ようやく謹慎からも解放され、久しぶりにアリーシャは訓練場へと足を運んだ。
同期の訓練生からは以前にも増して一層白い目で見られ、一層蔑みの目で見られた。
だがここでアリーシャの行動は変化する。
その一人一人にアリーシャは謝罪して回ったのだ。
彼らに何を迷惑を掛けたでも無いが、一国の王女として、騎士としてそれが当然の行いのように思えたからだ。
謝罪する度に反応は様々だった。
更にここぞとばかり罵ってくる者もいれば、驚き慌てふためく者、無視する者、説教染みた言葉を言ってくる者など。
少数だがアリーシャのその行動に好感を示すものもいた。そんな者達はアリーシャの日々の研鑽を認めてくれており、そんな者もいたのかと改めて気づかされた。
皆の多種多様な反応に、アリーシャは少し興味深いなどという所感を抱いた。
人は自身も含め様々な者がいる。
そしてその全てが自身を煙たがったり憎ましく思うような者だけでは無いのだと。
アリーシャは剣を取り、いつものように剣の素振りを始めた。
一週間ぶりに握る剣は実に良かった。
剣を持つ手からじんわりと喜びが広がるような。
瞬間的に身体が打ち震えるのを実感し、一太刀振り抜いた瞬間何とも言えない想いが胸を締め付けた。
そこでやはり、アリーシャは自分には剣が合っているのだと改めて思うのだ。
「アリーシャ、元気そうね」
「――む」
振り向くとそこにはいつものように柔和な笑みを浮かべたライラが立っていた。
本当なら真っ先に会いに行くべき相手であったが、何を話せばいいのか分からず、結局今まで会いに行けなかったのだ。
ライラの左手には包帯が巻かれて吊るされていた。
それが自分のせいだと思うと余計に痛々しく見えた。
「散々だ。父上にはこっぴどく叱られ、母上には泣かれた」
そんな事を言いたかったわけではないが、口から出た言葉はそんなだった。
素振りをしつつそんな事を言うアリーシャにライラは苦笑する。
「自分の事で泣いてくれる親がいるということは幸せなことよ」
「……」
いつもならライラのそういった物言いには食って掛かっていたアリーシャであったが、今は沈黙していた。
それどころかアリーシャの胸には今や、ライラの言葉で温かな光が差し込むような心持ちさえするのだ。
ライラの言うことはいつも正しい。
今は不思議と素直にそう思えてしまう。
暫く素振りを続けながら呟くように言葉を発する。
「――ライラ……やはりその腕、簡単には治らないのか?」
「いえ、大丈夫よ。回復魔法もかけてもらったし。少し痕は残るかも知れないけれど、前と同じように剣を振れるようにはなるみたいだから、問題ないわ」
そこでアリーシャは改めて剣を振る手を止めた。
「ライラ、済まなかった。私のために」
アリーシャは腰を折ってライラに謝罪する。
アリーシャの手は、体は思っていた以上に震えていた。
そこで胸に去来する想いが申し訳無さではなく、恐怖なのだと気づいてアリーシャは泣きそうになる。
アリーシャにとってライラはもう自分の想像以上に大切な存在なのだ。
アリーシャは彼女の元で剣の高みを目指したいという気持ちを改めて強く自覚した。
「アリーシャ、顔を上げなさい」
顔を上げたアリーシャに一振りの剣が投げられた。
「……? 何だこれは?」
「あなたにプレゼントよ」
「……どうして」
「どうしてかしらね。何となく、とかそんな気分だったから、とか。そういうことにしといてもらえるかしら?」
ライラは微笑みそう言う。アリーシャは手にした剣を眺めた。
剣はアリーシャの意思に呼応するかのように輝きを放っている気がした。
柄の部分には魔石が嵌められている。
何かの特性があるのだろうか。
「この剣は属性変換の効力を持った剣。あなたの闇魔法をこの剣に込める時、この剣は魔族すらも斬れる光の剣になるわ」
アリーシャの疑問を見透かしたように言葉を添えるライラ。
「魔族も斬れる?」
「そう。この先予言にある通り、魔族が世に蔓延る時、この剣の力があなたを支えてくれるはずよ。いつか訪れる魔族との戦いにおいて、あなたはきっとこの国の希望となれるでしょう」
「そんな……まさか……」
ライラの顔を見るといつものように微笑んでいる。
闇魔法が使える事で、一国の姫として疎んじられる事はあっても、そのような力の使い道があるなどとは夢にも思わなかった。
同時にここまで自分の事を考えてくれていたライラに、尊敬と感謝の念が巻き起こるのだ。
「アリーシャ、強くなりなさい。あなたの大切なものを守れる程に。そしていつか――」
そこで一度言葉を切る。
彼女の瞳が一瞬憂いを帯びた気がした。
「?? ライラ?」
彼女はアリーシャに呼ばれ、首を振り、目を閉じる。
再び目を開くと同時に彼女のエメラルドグリーンの瞳が何よりも輝いて見えた。
「私を助けてちょうだいね?」
「――――」
何だかおどけているようにも思えたが、ライラの瞳の輝きを見ていると、それが本心なんだろう。
今は素直にそう思えたのだ。
だから彼女はライラとは裏腹に、真面目な面持ちで答えたのだ。
「……ああ。約束する。魔族からだって私がお前を守ってやる」
「フフ……、その意気よ」
アリーシャはライラと出逢い、少しずつ変わっていった。
この半年後、アリーシャは父に認められ、母の反対を押しきって王国の騎士団に入団する事になる。
大切なものを守れる騎士として、一国を担う姫として、アリーシャは急速な成長を見せ始めていったのだ。
「う~~~んっ! 気持ちいい~!!」
柔らかな陽光が射す街の大通りを歩きながら、私は大きく一つ伸びをした。
昨日の戦いでかなりの重傷を負ったはずだったけれど、回復魔法の力というのはすごいものだ。
たった一晩でまるで何事もなかったように治ってしまっているのだから。
更に先程美奈と久しぶりのショッピングを楽しんだ私はご機嫌だった。
やっぱりストレス発散には買い物は持ってこいよね!
先の戦いでボロボロになった衣服を新調し、茶色のロングブーツとウエストポーチを腰に巻いた私はご機嫌だった。
「う~~~~んっ!!」
コツコツとかかとを鳴らしつつ、美奈の斜め前を歩きながらもう1つ私は伸びをした。
昨日の戦いから一夜明けて、街はそれなりに賑やかに人々が往来してる。
レッサーデーモンが暴れ回ったせいで所々壊れている箇所があったりもするけれど、被害はそう大きくはならなかったらしい。
すれ違う人達も皆元気そうだ。
周りの楽しそうにしている人たちの姿を見るだけで、私の昨日の頑張りが報われた気がして元気が出た。
「何だかこういうの、久しぶりだね」
ふと隣に並んだ美奈をちらと見やると、彼女も自然と顔が綻んでいた。
昨日私たちがボロボロにやられたせいで一時期はかなり落ち込んだ様子を見せていたけれど、少し持ち直してくれたみたいでホッとした。
「確かに、そうよね」
この異世界、グラン・ダルシに来て初めての経験。
親友同士、女同士のお買い物。
こんな時に不謹慎なのかもしれないけれど、ほんの少しだけ心が踊る。
いや、こんな時だからこそ目一杯今を楽しまなきゃいけないような気がする。
いつも気を張ってばかりじゃ身も心ももたなくなるし、陰鬱にしていても決して状況は好転しないのだ。
今この場にいないアイツの事を考えると気持ちが参ってしまいそうになるから。敢えてそういう事は今は考えないようにしている。
まだこうして自然に振る舞えているのだから。きっと私は大丈夫だ。
それよりも今は美奈のことを気づかってあげたい。
少し元気になったとはいえまだまだ無理をしている。
理由は分かる。
自分が戦う能力が乏しくて、足手まといになるのが嫌だとかそんなところなんだろう。
何とか元気づけてやりたかった。
こうしてせっかく二人きりになったのだ。
本音もバンバン言えるだろうし、何かアドバイスできることがあればできる限り協力するつもり。
別行動を取るのは危険だと隼人くんには反対されそうになったけれど、こういう時は女同士、二人きりでのんびり過ごすのがいいに決まってる。ま、そんなに時間は無いんだけどね。
そう思うとちょっと私の買い物に時間使いすぎたかな……。
美奈に付き合うはずが私に美奈を付き合わせるような形になってしまった気がする。
すぐに終わらせるつもりだったのだけれど、思いのほか長引いてしまったかも。
でもしょうがないよねっ!?
店員さんが私を見てスタイルがすごくいいだの、何着てもすごく似合うだのいちいち騒ぎ立ててきたんだし。
すっかり気分も良くなって、何着か試着してしまったり、買う予定ではなかったブーツやらウエストポーチやらも愛嬌といいますか。
なので少しだけ、ほんのちょぴっとだけ出費がかさんだのだけれど、ネストの村で魔石の相場を聞いていた私のお陰で、魔石屋で買い叩かれずに済んだのだ。
そのことを思えば、出費をしたものの、その分の対価を得ているのだからみんなも納得するに違いない。
プラスマイナスゼロ、むしろプラだ。うん、そうだ。
『……』
「シルフ、うるさいわよ」
『ボク、何も言ってないんだけど』
「……え? 何か言った?」
シルフとの会話を自分に向けられたものだと思ったらしく、美奈がこちらを向いた。
いかんいかん、つい精霊と会話する時に口に出てしまうのだ。
「あ、いや、何でもない! シルフが頭の中でうるさくってね! それよりも美奈。私の買い物に付き合ってもらっちゃってありがとね」
そんな私の言葉に美奈はふいと首を傾げた。
その仕草が小動物みたいで可愛らしいのだ。
「ううん。少し寄り道するくらい構わないよ? ただ……あんなに長居するとは思わなかったけど?」
そう言い彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
彼女の大きな瞳がスッと細められて、それもまたスッゴク可愛い。
「あはは……。ごめんってば」
「ふふ……。でも、こういうの、こっちに来て初めてだから、けっこう楽しいねっ」
ちょっぴりルーズな私の行動に、そんな風に言ってくれる美奈が私は好きだった。
いつも私が元気でいられるのもこの娘のお陰というところが大きい。
「そうよね! 何か懐かしいっていうか!」
「うん!」
お互い破顔しつつ、やっぱり思う。
美奈、ちょっと元気ないな。
私は彼女からいつも元気を貰っているのに、私は彼女に何もしてあげられていないのではないか。
そんな風に思ってしまう。
いつもそう。
彼女に何かしてあげたくても結局元気を貰うのは私。ダメだなあ、こんなんじゃ。
そこで私は大きく首を振る。
何急に弱気になってるんだろう。美奈を元気づけようって決めたのに、自分だけテンションが上がった事に落ち込むなんて、バカか私。
私は改めて気持ちを切り替えて、残りの時間は美奈のために使うと決めた。
隼人くんたちと別れてから感知の目は途絶えさせていない。
彼らの動向を探ってみると、まだ防具屋を出たところらしかった。
たぶんこの後道具屋に向かうのだと思うから、時間はあるはずだ。
それにその後は食事もするのだろうし、何だかんだでまだ一時間は大丈夫だろう。
ん? でもさ、あの二人ショッピングして、食事して……なんかデートっぽくないか?
……後でからかってやろ。
私は内心の決意を新たにしながら、美奈の前に立って後ろ向きに歩く。
美奈の顔を見つめていたら、彼女ははてと小首を傾げた。
「じゃあさっさと行きますか! 魔法屋」
「え!? 知ってたの!?」
美奈が驚き目を見開いた。
美奈の口からは皆に行きたい場所の具体的な場所は聞かされてはいなかった。
けれどそんなのすぐに分かる。
だって美奈って昔から隠し事が下手なんだもの。
私は大げさにため息を吐いた。
「いや……魔石屋に行く途中、魔法屋をあんなに見つめてたら普通気づくでしょうよ。それでなくても美奈ってば、昔から分りやすいんだから。特に、隼人くんのこととかさ」
「え、隼人くん!? ……あ……それは……だって」
隼人くんという言葉に肩をぴくんと震わせる美奈。
彼女は私の言葉を否定するでもなく、ただただ俯いて茹でダコのように顔を赤らめていく。
私はそんな彼女を見ながらふうとため息を付きつつ目を細める。
この娘、ホント隼人くんのこと好きすぎるわよね。あっちも大概だけど。
「はあ……ごちそうさま。ほらっ、早く行くわよ」
そう言い私は魔法屋を目指して足早に歩いていく。
「あっ、待って! めぐみちゃんっ!」
私の胸には若干の嫉妬みたいな気持ちがあった。
だって美奈ったら、あんなに私が話してもどことなく上の空で元気がなかったというのに。隼人くんの名前が出ただけで少しいつもの感じを取り戻しているんだもの。
私はもう一度心の中で大きなため息を溢しつつ、美奈を置いてけぼりにすることで清算することにしたのだった。
街の大通りの途中の、少し小さめの木造の丸太小屋のような建物。それが魔法屋だった。
中に足を踏み入れるとかなり薄暗くて、本棚が整然と並んでいる。
中の一段ごとに一冊、分厚い本が置かれている。
正直場所取り過ぎと思わなくも無かったけれど、この一冊一冊が何かの魔法の本なのだろう。
こうして置いていれば無くなったらすぐ気づくという利点はある。
魔法書が一冊でもかなり高価なものなのであればそれにも納得はいく。
店の奥には長机が一つ。
そこに紫のフードを被り、眼鏡を掛けたいかにもおとぎ話に出てくる魔法使いといった風なお婆さんが居眠りをしていた。おいおい無用心だなおい。
「あの~……すみませ~ん」
私が声を掛けると船を漕いでいたおばあさんの動きがひたと止まり、しょぼしょぼした目が急にパチリと開いた。
失礼かとしれないけれど、それが何かのおもちゃみたいでちょっと可愛いかもと思ってしまう。
「おや……お客さんかい? また可愛らしいお嬢さんたちだねえ」
お婆さんは思いの外はっきりとした口調で話した。
もしかしたら別に眠ってはいなかったのかもしれない。
魔法使いっぽく精神を集中していたとか?
とにかくおばあさんはにこやかにこちらに微笑み手招きする。
美奈は私の横を通りすぎ、すたすたと机のところまでいくとぱちんと机を叩き身を乗り出した。
「あの、私! 光魔法をもっと覚えたくて! 何かオススメなものはありませんかっ!?」
美奈は緊張しているのかやる気に満ち溢れているのか、頬を紅潮させながら一生懸命だった。
お婆さんはそんな美奈の勢いを特に気にするでもなく少しだけつぶらな目を大きく見開くと、それも束の間。にっこりと顔をしわくちゃにして笑顔を作った。
それが余りにも優しそうで。田舎のおばあちゃんみたいだ。
「ほお、光魔法かい? うちは見たとおり小さい魔法屋でねえ。それだとあるのは三つしかないよ」
「どっ、どれですかっ!?」
「後ろのお嬢さんのすぐ隣の棚の本だよ」
そう言っておばあさんは私のいる左隣の棚を指し示す。
美奈は弾かれたように振り向きその棚の方へ小走りで駆けていく。
そんなに急ぐと転んじゃうわよ全くもう。この娘ったらこんなに慌ててすみませんねえおばあさん。と美奈の行動に母親じみた感想を抱きつつ、棚の前に来た彼女の横に並ぶ。
しかしこんな小さい魔法屋でも三つもあるのかと思った。
だって光魔法って神聖な感じがしてたくさん種類があるイメージが無かったから。
もしかしてここだけ特別に多いとか。その辺の知識は皆無なのでよく分からないけれど。
『ボクもその辺の知識は乏しいからよくわかんないや』
――ふむ。
中々に頼もしい、知り合ったばかりの相方の言葉を脳内で聞きながら、私は棚を見やる。
『悪かったね、なんにも知らなくて』
目の前には三冊の百科事典のような大きさの魔法書が置かれてあった。
それぞれ魔法名らしきものが書かれてあるけれど、古代文字らしく何と書かれているのか読めない。
ネストの村で見た魔法書もそうだった。
あとそうそう。今さらなのだけれど、この世界の文字は基本的に私たちでも読める。
というのも普通にこの世の中で使われている文字は日本語なのだ。
いや、この世界に日本は無いからダルシ語?
これは私たちの世界とほぼ同じだと思われる。
私は漢字にそこまで詳しくないからもしかしたら細かい部分は違うかもしれないけれど、この店の看板も『魔法屋』って書かれてあった。
なのでこの世界で今のところ会話や文字で苦労したことはほとんどない。
というか読めない文字は今のところ、この魔法書に書かれている古代文字くらいだ。
でもこれはこちらの世界の人たちも基本的には読めないらしい。
ある程度古代文字に精通していれば読めるみたいなのだけれど、一般的ではないのだとか。
その知識を私は別に得ようとは思わなかった。
だって今のところここのような魔法書くらいでしか目にしない文字をわざわざ解読するための知識を得るとかめんどくさいし、非効率だと思うのだ。
それならばやっぱりお金の価値とか、魔物や魔族に対する知識とか、世間の一般常識みたいな知識を得る方が遥かに有意義だし優先順位が高い。
お陰でさっきも魔石の換金の時に利益を得ることが出来たわけだし私ってエライ!
そうこうしている内に美奈が魔法書を両手に抱えて戻ってきた。
小走りで駆けてくる美奈は、初めてのおつかいを終えた子どもみたいで。何だかとっても嬉しそうで、思わずよしよしいーこいーこしたくなった。
「買えたの?」
私がそう訊ねると、美奈は頬を薄赤く紅潮させて笑顔を私に向けた。
「うん! 一つは今も使えるライトニングスピアだったから、新しく2冊」
「そっかそっか」
ライトニングスピアは光魔法の最も初歩的なものだ。
ネストの村にその魔法書があり、既に習得済みというわけなのだ。
「美奈。じゃあさっそくここで読んでみたら?」
「あ――うん」
私がそう告げると、彼女は途端に緊張した面持ちになった。
まあ無理もない。
本を買ったものの、開いてみるまでは習得可能かどうか分からないからだ。
魔法の習得方法。
それは簡単だ。
単純に本を開いてみればいい。
魔法書には何か特別な魔力が込められているのか、その魔法の適性がある人には基本何が書いてあるか分かるらしい。
それは読むとかそういう事ではなくて、本を開いた瞬間にその情報が頭の中に流れてくる感じらしい。
これは美奈や村の人から聞いた話でしかないけれど。
というのも、残念ながら私は魔法を習得する才能がない。
ネストの村にあったどの魔法書を開いても、その感覚を味わえなかったのだ。
『あ、シーナ。そのことなんだけど、君は今ボクと正式に契約を結んだことによって、風魔法も使えるようになっているはずだよ?』
「え!? マジ!?」
さらりと爆弾を投げ込んでくるシルフ。
というかそんな事まで可能になっているとはいざ知らず。私は急に得した気分になった。
「え――じゃあ私も魔法書買おっかな」
『あー、でもここに置いてある風魔法は一つしかないね。それにその魔法なら別に買わなくったってもう使えるよ?』
「えっ、そうなの!? てか風魔法は一つって。……まあ、いいけどさ」
確認しなくてもそんな事まで分かってしまうシルフはさすがだ。
しかしちょっぴり納得がいかない。
光魔法が三つも置いてあるのに対し、風魔法は一つしか無いなんて。
風魔法の方が汎用性が高いような気がしたから、もっとたくさんあると思っていただけに拍子抜けのぬか喜びだ。
ていうか思ったより風魔法ってレア? そしたら私ってスゴくない!?
『別に四大属性っていうくらいだから特別でもなんでもないと思うよ? たまたまじゃないかな』
「……ちっ」
シルフの言葉を舌打ちでスルーし、改めて美奈を見つめる。
彼女はいよいよ一冊の魔法書を手に取り、固く閉じられた魔法書をおばあさんに貰った鍵で開こうというところだった。
魔法書にはそれぞれ勝手に中を見られないよう予め鍵が掛けられている。
魔法を買うとそれぞれの本を開くための鍵を渡してもらうという仕組みだ。
解錠して中を見たらまた本棚に戻す。一回見たら魔法書はその人にとって不要のものとなるので何度もリサイクルできるのだ。
魔法書自体かなり高価なものみたいで、たくさんは世の中に出回っていないから、そういう風に利用しているらしい。
盗まれたりしないのかとも思うけれど、そういったことを考えてしまうのは野暮なのだろうか。
美奈は慎重に錠前に鍵を差し込み、丁寧に本に手を掛けた。
カチャリと小気味いい音を立てて、本を止めている金具が外れる。
美奈の頬は相変わらずさっきから紅潮している。
見ているとまるで宝物でも手に入れた子供みたいで、すっごく微笑ましくなって、胸がきゅんきゅんした。
本はパラパラと捲れ、彼女が目を通した瞬間眩い光を放った。程なくしてその光は美奈の体へと吸い込まれるように移っていく。
ネストの村でライトニングスピアを覚えた時と同じ感じだった。
光が収まると、美奈は一度ゆっくりと目を閉じた。
「……どうなの?」
しばらくして美奈はゆっくりと目を開き微笑んだ。
「うん。何とかなりそうだよ」
「お、そっか! じゃあもう一冊も覚えちゃいなさい」
「うん」
もう一冊の本も開く。
けれど今度はちょっと先ほどとは違う反応で。
同じように光は現れた。
けれどその光は中々美奈には移って行かず、やがて光を弱め、その弱々しくなった光の粒子が美奈の中に入っていったのみだったのだ。
「――ほう……」
後ろでお婆さんが感嘆の声を漏らした。
「どうしたんですか?」
私はがおばあさんに訊ねると、おばあさんはまたにっこりと笑った。
「今の魔法は現代魔法とは少し違うようでね。おそらく使える者がいないんだよ。少なくともあたしゃその魔法を使える人を見たことが無いね。だから全ての人に光の発動すら起こらない。初めてなんだよ。その魔法書を読んで光が発動した人は」
「え、そうなんですか!? ねえ美奈、どうなの?」
そんな話を聞くと流石にテンションが上がる。
だって美奈が特別だと言われているみたいで。自然と嬉しくて笑顔が溢れてしまう。
けれど当の美奈は虚空を見つめながら小首を傾げている。
いまいち得心がいかないような顔をしていた。
「……うん。多分ダメだと思う。この魔法は今のところ使えそうにないよ」
「……そうなんだ」
そう呟く美奈は、自分の手を見つめながら何か考え事をしているみたいだった。
ちょっぴり残念だけれど、落ち込むのはまだ早い。
だって光が出現したのは確かなんだもの。
可能性はきっと0ではないってことなんだよねって思うから。
魔法屋を後にした私たちは、露店で買ったサンドイッチを頬張りながら大通りを歩いた。
きらめく日差しは優しく、長閑な雰囲気を醸し出している。
グランダルシは天気のいい日ばかりだし、気温も寒くもなく暑くもないと丁度いい気候だ。
そんなだから外を散歩するには本当にもってこいなのよね。
目的の場所はヒストリア方面の出入口近くの街の外。
せっかくだからこんな日はゆっくりランチでも、と思わなくもないのだけれど。あいにく私たちにはそんなに時間が無い。
実は美奈としては先ほど習得した魔法をいち早く実戦でも使えるように、試し打ちがしたいのだ。
魔法が使えるといっても効果や威力、消耗がどのくらいか、などは実際に使ってみないと分からない。
最悪結果的に実戦で全く使い物にならない可能性だってある。
新しい魔法を覚えた、と言ってもまだまだそれを精査する必要があるのだ。
美奈もそれは解っているようで、その表情はまだまだ固い。
何ならより緊張してさっきよりも不安そうな表情かもしれない。
そんな彼女の緊張をほぐしてあげるのも、私の役目だと思ってついてきたのだ。
私は彼女の不安を紛らわすようにサンドイッチをぱくぱくと胃の中へと放り込み、美奈の手を取り腕を組んだ。
「めぐみちゃん?」
「デートッ」
小首を傾げる美奈に、にこやかにそう答えると、彼女もにこりと微笑んでくれた。
私はそこから二人、腕を組んだまま鼻唄混じりに街中を並んで歩いたのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
大きな門をくぐり街の外へ出ると、目の前には広大な平原が広がっていた。
何だか小鳥のさえずりとかも耳に届いてきて、本当に長閑な雰囲気が漂っている。
あと少ししたらここを進んでヒストリアに向かい、魔族との激戦を繰り広げる、なんてまるで思えなくなってくる。
かなり遠くの方に山々が連なっているのが陽炎のように見える。
かなりスケールの大きい山脈だ。
私が住んでいたところはどちらかというと海が近かったので、こういう山々を見るのは久しぶり。
こんな景色は遠足だったか何だかの朧気な記憶の中にうっすらと残っている程度。
「ほわあ~……」
だからかな。こんな広大なスケールの景色を見せられて胸が一杯になって、変な声が漏れでた。
不覚にも何だか涙が出そうになって。慌てて首を振る。
いかんいかん。今は感傷に浸っている場合じゃないのだ。
ほんとこればっかりは。ともすると歯止めが利かなくなりそうだから、私は頭を空っぽにしてぐっと歯を食いしばる。
「じゃあっ、やる?」
「うんっ」
横に並ぶ美奈に、にこやかに笑顔を向ける。
ちょっと大げさすぎたかもと思わなくもないけれど、美奈も同じように弾んだ声を上げた。
私たちは、更にそこから移動して、街の入り口から少しだけ離れた平原で魔法の発動を試すことにした。
この辺はほんと見通しがいいので安心だ。
魔物がいてもすぐに気づく。どのみち風の感知もあるから大丈夫なんだけど、私は目の前への感知は目視すればいいからと緩めることにした。
「それじゃあ、私はそこで見てるわね」
ちょうどすぐ側に腰かけられそうな岩があったので、余分に買ったサンドイッチでも食べようかと歩いていって腰を下ろそうとしたところ。
「――あの……、めぐみちゃんっ!」
「ん?」
不意に美奈に呼び止められる。
さっきからずっとそうだけれどちょっと緊張の面持ちの美奈。
新しい魔法の試運転にやっぱり不安なのだろうか。
「どした?」
私が微笑み訊ねると、美奈はしばらく逡巡するように視線を泳がせた後、やがて意を決したように私を見てなんとこんなことを提案してきたのだ。
「私の魔法、めぐみちゃんに向けて試してもいいかな!?」
「――――」
急に放たれたその言葉に私はしばし沈黙。
突然何を言われたのか頭の中が真っ白になり、数瞬の後、私の頬にはちろりと冷や汗が伝う。
「え……と。シルフと契約してから確かに回避とかには多少自信あるけど、それでもちょっと心配かな……。もし当たったらちょっとね……さすがに痛いかもだし。まあ美奈に治してはもらえるから万が一があっても大丈夫だとは思うんだけど……それでもさ、これから移動とかけっこう気合い入れないとだしさ」
恐る恐る丁重にお断りしようとする私の言葉を受けながら、ぽかんとした表情を浮かべていた美奈。
何だか噛み合っていないような気がする。
彼女はやがて合点がいったようで、ハッとした表情になって顔を赤らめた。
「あっ……いやっ、ごめん! そ、そうじゃなくて!」
「――あっ、そゆこと?」
彼女の明らかに動揺した反応で、さすがの私もぴんと来た。
というか私ったらばかだ。
考えが足りないにも程がある。
「あのさ、新しい魔法って補助魔法か何かなの?」
私の言葉に慌てて口をぱくぱくさせていた美奈はコクコクと激しく首を縦に振った。
――やっぱり。私ってバカだ。
冷静に考えれば分かることじゃん。美奈が私に向けて攻撃魔法試し撃ちとかあるわけ無い。
何を勘違いしたんだかと私も途端に恥ずかしくなった。
「そうそう! ライトニングギャロップって言ってね。攻撃魔法じゃないからっ、安心して?」
「あ、そうだよねっ! ごめんねっ! うんっ!」
美奈の言葉に私は安堵しつつ頷く。
けれど、それでもだ。多少の不安は残るのは否めない。
私はほんの少し、う~むと唸ってしまった。
「――確かに効果がどんなものか知る必要はあるものね。……でもさ。それ、ほんとに大丈夫なわけ? 疑うわけじゃないけどさ。失敗して暴走したりとかしないの?」
「う――それは……たぶんとしか言えない」
自信なさげに俯く美奈。
確かに魔法なんてつい最近覚え始めたことなのだ。自信なんてないだろう。
初めて人に注射を打つ看護師さんみたいな気分なのだろうか。
そんなことを考えるとさらに不安は募っていく。
けれどせっかく美奈を元気づけようと画策していたのも事実。
親友としてここで引き下がる訳にはいかない。
「分かった分かった。いいわよ、早くやっちゃいましょ?」
「え、いいの!?」
「う……ん」
私の呻きにも似た返事に美奈の顔はさらに曇っていく。
やっちまったと思い、そこで私は覚悟を決めた。
「わ、わかったからっ! 時間ないんだから早くやっちゃいなさい! ほらっ、カモンッ! ミナチャンッ!!」
私は最後若干変なテンションになりつつ、腰を低く構え両手でクイクイと美奈に魔法を促す。
まあ失敗しても、死んだりとか痛かったりとかは別にないだろう。
万が一怪我したら美奈に治してもらうことはできるのだし。
何より美奈に自信をつけさせてあげたいから、やるっきゃないっ! 女は度胸よっ!
「う……ん。わかった、ありがとう。めぐみちゃん」
美奈もようやく納得してくれたようで。軽く深呼吸した後、彼女はゆっくりと目を閉じた。
「我が身に宿りし光のマナよ」
詠唱が始まった途端、美奈の体から光が浮かび上がる。
それは彼女の身体の周りに等しく光の粒子が湧き上がっていく感じだった。
その様子はとても神秘的で、彼女の容姿や振る舞いとも相まって、さながら光の妖精を思わせた。
「我が魔力以て 地を駆ける光となりて 彼の者に大いなる祝福を」
やがて光の粒子は美奈の体を離れ、集まり、中空に揺蕩い、止まる。
「ライトニングギャロップ!」
「わはんっっ!?」
急に光の粒子が私の体に纏わりつき、結果変な声が出てしまった。ちょっと恥ずかしい……。
力ある言葉を受けた光の粒子は私の体に注がれていき、火照ったように熱を帯びる。
あ、決してえっちな意味じゃないわよ?
ウォーミングアップを終えたスポーツ選手のそれみたいな感じだからね?
「めぐみちゃん? どう……かな」
若干心配そうに眉根を寄せる美奈。
「……これが?」
私は自分の体に視線と意識を向けつつ呟いた。
「うん、成功したと思うんだけど。めぐみちゃん、少し走ってみてくれる?」
光輝く私の体を見て、まだ少し不安そうにしている美奈。
魔力を使って少し蒸気した美奈の表情が妙に艶っぽくて。ドキドキしちゃうのは私だけだろうか。
「こうかな?」
そんな下世話なことを思いつつ、美奈の言われるまま駆け出してみる。
「――っ!!?」
すると、どうだ。
ほんの数メートル先に進むだけのつもりが気がつくと数十メートル先まで来てしまっているではないか。
「――すごっ」
思わず感嘆の声を上げてしまう私。
そこで改めて思う。魔法ってのはこの世界の革新的なほんとにすごい発明だと。
「めぐみちゃんっ。ど、どうかな~!!?」
もうだいぶ離れてしまった美奈が叫んでいる。
「美奈っ! これすごいわっ!」
私も美奈と同じように叫びつつ、再び彼女の元へと戻ろうとした。
すると今度は先ほどよりもリアルに体に起こる現象わ感じられた。
体がまるで自分のものじゃないみたいだ。凄まじい反応速度で以て動いていく。
何とか2回目の動作は多少の制御が出来た。
原理も何となく理解出来た。
おそらくこれは身体の電気信号を活性化させる魔法なのだ。
脳で思ったことを身体が異常な速度で反応を示すような感じかな。
慣れればかなり素早く動けて敵を翻弄出来るかもしれない。
実際隼人くんやアリーシャには有効な補助魔法となるんじゃないだろうか。
それでも正直私には必要ないかもしれないなと思った。
実際ほとんどの場合、風で宙に浮いてで戦うし。
自分の足で動き回って戦うスタイルでない私には、無用の長物だと思ってしまうのだ。
もちろんその事は、今は美奈には言わないでおくけれど。
「すごいわよっ! 美奈!」
「え!? そ、そうかな?」
私は美奈の手を掴んで顔を近づける。
美奈はその勢いに後ずさって戸惑いながら小首を傾げた。
「そうよ! これがあれば他のみんなもこんなに超スピードで動けるってことでしょう!?」
「あ……うん。そう」
「あなたの力でみんなの力の底上げができて、有利に戦いを進められるってことじゃない!」
「そ……そうかな?」
半信半疑といった表情は変わらない。
私はそんな彼女の反応に、少し焦れったくなってしまう。
だから余計な事とは思いつつもついつい言ってしまうのだ。
「そうよっ! だから美奈! 自分は足手まといだとか、みんなの役に立てないとか、そんなことで落ち込まないで! 私たち、みんなそんなこと全く思ってないんだから!」
美奈の相貌が見開かれる。
思ってることははっきりと声に出して言った方がいい。
いつだって私たちはそんな関係性でもって接してきた。だからこそ私たちは自信を持って親友なんだって思える。
私は握った手にさらに力を込めた。
美奈にこんな事で躓(つまず)いてほしくない。
いつものように、みんなを照らす光のような存在でいてほしいのだ。
私は彼女の紫紺の瞳を、逸らすことなくこれでもかと見つめ続けた。
どれくらいそうしていただろう。
10秒? 30秒? 1分? 1時間? いやいや、そんなことはないけれど。
やがて彼女はふうと息を吐くと、折れたように笑顔になる。
それは諦めとか根負けしたとかのものじゃなく。
本当の心からの笑顔に。
その瞬間私の想いがきちんと彼女に届いたって、伝わったって思えた。
「ありがとう、めぐみちゃん」
その笑顔があまりにも女神すぎて、女の子の私でも胸がきゅんとして照れ臭くなってしまう。
美奈マジエンジェル、いや、ゴッデス。
「えへへ。どういたしまして。じゃさ、この勢いでもう一つの魔法も試しちゃおうよ。私も手伝うからさ」
「うん。でも、これは一人でやるよ。ちょっと簡単にはいかなそうだし」
「――そうなの?」
はてと小首を傾げる私。
このまま手伝う分には一向に構わないのだけれど。
まあ別に遠慮してるってわけではなさそうだし、ここは素直に聞き入れることにする。
「分かった。じゃあ近くで見てるね」
「うん。じゃあめぐみちゃんはサンドイッチ食べていいよ?」
美奈の言葉に頷きつつ、今度こそ手近な岩に腰を下ろし、サンドイッチにありつこうとしてはたと美奈と目が合った。
何だかその瞳が生温かく感じられて一瞬手が止まる。
「――あれ? 私ってもしかして食いしん坊キャラになってる?」
「うん、否定はできないかな」
「くはっ……!!?」
いつもは遠慮がちな美奈がここは即答で来たもんだから、さすがの私も若干自制すべきかと反省する。
それを慌ててぱたぱてと手を振り否定する美奈。
「あっ、でもめぐみちゃんの場合それがいいっていうか、ありよりのありだよっ!?」
「ありよりのありって言われても全然フォローになってないんデスケド!?」
『ククク……』
私たちのやり取りを聞いていたシルフが笑う。
少しむくれた気持ちになったけれど、そもそもここまでの私たちの会話を黙って見守っていてくれるくらいにはデリカシーはあるようなので、今回はスルーしてあげることにした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「――この身に宿りし光のマナよ 空に散りばめられし星となれ 今ここに……」
「……」
サンドイッチをあっという間に平らげた私は美奈の挙動を見つめながらふむとうなる。
さっきから一向に魔法が発動する気配が無いのだ。
何度やっても結果は同じだった。
魔法屋のお婆さんも言っていたけれど、やはりかなり難しい魔法らしい。
美奈はついには魔法を完成させることもなく、途中で詠唱をやめてしまったのだ。
「やっぱり難しいの? それ」
美奈の邪魔をしないようにと黙って見守ってはいたけれど、さすがに彼女も明らかに行きづまっている。
ここいらで一度声をかけてみることにした。
「うん。なんかイメージがうまく掴めなくて……」
彼女は俯きぽそぽそとごちる。
その横顔は明らかに落ち込んでいた。
「イメージ?」
「うん。ライトニングギャロップはすぐにイメージできたんだけど、こっちの魔法は魔力をどう形にするか、中々しっくりいかないの」
「ふ~ん……要するに魔法っていうのはさ、頭の中のイメージを魔力を使って形にしている感じってことなの?」
私は精霊との契約をしてはいるものの、こういう魔法自体は使ったことがない。
その原理のイメージが湧かないのだ。
だからまずはその辺の部分から攻めてみようと思う。
「ねえ、そもそもさ。魔法にはなんで呪文があるんだろうね」
私は素朴な疑問を口にする。
「――え?」
その言葉に美奈は呆けた表情を作った。
「だってさ、精霊魔法にはそんなものないじゃない? 私が風を操る時、詠唱なんてしたことないもの。それに、イメージを形にするっていうことなら私の使う精霊魔法と変わりがない気がするんだよね」
「あ――そう……だね。そうだよね」
美奈は私の言葉を咀嚼するようにこくこくと頷き、何かを考え込むように一点を見つめた。
『まあ精霊の力は絶大だからね。ボクなんかはほら、息をするように風を操れちゃうからさ』
「はいはい……あ」
話に割り込んできたシルフの言葉を聞いていると、隼人くんとアリーシャが宿屋に向かう所だということに気がついた。
美奈に再び声を掛けようとしたけれど、ついさっきまで話していたのに、今は魔法と向き合っているのか目を瞑り真剣な表情で佇んでいる。
何か掴めそう――になったのかもしれない。
ここで邪魔をしては悪い。私はそれならばとこの場に感知の目を残しつつ、隼人くんたちと合流してここへ連れてくることに決めた。
気がつけばライトニングギャロップの効果は既に切れていたけれど、通常の状態でもここから五分も掛からない距離。
ここに美奈だけを残すのは若干危なっかしいかもしれないけれど、感知さえしっかりしていれば、まあ大丈夫だろう。
私は今も尚集中している美奈を横目に、風を操り空へと飛び立ったのだ。
アリーシャが腹ごしらえをして、宿屋の馬車を停めてある所まで戻ってくると椎名は一足先に待っていた。
椎名は先程のポンチョのような服を着替え、今までの格好に戻っていた。
お気に入りの衣服なのか。とにかく同じようなものがあって良かったなと思う。
更にプラスして少しだけ衣服周りの様相が違っていた。
ここピスタの街で買ったのであろう。新しい茶色のブーツと、腰にはウエストポーチが巻かれていた。
椎名らしい機能性と動きやすさを重視した装いだと思う。
「二人きりのデートは楽しかった?」
「――っ」
開口一番のそんなことを言ってくる椎名。
私はその言葉に正直かなり辟易した。
私自身は椎名からのそのくらいの冷やかしには慣れている。
だが問題は私の連れはそうもいかないということなのだ。
「なななな何を言うシーナっ!? で、デートなどとっ!? これはそんな破廉恥なものでは無いっ! そ、それにっ! 万が一これがデートだと言うのならば、私とハヤトが手を繋いでいなければならないという事だっ!? そんな事は断じてなかったであろう!!?」
やはり――。
予想通り顔を赤らめ、普段と違い凄まじく饒舌になるアリーシャ。
それを見て私はため息を漏らした。
しかしアリーシャのこの独特の恋愛観。これは一体誰が吹き込んだものなのだろう。
やはりいつも近くにいたらしい侍女のフィリアだろうか。
一緒に旅をしてきて、少し物静かで控え目な印象を受けていただけに、もしそうならかなり意外だ。
お茶目というか。何ならアリーシャで遊んでいないか?
それともフィリア自身もただ単純にそんなぶっ飛んだ恋愛観の持ち主なのだろうか。
その方がしっくり来るような気もする。
機会があれば聞いてみたいものだ。
「はあ……相変わらずそのアリーシャの恋愛基準は誰が教えたのかしら」
椎名もため息混じりに全く同意見な事を言う。
「アリーシャ……かわいいわね……」という彼女の呟きが、やけにリアルにグサリと心に響いた。
椎名もそんなに疲れた表情を作る羽目になるなら多少は予想できたのだろうから言わなければいいのにと思う。
まあ完全に自業自得。椎名はもう放っておくとしよう。
アリーシャは私達の視線を受け、未だに「あ……う……」とうめいている。
真っ赤な顔をしたアリーシャと不意に目が合い「ひゃいっ」と目を逸らされる。
――うむ。可愛い。
うんうんと一人強く頷く。
これだけで私自身、かなり満足した気持ちになれたのだ。
「隼人くん?」
椎名にジト目を向けられて顔から血の気が引く。
彼女に今の私の思考を悟られるのは絶対にまずい。
「――な、なんでもない。早く行くぞ。アリーシャも、ほら」
「――そ、そうだなっ」
椎名の意味深な視線を受け流すべく、慌てて馬車へと乗り込む私とそれに続くアリーシャ。
こういう時に限って女性というものは勘が良かったりするものだ。
余計なことは考えず、悟らせず、先へ進むのが吉である。
私は未だ赤い顔をしているアリーシャを馬車へと押し込み、御者台へ座る。
そこで気づいた疑問を椎名へと投げ掛ける。
「椎名、そう言えば美奈の姿が見えないのだが?」
「あー、大丈夫。ちゃんと見張ってるから。ヒストリア王国側の入り口近くで待機してるわ。何だか新しい魔法、試したくてしょうがないみたいでさ」
ぱたぱたと手を振る椎名にそういうことかと無言で頷く。
美奈が新しい魔法を覚えたいであろう事は察していた。
「そうか。で? 首尾はどうだ? うまくいきそうか?」
「まあ詳しくは美奈に直接聞きなさいよ。あの娘も必死に色々考えてるみたいだったから」
そう言って椎名もそそくさと馬車に乗り込んだ。
椎名の言う通り、話は道中本人に聞けばいいだろう。
私は御者台のロープを握り、馬車を出発させようとする。その時だ。
「――え!? まさかこんな短い時間で!?」
すぐ後ろで馬車に乗り込んだばかりの椎名が焦ったような声を上げた。
一人言のようなその呟きに、私は真っ先に思い至る。
と同時に私はすぐに動いた。
握った手綱に力を込め、町の入り口へと急ぎ走らせる。
きっと美奈の身に何か起こったのではないだろうか。
恐らく椎名が感知していた事からすぐに異変に気づいたのだ。
「どうしたのだ!? 何があった!?」
馬車の速度を上げながら問い掛ける私の質問には答えず、椎名が馬車から身を乗り出した。
「ごめん! 先に美奈の所へ行くわ! ヒストリア方面の街の入り口出てすぐの所だから難なく見つけられるはずよ! 二人は後から馬車で追いかけて来て!」
「――分かった!」
とにかく今は誰よりも早く動ける椎名に任せておくのがいいだろう。
椎名はそのまま空へと飛び立った。
まるで鳥のようだ。
一瞬で彼女の背中は遠くなり、豆粒のような大きさになった。
「ハヤト!」
「分かっている!」
私はアリーシャの声に呼応するように更に手綱に力を込め、一層勢い良く馬車を走らせた。
大事にならなければいいが。
程度はよく分からないがとにかく美奈が無事であることを祈るのみ。
私の鼓動は早く脈打ち、焦燥に駆られる心持ちで落ち着かない。
彼女に何かあったらと思うとまるで生きた心地がしなかった。
そしてふと思う。
椎名も工藤が拐われたと知った時、これと同じ気持ちだったのかと。
馬車を走らせること五分程度。
私達が入ってきた方向とは反対側の街の出入口が見えた。
東門というやつだ。
門には門番がいたが、昼間は開けているのだろう。そのまますんなりと通してくれた。
門を抜けると広大な平原が目の前に広がる。
椎名の言った通りすぐ近くに二人は見つけられた。
そこには彼女と共に美奈の姿があった。
見たところ何の外傷もなく、一旦ほっと胸を撫で下ろす。
先程焦って椎名が先行した時には血の気が引いたが、二人とも何事も無かったかのように見える。
私は改めて馬車を停め、御者台から降りると二人の元へと近づいた。
「椎名、先程は一体どうしたというのだ。美奈の身に何かあったのかと思ったぞ」
すると椎名は腕を組み、ちらと横目で私を一瞥。何とも煮え切らない顔で首を捻っている。
「う~ん……。おかしいなあ……気のせいだったのかな……」
「???」
「……確かに感知で何者かの気配を感じたのよ」
「――そうなのか?」
美奈の方を見やると彼女もよく分からないと言った風に小首を傾げていた。
「うん、私も良くわからないんだけど。めぐみちゃん、私が誰かに襲われたのかと思ったみたいで」
だが当の美奈は特にこれといって変わった様子はない。
念のため彼女の胸の内も確認してみるが、別に気を使っているとかそんな事はないように思える。
「私は何もなかったって言ったんだけど、今いち納得がいかないみたいで」
「美奈はここで何をしていたのだ?」
短い時間とはいえ一人になるという事はやはり危険な事だ。
今回も二人で行動していればこんな事にはならなかったはずである。
だが私自身も昨日工藤の件で同じ失敗をやらかしている。強く言えた義理では無いのだが、もやもやと煮え切らない想いを抱えてしまうのは否めない。
それに私としてもやはり椎名と美奈の二人と別行動を取る選択をした責任がないわけではない。
そう思うと益々椎名のせいにするような発言は憚られた。というか彼女だけの責任では決してない。
「新しい魔法の練習だよ」
彼女は予想通り、そんな答えを返してきた。
やはり二人して新しい魔法の修得に勤しんでいたのだろう。
美奈は自身の戦いにおける戦力にならなさを気にしていた。
宿屋から魔石屋へと向かう道中魔法屋を前にしてじっと建物を見つめていたのだ。
新たな魔法をそこで修得し、試し打ちをしていたのだろう。
美奈は一度集中し出すと他が手につかなくなったりする。
椎名が気を使ってそっとその場を離れるのが容易に想像出来た。
「私、光魔法の適性があるから、戦いに役立つ魔法がないかなって。探したら二つ見つけることができたから」
「なるほど、そうか。で? 成果はあったようだな」
美奈の顔は魔石屋で離れる前と比べると、随分と晴れやかな表情に見えた。
彼女の胸の内のもやもやも少しは晴れたように思う。
「うん……実際どれだけ役に立つのかはわからないけど、少しは皆を助けられると思う」
「そうか。美奈、期待しているぞ」
「――うん!」
元気な返事をくれる美奈はとても嬉しそうであった。
光魔法が具体的にどんな物があるのかは分からないが、美奈の皆の役に立ちたいという想いが伝わりそれだけで力が湧いてくるようであった。
そこで思う。
何だかんだ言いつつも、今現在最も戦力として心許ないのは私だ。
エルメキアソードが全く出せなくなってしまい、今の私は身体能力が少し高いだけの剣士なのだ。
それも素人に毛が生えた程度。
そんなでは魔族との戦いで何の役にも立たない。寧ろ相当の足手まといだ。
もし椎名のように精霊の力を借りられれば話は変わってくるかもしれないが、そのために何をすべきかはさっぱり見えてはこない。
シルフは精霊と私はまだ繋がっている状態だと言う。思考や想いは精霊に届いているのだとか。
だから反応は返ってこなくとも説得し続けるしか無いと言っていたが。果たして本当にそんな事で効果があるのだろうか。
今この瞬間も私の声を精霊は聞いてくれている。
私はふうと短いため息を吐き、澄みきった青空を見上げた。
私の中の精霊よ――。
頼む。今の私はどうしても精霊の力が必要なのだ。
――皆の力になりたいのだ。どうか私を助けてくれ。
――お願いだ。
そう一縷の望みをかけるように、心の内へと切実な吐露をする。
「…………」
「隼人くん?」
ぼうっとしていると思ったのだろう。美奈が訝しげな目を向ける。
私は彼女ににこやかに笑みを送る。
「あ、いや。すまない。ちょっと考え事をな。とにかく皆揃ったのだ。そろそろ出発しようか」
「うん、そうね」
椎名はそれだけ言うとまだ得心がいかないような顔をして馬車へと乗り込んだ。それに美奈も続く。
二人の背中を見つめつつ、不意に振り返ってもう一度虚空を見つめてみた。
だがやはり、私の声に応える存在など一切感じられなかったのだ。