「ただいま」
 金魚のポットに巻いたタオルとカイロに触れてみると、生ぬるくなっていた。水温計を付けると、二十度。少し低い。カイロを変えてやって、こたつに入る。こたつの中はひんやりしているけど、なんとなく電源を入れる気になれない。温まったポットを両手で握って暖を取った。
 帰ってからなにもせず、なにも食べず、ただ赤い金魚を見ていた。
 夕方にはさすがにお腹が空いた。でも絶食している金魚の前で自分だけごはんを食べるのは気が引ける。水温計で二十三度で安定していることを確認して、外で食事してくることにした。

 ところが、家の近くには一人で入れそうなお店がないことを初めて知った。ファーストフード店か、チェーン店のカレー屋さんくらいしか一人で入ったことがない。ぐるっと町内を一周してみたけど、焼き鳥、焼き肉、バル、割烹、高そうなお寿司屋さん、そんなお店ばかりだ。せめて、あまりおしゃれじゃないチェーン店のカフェはないかと探索範囲を広げたけれど、見つからない。お腹が空きすぎて、痛くなってきた。
「青柳さん?」
 通りの向こうから歩いてきている女性三人のうち一人から声をかけられた。顔を向けると、同僚の椎葉さんだった。
「こんにちは、偶然ですね」
 椎葉さんは小走りに近づいてきて、私の行く手を塞いだ。どうあっても、話さないわけにはいかない。でも、なにを言えばいいのか言葉が出てこない。
「もしかして、お家はこのあたりなんですか?」
 どうしてバレたのだろう。驚いてそっと目を上げると、椎葉さんは優しい笑みを浮かべていた。明るい色で軽やかな雰囲気の服を着ている。薄手の布が何枚も重なったスカートが金魚の尾びれのようだ。
 黒づくめの自分なんかとは比べ物にならない、美しい装いだ。そう思って、自分の服装に思いが至った。大したお店に入らないつもりで出てきたから、部屋着より少しマシな程度の服だ。近所のコンビニに行くときのような。この服装を見れば、遠出してきたようには見えないだろう。
 なんだか恥ずかしくなって、顔を伏せた。椎葉さんは困ったようで言葉に詰まっている。
「椎葉ちゃんの友達?」
 椎葉さんのお連れの二人が追い付いてきた。うつむいているから二人の靴しか見えないけど、やっぱり、おしゃれなものを履いている。私のぼろぼろのスニーカーとは大違いだ。泣きそうなほど恥ずかしい。
「同僚の青柳さん。そうだ、青柳さん。夕飯はもう済みました?」
 黙って首を横に振ってみせた。今にもお腹が鳴りそうだ。静かにしていて、私の胃。これ以上、恥ずかしい目にあいたくない。
「良かったら、夕飯、ご一緒しませんか? 四人で予約しているんですけど、友達が一人、ドタキャンしちゃって」
 椎葉さんはなにを言いだしたのだろう。私なんか誘ってどうするんだろう。上目遣いに様子をうかがっていると、お連れのうちの一人、大きな輪っかのピアスをした人がニコニコと話しかけてきた。
「ナポリピザのお店なんですよ。本場の職人さんが焼いてるの。すごくカジュアルで気軽なお店ですよ」
「はあ……」
「ピザ、だめですか? チーズが苦手とか」
「いえ……、べつに」
 もう一人の化粧が派手な、少し年上に見える女性に腕を取られた。
「じゃあ、行こう! みんなで食べると、ご飯は美味しいから!」
 有無を言わさず、ぐいぐい引っ張られる。戸惑って椎葉さんの顔を見ると、楽しそうにニッコリと笑いかけられた。そこに邪気は一片も感じられない。からかわれているわけではないように思う。もしかしたら本当に、私も一緒にいていいのだろうか?