山道に馬車が着地した途端、椎名が荷台に転がり込んでくる。

「ふい~っ! ちょっと休憩させて! これ思ったより疲れるわ!」

荷台の椅子に私を押し退け仰向けになって寝転ぶ椎名。
時間にするとあっという間だったが、消耗は著しいのか、「はふ~」と大きく息を吐いている。
馬達が地面に着くなり興奮して暴れそうになったが、それは私達三人で何とか落ち着かせた。
時間を確認すると、ここまでピスタの街を出発してから一時間も経っていない。相当の時間短縮であった。
というかこんなに早いのならばもう飛んでいくのはここまでにして後は馬車での移動でもいいのではないかとさえ思えた。
椎名も大分疲れたようだし、正直あまり彼女に無理はさせたくない。
彼女一人の戦力は今の私達にとってそれ程に大きいのだ。

「椎名、とりあえず馬車の中で休んでいて構わない。馬も落ち着いたし、少し馬車で進もう」

「あ~……うん」

若干歯切れの悪い椎名の返事を背に受けつつ。御者台に腰を下ろす。
山の上の空気は地上付近より少しひんやりしていた。急にこんなところに来たので気温差を如実に感じる。
ピスタの街で鎖帷子とマントを買っていて正解だったと思う。

「てゆーか思ったより寒いわねっ! 隼人くん、そのマント貸して」

「む――」

そう思った矢先、椎名の手がマントに伸びてきてさらりとひったくられる。
まあ別にこのくらい構わないが、何故彼女はいつもこんなに薄着なのか。
「あったかい~」と言いながら微笑む椎名のマントの裾からはみ出した健康的な太ももを恨めしげに見ながら小さくため息を吐いた。
あ、彼女の太ももに目を奪われたとかそういうのではないですからね? 断じて、そういうのではないですからね?

「ハヤト、私のマントを使うといい」

私のため息に何かを察したのか。気を利かせて自分のマントを掛けてくれるアリーシャ。
マントの温もりと相まって、その笑顔がいつも以上に輝いて見えた。
今日のデー――もとい、二人の買い物以来お互い遠慮が無くなったというか。大分気兼ねなく接せられるようになったように思う。
仲が深まったというか、まるで友達のような関係性になれたのではないだろうか。

「あっ!? 隼人くんがアリーシャにデレてる!」

「む――」

椎名が余計な一言を挟んできた。
その言葉に案の定美奈の肩がぴくんと揺れるのを私は見逃さなかった。
元はと言えば椎名の薄着が原因でこういう展開になったというのに……。
ここから更に話をややこしくしようとするとは。本当に面倒なやつだ。
そんなだから彼氏の一人も出来ないのだぞ?

「――え。何その顔……今すっごい失礼なこと考えてるよね!? なんかめちゃめちゃ腹立ってきたんだけど……なんでだろ……なんかめちゃくちゃぶっ飛ばしたい」

「え? いや、目がいつになくマジなんだが?」

私は能力があるからある程度相手の思考が読み取れなくはない。
だが椎名はただ風の能力を得ただけのはずだ。
なのに何故これ程私の思考を読んだような発言ができるのだろう……。
こんな寒さの中であるというのに冷や汗が背中を伝い、女とは怖い生き物だとつくづく思う。

「何だ? その……デレてる、とは?」

不意にアリーシャがそんな事を呟いた。
それにより空気が変わり弛緩した。
アリーシャ。ナイスだ。
自身の行動に後悔しかなかった矢先にアリーシャの質問を受けて助かったと安堵の息を漏らした。
だがそんな気持ちになれたのも、ほんの一瞬の出来事だった。

「アリーシャ! 要するに、隼人くんがアリーシャのことが可愛くて、ウハウハしてるってことなの! 気をつけて! 隼人くんて、思ってる以上にいやらしくて破廉恥な人だからっ!」

「おいっ! なんだその言い草はっ! 椎名、いい加減にしろっ!」

別に普段なら気に留めなければいいだけの話なのだが、如何せん今の相手はアリーシャだ。
きっとすぐに真に受けて余計な騒ぎになるに違いなかった。
そして椎名も勿論それを承知でからかっているのだから本当に質の悪い。
ふとアリーシャの顔を見やると、彼女の反応は私の予想とは少し違ったものであった。
俯き言葉を失い、唇をふるふると震わせながら、アリーシャの耳がどんどん赤くなっていくのだ。

「は……ハヤトは……そういうところがあるからな……さっきも……」

「――は? 隼人くん? アリーシャに二人っきりで何したの?」

「いやっ!? 違うのだっ! これは……誤解だっ……美奈――ひっ!?」

ふと美奈の方を見ると、彼女はひっそりとにこやかな笑みを浮かべ佇んでいた。
その笑みがめちゃくちゃ怖いんだが!?

「み……美奈さん?」

「隼人くんが楽しそうで良かったナー」

「ひいっ!?」

彼女の胸の内に言い様のないどす黒い深淵が見える。
思わず情けない声が漏れ出てしまう。
これは未だ見ぬ魔王なんかよりもよほど恐ろしいのではないか。
そんな思考が頭を過る。
怖い……めちゃめちゃ恐ろしい。


「あ……隼人くん、運転辛そうだから代わろうか? こっちに来てアリーシャのマントで温まればいいんじゃないかな?」

「い……いや。大丈夫……です。すみません」

「どうして謝るの? 隼人くん別に何もしてないよね? この後も別に何もしないよね? フフフ……」

「ひ、ひいっ!? と、とにかく急ぐぞ!」

私は現実から目を背けるため、目一杯手綱に力を込め馬車を走らせるのだった。
恐ろしい……魔族より恐ろしい……。