「ライラ、何故ここに……?」
「――っ!!」
助けられたことによる感謝の気持ちよりも、アリーシャの胸の内にはさざ波のように苛立ちが広がる。
だが今回はライラの様子が少しおかしかった。
「ライラ……!?」
身をよじるとライラは苦悶の表情を浮かべたのだ。
アリーシャを助けた際、アリーシャを抱えているのと反対側の左腕だ。そこにグリズリーの爪牙によるものであろう傷があったのだ。
肉がこそがれ、抉れ、かなりの重傷だった。
「ライラッ……!!」
「大丈夫。こんな相手、利き腕一本あれば十分よ」
「そ、そんな問題ではっ……」
ライラはアリーシャの口元に人差し指を寄せ、いつもの柔らかな表情で微笑む。
アリーシャは口をつぐみながら胸の中がもやもやして気持ち悪くなる。
ライラの顔を、まともに見れない。
「そんなことよりもアリーシャ、動けるかしら?」
「あ――ああ。何とか」
「ならあの子を連れて離れていなさい」
そう言うとライラはアリーシャを地面に降ろし、彼女の肩をぽんと軽く叩いた。
その表情には変わらずいつもの微笑が浮かんでいた。
全ての感情を受け流すような、透き通った瞳に見据えられ、この時ばかりはアリーシャも戸惑う。
「あ……」
彼女はそれ以上何も言わずグリズリーへと駆けていく。
その背中を掴みたいと思うけれど、アリーシャの手は虚空を掴んで揺蕩った。
ライラは血を流しながらもグリズリー二体の爪牙をいつもの涼しい顔で避け続けていた。
その度に鮮血が飛び散っていく。かなり痛々しい。
それがアリーシャの胸をぐしぐしと抉るように突き刺さっていく。
魔物の攻撃が当たるとは到底思えない。
いつも通りの流麗な動き。だが今はライラの事をまともに見ていられない。
アリーシャはとにかくライラの言いつけ通りフィリアの元へと足を向ける。
そしてアリーシャもバリアーの魔法を張ってもらい、その中に二人して身を隠した。
ふとライラの方を見やると彼女と目が合った。ライラはそこでまた微笑んだ。
「ヒストリア流剣技、林」
ライラが技の名前を言った瞬間、彼女の体がうっすらと透けて見えた。
まるで幽霊にでもなったかのような、存在が希少なものとなったように。
そして驚いた事に、グリズリーの攻撃はその全てが空を切り、ライラの体を通り抜けていく。
「なんだあれは……!?」
アリーシャはその剣技に見とれ、同時に戦慄した。
グリズリーの爪牙が十数回、そのことごとくが空を切る。
「バフォ……」
空振り腕を振り回すことに疲れたのか、攻撃に一時の間が生まれる。
それを黙って見過ごすようなライラではない。
彼女のは剣はその隙を突いてグリズリー二体の首筋へと疾った。
「――ガッ!?」
何かにこつかれたように体を震わせ、グリズリー二体の動きが鈍くなっていく。やがてその動きがピタリと止まる。
直後ライラの剣が鞘にしまわれる。
チンという小気味良い音がやけにクリアに響き渡る。
その瞬間にグリズリー二体の首に剣線が走り、頭がポトリと地面に落ちた。
体は虚空を彷徨うように腕を上下に震わせるグリズリーの胴体。そのまま二体の魔物は青い魔石へと姿を変えたのだった。
「――ふう」
一息吐くとライラは涼しい顔でアリーシャの方を見る。
やはりライラは強い。
今のアリーシャがどう背伸びしても敵う相手ではなかった。
そう思わせる程に圧倒的な剣の腕だ。
「二人共、怪我は無い?」
ライラはゆっくりとこちらへと歩いてくる。
「はい、ありがとうございました。ライラ様」
助けられたフィリアは丁寧にライラにお辞儀した。
「アリーシャは? 大丈夫?」
名前を呼ばれた当の本人は、命を助けられたというのに未だ俯いたままであった。
「……どうしてだ?」
「ん?」
「どうして怒らない! どうして私を責めない! いつも涼しい顔をして、そんな傷を負ってまで! 私は……私など助ける価値の無い人間だっ……!」
ライラの左腕は相当な深手を負っていた。未だに流れ出る血は止まっていない。
アリーシャの言葉にライラは少しだけ困った顔をした。
「ふふ……」
微かに笑うとその手が彼女の頬に添えられる。
抉れた傷が痛々しく、側からドクドクと血が流れていく。
アリーシャにとっては殴られるよりももっとずっと酷く、痛かった。
「アリーシャ、騎士の剣は人を守るためにあるのよ。そして騎士の強さは人に優しくあるための心。人に優しく出来るのなら、騎士の心は強く在れるわ」
アリーシャの頬に涙が伝う。悔しいのか、悲しいのか、嬉しいのか、自分の感情が理解出来なかったが、アリーシャの心はこの流れ出る涙と共に堰を切ったように渦巻く感情で溢れていた。
「あなたはそれを十分に分かっている。今回の行動は決して褒められたものではないけれど、あなたはそれを痛いくらい反省している。そんなあなたを叱るなんてことはしないわ」
ライラがアリーシャを見据える。
透き通った全てを見透かすような、それでいて淡い瞳。
その瞳の色は、揺らめきは、これからずっとアリーシャの心に残り続けるのだと思えた。
「――それにね、アリーシャ」
再び薄く笑うライラ。その瞳は限りない優しさに満ちている。アリーシャはライラの瞳が好きだと思ってしまっていた。
「あなたが助ける価値がある人間かどうかは、私が決める」
「――く……、何なのだ……、何なのだ一体!」
アリーシャはライラの胸に飛び込んだ。
そこには彼女に対する嫉妬やわだかまりや競争心や、そんな感情は一切無い。
いつの間にか綺麗さっぱりと消え失せていたのだ。
ライラの温もりだけが、ただただアリーシャの心に染み渡っていく。
アリーシャの口から嗚咽が漏れた。
「う……うあああああっっ!!!」
「大丈夫。あなたはきっと、強くなれるわ」
ライラの手が、そっとアリーシャの頭に添えられる。
しばらくの間、アリーシャの慟哭が山間に響き渡った。
「――ライラ……」
「ん? どうかした? アリーシャ」
「……いい加減離れたいのだが……」
「あら? せっかく可愛かったのに」
「かわっ!? ……クソ……」
「フフフ……」
しばらくして涙を一頻り流し、正気に戻ると急に気恥ずかしくなり、アリーシャは少しずつライラに力を加え離れようとした。
けれどその度に頭を固定され、身動きが取れなくさせられていたのだ。
流石にもうあれから数分経過している。
アリーシャも流石にいい加減離れたかくなったのだ。
ライラはアリーシャの頭をぽんと軽く叩くと、彼女をようやく開放してくれた。
アリーシャがライラから離れると、斜め前にフィリアがいた。
彼女は嬉しそうにニヤニヤしながらアリーシャを見つめていた。
途端に頬に熱が帯びていったが、今はそれよりも話しておきたいことがあった。
「――その、ライラ」
「???」
「私にヒストリア流剣術を教えてくれ」
ライラはその言葉に一瞬動きを止め、目を丸くしてアリーシャを見つめた。
だがすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべて微笑む。
「――ああ、今さら何を言うかと思えば。初めからそのつもりよ」
ライラは踵を返し、ヒストリアの方へと歩いていく。
腕の傷は大丈夫かと心配になったが、不思議ともう血は流れていないようだった。
回復アイテムか何かを持参していたのかと、何はともあれアリーシャはホッと胸を撫で下ろした。
日はまだ昇りきっておらず、朝の陽光が穏やかにヒストリアの地を照らしていく。
アリーシャは先を歩くライラの後ろ姿をしばらくぼうっと眺めていた。
陽の光に照らされたアリーシャの表情は凛として、少女のものとは思えないほどに美しかった。
アリーシャの騎士としての心は、ここから育っていくのだ。
「――っ!!」
助けられたことによる感謝の気持ちよりも、アリーシャの胸の内にはさざ波のように苛立ちが広がる。
だが今回はライラの様子が少しおかしかった。
「ライラ……!?」
身をよじるとライラは苦悶の表情を浮かべたのだ。
アリーシャを助けた際、アリーシャを抱えているのと反対側の左腕だ。そこにグリズリーの爪牙によるものであろう傷があったのだ。
肉がこそがれ、抉れ、かなりの重傷だった。
「ライラッ……!!」
「大丈夫。こんな相手、利き腕一本あれば十分よ」
「そ、そんな問題ではっ……」
ライラはアリーシャの口元に人差し指を寄せ、いつもの柔らかな表情で微笑む。
アリーシャは口をつぐみながら胸の中がもやもやして気持ち悪くなる。
ライラの顔を、まともに見れない。
「そんなことよりもアリーシャ、動けるかしら?」
「あ――ああ。何とか」
「ならあの子を連れて離れていなさい」
そう言うとライラはアリーシャを地面に降ろし、彼女の肩をぽんと軽く叩いた。
その表情には変わらずいつもの微笑が浮かんでいた。
全ての感情を受け流すような、透き通った瞳に見据えられ、この時ばかりはアリーシャも戸惑う。
「あ……」
彼女はそれ以上何も言わずグリズリーへと駆けていく。
その背中を掴みたいと思うけれど、アリーシャの手は虚空を掴んで揺蕩った。
ライラは血を流しながらもグリズリー二体の爪牙をいつもの涼しい顔で避け続けていた。
その度に鮮血が飛び散っていく。かなり痛々しい。
それがアリーシャの胸をぐしぐしと抉るように突き刺さっていく。
魔物の攻撃が当たるとは到底思えない。
いつも通りの流麗な動き。だが今はライラの事をまともに見ていられない。
アリーシャはとにかくライラの言いつけ通りフィリアの元へと足を向ける。
そしてアリーシャもバリアーの魔法を張ってもらい、その中に二人して身を隠した。
ふとライラの方を見やると彼女と目が合った。ライラはそこでまた微笑んだ。
「ヒストリア流剣技、林」
ライラが技の名前を言った瞬間、彼女の体がうっすらと透けて見えた。
まるで幽霊にでもなったかのような、存在が希少なものとなったように。
そして驚いた事に、グリズリーの攻撃はその全てが空を切り、ライラの体を通り抜けていく。
「なんだあれは……!?」
アリーシャはその剣技に見とれ、同時に戦慄した。
グリズリーの爪牙が十数回、そのことごとくが空を切る。
「バフォ……」
空振り腕を振り回すことに疲れたのか、攻撃に一時の間が生まれる。
それを黙って見過ごすようなライラではない。
彼女のは剣はその隙を突いてグリズリー二体の首筋へと疾った。
「――ガッ!?」
何かにこつかれたように体を震わせ、グリズリー二体の動きが鈍くなっていく。やがてその動きがピタリと止まる。
直後ライラの剣が鞘にしまわれる。
チンという小気味良い音がやけにクリアに響き渡る。
その瞬間にグリズリー二体の首に剣線が走り、頭がポトリと地面に落ちた。
体は虚空を彷徨うように腕を上下に震わせるグリズリーの胴体。そのまま二体の魔物は青い魔石へと姿を変えたのだった。
「――ふう」
一息吐くとライラは涼しい顔でアリーシャの方を見る。
やはりライラは強い。
今のアリーシャがどう背伸びしても敵う相手ではなかった。
そう思わせる程に圧倒的な剣の腕だ。
「二人共、怪我は無い?」
ライラはゆっくりとこちらへと歩いてくる。
「はい、ありがとうございました。ライラ様」
助けられたフィリアは丁寧にライラにお辞儀した。
「アリーシャは? 大丈夫?」
名前を呼ばれた当の本人は、命を助けられたというのに未だ俯いたままであった。
「……どうしてだ?」
「ん?」
「どうして怒らない! どうして私を責めない! いつも涼しい顔をして、そんな傷を負ってまで! 私は……私など助ける価値の無い人間だっ……!」
ライラの左腕は相当な深手を負っていた。未だに流れ出る血は止まっていない。
アリーシャの言葉にライラは少しだけ困った顔をした。
「ふふ……」
微かに笑うとその手が彼女の頬に添えられる。
抉れた傷が痛々しく、側からドクドクと血が流れていく。
アリーシャにとっては殴られるよりももっとずっと酷く、痛かった。
「アリーシャ、騎士の剣は人を守るためにあるのよ。そして騎士の強さは人に優しくあるための心。人に優しく出来るのなら、騎士の心は強く在れるわ」
アリーシャの頬に涙が伝う。悔しいのか、悲しいのか、嬉しいのか、自分の感情が理解出来なかったが、アリーシャの心はこの流れ出る涙と共に堰を切ったように渦巻く感情で溢れていた。
「あなたはそれを十分に分かっている。今回の行動は決して褒められたものではないけれど、あなたはそれを痛いくらい反省している。そんなあなたを叱るなんてことはしないわ」
ライラがアリーシャを見据える。
透き通った全てを見透かすような、それでいて淡い瞳。
その瞳の色は、揺らめきは、これからずっとアリーシャの心に残り続けるのだと思えた。
「――それにね、アリーシャ」
再び薄く笑うライラ。その瞳は限りない優しさに満ちている。アリーシャはライラの瞳が好きだと思ってしまっていた。
「あなたが助ける価値がある人間かどうかは、私が決める」
「――く……、何なのだ……、何なのだ一体!」
アリーシャはライラの胸に飛び込んだ。
そこには彼女に対する嫉妬やわだかまりや競争心や、そんな感情は一切無い。
いつの間にか綺麗さっぱりと消え失せていたのだ。
ライラの温もりだけが、ただただアリーシャの心に染み渡っていく。
アリーシャの口から嗚咽が漏れた。
「う……うあああああっっ!!!」
「大丈夫。あなたはきっと、強くなれるわ」
ライラの手が、そっとアリーシャの頭に添えられる。
しばらくの間、アリーシャの慟哭が山間に響き渡った。
「――ライラ……」
「ん? どうかした? アリーシャ」
「……いい加減離れたいのだが……」
「あら? せっかく可愛かったのに」
「かわっ!? ……クソ……」
「フフフ……」
しばらくして涙を一頻り流し、正気に戻ると急に気恥ずかしくなり、アリーシャは少しずつライラに力を加え離れようとした。
けれどその度に頭を固定され、身動きが取れなくさせられていたのだ。
流石にもうあれから数分経過している。
アリーシャも流石にいい加減離れたかくなったのだ。
ライラはアリーシャの頭をぽんと軽く叩くと、彼女をようやく開放してくれた。
アリーシャがライラから離れると、斜め前にフィリアがいた。
彼女は嬉しそうにニヤニヤしながらアリーシャを見つめていた。
途端に頬に熱が帯びていったが、今はそれよりも話しておきたいことがあった。
「――その、ライラ」
「???」
「私にヒストリア流剣術を教えてくれ」
ライラはその言葉に一瞬動きを止め、目を丸くしてアリーシャを見つめた。
だがすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべて微笑む。
「――ああ、今さら何を言うかと思えば。初めからそのつもりよ」
ライラは踵を返し、ヒストリアの方へと歩いていく。
腕の傷は大丈夫かと心配になったが、不思議ともう血は流れていないようだった。
回復アイテムか何かを持参していたのかと、何はともあれアリーシャはホッと胸を撫で下ろした。
日はまだ昇りきっておらず、朝の陽光が穏やかにヒストリアの地を照らしていく。
アリーシャは先を歩くライラの後ろ姿をしばらくぼうっと眺めていた。
陽の光に照らされたアリーシャの表情は凛として、少女のものとは思えないほどに美しかった。
アリーシャの騎士としての心は、ここから育っていくのだ。