褐色の女性は悠然と佇み、余裕の笑みをその表情に張り付けている。
面積の少ない布地に身を包み、豊満な肉体を見せつけるように立ち止まって両腕を開いた。
ていうか……このセクシーさ絶対いらないと思うんだけど。
なんなのこの微妙に勝ち誇ったように見える感じ。なんかすっごくムカつくんデスケド……。

「まさかこんなにあっさりあたいのケルベロスを倒しちまうなんてねぇ……。お気に入りの子だったのにさあ」

彼女の口から出た言葉はケルベロスについてのことだった。
そこで私は察する。
この場所には似つかわしくない強大な力を持った魔物ケルベロス。
私たちを待ち構えていたかのような攻撃。
魔族の差し金なんだろうとは思っていたけれど、この者がそうだったのだ。
今までの戦いはいわゆる前座。ここからがいよいよ本番。三級魔族との戦いというわけだ。
前回ライラに会った時は気づかなかったけれど、三級魔族から立ち込める黒い気流――視認できる風の流れに私は怖気を感じずにはいられなかった。
冷たい汗が背中を伝っていくのがわかる。
この気流は魔族特有のオーラみたいなものなのだろうか。
とにかく強いであろうことは彼女から溢れ出るプレッシャーが物語っていた。
ていうか彼女が少し動く度にその豊満な胸がたおやかに揺れて、そのセクシーさが余計でちょっとイライラした。

「――グレイシー。あんたたちを殺す者の名前だよ」

不敵な笑みの中に狂喜が混じっている。
私の背中にさらに冷たい汗が滴り、ゾクゾクと肌が波打つような感覚に囚われる。
いつの間にか私はその場に動けずに立ち止まっていた。
それに気づいた私は顔から血の気が引いて、これ以上この場に止まるのは良くないと脳が警鐘を鳴らしてくる。
私は拳を握り締め、自分自身を鼓舞するように気持ちを奮い立たせた。
深呼吸するように空気をふっと肺に染み込ませ、風を纏いながらその身を中空へと舞わせた。

「うっさい! 私たちをつけ狙う魔族! あんたたちって本当にめんどくさいのよっ!」

そんな減らず口を叩きながら、気合いと共に一直線に褐色の魔族――グレイシーへと突き進む。

「――はあああっ!!」

私は右手に装着したユニコーンナックルに力を込めた。先手必勝だ。
グレイシーは私の特攻を気にするでもなくその場に止まっている。
ふと私の頭の中に違和感が過った。
この余裕の表情。――誘われてる?

「シーナ! グリズリーだ!」

「ゴバアアァ!!」

「――ちいっ!」

アリーシャの声とほとんど同時、地中から熊の魔物が飛び出し、その鋭い爪で私を引き裂こうと襲い掛かってきた。
私はとっさにユニコーンナックルでグリズリーの爪を往なし、力を利用して中空へと飛び上がる。
アリーシャの声があと一瞬遅ければ、この熊の魔物の爪に引き裂かれていただろう。
頭を冷静に保てなかった私の落ち度。感知を怠った。

「――あっぶないっ……!」

私は一度体勢を立て直すため、そのまま数メートル上空に一旦止まった。
同時に感知を張り巡らせる。数キロ先の森の中や山の麓まで。そこで私はある事態に気づく。

「――ウソでしょ……」

私の口から零れ出る驚愕の声。
きっかけは感知ではあるけれど、別に感知しなくたって分かる。遠くから重低な震動音が響いてきているのだ。
私はその方向に視線を這わせて更に目を見開くことになる。

「くそ……何よこれ……」

視界に広がる薄黒い塊。その中にチカチカと小さな赤い光が灯っている。
私たちが下りてきた方とは別の、少し離れた山脈の麓から、または空から。それらは地を這い回るうじ虫か何かのようにわしゃわしゃとこちらへ向かってくるのだ。
――魔物の大軍勢。

「――な……なんだと……?」

流石のアリーシャもそんな絶望的な呟きを漏らした。
私はその数の多さに言葉を失う。
数は優に千を超えるのではないだろうか。
ピスタの街で魔族50体を相手取った時も多勢に無勢とは思ったけれど、今回に至ってはその20倍以上。
鼓動が早鐘を打ち、この先の戦いを想像して身体全体が打ち震える。

「ククク……あたいは魔物共を操るのが得意でねえ……。ちょいとこの辺に集まって来てもらってるのさ」

グレイシーはグリズリーの傍らへと移動し、依然として不敵な笑みを浮かべている。
道理で道中魔物が見当たらなかったわけだ。
ケルベロスから少し離れた場所に魔物たちを集め、待機させていたのだろう。
私もマインドの無駄使いはしたくなかったので、そこまで警戒の根を張り巡らせていなかったのが仇となった。
けれど不幸中の幸いだったのはケルベロスの打倒にそこまで多くの時間を擁さなかったことだ。
もしあれ以上苦戦していたら、今頃両者に叩き潰されていただろうことは想像に難くない。

「……ふう」

一度私は軽く深呼吸する。
ここからどうしていくか。思考することを止めちゃダメだ。
こんな事で絶望的な気持ちになっている場合じゃない。
私は首を振り、自身を鼓舞するように頬を両手でぴしりと叩く。
改めて私はこの先の対応について思考を巡らせていく。
私が魔物の相手をしている隙に魔族を美奈とアリーシャに倒してもらうか。その逆か。
それとも魔物たちがここに到着する前に魔族を一気に叩くか。
考えはするけれど、いずれにしても難しい気がした。
そもそもこの三級魔族が先程のケルベロスより弱いとは思えない。
私自身、戦いの相性としては体の硬いケルベロスよりもグレイシー相手の方が分がある気はするけれど、あの数の魔物を美奈とアリーシャの2人だけにに任せるなんて。それこそ物量に一瞬にして呑まれてしまうだろうことは想像に難くなかった。
かといって美奈とアリーシャに魔族を任せるにしても、美奈は魔法という力を手にしたものの、おそらくそれは魔族には有効にはならない。
結局のところ彼女は未だ魔族に対抗し得る手段を持ち合わせていない状態なのだ。
更に先ほどのケルベロスとの戦いで大魔法を放ったため消耗も一番激しい。

「――私が食い止めるしか、無いわよね……」

そう呟きつつ全部ほっぽっといて逃げるっていう手段もあるなとは思っているけれど、それもそれでちょっとキツい。
隼人くんが戻ってきていないのだ。
彼はきっと今精神世界にいる。精霊と会っているに違いないのだ。
もし私たちがここから逃げた直後に彼が戻ってきた場合、魔物の群れのど真ん中に一人きりにさせてしまうことになる。
精神世界の方が時間の流れが遅いので、戻ってくるのに時間は掛からないとは思う。
だからやはり隼人くんと合流してからでなければ意味がない。何より美奈が納得してくれるはずがない。

「あーもうっ! せめて隼人くんと合流できれば……全く……どうしてこう次から次に!」

私は向かって来る群衆を見据えながら、苛立ちを隠せないでいた。てかちょっとへこみそうよこんなの。
それでも地響きはどんどんその音量を増してゆく。考えてる暇なんかない。
とにかくまずは動かなきゃなのだ。