の世界一が繋がっているからなのだろう。
で、その数がなんと一万以上。
『シーナ……』
「分かってるわよ!」
私は絶望的な気持ちを胸に湧かせながら、言葉に苛立ちが乗ってすぐに反省する。
シルフに当たったって仕方ないことなのに。
千体くらいなら何とかしてみせるつもりだった。
やってやれないことは無いという確信すらあった。そのくらい強くなったという自負があったのだ。
だから騎士たちを避難させ、一人でも立ち向かおうと思えた。
だけど――。
「なんなのよ……」
悔しさで腕が震える。
魔族はまた私に届かない壁を用意してきた。
私の勇気や覚悟や正義感や、そんなものは全て無駄だと、徒労に終わると嘲笑うかのように。
こうしている内にも魔族はどんどんその数を増やし続け、どういうわけか私の周りに集まるだけで、攻撃の手を休めていた。
「バフォワア……」「ガハアッ」
私を見つめるレッサーデーモンのその表情が心なしか笑っているように見える。
息を切らしてここに留まった私に対して、今この瞬間攻撃の手を止めて私を嘲笑っているのだ。
それは一匹の獲物を、弱者をいたぶる獣のよう。
「くっ……」
そんなレッサーデーモンの群れを見て、私は頭の中が急激に沸騰していく。
「何なのよあんたたち! 私はっ!! 私は絶対に絶望なんかしない! どんな困難でも、諦めてなんてやらないっ! 絶望なんかクソ食らえなのよっ!」
気づいたら心のままに叫んでいた。
ちっとも私らしくなくて、どうかしてるって思うけど、私は切れて心の底からの怒りを声に出してぶちまけていたのだ。
それでもレッサーデーモンの嘲笑は消えはしない。
何ならさっき以上に嬉しそうに見えるくらいだ。この状況を楽しんでる。本当にむかつく。
そんな時だった。
「椎名あああああああっっっ!!!」
工藤くんの叫び声が、レッサーデーモンの合間を縫って、遠くの方から聞こえてきたのだ。
俺は体に何度も力を込めた。
だがどんなに動こうとしても一向に体は言う事をきいてはくれない。
光がどんどんと俺の体から力を奪っていく。時間が経つこどに自身の中に絶望的な気持ちが芽生えていくのだ。
「ディバイン・テリトリー!」
そんな俺の負けてしまいそうになる気持ちを励ますかのように広場に響く声。
椎名の声音は一際力強く聞こえた。
それと同時に嵐のような風が吹き荒れて、物凄い風切り音と共に魔物の数が一時的にすり減っていく。
立ち消えた魔物の合間にほんの一瞬だけ椎名の姿が見えた。
希望とも思うはずの彼女の姿を見て、けれど俺は目を瞠った。
「なんだよ……」
漏れ出た呟きと共に冷や汗が頬を伝う。
心臓がバクバクして取り返しのつかないことをしているような、そんな気持ちになる。
椎名はめちゃくちゃぼろぼろだった。
あいつは俺が想像していたよりもずっと疲弊していて、体中色んなところから血を流しているように見えた。
緑が基調の衣服は赤黒く染まっており、左腕に大きな怪我をしているのか、痛々しく垂れ下がった状態だった。
「うそだろ……こんな……」
あんな体で動いたらヤバくねえか?
ともすれば立っているのもやっとじゃないかと思えるほどだ。
だというのに敵の数は一向に減る気配が無い。むしろ増えていってると思う。
視界を覆い尽くす魔物の量が尋常じゃない。
こんな状態であいつは俺を助けるつもりなのか。
無理だ。たった一人でこの状況を切り抜けて俺を助けるなんて。
心ん中が恐怖に埋め尽くされていく。それは自分が助からないという恐怖じゃねえ。彼女の姿を目の当たりにして真っ先に思った気持ち、それは――――。
このままじゃ椎名を失っちまう。
「やめ……ろ」
絞り出した声はかすれて震えていた。俺自身も疲弊が色濃くなっている。
こんな事で、情けねえ。
「はあああっ!!」
そんな時、魔物の壁ですっかりまた見えなくなったところから彼女の気合いを込めた声が届く。
姿は見えなくとも吹き荒ぶ風が、今も彼女がすぐそこで懸命に戦い続けている事を教えてくれるのだ。
それも俺なんかのために。
荒ぶった風は、まるで最後の命の欠片を燃やし尽くしているような、そんな風に思えた。
「……だめだ……椎名」
胸に熱い想いが込み上げて情けなくも泣いてしまいそうになる。
体が重くて目を開けているのも億劫に感じる。
もう、いい――。
椎名、もう頑張るな。俺なんかのために無茶するな。逃げてくれよ。
俺は最期にお前の姿を見れただけでもう十分だ。
だから、もうこれ以上俺なんかのために傷つかないでくれっ!
「椎名あああああああっっっ!!!」
俺の叫び声に魔物達の動きが一瞬鈍ったかのように思えた。
その隙間を縫って、ほんの少しだけ椎名の姿が見えた。
奇跡的にその合間に彼女の顔が見えて、俺たちは一瞬だけ目が合う。
この機を逃したくはない。
俺はもう一度だけ在らん力の限りを尽くして叫んだ。
「もういい椎名っ! ……逃げろおっ!」