突如として魔族から黒いオーラのようなものが立ち昇る。
禍々しい揺らめきが黒い煙のように可視化され、おぞましい死神のように見える。
息が詰まり、冷や汗が頬を伝っていく。
肌で感じる。やはりこの魔族、四級魔族などとは比べ物にならないくらい強い。彼女から溢れるどす黒いオーラがそれを物語っている。
こんな者相手にバルは勝てるのだろうか。
目の前の少女の小さな背中を見やり、不安に刈られる。
だがそんな私の心配を他所に、バルは何事もないように突っ立ったまま。

「なんなのじゃお前は。ザコが」

「――っ」

つまらなそうにため息混じりに吐き出された言葉は思った以上に乱暴なもので。私は内心ひやひやした。
魔族はバルの言葉を受けて、明らかに気を悪くしたのではないだろうか。眉がぴくりと上下に揺れる。

「……そうかい、言ってくれるねえ……。ククク……雑魚はどっちかわからせてやるよっ!」

不意に魔族の姿が消えた。
気配も無い。
おそらく精神世界とこちらの世界を行き来しながらの攻撃だろう。
正直こんなもの今の私では全く捉えようが無かった。

「ハヤトはそこで見ているだけでいい」

そうとだけ言うと、不意にバルの手が動いた。
鞘から引き抜いていたロングソードをゆっくりと一凪ぎ。その後に剣を鞘へと戻す。
チンと小気味良い音がして、一瞬の静寂が場を包んだ。

「――がっはあああっっ!!? そっ……そんな……っ!?」

「――――っ!!?」

私は目の前の光景が信じられなくて言葉を失い目を見開く。
空間からにゅるりと姿を現した魔族の身体は真っ二つにされていたのだ。

「ああああ……お前は一体なんなんだあ~!?」

「ふん、やはりこの程度か。久しぶりの運動にもならんのじゃ」

地べたに転がる魔族に吐き捨てるような目を向け、それと同時に魔族の下半身は細切れになり消滅した。

「なにいぃぃぃぃっ!!?」

上半身だけになってしまった褐色の魔族は、起き上がり荒い息をつきながら上空に浮遊した。
その瞳には欠片の余裕もなく、ただただ息が詰まるような睨みを利かせている。

「――うぐっ……」

魔族の体からさっきよりも数段濃い禍々しいオーラが湧き上がり、その圧倒的な醜悪さに思わず顔を背けてしまう。

「食らえっ!!」

怖気が走るようなオーラが直径十数メートルにも膨れ上がり、バル目掛けて一直線に迫る。
端で見ている私は冷や汗が伝ったが、当の本人は涼しい顔で突っ立ったまま。
彼女の横顔を見つめていると、一度だけ瞳を瞬かせた。
たったそれだけのことで黒いオーラの塊はあっさりと消滅してしまったのだ。
驚愕の表情を浮かべる魔族。

「――何なんだ!? ……お前……一体何もの……」

魔族が言葉を言い終わらない内に、今度は魔族の両腕が吹き飛んだ。

「ぎゃああああああっ!!」

上空にいた魔族は落下し、とさっ、と思ったよりも軽い音を立てて地面に横たわる。

「くっ……、このグレイシー様が、文字通り手も足も出ないなんて……フフ……フフフフフ」

「何がおかしいのじゃ」

バルは特に興味も無さそうに、冷めた瞳でグレイシーを見下ろしていた。

「クククッ、おかしいさ。こんな所であたいが負けるなんてねえ」

「……死ぬのが恐くないのか?」

私は自然とグレイシーに聞き返してしまっていた。
明らかに自身の死が迫っているというのに、こういった時に笑うなど、やはり普通の感覚ではないと思うのだ。
グレイシーはちらと一瞬こちらを見やり、ニヤリと笑う。

「恐い? ……何だよそれは。魔族は滅びるために生きてる。あんたの言ってる意味はあたいにゃ分からないよ」

「滅びるために? ならば何故魔族は自分達だけで滅びようとしない。そんな事を言いつつも、我々を滅ぼそうとしてくるではないか。滅びが目的なら自分達だけで勝手にやってくれ」

魔族の目的が自分達が滅ぶ事にあるのなら、私達に危害を加える必要などないはずだ。
勝手に生きて、勝手に滅んでくれればそれでいい。他を巻き込まないでほしいのだ。

「はあ? おかしなことを言うねえ。ただ滅びることに何の価値があるってんだい。あたいたち以外の種族に絶望や苦痛をたっぷりと味合わせてからでないと意味がない。あたいたちはこの世界で最も崇高な種族。他種族は皆等しくあたいたちに絶望を与えられ、あたいたちに愉悦をもたらさなければならない」

「――っ」

グレイシーのその表情がこの上ない悦びに満ちていて、嫌悪感が体中を支配する。
言う事の意味は分かったがそれは到底理解出来るものではなかった。
――気持ち悪い。
魔族に対する率直な感想が胸に満ちて、どうしようもなく不快な気持ちになった。
こんな話、聞かなければよかった。

「クククク……、まあこれじゃああんた達の絶望に歪む顔を拝む前に滅んじまうけどねえ……そこは他の同族に託すことにはなるのかもしれないねえ……ククク」

笑いながらグレイシーは顔をことりと地につけた。
地べたを這いつくばっている状態だというのに何故か笑っている。私はふとそれに妙な違和感を覚えるのだ。

「そろそろ滅んでしまえ、ザコが」

面白くもなさそうにバルがグレイシーの半身を見下ろしている。やけに冷めた瞳をしていた。
バルもグレイシーの話を聞いて、それなりに怒ったり嫌悪しているのかもしれない。
ちらりとバルに目だけを向けて、グレイシーはそれでも笑っていた。

「ククク……あんた……ムカつくねえ――――」

――――――――っ!!!!

「――っっ!!?」

グレイシーの最後の言葉はそれだった。
彼女の体はそう告げた後、突如大きな光を放ち爆発を起こしたのだ。