念のため、と歩道橋近くの交番に行って警察官に話しかける。
先月と今月にこの付近で事故があったか尋ねると快く教えてくれた。しかし、ネットで調べたものと同じで、事故はあったが死亡者はいないという答えが返ってきた。
事故はあったという事実は沙綾ちゃんが音無くんの体を取り憑いていることで証明されている。でも記録には死亡者の記録はない。
もしかしたら、彼女が事故に遭ったのはここではないのかもしれない。
悶々と考えながら沙綾ちゃんのもとへ戻ると、大学生らしき男性二人が彼女を囲っていた。遠くからでも「連絡先教えて?」「遊ぼうよ」といった口説き文句ばかりだ。それを困ったように目を泳がせている沙綾ちゃんを見て、少しだけ妬いた。
「あの! その人、私の友人なので離してもらってもいいですか」
大学生と彼女の間を割るようにして入る。一七七センチある私は、大学生の二人には少し大きく見えたようで、見上げられる構図になる。
「でっか! 高校生ってそんなに身長伸びる? 成長期?」
「いや、こいつ男なんじゃね? 女子って後ろの子くらい小さいほうが可愛いじゃん」
ゲラゲラと嗤う彼らの声が、心臓に刺さっていく。
何回も、何十回も聞いてきた。背が高いからと、容姿や名前から判断してくる奴は今までも何人もいた。髪を少し伸ばしても、自分磨きをしようとしても「女の子らしく」の一言で片づけられ、貶される。
それって、意味あるの?
「――あるよ」
腕をぐっと引かれ、沙綾ちゃんの胸元に顔を押し付けられる。身動きが取れないくらい、強い力で抑え込まれていた。
「さっさと失せろ。俺の可愛い彼女をバカにするな」
「はっ……⁉」
今まで聞いた中で一番低く、脅しかかる声。顔を胸元に押し付けられていて見えないけど、背中に回された手に力がこもったのが伝わった。その勢いに恐れおののいたのか、「な、なんだよ! 女装してんのはこっちか!」「もう行こうぜ!」と大学生たちは足早に立ち去った。
「……ったく、彼らは最低だな! 人を見た目で判断するなんて!」
そっと体を離してくれた沙綾ちゃんは、むすっと不機嫌そうに頬を膨らませている。先程の声色はどこから出したのか、不思議で仕方がない。
すると、沙綾ちゃんは私の顔をじっと見て、両頬をつまんだ。
「いっだぁ!? な、なに⁉」
「辛気臭い顔しているから、景気づけてやろうと思って」
「絶対違うでしょ……!」
「でもね、さっきの彼らの言葉は間違っていると私は思う」
両頬から手を離すと、沙綾ちゃんは自分の胸に手を置いた。
「兄と喧嘩して家を飛び出したって話しただろう? 喧嘩したのは私ではなく、佐幸なんだ」
「え……?」
「佐幸は名前だけじゃなくて顔も身長も女の子に近い。小さい頃はよく間違えられていたし、両親はそんな佐幸に女の子の服を着せていたこともあった。当人は気にしていなかったけどね。それが次第に、自分の欲に変わった。髪を伸ばしてみたい。可愛らしいワンピースを着てみたい。メイクをしてみたい。――そんな憧れを、兄が否定した」
喧嘩した日――佐幸の部屋に入った兄の颯希が、机の上に置かれたメイク道具を見つけて問いただした。自分でアルバイトをして稼いだ金で購入したものなのだから、誰にも文句を言われる筋合いはない、という佐幸に対し、颯希はメイク道具を床にたたきつけた。
『お前は男なんだから、恥ずかしいだろ!』――と。
「滅多に怒らない佐幸が声を荒げたから、慌てて仲裁に入ったんだ。でも二人とも止まらなくて、気付いたら私に矛先が向いた。好きで染めた髪色がおかしいって言われたんだ。……おかしいよね、私は好きで選んだのに」
「……それで、家を飛び出したんだね」
私が問うと、彼女は小さく頷いた。
「兄にしてみたら、私たちは生まれてきた性別の一部分が欠けて歪な形をしているのかもしれない。それでも間違っていないと、信じたい。私は私のしたいことをする。――そう、行動を起こすと決めた」
だから、とひと呼吸置くと、沙綾ちゃんは私をまっすぐ見据えた。
「だから教えてあげる。背が高いとか髪が短いとか関係なく、守ってくれようと立ち向かった姿。自分であろうとぶれないつかさの心。私は全部好きだよ。胸を張ってくれ」
「……っ」
胸の内を見透かされた気がした。
名前も容姿も身長も、全部を否定され続けてきた。多少はちょっとした意地悪だったのかもしれない。悪口だったのかもしれない。スポーツメーカーのTシャツを着ているだけで「男じゃん」と嗤われたのも、ただ話の切り口として必要だったのかもしれない。
その小さな棘が、時間をかけてナイフになるなんて誰も想像しなかっただろう。
髪をばっさり切ってしまいたい。Tシャツにジーパンみたいなラフな服装をしたい。
ずっと誰かに聞いてみたかった。――女の子らしくいる必要が、どこにあるんですかって。
「自分らしくいればいい。そんな君の傍にいたい」
沙綾ちゃんが私の目尻をそっと触れると、涙がこぼれた。
ああ、そっか。私は、私であることを誰かに認められたかったんだ。
ずっともやもやしていた胸の内側が、スッと晴れていく気がした。
先月と今月にこの付近で事故があったか尋ねると快く教えてくれた。しかし、ネットで調べたものと同じで、事故はあったが死亡者はいないという答えが返ってきた。
事故はあったという事実は沙綾ちゃんが音無くんの体を取り憑いていることで証明されている。でも記録には死亡者の記録はない。
もしかしたら、彼女が事故に遭ったのはここではないのかもしれない。
悶々と考えながら沙綾ちゃんのもとへ戻ると、大学生らしき男性二人が彼女を囲っていた。遠くからでも「連絡先教えて?」「遊ぼうよ」といった口説き文句ばかりだ。それを困ったように目を泳がせている沙綾ちゃんを見て、少しだけ妬いた。
「あの! その人、私の友人なので離してもらってもいいですか」
大学生と彼女の間を割るようにして入る。一七七センチある私は、大学生の二人には少し大きく見えたようで、見上げられる構図になる。
「でっか! 高校生ってそんなに身長伸びる? 成長期?」
「いや、こいつ男なんじゃね? 女子って後ろの子くらい小さいほうが可愛いじゃん」
ゲラゲラと嗤う彼らの声が、心臓に刺さっていく。
何回も、何十回も聞いてきた。背が高いからと、容姿や名前から判断してくる奴は今までも何人もいた。髪を少し伸ばしても、自分磨きをしようとしても「女の子らしく」の一言で片づけられ、貶される。
それって、意味あるの?
「――あるよ」
腕をぐっと引かれ、沙綾ちゃんの胸元に顔を押し付けられる。身動きが取れないくらい、強い力で抑え込まれていた。
「さっさと失せろ。俺の可愛い彼女をバカにするな」
「はっ……⁉」
今まで聞いた中で一番低く、脅しかかる声。顔を胸元に押し付けられていて見えないけど、背中に回された手に力がこもったのが伝わった。その勢いに恐れおののいたのか、「な、なんだよ! 女装してんのはこっちか!」「もう行こうぜ!」と大学生たちは足早に立ち去った。
「……ったく、彼らは最低だな! 人を見た目で判断するなんて!」
そっと体を離してくれた沙綾ちゃんは、むすっと不機嫌そうに頬を膨らませている。先程の声色はどこから出したのか、不思議で仕方がない。
すると、沙綾ちゃんは私の顔をじっと見て、両頬をつまんだ。
「いっだぁ!? な、なに⁉」
「辛気臭い顔しているから、景気づけてやろうと思って」
「絶対違うでしょ……!」
「でもね、さっきの彼らの言葉は間違っていると私は思う」
両頬から手を離すと、沙綾ちゃんは自分の胸に手を置いた。
「兄と喧嘩して家を飛び出したって話しただろう? 喧嘩したのは私ではなく、佐幸なんだ」
「え……?」
「佐幸は名前だけじゃなくて顔も身長も女の子に近い。小さい頃はよく間違えられていたし、両親はそんな佐幸に女の子の服を着せていたこともあった。当人は気にしていなかったけどね。それが次第に、自分の欲に変わった。髪を伸ばしてみたい。可愛らしいワンピースを着てみたい。メイクをしてみたい。――そんな憧れを、兄が否定した」
喧嘩した日――佐幸の部屋に入った兄の颯希が、机の上に置かれたメイク道具を見つけて問いただした。自分でアルバイトをして稼いだ金で購入したものなのだから、誰にも文句を言われる筋合いはない、という佐幸に対し、颯希はメイク道具を床にたたきつけた。
『お前は男なんだから、恥ずかしいだろ!』――と。
「滅多に怒らない佐幸が声を荒げたから、慌てて仲裁に入ったんだ。でも二人とも止まらなくて、気付いたら私に矛先が向いた。好きで染めた髪色がおかしいって言われたんだ。……おかしいよね、私は好きで選んだのに」
「……それで、家を飛び出したんだね」
私が問うと、彼女は小さく頷いた。
「兄にしてみたら、私たちは生まれてきた性別の一部分が欠けて歪な形をしているのかもしれない。それでも間違っていないと、信じたい。私は私のしたいことをする。――そう、行動を起こすと決めた」
だから、とひと呼吸置くと、沙綾ちゃんは私をまっすぐ見据えた。
「だから教えてあげる。背が高いとか髪が短いとか関係なく、守ってくれようと立ち向かった姿。自分であろうとぶれないつかさの心。私は全部好きだよ。胸を張ってくれ」
「……っ」
胸の内を見透かされた気がした。
名前も容姿も身長も、全部を否定され続けてきた。多少はちょっとした意地悪だったのかもしれない。悪口だったのかもしれない。スポーツメーカーのTシャツを着ているだけで「男じゃん」と嗤われたのも、ただ話の切り口として必要だったのかもしれない。
その小さな棘が、時間をかけてナイフになるなんて誰も想像しなかっただろう。
髪をばっさり切ってしまいたい。Tシャツにジーパンみたいなラフな服装をしたい。
ずっと誰かに聞いてみたかった。――女の子らしくいる必要が、どこにあるんですかって。
「自分らしくいればいい。そんな君の傍にいたい」
沙綾ちゃんが私の目尻をそっと触れると、涙がこぼれた。
ああ、そっか。私は、私であることを誰かに認められたかったんだ。
ずっともやもやしていた胸の内側が、スッと晴れていく気がした。