「――アリーシャ、強くなったな」
ベルクートは剣を鞘へとしまい、アリーシャの前に立つ。
今しがたのダメージはすぐに回復したかのように、足取りはもう確かだった。
その表情はどこか満足げで、彼女の事を誇らしく思っているようにも見えた。
「ベルクート、久しぶりだ」
対するアリーシャも柔らかな笑みを見せた。
まるで今の戦いが無かったかのように。
そのまま二人は互いに抱き合い再会を喜びあった。
嬉しそうな二人の表情を見ていると、こんな戦いなど必要無かったのではと思えてくる。
最初から二人の間には強い信頼があるように見えたから。
ベルクートも結局最初からアリーシャを試すというよりは、ただ単に彼女の成長を見届けたいというような気持ちだったのではないかと思えた。
これから来るであろう戦いにアリーシャが通用するかの試験のような。
本来ベルクートからしたら私達など赤子も同然なのだと。そう思えるだけの圧を先の戦いの際、この男は放っていたのだから。
今思えば実際殆ど手の内を見せる事もしなかった。
結局ベルクートが繰り出した技は最初のヒストリア流剣技、山のみだ。
そこまで思考を巡らせ、改めて気になった事がある。
ヒストリア流剣術の技の名前についてだ。
今まで私が目の当たりにしたものが風、火、林、山。
繋ぎ合わせると風林火山という事ではないだろうか。
とすると五百年前にこの世界にいたとされるヒストリアとは、少なくともそれを知る人物という事だ。
だとすればやはり彼も私達のいた世界から来たのではないか。
今から五百年前と言えば西暦千五百年台となる。
武田信玄が歴史上生きていた時代でもあるので、もしかしたら武田信玄本人、などという事もあり得るのではないか。
いや、流石にそれはねいか。せいぜい武田信玄の事を知っている人物、と言う方がしっくりくるか。
まあヒストリアの人物像を知ったからといってどうなるものでもないのだが。私はそんな事を考えずにはいられなかった。
「ベルクート、私達に力を貸してくれないか」
そんな折、暫く談笑をしていたアリーシャとベルクート。
その最中にアリーシャが改めてベルクートに助力を申し出た。
確かに騎士団長が手を貸してくれさえすれば、実質騎士団がこちら側に付くようなもの。形勢はかなりこちらに傾くと言ってもいいだろう。
ライラの手先がどのくらい紛れ込んでいるのかは分からないが、それでも半数以上はこの国の正式な騎士に違いない。一気に戦いが楽になるのは火を見るより明らか。
だが――。
「それは難しいな」
そんな期待とは裏腹に、ベルクートの答えははっきりとアリーシャの願いを拒絶するものであった。
「何故だ!? この国が今どういう状況なのか、ベルクートならば薄々は気付いているのではないか!?」
尚も食い下がるアリーシャ。
だがそんなアリーシャの勢いを受け流すような笑みをベルクートは見せる。
「まあな……。だがすまねえ。無理だな。こっちにも色々あんだよ。大人の事情ってやつでな。俺もあんまり自由には動けねえのさ。だからこうしてわざわざ確かめに来たんじゃねえか」
「確かめに?」
「ああ。結果は期待以上だったよ。こんな短期間に相当強くなりやがったなアリーシャ。合格だ」
ベルクートは頭を掻きむしりながらにこやかに微笑んだ。
この言葉からやはりこの男は最初からアリーシャが裏切っている事など微塵も思ってはいなかったのだと伺い知れた。
先程の自身の考えも的を射ていたのだと思う。
しかしそれでも本当に国の一大事だと言うのならば、彼の言動や振る舞いは何と呑気な事かとも思ってしまう。
彼の一挙手一投足からは危機的な雰囲気は一切感じ取れないのだから。
「ベルクート。助力が得られないのは分かった。だが私達も情報が乏しい。答えられる範囲で答えてほしいことがあるのだが、どうだ?」
仮に手を貸してくれなくても、ヒストリアが今どうなっているかの情報は得たい。
この国の中核にいたであろうベルクートならばある程度の事は知っているはずだ。
「おう、いいぜ坊主。俺が知ってることなら答えてやろう。何が知りたい」
ベルクートは豪快な笑みを見せ、腕を組んでこちらを振り向いた。
彼の体の大きさも手伝い、雰囲気に圧倒されそうにはなるが色々と話してくれるつもりはあるようで安心した。
私はできるだけで平静を装いながらベルクートを見返した。
「この国に関する動向で最も強い発言力を持つ人物とは誰なのだ?」
私達が裏切り者扱いされている現状は魔族の仕業に他ならないだろう。
という事はこの国の実権を握っている人物が魔族である可能性が高い。
その者が私達がターゲットとするべき人物となるだろう。
「――なるほど。そういう奴が誰かと聞かれれば今んところ一人しか思い当たらねえな」
「――ホプキンスかっ」
アリーシャが発した名前にベルクートはこくりと頷き肯定を示した。
「やはりっ……!!」
それに対しアリーシャは苦々しげな表情を浮かべた。
この様子を鑑みるに、どうやらアリーシャも最初からその男を怪しんでいたようである。
「ホプキンスというのは?」
「この国の執政を担っている大臣だ。今回の事件に関する情報もアイツが父上に進言し、私やアストリアが動く事になったのだ。クソッ……私達がいない間にこの国を乗っ取るような真似までするとはっ……下劣な男めっ!」
アリーシャにしては珍しい。眉間に深い皺を寄せて怒りを露にした。
それだけ元々アリーシャにとっても気に入らない相手だったということか。
となると魔族の側は、ライラとホプキンスがまず間違いなく三級魔族という事になるのだろう。
「他にも心当たりはあるか?」
「いや……、どうだかな。王を除いてはたぶんホプキンスより発言力の強い奴はいねえんじゃねえか? こっちもアリーシャとアストリアが国を発ってから城には全く入れてねえんだ。正直情報はそこまで多くねえ。騎士団長と言えど、ただ命令に従う事しかできねえんだよ」
面目ねえと力なく笑うベルクート。
「父上や母上はどうなったのだ!?」
ベルクートが言った王という言葉に反応を示すアリーシャ。要するに実の父の事になる。
父親とは不仲だと聞いていたが、やはり肉親の安否が心配なのだろう。彼女の心の中は大きく揺れ動いていた。
「分からねえ。だが王も一線を退いたとはいえヒストリア流剣術の手練れだ。相手が魔族だとしても引けは取らねえはず。王妃とアーノルドは心配だがな」
アーノルドはアリーシャの弟だと以前旅の道中で聞いたことがある。十二歳だったか。
アリーシャが彼の事を話す様子から、弟からは慕われ、彼女も弟を大切に思っていることが伺いしれた。
王妃に関してはどうだろうか。ただ剣術はやらないとは聞いている。
その二人が魔族に抵抗する事は難しいだろう。
殺されはしなくとも、自由を奪われ捕らえられているということは考えられる。
人質ともなり得るのだから、簡単に殺したりはしないとは思うが。
「あの~、ちょっといいかしら?」
その時加熱する空気を和やかすように、話の途中に手を挙げ割り込んできたのは椎名だった。
皆に注目されると、椎名は得意げに腕を組みつつふんと鼻を鳴らした。
先程まで寝ていた長椅子から起き上がり、椅子の背にちょこんと座る姿がなんだか可愛いかった。
「あのね、ちょうど今、風の能力でヒストリア城内を調べてみたのよね」
「おお、そうだったのか。――で? どんな感じなのだ?」
「うん、どうやら相当手薄みたいなのよね。少なくとも武装した人はかなり少ない。団長さんの言うとおり、ほとんどの兵士は城の外に出払ってるみたいなの。ということは、城に忍び込む絶好のチャンスとも言えるわよね」
「ハハッ。嬢ちゃんはそんな事まで分かるのか」
ベルクートの言葉に椎名は機嫌良さそうにふんと鼻を鳴らしつつ頷いた。
恐らく兵士とそうでない者を剣や鎧に身を包んでいるかどうかで見分けているのだろう。
いくら感知が出来るとはいっても詳細な部分までは難しいような事を言っていた。
明らかに大きななりをしていたり、長細い棒状のような者を持っている者を兵士と断定しているのかと予想した。
「ふふん。それだけじゃないわよ? あとたぶん工藤くんが処刑されるからだと思うんだけど、西の広場に人が集まってるわ。そこにも武装した人がいる」
更に機嫌を良くしながらつらつらとヒストリアの状況を言い連ねていく。
しばらく私は彼女の話に耳を傾けていた。
「あとそれとは別に東の広場にもたくさんの兵士が集まってるわ。これってかなりの数なんだけど、団長さん心当たりある?」
「ああ、それか。この後この国に向かってきてる魔物の群れの討伐を任されててな。そのせいだろ」
「――っ」
ベルクートの言った言葉に私はドキリとした。
その魔物の群れは私達が戦いの後逃げて残してきてしまった者達に他ならないだろうから。一瞬にして罪悪感が胸に広がっていく。
「――じゃあ私たちのせいだね」
「ん? どういうこった?」
椎名も私と同意見だったらしく、そんな呟きを漏らした。
訳が分からずベルクートは不思議そうな顔で疑問を呈する。
「ここに来る前にヒストリアの東の平原で魔族とやり合ったのよ。その時大量の魔物をおびき寄せられて、さすがに無理だって思って逃げてきちゃったのよね。――だから」
「ああ、そういうことかよ。フッ、馬鹿がっ。そんなのいちいち気にしてんじゃねえよ」
ベルクートは椎名の言葉を遮り笑い飛ばした。
「――でもさっ」
「お前みたいな嬢ちゃんが大量の魔物を目の前にして逃げて何が悪いってんだよ」
「――っ……」
「それよかまずは自分の命を優先しろよ。あれは俺達騎士が引き受ける。嬢ちゃんは何も間違っちゃいねえよ」
「――うん、ありがと」
椎名はベルクートの言葉に目を見開き、何か言いたそうではあったが、最後には力なく微笑み頷いた。
ベルクートの言葉には私もいくらか救われた。だがここで心配なのは椎名だ。
彼女は責任感が強い。そして周りで起こる事象の多くを自分のせいだと捉える節がある。
それは単純に格好良く、人として尊敬に値する正義感の強さだとは思うが、時に彼女自身に大きな負担を強いるのではないかと思ってしまう。
――危うい。
そんな所感が彼女の挙動から頭に浮かんでしまうのだ。
「あ、あのさ。で、城の中の話に戻るんだけど、大きな部屋に大きな椅子があるところがあるんだけど、そこって玉座の間かしら?」
椎名の心の中の靄は消えてはいなかったが、ここで話の腰を折っても仕方ないと思ったのか、気を取り直したように続けてベルクートへと話を促す。
「――ああ。そうだろうな」
「やっぱそっか。そこにいるのが王様じゃないかしら。あとその部屋に鉄格子みたいなものがあって、誰か分からないけど何人か捕らえられてる」
「あ、それって工藤くん?」
ふと漏れた美奈の呟きに、私は首を横に振り否定した。
「いや、美奈。工藤はもうじき西の広場で処刑される事になっている。いるとすれば、王妃やアーノルド、若しくは――」
「っ――!! フィリアか!」
私の言葉を受けて今まで黙って話に耳を傾けていたアリーシャが叫んだのだ。
フィリアの名前を呼ぶアリーシャの表情は、いつになく焦りを含んだ苦々しいものであった。
「……フィリア……無事でいてくれ」
そう呟くアリーシャの挙動は侍女に対するそれというよりは、幼馴染みに対し強く心配しているようだった。
実際そうなのだろう。アリーシャはフィリアにはすごく心を開いているようだったから。
「私の予想でしかないが、王は魔族に操られているのではないだろうか。そして、王の発言に異を唱えた王妃を鉄格子の中に拘束しているのだとしたらどうだ。フィリアは工藤と同じように裏切り者として」
流石に王が魔族というのは考え難い。だが話を聞くと王の判断にも今一得心がいかないのだ。
大臣のホプキンスの意見を聞きすぎている気がするのだ。
信頼が強いと言うこと見方もできるが、普通に考えて騎士を城に一切入れないだとか、王妃を牢に閉じ込めるとか。そういった行動を取る王が今正常であるとはとてもではないが思えない。
王が魔族に操られてしまっていると考えるのが一番しっくり来るのではないか。
「とにかく助けに行くとしたら今しかないわよね」
「ああ。どのみち工藤の処刑は止めなければならない。どうせならその混乱に乗じて手薄な城に忍び込み、一気に決着を着けるというのが一番良さそうに思えるのだ」
「そうね。要するに魔族に捕らえられた工藤くんを助けて、アリーシャの家族とフィリアを助けてライラとホプキンスをやっつける、ってことよね?」
「――ああ、そうだ」
椎名がつらつらとやるべき事を重ねるが、改めて聞くと途方もない気持ちになった。
といってもやらないという選択肢は無い。
覚悟を決めるしかないのだ。
「ベルクート。ライラとホプキンスがどこにいるか分からないか?」
「ん? ああ……。恐らく二人共西の広場に来るんじゃねえか? ライラはそこの警護を任されてるはずだし、ホプキンスは処刑を執り行う際に出てくるはずだ」
ベルクートの言葉を受けて、椎名がポンと手を打つ。
「そっか。隼人くん、じゃあ二手に別れましょう。私とアリーシャが西の広場に行くから、隼人くんと美奈は城に忍び込んで皆を助けるの」
「待て待て椎名。流石にそれは危険過ぎるだろう」
椎名の言葉を手で制し、その流れで私は思わず眉間に手をやる。
「何よ……」
本当にこいつは一体何を言い出すのだ。
現在判明している三級魔族と思われるライラとホプキンスの両方がそこにいるのだ。しかもライラの直下の騎士も魔族の可能性がある。
そうでなくとも裏切り者として大勢を相手取る事になるに違いない。
その役目を一身に担うと椎名は言っているのだ。
いくら椎名が精霊の力を使いこなせるといっても容易には許可出来ない提案だ。
「隼人くんが言いたいことも分かるけど。でもさ、実際これがベストじゃない?」
「いや、しかしだな――」
「城が手薄だからって安全とは限らないじゃない。もしかしたら私たちの知らない他の三級魔族が潜んでいるかもしれないし。それを王妃やフィリアを守りながら戦うことになれば、そっちだって決して楽とは言えない」
「――だが……」
改めて現状について考えてみる。
確かに城の中が明らかに手薄過ぎる。罠だと思うのが普通だろう。
だが救うべき人が囚われている以上行かない訳にはいかないのも事実。
結局のところどちらのルートを選んでも決して容易ではないのだ。
勿論全員で一ヶ所ずつ攻略するという手が一番盤石だが、少人数での長期戦になれば結果は目に見えている。
「隼人くん、適材適所よ。多分西の広場はかなりの数の敵を同時に相手取る事になるわ。1対多は私が得意とするところ。対して城の方は手薄よ。いても数人。ならきっと強敵が待ってる。というかそこに魔族側の頭がいるんじゃないかしら? それならバルちゃんの力が適任でしょ? 美奈の魔法の援護もあれば心強いし、万が一怪我しても治せる。2人はラブラブだし」
「いや、だが――」
「2人はラブラブだし」
「いや、そこはあまり関係なくないか?」
「あるわよ。ていうかもうっ。私は何言われてもそうするつもりなのっ」
椎名はいつになく強情な雰囲気だった。
とは言え他にいい案があるわけでも無く。これでは強情なのは私の方なのかもしれない。
「……ちょっとは察しなさいよね……バカ。私があいつを助けたいのよ」
「ん? 今なんて言ったんだ?」
思考しているのと椎名がぼそぼそ言った言葉というのも相まって、最後の言葉を聞き逃してしまう。
「っ!? な、なんでもないわよっ! で!? どうするの!?」
椎名はほんのり頬を赤らめながら慌てたように手を振った。
まあいい。
私はふうとため息を吐いた。とにかくこうなっては何を言っても無駄なのだろう。
その時後ろからポンと肩を叩かれた。振り向いたら近くに美奈の笑顔があった。
「隼人くん、ここはめぐみちゃんに任せよう? 工藤君のことはめぐみちゃんに任せるのが1番だよ?」
「??」
「――美奈、ちょっとうるさいかも」
「ふふ……めぐみちゃん、でも無理しないでね?」
「……分かってるわよ」
二人の間で話はまとまってしまったようだ。
本当にこれでいいのか正直もやもやした気持ちが消えないが、それでも結局のところ椎名の意見は概ね正しいとも思っている。
最後に私はアリーシャの方を見た。
すると彼女もこくりと頷いた。
「私はライラと決着を着けたい。西の広場に現れるというのならその方が好都合だ」
「――うむ、分かった。なら椎名の言うとおりにしよう」
「話はまとまったようだな」
そこで今まで後ろで控えていたベルクートが私の横に立つ。顔を上げると目が合った。
彼はしばし私の顔を見るとニヤリと豪快な笑顔を見せた。
「それじゃあ頼んだぜ。えっと……」
「私は隼人。こっちの二人は椎名と美奈だ」
今更ながらベルクートに軽く自己紹介。ベルクートはまたまた豪快にガハハッ、と笑う。
「そうか。じゃあハヤトとシーナ、それとミナ。手前勝手なのは分かってる。だけどよ、アリーシャを、この国を頼む」
ベルクートはそう言い、今までの横柄な態度とは裏腹にきちんと私達に腰を折った。
急にそんなだから皆恐縮してしまう。
「別に今さらそんな固っ苦しいのはいいわよおじさん。私たちも私たちの都合で動いてるんだから。ウィンウィンってやつよ」
「おじさ……うぃんうぃん……?」
椎名の物言いに面食らった顔のベルクート。流石の団長さんも驚き目をぱちくりとさせていた。
「ガハハッ! よく分かんねえがお前さんたちがいい奴なんだって事はようく分かったぜっ」
「いたっ……馬鹿力……」
ベルクートはまた楽しそうに笑い、椎名の肩をバンッ、と叩いた。
椎名はかなり痛そうに肩をさすっていたが、とにかくベルクートとの関係性が良好に終われて良かったと安堵する。
ふと教会の壁の時計を確認すると、五時半を少し回った所だった。
私はそれを確認しただけで、胸がきゅうと締めつけられそうな感覚を味わっていた。
「それじゃあな、アリーシャ。後は頼むわ」
ベルクートはそれだけの言葉を残し、教会から立ち去ろうとする。
それを何となく皆して追いかけた。
外に出ると、先程とは大分空模様も変化し、薄暗くなっていた。
ちらほらと星が瞬きはじめている。
「ベルクート!」
「ん? まだ何かあんのか?」
去っていこうとするベルクートを呼び止めたアリーシャ。
彼の元へと走り寄る彼女はベルクートとは対照的に緊張の面持ちだ。
「ベルクート。ライラの事、もしかして知っていたのか?」
それは私も気になっていた。
アリーシャはライラが魔族だという事を話の中でさらっと伝えていた。
だがそれに対しベルクートは別段気に留める様子はなかったのだ。本来ならば驚愕の事実だというのに。
「ん? ああ。まあ……何となく――な」
「どうしてだ!? 魔族と知りながら副団長に任命したというのか!? それにっ――私の師にもっ」
「――そうなんのかな」
「――っ!?」
平然と答えるベルクートの様子にアリーシャは信じられないという風に目を見開き言葉を失った。
アリーシャの気持ちは痛く分かる。ともすればベルクートは反逆者の片棒わ担いだと言われても仕方ない所業をしでかしたのではないか。そんな風にすら思うのだ。
ベルクートは改めてアリーシャに向き直り、ぽりぽりと頭を掻いた。この仕草はどうやらこの人の癖なのかもしれない。
「アリーシャ。お前はライラに師事し、この数年剣術を学んだはずだ。それで、どうだった?」
「どう……とは?」
「アリーシャから見てライラは騎士じゃあなかったか? あいつの剣はお前にとって曇りのあるものだったか?」
「っ! そ、それは……」
再びアリーシャは口籠る。彼女の唇が微かに震えていた。
「俺は剣に魅入られ、剣の道に生きる男だ。それはライラも変わらねえさ。そしてあいつの剣は誰よりも優れていた。真っ直ぐだった。そこに魔族だとか人間だとか、そんな問題はねずみの毛程の価値もないと思わねえか?」
「――しかしっ!」
「ああ。だからといって罪もねえ人を手に掛けていい理由にはならねえさ。それは俺の責任だ。そこに対しては今回の件が収まれば進言してきっちり罪を償うつもりだ。だが今あいつが何を想い、何を求めてここまで生きてきたのか。その答えを示し、あいつを導くのはアリーシャ。お前にしか出来ないと思ってる。だから俺はここに来た。アリーシャ、ライラを頼む」
ライラは本来ピスタの街に一人でやって来たわけではない。魔族討伐の名目で数人の騎士達と赴いたと聞いた。
しかし椎名やアリーシャの話では出会った時は一人だったという。
そうなれば必然的に他の騎士達をライラは手に掛けたのだろうと予想できる。
要するにライラは罪もない人々を、自身の隊の人間を手に掛けた罪人ということになるのだ。
この所業は流石に見過ごすことはできない。
一瞬困惑するような表情を見せたアリーシャだったが、少し思案した後、やがてその表情は一点の曇りも無くなったように思えた。
「――分かった。騎士の誇りに懸けて、必ずライラを止めてみせる」
決意を秘めた眼差しをベルクートへと向けるアリーシャ。
どんな困難にも屈せず立ち向かってみせるといった風な彼女の姿勢は、それだけで充分人を惹き付ける魅力があり、また素直に美しいと思う。
そんなアリーシャを見て、ベルクートは満足気に頷き笑った。
「よし、流石俺の見込んだ女だ」
ポンとアリーシャの肩を叩くとベルクートは今度こそ本当にその場を走り去っていった。
町灯りと星明かりに照らされて遠ざかっていくベルクートの背中が無性に大きく感じられた。その背中をアリーシャは黙って見つめている。
「なんだか変なおじさんだったわね……」
腕を組みつつそう呟く椎名の表情は言葉とは裏腹に神妙な面持ちであった。
ふと視線を上へと向けると、空には満天の星が満ちて言葉を失う程に美しい。
本来ならばその美しさに感嘆の声を漏らしたかもしれない。
だが今の私は、これから待ち受けるであろう戦いに想いを馳せ、心臓が苦しいほどにドクンドクンと脈打つのだ。
ヒストリア王国の地下水路。
私達がいた教会の地下に城へと続く広大な水路が広がっていた。
周りが海や川に囲まれている反面、町の中に水路が無かったので違和感は感じてはいたのだが、ヒストリアの地下に流れていたのだ。
アリーシャやマルス神父の話ではこの地下水路は城だけでなく、海や他の抜け道にも繋がっているらしい。
所謂ここは緊急用の逃走経路といった役割も担っているのだ。
羊皮紙に記された簡易地図を頼りに私と美奈は薄暗い石畳の通路をひた進む。
本来ならば真っ暗な通路なのだろうが、美奈の魔力灯で視界は充分に確保出来ていた。万が一魔物や魔族が出て来ても戦いには困らない程に――。
アリーシャは地下水路は一部の者しか知らず、外からの侵入は王家の鍵が無いと容易ではないと言っていた。
なのでここでの戦いはそこまで心配してはいなかったが、今や国の主要人物ですら安心出来ない状況。何が起こるかは分からない。
ましてや感知能力を持つ椎名も工藤もいない状況なのだ。
油断して不意打ちなど食らってしまってはひとたまりもない。
そんな事を考えながら私は美奈を伴い必要以上に慎重な歩みを進めていた。
外ではそろそろ工藤の公開処刑が始まる頃だ。椎名とアリーシャはうまくやっているだろうか。
信頼している仲間とはいえ、たった二人で行かせてしまう事に不安は募るばかりだった。
「美奈、寒くはないか?」
私は横を歩く美奈に声を掛ける。
せめて身近にいる彼女だけは自分がしっかりと守らなければという気持ちと、今の陰鬱とした気持ちを紛らわせたかったのかもしれない。
周りが水に囲まれた薄暗い道。時折奥から髪が揺れる程の風が吹き抜けて来たりもする。
お互い緊張感を持って歩いているとはいえ、肌寒くはあるだろうとは思うのだ。
「――うん、大丈夫だよ?」
そうは言うものの、微かに美奈の肩が震えているような気がした。
恐れや緊張感から来るものかもしれないが、私は羽織ったマントをそっと後ろから美奈に掛けてやった。
「……ありがとう」
そう言い微笑む美奈の表情に、逆にこちらが温かな気持ちになる。
「いや、女性の方が寒がりだというからな。美奈もどちらかと言えばそうだろう?」
「うん、あったかいよ。あと……隼人くんの匂いがするよ?」
「ま……まあ数時間とはいえほぼずっと装着していたからな」
美奈は私のマントに顔を埋め、また嬉しそうに笑う。
そんな仕草がこんな時にも関わらず、堪らなく可愛くて胸が高鳴ってしまうのだ。
しかし中々に少し照れ臭い。こういう感じは久しぶりだ。
それに今この場所はそれなりの暗がり。互いの顔が灯りに揺らめいて彼女の優しい表情が普段以上に魅力的に見える。
そんな折、ふと目が合って見つめ合う形となる。
この状況で何も思わない男などいない。
いや寧ろもうこの状況で少しくらい何かしないと失礼なのではないだろうか。
時間が無いのは承知している。
だが彼女の頬にちゅっとやるくらい、そのくらいは許されてもいいのではないか。
「隼人くん……」
「――っ!」
そんな私の心の葛藤を察したように、美奈が憂いを帯びた眼差しでこちらを見つめ名前を呼んできた。
彼女の頬が朱に染まり蒸気しているように見えるのは気のせいではないはずだ。
『――行くかっ』
私はごくりと喉を鳴らし、その真っ白な頬に焦点を定め、ゆっくりとその白雪の如く柔肌へと自身の顔を近づけていく。
すると美奈もそれを察したのか、首の角度をやや斜め上方へと傾けそっと目を閉じた。
ドキリと心臓が脈打つ。だが私の心はそんな彼女の挙動に一層ざわめき波打つ。
『これはもう口だな。マウストゥマウスでいってしまおう』
自身の目標を彼女のほっぺから口へと方向転換。
そのままの速度を保ち自身の唇の行く末を頬から彼女の唇へと変える。
久しぶりに交わろうとする二つの唇。
それを待ち望んでいるように美奈の唇はいつもよりぷっくりと丸みを帯び、艶やかな憂いを含んでいると感じられた。
やがて二人の顔は僅か数センチまで近づいていき――。
「おいハヤト、ミナよ。完全にウチを忘れておらんか?」
「「~~~~っっ?!!!!!?」」
そうだったのだ。
私達は今、椎名とアリーシャの二人と別れ、美奈とバルの三人でヒストリア城を目指しているのだ。
バルは二人の間に入り一度引き剥がし、そのまま私の目の前に立った。下から私の顔を覗き込み、じと目を向けてくる。
「ふう……。全く、油断も隙もないやつじゃ。警戒して進もうとお主が言うから、ウチも観念しておんぶを諦めたというのに。どうもハヤトはそのおなごの事になると周りが見えんようになるようじゃな。すぐに二人の世界を展開しおって……ってハヤト! 先に行くとはなんじゃ!? ウチの扱いが雑すぎるのじゃっ! 待ていっ! おんぶじゃっ! おんぶじゃーっ!!」
恥ずかしすぎるっ……。
私は凄まじく押し寄せる羞恥の波に堪えきれず、バルを置いてけぼりにしつつ先へと歩いていった。
確かにバルの言うように私は美奈の事になると周りが見えなくなるかもしれない。
そんな反省をしつつ、左手にはしっかりと彼女の柔らかな手を引いているのだった。
まあ直ぐにまたバルに引き剥がされおんぶする羽目になったが。
ヒストリアの城下町、西の広場。
私とアリーシャはこの周辺で一番高い建物、時計塔の屋根から広場を二人眺めていた。
高さは20メートル位だろうか。風もそれなりに吹き荒んでいる。
「……ううう」
三角錘でかなり尖った形をした屋根だから多少足場も悪くさっきからアリーシャはかなりびくついていた。
そんな姿が愛らしくて可愛いらしいと思うのは私だけではないはずだ。
前回ピスタの街を目指して二人で空を遊泳した時もそうだったけれど、アリーシャは少し高いところが苦手らしい。
せっかく広場の様子を監視するためにここを選んだというのに、さっきからぎゅっと目を瞑ったまま弱気な声をあげている。
……ほんとそういうとこ、マジで可愛いすぎるから。抱きしめちゃおうかしら。
「シッ、シーナッ」
「アリーシャ、声が大きいわよ」
「すっ、すまないっ!」
唐突に名前を呼ばれてビクッとなったけれど、震えるアリーシャが面白すぎてどちらかというと笑いを堪えるのに必死になりそうだった。
「い……今広場はどういう状況なのだろうか?」
「えっと……見れば分かると思うけど? 」
目を閉じているから見えないアリーシャは、それでも状況が気になるのだろう。意地悪にそんな返しをしてみるのだ。
するとアリーシャはぐぬぬと声を上げつつ、目を開けるかどうか悩んでいるようで、決心を決めたかと思えば「くふっ」とか「いやしかし……」とか呟いていた。
「あ、そっか。暗いから見えづらいよねっ。私の感知で見た状況を知りたいとか、そんな事よねっ」
「――あっ、そうだ。そうなのだっ。流石に暗くてなっ。いくら騎士でも夜目が利くわけではないからなっ」
助け船を出すと思い切り食いついてくるアリーシャ。きゅっと閉じられた目が可愛いすぎる。
「まあでもほんとは苦手なんでしょ? こういうの」
「そっ!? そんな訳はなかろう!? 高いところが怖い騎士など!? この世に存在するはずがない!」
「アリーシャ。私、高い所って一言も言ってない」
「あ……う……」
さらりとネタバレをすると、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせるアリーシャ。まだちょっと震えてるところが小動物みたいで可愛い。
てか私何回アリーシャに心の中で可愛いって呟いてんのよくそう……。
私は何となく惨めな気持ちになりため息をつく。
「っ!? シーナ、大丈夫か?」
そんな私を気遣うように声を掛けてくれるアリーシャ。
本当は別の意味でついたため息だったのだけれど、なんだかんだ私が落ち込んでいると彼女は思っているみたいで。それが満更でもなく的を射ていたりもして。今はそんな彼女の優しさが実はありがたかったりもしているのだ。
表には出さないようにしてたんだけどなあ。ま、隼人くん辺りには隠しきれてなかった気もするけれど。ていうか美奈も案外そういう事には敏感だったりするから分かっちゃってるかもな。……じゃあ結局全員にバレてんじゃんっ!
「だいじょーぶ! というかそれはこっちのセリフよ。高いところ、苦手なんでしょ。とにかく私が掴まえててあげるから、しっかりしなさい」
「う……分かった」
おずおずと差し出された手を握り、元々私がこんな場所を選ばなきゃ良かっただけなんだけどねと心の中で一人ゴチる。
時計を確認すると指定の時間まではもうまもなくだった。
いよいよ、工藤くんの処刑の時間が近づく。
私は気を引き締め直しつつ、アリーシャの手をきゅっと握りしめた。
それに応えるように握り返してくれるアリーシャの手はすごく汗ばんでいる。
けれどこの時はアリーシャに可愛いとかそういう事は思わなかった。
だって私の掌も彼女に負けず劣らずぐっしょりと汗ばんでいたのだから。
道は意外と単純な構造であった。
途中幾つかあった分岐は今は殆ど使用していないのか、扉や錠が掛けられた鉄格子に阻まれ進む事が出来なかったのだ。
緩やかな追い風を受けながら私達はほぼ一本道と言ってもいい道を慎重に進んだ。
聞く所によればこの道はアリーシャが幼少期から何度も通っていた道なのだとか。
複雑な道なのであれば、子供のアリーシャが利用する事すら憚られていたはずだ。
今さらながらに取り越し苦労だったと思い知らされるのである。
薄暗い地下水路を歩き続ける事数十分。やがて目の前に登り階段が見えた。
「ここ……だよね?」
「ああ。そうだろうな」
私は美奈の言葉に同意を示した。
アリーシャから貰った地図通りに来て辿り着いた場所だ。ここを上がればヒストリア城へと侵入出来るのだろう。
ここまで何事も無かっただけにほんの少し拍子抜け感は否めなかった。
「よし、行くぞ。美奈」
「――うん」
緊張する美奈を引き連れ、一歩一歩ゆっくりと石段を登っていく。
ここを登りきればいよいよ城の中。
改めて気を引き締め直さねば。
「――っ」
私は未だ緊張した面持ちの美奈の手を取った。
彼女の緊張をほどいてやりたいという気持ちもあったが、自分自身もここに来て再び心臓が脈打つのを感じていた。
頬に冷や汗が伝い、また先程の城下町での出来事が思い出されてくる。
私はこの先、嫌でも人を斬らなければならなくなる自体が発生してまうかもしれないのだ。
そう考えてしまうと何とも言えない苦い気持ちになった。
出来るだけ命に別状が無いようにはするつもりだが、先程の騎士達の動きを鑑みるに正直そんな生温い芸当が出来る相手とは思えない。
全力で行かねば命を絶たれるのはこちらの方である。
万が一負けて捕らえられたとしてもそれは同じ。魔族が国を牛耳っている以上敗北は即死に繋がるのだ。
「隼人くん?」
不意に私の手がきゅっと握りしめられる。振り向けばそこには心配そうな美奈の顔があった。
「大丈夫。私たち、力を合わせてここを乗り切ろう?」
「――ハヤト。大丈夫なのじゃ。ウチもおる」
彼女を安心させるつもりがこちらが助けられてしまった。そこにバルも便乗して声をかけてくれる。
我ながらこれは流石に情けない。こんな事では駄目だ。
私は一度目を閉じふうと長い息を吐き、そして目を開く。そこには未だ心配そうな美奈の顔。私は薄く微笑み彼女と、そしてバルの頭に手をやる。
「済まない、美奈、バル。もう大丈夫だ」
ここまで来たらいい加減覚悟を決めろ。
私は決意を新たに拳に力を込めた。
そのまま振り返り、いよいよ目の前に立ち塞がる木製の扉を見つめた。
扉の前に立ち、念のために耳を当てて向こう側の気配を確認してみる。
扉の向こう側は鎮まりかえっているようで何も物音はしなかった。振り返り、私を見つめる美奈とバルを順番に見つめ、頷く。
「では行くか……」
「うん」「うむ」
私はアリーシャから受け取っていた王家の鍵を懐から取り出し、鍵をゆっくりと鍵穴に差し込んだ。
鍵を回すとカチャリと小気味良い音がして、すんなりと扉は奥へと開いていった。
中はここまでと同じように暗く、光が射し込むことはなかった。
美奈が隣に立ち、魔法の灯りが照らす。
通路を見渡すと鉄格子に塞がれた小部屋が幾つも並んでいた。
「牢屋……?」
美奈の呟きに私も同じ所感を抱く。
だが長い間使用してはいないのか、どの部屋も人が入っていた形跡は無く、じめじめとしている。
少なくとも数ヶ月は誰も捕らえられたりしていないのではないだろうか。
そもそもここはアリーシャが気軽に抜け道として使っていたらしいのだ。使用頻度自体昔から少なかったのだろう。というかもう使っていない?
私は地下水路の地図を懐にしまい、同じ場所から今度は別の地図を取り出し広げる。今度はヒストリア城の見取り図だ。
こちらはアリーシャの手書きだ。かなり大雑把でお世辞にも上手いとは言えない。
貧弱な線がみみずのように這い回り、それでも目的の王のいる広間へはほぼ一直線なようであったので、迷う心配は無さそう、というか申し訳ないがこの地図は必要なさそうだ。
「――ふっ……」
「隼人くん?」
「あ、いや、何でも無いのだ。少し可笑しくてな」
「???」
本当にこの国のお姫様は可愛らしい。
そんな事を密かに思いつつ、私はその見取り図を再び懐にしまい込んだ。
「美奈、バル。行くぞ」
進むこと一分程度。すぐに牢獄の入り口近くまで来た。
そこで私はピタリと歩を止める。美奈も察したようで私の肩に手を添えてきた。
「隼人くん。――誰か、いる?」
急に耳元で囁かれたので耳がくすぐったい。というかきゅんきゅんするのでこんな時にやめてくれ、とは思ったが流石にここでそんな事はおくびにも出さない。
どうやら入り口側の牢屋の中。
静まりかえったその空間に人の気配を感じるのだ。間違いなくそこに誰かいる。
別に牢に囚われている者に見つかった所で出来る事は無いに等しい。
別段気に留める必要は無いのだが、念のため牢屋からは距離を取り、慎重に中を伺う。
向こうはまだ私達の侵入には気付いていない。
見れば囚われていたのは二人。女性と子供だった。
どういった身分の者かは分からないが、少なくとも貧困な出自の者では無さそうだ。
そこで私はピンと来た。
身に付けている衣服が明らかに王族のそれ。私は思いきって二人に声を掛けてみることにした。
「もしかして、アリーシャの親族か?」
「……? 何者ですか?」
女性の方が声を上げた。
その声音は毅然とした響きを持ち、それでも彼女の心の色は不安と少しの怯えを含んでいた。それをおくびにも出さないのは見事だ。
男の子の方は明らかにビクついて、女性の体をぎゅっと抱き締めている。胸の中は不安と恐怖でいっぱい――といったところか。まあまだ子供だ。仕方ないだろう。
「アリーシャの仲間だ。二人に危害を加えるつもりは無い。少し話を聞きたい」
「アリーシャの――」
私の言葉に逡巡しているようだ。
「一応確認しておくのだが――あなた方はヒストリア王国の王妃とそのご子息ではないか?」
そこで後ろにいる美奈が「あっ」と声を漏らす。ちょっと察しは悪いがそれはそれで可愛いのでオーケーだ。
「……いかにも、私達はヒストリア王国の王妃メイサと息子のアーノルドです」
「――なるほど。――あなた方の事は大体わかりました」
一頻り自分達の事を話し終え、メイサ王妃からそんな言葉をもらった。
私がこの場で話した事は自分達が予言の勇者である事。今は別行動だが、アリーシャと行動を共にしている事。連れが処刑されようとしている事。魔族がヒストリア王国を裏で牛耳っている可能性が高い事などである。
当初二人にあった疑念や猜疑といった感情は消えたのではないだろうか。
メイサ王妃は自身も思う所があるのか、余り驚きもせず、終始私の話に耳を傾けてくれていた。
そもそも王妃という立場の者がこのような牢屋に入れられていたのだ。
それなりに理由はあるのだろうが恐らくは魔族の仕業。
私の話に多少なりとも合点が行く部分があったのではないだろうか。
「それで、メイサ王妃とアーノルド王子は何故ここに?」
王妃は暫し俯き黙している。
薄明かりの中でその輪郭だけが浮かび上がり、少しアリーシャに似ているなと思った。
「――私達はこの国の王、アンガスに投獄されました」
「アンガス王ですか……」
訥々と語る王妃の顔は憂いを帯び、哀しみが滲んでいる。
黒幕はアンガス王。アリーシャの実の父親でもある。
アリーシャ――。
彼女はライラの裏切りに合い、更には父親にまで裏切られたというのか。
それを彼女が知ったらと思うと、その哀しみは計り知れなかった。
「アンガスは変わってしまいました」
「変わった?」
「はい。大臣であるホプキンスの言う事を何でも鵜呑みにし、その通りに動くようになってしまったのです。それまでは何事もご自分の意思で決定なさるお方でしたのに……」
「それはいつ頃からですか?」
「……アストリアとアリーシャを使者として国から発たせた頃からのように思います」
「――ふむ」
ホプキンスとは、ベルクートも言っていた魔族だと思われる相手だ。
その話からアンガス王は魔族に操られている可能性が高いと推測する。
だとすればどうにかしてそれを解く方法さえ分かれば、アンガス王は救えるかもしれない。
「以前はホプキンスからの進言も、違うと思うような事は受け入れる事はありませんでした。誇り高く、強い意思を持つ方ですから。今回の勇者の処刑というのもホプキンスが言い出した事です。裏切ったという証拠など何一つ有りはしないのに、裏切り者と決めつけて、予言の勇者様を処刑するなど到底許される事ではありません。この事が他国に知れ渡れば、当然歪みや衝突も生まれるでしょう」
確かに予言の勇者というものが人々の希望となっているのならば、勝手に処刑などすれば国家間の問題や争乱の種となり兼ねない。
そうでなくとも今回の件は余りにも事実無根。証拠不十分なのだ。人道的でも無い所業だろう。少なくとも国民からの反感を買うだろう事は容易に想像出来る。
私は先刻広場での処刑に対する町の人々の反応を思い返しながらそんな風に思う。
「ところでメイサ王妃は何故こんな所に? ――ああ。処刑に対し異を唱えたら投獄される結果となった、というような流れでしょうか?」
質問しておきながら私は自身でその答えに辿り着く。
今の話を聞けば、二人が投獄されたおおよその理由が予想出来てしまったのだ。
「はい、そうです。更に娘のアリーシャも共謀して裏切り者扱いされ、我慢なりませんでした。いくらこれまで国の繁栄のために尽力してきてくれたホプキンスと言えども実の娘を侮辱するなど。確かにあの子は昔から色々と私達と意見の食い違いのようなものは起こして来ましたが、そんな人の道に外れたような事をする子ではありません。特に騎士となってからはこの国の為に尽力してくれているのが分かりました。そこからは女という身でありながらも剣の道を行くあの子を見守っていこうと決めたのです。そんなアリーシャがこの国を簡単に裏切る筈がありません」
「――――」
思いの外熱く実の娘の事を語るメイサ王妃。
それはアリーシャから聞いた話とは少し考えが相違するものだった。
アリーシャはきちんと親の愛情を受けている。些末に扱われてなどいない。
そう思える発言だった。
「ぼ、僕も姉上の事は尊敬しているんだ! 姉上が裏切るなんてあるものか!」
今まで王妃の後ろで黙っていたアーノルドも急に前に出てきて力強く答えた。
「そうですか。分かりました。では私達はこれからアンガス王を救出に向かいます。戦いになるかもしれません。お二人は危険ですから地下水路を通ってマルス神父がいる教会まで行ってくれませんか?」
「え!? お兄ちゃん達が安全な所へ連れて行ってくれるんじゃないの!?」
アーノルド王子が不安気な表情でそう聞いてくる。
私はアーノルド王子の目線に腰を下ろし、彼の目をじっと見た。
王子はというと今の私の様子に気圧されたのか、再び王妃の後ろに引っ込んでしまう。
「アーノルド、今は国の一大事なのだ。私達は一刻も早くこの国を牛耳る魔族を倒し、アンガス王を救わなければならない。今は少しでも早く前に進みたいのだ。だからお前が王妃を守ってやってほしい」
「ぼ……僕が?」
王妃の陰に隠れっぱなしのアーノルド王子は明らかに怯えた表情である。胸の中は不安で渦巻いていた。
「お前の尊敬するアリーシャも、今この国を救う為に命を懸けて戦っている。そんな姉と同じように、アーノルドも一緒に戦ってくれ」
そう言い私はネストの村で貰った短剣を取り出し、アーノルドに渡してやった。
「何かあればこれを持って戦うのだ。お前もいずれは騎士になるのだろう?」
アーノルドは短剣を恐る恐るながらも受け取り、しばらくその刀身を見つめていた。
だがやがて意を決したように拳を握り締めて前を向く。
「――うん……! わ、わかったよ!」
流石アリーシャの姉弟だ。正義感が強い。
「よし、頼んだのだ」
まだまだ頼りないかもしれない。だがその瞳には確かな決意の炎が灯っていると確信した。胸の中も同じようにゆらゆらと赤い炎のような揺らめきが見て取れる。
ここから教会までは今通ってきたところだが何の害も無い。概ね問題はないだろう。
「よし、では少し牢から離れるのだ」
私は二人が数歩後ろに下がるのを確認し、腰のツーハンデッドソードを引き抜いた。
「――はっ!!」
気合いを込めて放った太刀筋は見事鉄格子を一刀両断し、破壊することができた。
その際にはかなり大きな音がして、誰か見張りが駆けつけて来やしないかと肝を冷やしたが、今は本当に城に人が居ないらしい、特にそういった事は無かった。
「それでは頼みましたよ。勇者様」
去り行く背中を見つめながらこくりと相槌を打つ私と美奈。
「……なんだか思ったよりすごくいい人たちだったね」
「ああ、そうだな」
美奈の言葉に私も自然と頬が弛む。
まずはアリーシャの親族が無事だった事に嬉しさが込み上げる。
「さあ、では行くか」
「――うん」
二人を見送った私達は改めて王のいる広間へと歩を進めるのだった。
ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……。
まるでお寺の鐘の音のように重厚な音が頭にズンズンと響き渡る。
さすがにこんな間近だとうるさすぎて耳を塞ぎそうになるけれど、私たちが今いる場所は如何せん足場が悪い。
取っ掛かりに捕まっていないとうっかり足を滑らせて落下してしまうおそれすらあるのだ。
でもその辺は致し方ない。ここが一番広場を見渡せる場所だったし何よりこの時計塔のデザインが良かった。
この尖塔、なんかかっこいいのだ。
ここにすっくと立ってるだけで、何だかちょっとヒーローっぽいし。
まあまさかアリーシャがここまで高い所が苦手たとは思わなかった。
隣で未だ怯えたように基本目をギュッと閉じ震えているアリーシャを見て流石に申し訳なく思った。
それでも彼女の小動物みたいに怯えた姿はとても可愛らしくて眼福だ、ってそれはちょっと性格が悪いかもしれない。
『ホントに君ってやつは……』
「何よ……」
「ん? な、何か言ったかシーナ」
「あ、ごめんごめん。こっちの話」
「??……」
思わず声が漏れてしまった。
アリーシャに怪訝そうな顔をされてちょっぴり反省。
私と契約を結ぶ精霊、シルフは常に私の中にいる。脳内に響く声は私自身にしか聞こえない。
そりゃ声を出せば近くにいる人は自分が話しかけられたか独り言でも呟いているのかと映るに決まっているのだ。
その辺意識して気をつけておかないと危うく独り言の多い変人扱いされかねないなと改めて認識する。
「――いよいよね……」
私の横顔を見ていたアリーシャは黙ってこくりと頷いた。
そんな折、六度目の鐘が鳴った。
工藤くんの処刑の時がついに訪れたのだ。
空は既に宵闇で、星が瞬き町にはあちこちに魔力による灯りが灯っている。
それによって思っていたよりも視界は良好ではあるものの、広場には特に変わった動きはない。
数分前から広場の様子を伺っていたけれど、そこには数十名の兵士と騎士がいて、心なしか落ち着かないように見えていた。
町の人々もいるにはいるけれど、興味本位で集まった数名の人だけ。
数刻前の騒ぎがあったためか、外にいるよりも家の中にいた方が安全と考える人の方が多かったのかもしれない。
鐘がやんでしばらく経つけれど、時間を過ぎても工藤くんはおろか、ライラやこの処刑を仕切るはずである大臣のホプキンスすらも見当たらない。
――――もしかして嵌められた?
一瞬過る良からぬ発想。
処刑の情報はブラフで実は他に狙いがあるのだろうか。
そんな焦燥感と不安感が胸に渦巻きはじめる。
けれどそんな逡巡はすぐに杞憂に終わったのだ。
「アリーシャ、あの壁のところ見てっ」
突然広場を囲うように設置された石造りの壁の前の空間が歪んだのだ。
これには見覚えがある。
以前グリアモールという魔族と戦った時。突如空間を歪めるようにして彼め姿を現していた。
この独特な出現方法が高位な魔族の移動手段というわけなのだろう。
やはりと言いますか。そこから現れた件の三人。無意識にごくりと唾を飲み込み喉が鳴った。
「ホプキンスだっ」
アリーシャが先頭の男を見て声を上げた。
ヒストリア王国の大臣というだけあって、豪奢な装飾に彩られたローブを身に纏っている。
丸眼鏡の奥の瞳はギラギラと溢れる野心と傲慢さを讃えているようだった。口元には薄ら笑いを浮かべて、見るからに悪党面。気持ち悪い。
「シーナ、ライラとクドーもいる」
アリーシャの言葉にこくりと頷く私。
ホプキンスの後ろにはライラと彼女に肩から担ぎ上げられた工藤くんの姿があったのだ。――ようやく見つけた。
ライラに担がれている工藤くんはピクリとも動かない。気を失っているのか。――まさか死んでる、なんてことないよね?
――そんな事を考えて私は首を振る。バカ言ってんじゃないわよ。悲観的に考え過ぎて自滅とかバカかっての。
私たちをおびき寄せるためのエサを殺すとかあり得ないでしょうよ。
急に震えそうになる体を無理矢理手で抑えつけて、私は強く唇を噛んだ。
ヒストリアの兵士たちは、いきなりの三人の登場に酷く困惑しているようだった。
空間の歪みから現れたことは見ていなかったと思うけれど、この人たちどこから? といった感じだろうか。
「シーナ、助けよう」
アリーシャの言葉に私は我に帰る。どうやら思考の海に沈みすぎたみたいだ。
「うん、だけどちょっと待って。もう少し様子を見たい」
ここは一旦慎重に。相手がどう動くか確認してからでも遅くはないと思うのだ。
「……分かった」
アリーシャは逡巡した後、私の意見に従ってくれた。
とりあえずライラの姿を見ても冷静さを失うなんてことはなさそうだ。
そんな事を思いながら私は広場に目を向け続けていた。
このままではライラと工藤くんがあまりに密着し過ぎている。さすがにあの状況からライラをから彼を奪うのは至難の業だ。
けれど処刑というくらいなのだから、どこかに工藤くんを置くはず。
狙うならその時だ。私はゆっくりとした動作で動く二人の様子を伺っていた。
ライラはそのままホプキンスを追い越して広場の中央へと歩いていく。その様子をホプキンスも兵士の前に立ち止まり見つめていた。相変わらずその表情は薄ら笑いを浮かべていて気味が悪い。
程なくして広場の中央へと辿り着いたライラ。そこで工藤くんを石畳へと寝かせた。
その瞬間――。
どくんと心臓の鼓動が脈打つように広場全体が揺らいだ。
そこから突然命を吹き込まれたように周辺が蠢きだしたのだ。
「――な、なんなのこれっ!?」
「分からない!」
突然の出来事に慌てふためく私とアリーシャ。
時計塔も激しく揺れて、危うく滑り落ちそうになるのを風の補正で正した。
その直後、眩い光が目に飛び込んできた。
それは工藤くん自身から発せられているようで、彼の姿がたちまち見えなくなり、光が広場全体を呑み込んだのだ。