「のどかじゃの~」

「うむ。確かに……長閑過ぎる程にな」

バルが不意に緊張感とは無縁な台詞を呟いた。
陽光に照らされる石造りの町並みを二人、手を繋いで歩いく。そうしていると不思議と和やかな心持ちになるのだ。
この国が魔族の手によって、今正に平和が脅かされようとしているなどとは決して思えない程の優しい空気が流れている。
私もゆったりとバルと散歩をしに来たような気分になってしまっていたのだ。
いやいや。首を振りつつ我に帰る。
今も魔族はこちらの様子を伺っている可能性すらあるのだ。
常に周りに気を張り巡らせ、少しでも異変や異常がないか。そういった事を見過ごさないようにするべきだ。
今更ながらに私は改めて気を引き締めようと踏み出す足に力を込めた。
そのまま暫く進んで行くと、やがて少し拓けた広場へと出た。
ここも他と同じように人々で賑わっている。
ベンチに座って日向ぼっこをしているお年寄り。追い掛けっこをしている子供達。先程のような屋台もけっこう展開されていて、ともすれば小さなお祭りのようにも見える。
更に視界を広場の奥地、東の方向へと向ける。
するとこの場所から建ち並ぶ町の建物の隙間から、重厚にそびえ立つヒストリア城が見えた。
流石に数十万の民が暮らす国の王城だけあって圧巻のスケールだ。
高さこそ私達のいた世界の高層ビルなどには敵わないが、石造りの青と白を基調にしたコントラスト。
お城ならではの尖塔の美しさには目を奪われずにはいられない。
それにこの位置から見える部分が城の全体のどのくらいなのかは定かでは無いが、窓の数は優に百を越えているだろう。それだけで城の大きさが計り知れないものと想像できた。
敷地内には騎士の訓練場や大広間、礼拝堂なんかもあるとアリーシャから聞いていた。
少なくともこの城だけで軽く千人以上の人が暮らしていける広さなのではないだろうか。

「ん? ……どうしたバル?」

思考の海に沈んでいると、急にバルが立ち止まり一点を見つめている。
彼女の視線を辿ってみるとそこは広場の中心にある騎士の像であった。
全長五メートル程。この国の創始者、アレクシア・グランデだ。

「アレク……」

「バル?」

バルが今この像を見て確かにアレクと口走った。
バルはこの男の事を知っている?
そう思って呼び掛けたが彼女は像を見てぼうっとしているようで、私の呼び掛けには全く気付いてはいないようであった。
その時だ。
広場にざわめきが生まれ、城に通じる大通りから数名の兵士と騎士がこの広場へとやって来た。
その表情は険しく、一体何事かと町の人々も様子を伺っている。
やがて彼らはアレクシア像の前に立ち止まった。

「皆の者! 聞くがよい!」

騎士の一人が大声を張り上げた。
それにざわめきが一瞬にして鎮まる。

「本日の夕刻、六の時に予言の勇者と思しき者を西の広場で処刑する!」

勇者ということは十中八九工藤の事だろう。
騎士の宣告に町の人々もざわつき始める。

「勇者様を処刑? 一体どういう訳なんだい!? 勇者様ってのは魔族に対抗し得る希望だってえことは、国民の誰もが知る常識だと思ったんだけどねえ?」

恰幅のいいおばさんが得心のいかない様子で兵士へと疑問を投げ掛ける。

「ピスタの街で昨日魔族の群れが大量発生するという事件が起こった。その首謀者がアリーシャ姫率いる予言の勇者の一行だという事が判明している」

「勇者が首謀者!? それにアリーシャ様までも!?」

広場に強いどよめきが走った。
感心している場合ではないがなるほどと思う。
こうして魔族は私達に不利な状況を作り出す魂胆なのだろう。
更にこうした情報操作をする事で私達が町の人々や騎士達と結託して魔族と戦う事をさせないという事にも繋がる。
さあどうするか。
疑いを晴らすにしても証拠が不十分だ。
勿論私達が裏切り者だという証拠も無いが、人を疑心暗鬼にさせるにはそれで十分なのだ。
それに今私がここで勇者だと名乗り出て、私は裏切ってなどいないと主張したとして、更に疑心暗鬼にさせる結果にしかならないだろう。

「そして我々は、ピスタの街で警護に当たっていた副団長率いる騎士団でそれを収め、多大な被害を被りながらも勇者を一人捕らえたのだ。奴等はその者を追い掛け、裏切り者のアリーシャと共に現在この国に潜伏中とのことだ。よってこれから我々騎士団は町の警護に当たる。皆はこれから外を彷徨かず、家の中で待機するように」

そこで騎士からの伝達は終わったようであった。
だが数人の町人が騎士達へと群がり、身動きが取れずにいるようである。
抗議の声を上げる者、疑問を投げ掛ける者、様々であったが確実に納得している人は余りいないように見える。
その証拠に騎士達の指示通り家へと帰っていく人は殆ど見当たらない。
私はこの一連の流れを確認しながら一度皆の元へと戻り、作戦を立てるべきだと思った。

「バル、一旦皆の元へ戻ろう」

「うむなのじゃ」

身を翻し来た道を戻ろうとする。

「おいお前」

その時後ろから声を掛けられた。振り向くと兵士が一人私達を見ている。
私はその兵士を見て戦慄した。
その男は魔族だったからだ。
明らかに皆と違う心の色をしている。
どす黒く、深い闇が底知れず胸に渦巻いているのだ。
その兵士は私を見てニヤリと笑う。

「少女連れのツーハンデッドソードを携えた男、お前が予言の勇者だな!?」

その男の声は何故か広場によく通った。周りの視線が一斉にこちらに集まったのだ。
そこで完全に謀られたと気づく。
私が町を彷徨いていた事は全てお見通しだったのだと。
それを分かった上で今まで踊らされていたのだろう。

「――くっ!」

私は考えるよりも先に体を動かした。
とにかく今は全速力で来た道を戻る。

「待てえっ!! おいっ! あいつを捕えろおっ!! 勇者だっ!!」

私は後ろを振り返る事なく今来た道をひた駆ける。
町には長閑な空気が一変、驚きとどよめきの声が溢れかえっていた。