「帰ったんじゃなかったのかよ?」
「アンタこそ、まだいたんだ」
アタシはオタクタワーに戻ってきていた。時刻は20時半、閉店してから30分経っている。スーパーでショータを目撃し、咄嗟に店を出てしまった。それから2時間ちかく、頭の中をぐるぐるさせながら駅前を歩き回り、ふと見上げるとこの店の明かたのだ。
「店長は?」
「あの人今日は早めに上がったんだよ。レジ締めは俺が……ってどうしたんだお前?」
「え?」
「いいから奥こい」
そう言って、ボサガノはアタシを閉店後の店内に招き入れた。そのまま奥の作業スペースに通される。
閉店後もボサガノは作業を続けていたようで、エアブラシを使うときにつかわれる換気扇がゴーゴーと音を立てていた。
「ほらよ」
バックヤードからボサガノは紙コップのコーヒーと、タオルを持ってきて。
「なにこのタオル?」
「顔ふけって、すごいことなってんぞ」
「は?」
アタシはスマホの内カメラをいれて、自分の顔を見る。
「うわ、ぶっさ!」
いつの間にか涙を垂れ流していたらしい。アイシャドウもチークもドロドロに崩れていた。
「いいよ、メイク落とし持ってるし、それでやる」
アタシはバッグからメイクポーチを取り出す。ショータの家に泊まるつもりだったから持ち歩いていたものだ。
「すっぴん見られんのマジ恥ずいから、あっち向いてて」
「そうか、じゃあ作業続けるわ」
そう言ってボサガノは、アタシに背中を向けて塗装ブースに座った。
「あーもう、ほんとブスい。これじゃあ二股かけられて当然だわな」
自虐的に苦笑する。
「……何かあったのか?」
振り向くこともせず、エアブラシのシューっという音を出しながら、ボサガノが尋ねてくる。変に気遣うような感じではなく、いつも通りどこか無愛想な声音。それが今のアタシにはちょうど良かった。
「んー、なんでもないよ。ショータが……彼氏が女と歩いていただけ」
そのままアタシは、スーパーで起きたことを話し始めていた。ボサガノは黙ってひと通りの話を聞く。
「その女の人って誰なんだ?」
「わかんないよ、ほとんど一瞬しか見てないし」
その姿を見て、すぐに逃げ出してしまった。誰かなんてわからない。
けど、全てが繋がってしまったのだ。
最近のショータの態度。どうしてメイクボックスを持って帰れと言われたのか。どうして歯ブラシが捨てられていたのか。グラタン皿の洗いのこし。これまで多少の不満はあったものの、特に気にしていなかったショータの部屋の異変。それが、あの部屋にアタシ以外の女が入っていると考えると、キレイに一本の糸で結びつくじゃないか。
それでもショータを嫌いにはなれなかった。むしろ自分のどこを治せばいいか、何を変えればまたアタシを向いてくれるのか、そんなことばかり考えてしまう。
「なんか、意外だな」
「は?」
「いや、お前のことだからその場で食ってかかりそうだなって」
「何それ? ボサガノ、アタシのことをなんだ音持ってるわけ?」
「ファン確認のクイズで逆ギレしてウザ絡みしてくるやつ」
「あー……」
それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
「あんときはアタシも必死だったから。でも、アタシの本性はもっとおしとやかなのよ?」
「自分で言うかそれ?」
「アタシさー。いわゆる大学デビュー組で、高校まではめっちゃ地味だったんだよね」
メイクやファッションに興味を持ち始めたのは大学に入ってからだ。初心者向けの雑誌を買って、それを参考にしながら自分の顔に色々塗ったり、量販店で雑誌の写真に近い雰囲気になるコーデを探し回ったりした。
コスメにも洋服にも気後れがなくなった頃、ショータに声をかけられた。男の子に服装を褒められるのなんて初めてで、それだけで舞い上がってしまった。すぐ好きになってしまった。
その頃から、交友関係も広がっていった。外見を変えるごとに、内面まで変わっていくのを実感していた。だからアタシはいっそう、メイクとファッションにのめり込んだ。ネイルも勉強し、セルフケアを友達に頼まれるくらい上達した。
「で、気がつけばこんなギャルが一人、爆誕してたってわけ。でもさー」
買い物カゴを持つ、あの女の子の姿を思い出す。
「今更なんだけどさ。男の子ってやっぱああいう子の方が好きなんだよね。アタシみたいなケバい格好よりも」
ショータは王道を好む。どん分野でもど真ん中の、誰もが好意的に思えるものが好きなのだ。それはきっと異性のタイプも。
思えば、最初に声をかけられ付き合い出した頃のアタシもそうだった。そしてスーパーのあの子がまさしくそんな感じだった。
ポーチにはラメ入りのチークや濃いめのアイシャドウが入っている。けど、それを取ろうとする手が固まってしまう。
「新島さんさ」
ボサガノはどこか堅い、苗字にさん付けでアタシを呼ぶ。
「今作ってるゼルグだけど、やっぱ好きな色に塗ってみろよ」
「え?」
「自由にヴェリプラを楽しめ」
「は、あ……?」
突然脈絡ないことを言われて、アタシは戸惑う。
「何年か前に、ヴェリプラ題材にしたアニメやってたんだけどさ、それに出てきたセリフ。ツイッターでハッシュタグにもなってる」
「ハッシュタグ?」
アタシはツイッターのアプリを起動し、検索までの「#自由に」と打ち込んだ。そこから「ヴ」の字を付け足すと、すぐに予測変換で「#自由にヴェリプラを楽しめ」と出てくる。
「うわ」
そのタグを開くと、たくさんの写真が出てきた。どれも完成したヴェリプラを投稿したもの……のはずだけどアタシがこの1ヶ月慣れ親しんだヴェリタスのプラモデルとは、全く違った世界が広がっていた。
「すごいね、コレ」
みんなアニメの設定とか無視しているんだろう。思い思いの色で塗装したり、改造したりしている。中にはカワイイ女の子のフィギュアにヴェリタスのパーツをつけたもの、なぜか名古屋城にヴェリタスの手足が生えたもの。ヴェリタスといえば人型のロボットなのに、どう言うわけかドラゴンみたいな形をしたもの。さらにすごいのが日本刀を持たせ、緑と黒のパーツを規則的に組み揃えて市松模様を再現しているもの。ヴェリタスと同じかそれ以上に有名なアニメの主人公だ。
「もしお前がさ、宇宙戦艦の乗組員でにヴェリタスに乗って出撃しなきゃいけないとする。どんな機体に乗りたい?」
「えっと……」
「アニメの設定まんまでもいいけど、それってお前じゃなくてキリヤ・グロゥやアロヤ・クレイシーの期待な訳だろ? 新島るなには新島るなの期待があるんじゃないか?」
その言葉に、アタシの頭の中で何かが弾けた気がした。
「お前がギャルメイクしてるのって誰かのためなの?」
「ううん違う! アタシのため!」
メイクやファッションの勉強をして、かわっていく自分が好きだった。決してショータに喜んでもらうためにギャルコーデを選んだわけじゃない。ショータは確かにそのきっかけだった。二股かけられたことがわかった今も、まだ気持ちが冷める様子はない。でも、それはアタシの格好とは無関係じゃないか。
アタシは自信を持って、アイシャドウのケースを手に取った。チークと、バサバサのつけまも。そして手早くキメキメのギャル顔を作り上げると、立ち上がる。
「ボサガノ!」
塗装ブースの背後に立ち、声をかけると。ボサボサがみのダメ人間はこちらを向いた。
「ゼルグは紫がいい。それもちょっとメタリックなやつ。ネイルみたくストーンやシールで盛って、アタシが出撃するときに一番アガる機体にしたい!」
「そうこなくちゃ」
ボサガノはニヤリと笑った。
「アンタこそ、まだいたんだ」
アタシはオタクタワーに戻ってきていた。時刻は20時半、閉店してから30分経っている。スーパーでショータを目撃し、咄嗟に店を出てしまった。それから2時間ちかく、頭の中をぐるぐるさせながら駅前を歩き回り、ふと見上げるとこの店の明かたのだ。
「店長は?」
「あの人今日は早めに上がったんだよ。レジ締めは俺が……ってどうしたんだお前?」
「え?」
「いいから奥こい」
そう言って、ボサガノはアタシを閉店後の店内に招き入れた。そのまま奥の作業スペースに通される。
閉店後もボサガノは作業を続けていたようで、エアブラシを使うときにつかわれる換気扇がゴーゴーと音を立てていた。
「ほらよ」
バックヤードからボサガノは紙コップのコーヒーと、タオルを持ってきて。
「なにこのタオル?」
「顔ふけって、すごいことなってんぞ」
「は?」
アタシはスマホの内カメラをいれて、自分の顔を見る。
「うわ、ぶっさ!」
いつの間にか涙を垂れ流していたらしい。アイシャドウもチークもドロドロに崩れていた。
「いいよ、メイク落とし持ってるし、それでやる」
アタシはバッグからメイクポーチを取り出す。ショータの家に泊まるつもりだったから持ち歩いていたものだ。
「すっぴん見られんのマジ恥ずいから、あっち向いてて」
「そうか、じゃあ作業続けるわ」
そう言ってボサガノは、アタシに背中を向けて塗装ブースに座った。
「あーもう、ほんとブスい。これじゃあ二股かけられて当然だわな」
自虐的に苦笑する。
「……何かあったのか?」
振り向くこともせず、エアブラシのシューっという音を出しながら、ボサガノが尋ねてくる。変に気遣うような感じではなく、いつも通りどこか無愛想な声音。それが今のアタシにはちょうど良かった。
「んー、なんでもないよ。ショータが……彼氏が女と歩いていただけ」
そのままアタシは、スーパーで起きたことを話し始めていた。ボサガノは黙ってひと通りの話を聞く。
「その女の人って誰なんだ?」
「わかんないよ、ほとんど一瞬しか見てないし」
その姿を見て、すぐに逃げ出してしまった。誰かなんてわからない。
けど、全てが繋がってしまったのだ。
最近のショータの態度。どうしてメイクボックスを持って帰れと言われたのか。どうして歯ブラシが捨てられていたのか。グラタン皿の洗いのこし。これまで多少の不満はあったものの、特に気にしていなかったショータの部屋の異変。それが、あの部屋にアタシ以外の女が入っていると考えると、キレイに一本の糸で結びつくじゃないか。
それでもショータを嫌いにはなれなかった。むしろ自分のどこを治せばいいか、何を変えればまたアタシを向いてくれるのか、そんなことばかり考えてしまう。
「なんか、意外だな」
「は?」
「いや、お前のことだからその場で食ってかかりそうだなって」
「何それ? ボサガノ、アタシのことをなんだ音持ってるわけ?」
「ファン確認のクイズで逆ギレしてウザ絡みしてくるやつ」
「あー……」
それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
「あんときはアタシも必死だったから。でも、アタシの本性はもっとおしとやかなのよ?」
「自分で言うかそれ?」
「アタシさー。いわゆる大学デビュー組で、高校まではめっちゃ地味だったんだよね」
メイクやファッションに興味を持ち始めたのは大学に入ってからだ。初心者向けの雑誌を買って、それを参考にしながら自分の顔に色々塗ったり、量販店で雑誌の写真に近い雰囲気になるコーデを探し回ったりした。
コスメにも洋服にも気後れがなくなった頃、ショータに声をかけられた。男の子に服装を褒められるのなんて初めてで、それだけで舞い上がってしまった。すぐ好きになってしまった。
その頃から、交友関係も広がっていった。外見を変えるごとに、内面まで変わっていくのを実感していた。だからアタシはいっそう、メイクとファッションにのめり込んだ。ネイルも勉強し、セルフケアを友達に頼まれるくらい上達した。
「で、気がつけばこんなギャルが一人、爆誕してたってわけ。でもさー」
買い物カゴを持つ、あの女の子の姿を思い出す。
「今更なんだけどさ。男の子ってやっぱああいう子の方が好きなんだよね。アタシみたいなケバい格好よりも」
ショータは王道を好む。どん分野でもど真ん中の、誰もが好意的に思えるものが好きなのだ。それはきっと異性のタイプも。
思えば、最初に声をかけられ付き合い出した頃のアタシもそうだった。そしてスーパーのあの子がまさしくそんな感じだった。
ポーチにはラメ入りのチークや濃いめのアイシャドウが入っている。けど、それを取ろうとする手が固まってしまう。
「新島さんさ」
ボサガノはどこか堅い、苗字にさん付けでアタシを呼ぶ。
「今作ってるゼルグだけど、やっぱ好きな色に塗ってみろよ」
「え?」
「自由にヴェリプラを楽しめ」
「は、あ……?」
突然脈絡ないことを言われて、アタシは戸惑う。
「何年か前に、ヴェリプラ題材にしたアニメやってたんだけどさ、それに出てきたセリフ。ツイッターでハッシュタグにもなってる」
「ハッシュタグ?」
アタシはツイッターのアプリを起動し、検索までの「#自由に」と打ち込んだ。そこから「ヴ」の字を付け足すと、すぐに予測変換で「#自由にヴェリプラを楽しめ」と出てくる。
「うわ」
そのタグを開くと、たくさんの写真が出てきた。どれも完成したヴェリプラを投稿したもの……のはずだけどアタシがこの1ヶ月慣れ親しんだヴェリタスのプラモデルとは、全く違った世界が広がっていた。
「すごいね、コレ」
みんなアニメの設定とか無視しているんだろう。思い思いの色で塗装したり、改造したりしている。中にはカワイイ女の子のフィギュアにヴェリタスのパーツをつけたもの、なぜか名古屋城にヴェリタスの手足が生えたもの。ヴェリタスといえば人型のロボットなのに、どう言うわけかドラゴンみたいな形をしたもの。さらにすごいのが日本刀を持たせ、緑と黒のパーツを規則的に組み揃えて市松模様を再現しているもの。ヴェリタスと同じかそれ以上に有名なアニメの主人公だ。
「もしお前がさ、宇宙戦艦の乗組員でにヴェリタスに乗って出撃しなきゃいけないとする。どんな機体に乗りたい?」
「えっと……」
「アニメの設定まんまでもいいけど、それってお前じゃなくてキリヤ・グロゥやアロヤ・クレイシーの期待な訳だろ? 新島るなには新島るなの期待があるんじゃないか?」
その言葉に、アタシの頭の中で何かが弾けた気がした。
「お前がギャルメイクしてるのって誰かのためなの?」
「ううん違う! アタシのため!」
メイクやファッションの勉強をして、かわっていく自分が好きだった。決してショータに喜んでもらうためにギャルコーデを選んだわけじゃない。ショータは確かにそのきっかけだった。二股かけられたことがわかった今も、まだ気持ちが冷める様子はない。でも、それはアタシの格好とは無関係じゃないか。
アタシは自信を持って、アイシャドウのケースを手に取った。チークと、バサバサのつけまも。そして手早くキメキメのギャル顔を作り上げると、立ち上がる。
「ボサガノ!」
塗装ブースの背後に立ち、声をかけると。ボサボサがみのダメ人間はこちらを向いた。
「ゼルグは紫がいい。それもちょっとメタリックなやつ。ネイルみたくストーンやシールで盛って、アタシが出撃するときに一番アガる機体にしたい!」
「そうこなくちゃ」
ボサガノはニヤリと笑った。