あれから詩月には会っていない。

 直ぐ隣に納められていた数々の本は、全て新品のDVDに替わってしまった。

 一人で映画やCDを楽しむかつての放課後が戻ってきて何日が過ぎただろう。観たいからではなく、ただ時間を潰すための映画を一つ選ぶ。何度目か分からないため息がまたしてもこぼれ落ちる。


(視聴覚室……嬉しいはずなのに……)


 まだ一度も楽しいと思えたことがない。図書室であった頃の方が楽しかった。理由は分かっている。


(会いたいな……)


 辞書や楽譜が納められていた隅の方の本棚は撤去され、そこには新たな座席とパソコンが設置された。詩月が好きだった紙の本は、もう殆ど見当らない。詩月と一緒にいても電子書籍を読んでいたのに、今は何でもいいから紙の本が読みたかった。

 手に取ったDVDを棚に戻し、足は受付カウンターの方へ向かう。


「あの、本は処分されてしまったんですか?」


 椅子に座って、タブレットで電子書籍を読んでいる図書委員の女の子に声をかけた。今は視聴覚委員と呼ぶべきか。話したことはないし同じクラスになったこともないけれど、何度か廊下ですれ違っているから顔は知っている。


「古くて破損が激しいものとかはそうね。図書館に寄贈されたものもあるけど」


 想像通りの答えが返ってきた。それが現実であるといざ突き付けられると、重たい何かがのしかかったかのように心が沈む。


「あの本は多分捨てられたんだろうなあ」


 ぼそりと呟いた。無意識に発していた。それほど大きな声ではなかったけれど、目の前の彼女に声は届いていた。


「もしかして詩月のこと?」


 思いもよらないところから出てきた名前。即座に理解出来なかった頭が数秒後に追いつく。


「詩月を知ってるの!?」

「うん、小さい頃に読んだことがあるから」


 読んだ? 

 ドクドクと心臓が鼓動を打つ。彼女のおかしな発言がある一種の可能性を提示した。


「榎本さん、初めて借りていったから印象に残っていて、ちょっと気になったの。ここの図書館に置いてあった詩月、私も開いたことあるんだけど、結構破損が凄かったでしょ? 最後まで読めたかなって。榎本さん?」


 詩月はあの日、なんて言ったか。


『最後に借りてくれた人に会ってみたくなったんだ』


 会いに来てくれていた。


『ねえ、叶羽が最後に作った物語のタイトル、何だと思う?』

『詩月』

『どうして?』

『俺の名前だから』


 教えてくれていた。最後のタイトルを。

 あの本のタイトルを。


 下から上に込み上がってくるように頭が痛んだ。まばたきをするわけにはいかなくなった。目を開けて堪えていても目尻に涙は浮かび上がり、やがて溢れ出る。


 詩月はここにはいない。

 もうここでは、会えないんだ。


 人目を気にしていても我慢が出来なかった。周囲に目を向けられる中、腕で両目を覆った。

 視聴覚室が図書室となることはもうない。ここで紙の本は、もう数えられるほどしか読むことが出来ない。

 教えて貰った思い出ある本も。

 最後まで読むことが出来ない「詩月」も。


「ごめんなさい……大丈夫……」


 まだ記憶には残っている。