朝、目覚めると、ガラスポットの中に金魚がいた。赤い大きな尾びれをゆらゆら揺らして、ゆったり泳いでいる。
 金魚すくい、いつ行ったっけ。
 そう思ったのは一瞬。急にはっきりと頭が動き出した。夏祭りなんて六か月も前に終わったし、私は金魚をすくえたことなんか一度もない。
 毛布から抜け出して、1Kの部屋のほとんどを占めているこたつに向かう。目の錯覚なんかじゃなかった、生き物だ。金魚はときおり、ぷくっと小さな泡を口から吐き出したりしながら、そう広くもないポットを上へ下へと泳いでいる。ポットを突くとあわてて反対側に逃げる。
 だけど、あきらかにこれは普通の金魚じゃない。ポットの中身は、酔い覚ましのために昨夜準備しておいたレモン水だ。淡水魚である金魚が生きていけないほどの酸性……のはずだ。
 ためしにポットの蓋を開けてにおいを嗅ぐと、レモンの爽やかな香りの中に、魚類特有の生臭さを感じた。

 昼休憩は、ほとんど毎日、社員食堂で過ごす。安いし早いし。あまり美味しくはないけど、そのおかげで混雑することは少ない。ひと気のない壁際の席でわかめそばを箸で突きながら、今朝スマートフォンで撮ったガラスポットの写真を見る。金魚がしっかりと写っている。
 赤いべべ着たかわいい金魚。
 祖母がそんな歌を歌っていたが、突然現れた金魚をかわいいとは思えない。不気味だ。
「青柳さん、今日も一人なの」
 後ろから課長に声をかけられた。驚いて椅子ごと振り返ると、課長はちゃんぽんが載ったお盆を抱えている。両手が塞がっているから、触られることはあり得ないけど、出来れば今すぐ逃げ出したい。
「たまにはみんなとランチでも行ったらどう? ほら、椎葉さんたちとか。同期だしね」
 入社してすぐから、人嫌いな私を気にしてくれているのはわかる。でも、私は課長が側に来ると青ざめてしまう。
 緊張して動けなくなった私を見た課長は気まずそうに「じゃあ」と言い残して去っていった。やっと離れられた。小刻みに震える手をぎゅっと握って恐怖を押し殺す。
 良い人だとわかっていても、男性だというだけで震えるほどに恐ろしい。