ケルベロスの口から再び先程の光線が放たれた。

「甘いってのっ!」

だが今度は椎名は冷静だった。
不意討ちでもない光線を椎名は風を操り難なく避わす。
ただ馬だけは災難だ。急な旋回におののき足をじたばたと動かし情けない鳴き声を上げている。

「――ハヤト、あの魔物のことを知っているのか?」

私の呟きを聞いていたのだろう。アリーシャが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
先日こちらの世界に来たばかりの私達が目の前の魔物の存在を知っていることに得心がいかないのだろう。
とは言っても私もケルベロスという存在にそこまで詳しいというわけではないのだが。

「私達の世界にもああいった生き物の存在が認知されているのだ。とはいっても実際にいるわけではない。空想上の生き物だがな。名をケルベロスという」

「ケルベロス――」

ケルベロス――――。
私達の世界では存在自体はメジャーな生き物であるが、空想上の生き物として知られる。
地獄の番犬と言われるそれは三つの首を持ち、体長十数メートルにも上る。
漆黒の毛並みに覆われたそれは、私達を睨みつけるようにしてこちらを凝視し低い唸り声を上げ続けている。
今はそれなりに距離を取っているのでそうでも無いが、実際近くで相対すると恐怖で縮み上がってしまうのではないかと思える程の迫力があった。

「とはいっても知っているのはそれくらいだ。魔物の特性や弱点などは一切不明。そもそもこちらの世界のあれが私達のいる世界の知識と合致しているかも分からないのだ。こんな知識など毛ほども役には立たないと思うがな」

「隼人くん、とにかくここじゃ戦いづらいから一旦麓まで下りるわよ!」

椎名には消費の激しい飛行を強いる事にはなるが、確かにこの山道で戦うのは危険だ。
麓まで下りて見通しの良い平原で迎え撃つ方がいいだろう。
そうこうしているうちに、ケルベロスの頭の上を通り過ぎ、馬車は先程と同じ位の超スピードで麓の方へと進んでいく。
ケルベロスは頭上を通り過ぎた私達を追いかけてきた。
その巨大な体躯を活かし、駆けるスピードは相当に速い。
椎名の飛行を以てしても引き離せないのだ。
木々や傾斜をものともせず、翔ぶように山を駆け下りていく。
その間も二度、三度と光線を撃ち出してくる。
一瞬胆が冷えたが椎名はそれを難なく避け続ける。
ケルベロスの方を見向きもせず、割と余裕だなと思う。

「皆! このまま平原まで行くから馬車を下ろしたら即刻外に出て迎え撃って!」

「――馬車はどうするのだ?」

「ほっとくしかないわ! 後で回収しましょ!」

確かに悠長に何処かへ繋いでおく余裕など無さそうだ。
近くにあれば破壊される可能性も出て来る。
それよりは馬達が勝手に安全のところへ走り去った後、ケルベロスを倒して回収する方が確実だと納得した。

「わかったっ! で? 何か作戦はあるか?」

迎え撃つにしてもあれだけの大きさの魔物。とてもではないが無策では心許ない。

「馬車を下ろしたら私がケルベロスの動きを止めるから、皆で一斉に攻撃して! 行くわよ!」

それだけ言うと椎名は返事も待たずに降下を始めた。
何ともシンプルな回答だったが、今はそれが最善の策のようにも思われた。
私はごくりと唾を呑み込み、即座にあの巨大な魔物と戦う覚悟を決める。
ケルベロスとの距離はせいぜい百メートルといった所だろうか。

「めぐみちゃん! 光魔法を皆にかけさせて!」

「あ、さっきの!? ――わかった! 早くね!」

美奈はこくりと頷くと、魔法を唱えるべく目を閉じた。
ピスタの街で手に入れた魔法を早速使用するということか。
その時再びケルベロスの光線がこちらに向けて放たれる。

「きゃっ!?」

「美奈っ」

車内でバランスを崩した彼女の肩を支える。
ガウガウと唸りを上げながら執拗に追い回してくるケルベロスの獰猛さに、少なからず私達はおののいた。
光線は今回も掠りもしない。馬車の右側数メートルの所を通過し、空の彼方へと抜けていった。

「隼人くん、ありがと。でも、大丈夫だから」

「――うむ」

一度体勢を崩したが、美奈はすぐに立ち直り、真剣な面持ちを見せた。それから新ためて意識を自身の内に集中させ、詠唱を開始したのだ。

「この身に宿りし光のマナよ 我が魔力を以て 地を駆ける光となりて 彼の者に大いなる祝福を」

詠唱が進むにつれ美奈の体が白く発光し、光はやがて彼女の目の前に光の球となり揺蕩った。

「ライトニングギャロップ!」

力ある言葉が放たれ、光はアリーシャの体を包み込む。推測するに何かの補助魔法なのだろう。

「これは――身体が熱い」

「アリーシャさんの移動速度が上がる魔法です。これで相手を翻弄出来ればと思って」

なるほど。
魔法で敵を倒すのでは無く、味方の身体能力を向上させる事により、こちら側に有利な状況を作るという事か。
美奈らしい。
その後続けて私と自分自身にもライトニングギャロップを掛けた。
椎名にも掛けようとしたら風で移動するから必要無いとのこと。
確かに彼女が戦闘の際に地を駆ける姿を見ていない。
ならば無用の長物だろう。

「じゃあ改めて行くわよ!」

その言葉を合図に馬車は平原に放たれ、各々馬車の外へと身を移した。
美奈の魔法の効力でほんの少し足に力を入れただけで随分と遠くまで移動できた。ふむ。中々にこれは便利だ。
馬車がヒストリア王国の方へと走っていくのを横目に皆ケルベロスの方を向く。
近くで見ると件の魔物はやはり凄い迫力だった。
獰猛な牙と煌々と光るその紅い瞳。
口の端から垂れる涎が私達を獲物と定めたように思わせた。
正直恐ろしい。
だが今更恐れ戦いている場合ではないのだ。

「来るぞっ!!」

声を出し、自身を鼓舞する。
ケルベロスが迫り来るこの数秒の間に拳を強く握りしめ、歯を食いしばって臨戦態勢を取る。
アリーシャはダークを唱え、光の剣を発動。
私と美奈、椎名もそれぞれの武器に光を発現させた。
さあ、地獄の番犬の強さとはどれ程のものか。
もう一度ごくりと唾を飲み込むが、その音はケルベロスの咆哮に掻き消された。