「さて……と」

ケルベロスを退けた私たち。落ちているユニコーンナックルを拾い上げつつ、私は戦いの最中に手放してしまった馬車を探すため感知を巡らせた。
正直けっこう疲れたから休みたいとは思うけれど、馬車を確保して、当初の予定通りヒストリアへと向かう道中でしばし休息を取ればいい。

「??」

感知の目を広げた私の頬に、ふっと鋭く風が薙いだ。
それで私は何気なく瞬きを一つ。その瞬間目の前の景色の変化に鼓動がとくんと跳ねる。

「――えっ!?」

「あれ……? 隼人……くん?」

「ハヤト!?」

美奈もアリーシャも驚き声を上げる。
瞬き一つしている間に、近くにいたはずの隼人くんが忽然と姿を消したのだ。

「――まさか」

私はこの現象にすぐに思い至った。
きっとこれは精霊の仕業じゃないかと。

『うん。どうやらあっちの世界へ行っちゃったみたいだね』

風の精霊シルフの声が頭の中に響き渡る。
どうやら私の考えは間違っていないみたいだった。

「やっぱり。てことは契約して戻ってくるの?」

「え? めぐみちゃん?」

急に独り言のように呟かれた私の声に美奈が小首を傾げる。
いかんいかん。精霊の声は私にしか聞こえてないんだった。

「あ、美奈ごめん、こっちの話。今隼人くんのこと、シルフと話してて」

「あっ……」

私は手をぱたぱたしつつ不思議そうな面持ちの美奈に笑顔を向ける。
美奈にそれだけ言うと察してくれたみたいで、こっちを向いたままこくんと頷いてくれた。

『まあ戻ってきた場合はそういうことなんだろうね』

彼の返答には回りくどさが感じられる。
そんな言い方をされると嫌な予感がしてしまうのだけれど。

「何なのその言い回し。――いやらしい」

この子はいつも意地悪な言い方ばかりする。イエスノーでは答えようとしないのだ。
いつも気まぐれな感じの物言いで、目の前にいたら頭ぐりぐりの刑に処してしまいたい。

『あの……頭ぐりぐりとか止めてもらっていいかな。だからさ、戻ってくるには精霊とハヤトが契約しないといけないからさ。精霊が契約する気で呼び出したのなら戻ってくるってこと』

これも含みのある言い方。
けれど流石に言いたいことは分かる。

「マジか……」

それじゃあまるで精霊が契約する気もなく隼人くんを精神世界に引っ張り込んだという可能性も考えられるってことだろうか。
じゃあ何? 契約しなければ隼人くんは一生帰って来ないってことなの?

『まあそういうことになっちゃうかな』

「は!? そんなの自分勝手のわがままじゃんっ!?」

「めぐみちゃん!?」

「あ、いや、ごめん。なんでもない」

「??」

なんでもなくはないんだけど、私は思わず声を張り上げたことを謝罪する。
アリーシャも美奈も近くで私を不安そうに見つめている。
そんな二人に何事もない風に微笑む私。
ここで今の話を正直に話していらぬ心配をかけたくない。特に美奈には。
そもそもまだそうだと決まったわけではないのだから。
それに心のどこかでは大丈夫なんだろうとも思っていた。
なんだかんだ隼人くんのことだ。無事契約して戻ってくるんだろうと思ってしまうのだ。

『君は彼のことをかなり信頼しているんだね。ふむふむ。なるほど。」

何だかシルフの声音はどことなく嬉しそうに感じられた。それがちょっぴり癪に障るけれど、今は何も触れないでおく。それに実は今は悠長なことも言ってられなかったりするのだ。

『そうだね。よく気づいたもんだ』

思考する私の心の声を聞き、今度は感心したような声が漏れる。
私はシルフの声に自身の気づきを確信へと変え、口の端を上げて虚空のある一点を見据えた。

「それじゃあそこのあなた。たぶん魔族でしょ? いい加減隠れてないで出てきなさいよ」

「なっ!? 何を言ってるんだ椎名?」

中空に声をかける私にアリーシャが驚いていた。
彼女ほどの剣の達人でも気配を読んだりできないのだ。
その事に相手がいる場所というのがこちら側でない事を悟る。
でも私の感知には反応している。向こう側の気配が完璧に読めるわけじゃないけれど、シルフと正式に契約してからというもの、感覚がより鋭敏になったみたいだ。
これはきっと、精神世界に存在する気配じゃないだろうか。

『ククク……やるねえ』

突然どこから、という感じでもなく声が響き渡る。
それは女の人の声音だった。短い言葉尻に嘲りの気持ちが含まれているのが強く感じられる不快な声だ。
直後私が見つめていた空間が歪み、視界がぼやけた。
何もない空間が切り裂かれたようになり、そこから一人の褐色の女性が姿を現したのだ。

パチパチパチ……。

その女性は拍手をしながら表情に不敵な笑みを張りつかせていた。
アリーシャの師匠だって言ってたあのライラと同じように、見た目からは何ら私たちと同じ人のように見える。

「何なの? この人が魔族?」

美奈が目の前の彼女を見て戸惑いの表情を見せる。
それには同意見だ。だって確かにどう見たって人間に見えるんだもの。
見た目は四級以下の魔族とは明らかに違う。
それに身の毛もよだつような圧が、異質な存在感を放っていた。
アリーシャはこの女性の全身から立ち上る悪意を感じ取ったのか、鞘にしまった剣に再び手を掛けた。

「三級魔族ってとこかしら?」

私は平静を装いあっけらかんとした口調で呟く。
こういう時には雰囲気に呑まれないことが一番だとそう思うから。
あくまでもいつもの私の調子は崩さないのだ。

「クク……人間があたい達を区分するなんておこがましいにも程があるけどさ……まあそういう事になるのかねぇ……?」

その魔族は不敵な笑みを浮かべながら両手を広げた。目を見開き愉しそうにクククと笑う。
その仕草が私たちを小バカにしたようで胸くそが悪くなった。
何こいつ。――スッゴクやな感じ。