「青柳さんって、彼氏いたんですね」
社食で昼食を終えて『電話オペレーターの基礎の基礎』を読んでいると、いつの間にやって来たのか、矢代さんが側に立っていた。私は覗き込まれる前に、すぐに本を閉じてテーブルに置く。矢代さんは無表情で本を見たけど、そのことには触れずに話を続ける。
「めちゃくちゃ意外。青柳さん、仕事は出来ないのに、男を引っかけるのは得意なんですね」
あからさまに悪意をぶつけられて、逃げ出したいくらい怖い。矢代さんが私を嫌っていることには気づいていたけど、こんなに直接的に攻撃されたのは初めてだ。黙っていたら、さらに酷いことを言われ続けるだろう。なんとか会話をしなくては。
「か、彼氏いません」
「昨日、デートしてたじゃないですか。禿げた男性と」
昨日は三枝さんと一緒に歩いていた。
「彼氏じゃないです、恩人です」
「恩人ね。青柳さんの面倒を見てくれるなんて、すっごく優しい人なんですね」
「そうなんです」
三枝さんのことを褒めてもらったと思うと、自然と声が大きくなった。矢代さんは迷惑そうに眉を顰める。
「その人の禿げ、青柳さんが迷惑かけてるせいじゃないんですか? 気を遣いすぎて円形脱毛症になっちゃってるんでしょ」
矢代さんが言っていた禿げって、三枝さんの右耳のあたりのことだったのか。どんな理由で髪が生えていないのかは知らない。だけど、矢代さんみたいにバカにするような言い方で指摘していいことじゃない。
「恩人を悪く言うの、やめてください」
自分のものとは思えないくらいしっかりとした力の籠った声が出た。矢代さんが怯んで口ごもる。
「確かに、私は面倒なことを押し付けているかもしれません。それでストレスを与えてしまっているかもしれません。悪いのは全部、私です。私の悪口はいくらでも言ってください。でも、恩人をバカにするような言い方はやめてください」
しばらく矢代さんと睨み合った。なにを言われるか怖い。もしかしたら手を出されるかもしれない。そんな恐怖心を押さえ込んで、じっと矢代さんの目を見据える。
ふいっと目を逸らして、矢代さんが離れていった。もう私に関心なんかないみたいな様子で社食を出て行く。
どっと力が抜けた。手が震える。こんなに人に意見したのは生まれて初めてだ。なにを言われても黙ってうつむいていた自分はどこへ行ったのだろう。
私も怒ることが出来る。自分のためなら無理だっただろう。でも、大事な人を守るためなら、私も戦うことが出来る。
震える手を見下ろすと、一瞬だけ、ぼんやり虹色に輝いたような気がした。
社食で昼食を終えて『電話オペレーターの基礎の基礎』を読んでいると、いつの間にやって来たのか、矢代さんが側に立っていた。私は覗き込まれる前に、すぐに本を閉じてテーブルに置く。矢代さんは無表情で本を見たけど、そのことには触れずに話を続ける。
「めちゃくちゃ意外。青柳さん、仕事は出来ないのに、男を引っかけるのは得意なんですね」
あからさまに悪意をぶつけられて、逃げ出したいくらい怖い。矢代さんが私を嫌っていることには気づいていたけど、こんなに直接的に攻撃されたのは初めてだ。黙っていたら、さらに酷いことを言われ続けるだろう。なんとか会話をしなくては。
「か、彼氏いません」
「昨日、デートしてたじゃないですか。禿げた男性と」
昨日は三枝さんと一緒に歩いていた。
「彼氏じゃないです、恩人です」
「恩人ね。青柳さんの面倒を見てくれるなんて、すっごく優しい人なんですね」
「そうなんです」
三枝さんのことを褒めてもらったと思うと、自然と声が大きくなった。矢代さんは迷惑そうに眉を顰める。
「その人の禿げ、青柳さんが迷惑かけてるせいじゃないんですか? 気を遣いすぎて円形脱毛症になっちゃってるんでしょ」
矢代さんが言っていた禿げって、三枝さんの右耳のあたりのことだったのか。どんな理由で髪が生えていないのかは知らない。だけど、矢代さんみたいにバカにするような言い方で指摘していいことじゃない。
「恩人を悪く言うの、やめてください」
自分のものとは思えないくらいしっかりとした力の籠った声が出た。矢代さんが怯んで口ごもる。
「確かに、私は面倒なことを押し付けているかもしれません。それでストレスを与えてしまっているかもしれません。悪いのは全部、私です。私の悪口はいくらでも言ってください。でも、恩人をバカにするような言い方はやめてください」
しばらく矢代さんと睨み合った。なにを言われるか怖い。もしかしたら手を出されるかもしれない。そんな恐怖心を押さえ込んで、じっと矢代さんの目を見据える。
ふいっと目を逸らして、矢代さんが離れていった。もう私に関心なんかないみたいな様子で社食を出て行く。
どっと力が抜けた。手が震える。こんなに人に意見したのは生まれて初めてだ。なにを言われても黙ってうつむいていた自分はどこへ行ったのだろう。
私も怒ることが出来る。自分のためなら無理だっただろう。でも、大事な人を守るためなら、私も戦うことが出来る。
震える手を見下ろすと、一瞬だけ、ぼんやり虹色に輝いたような気がした。