それは遠い遠いはるかな昔、少女は生贄に選ばれた。

 村人は迷い木の怪物と交渉するための手土産に奴隷の子を選んだ。生贄を渡すからこの森から出ていって欲しいと。

 その時、怪物は腹が減っていなかったので少女を食べることをしなかった。

 会話を聞くに少女の名前はヨーリィというらしい。

 交渉とは後ろ盾があるから出来るものであって、本気を出せば1日で村を滅ぼせる力を持つ怪物は森から出ていくつもりはなかった。

 怪物は魔力を使わなければ動物や人間を捕食することはない。大きな木と同化して養分を分けてもらえればそれだけで生きていけるのだ。

 そう、人が怪物の根や魔力の詰まった体を求めて戦わない限り本来は無害な存在なのだ。

「迷い木の怪物様は、は、わ、私をた、食べないんですか?」

 少女は震えた声で絶え絶えに言ったが、怪物は返事をしないでいた。だが、少女が泣き続けるのが耳障りだったので短く答える。

「お腹空いてないからいらない」

 少女はホッとして笑顔になる。しかし少女に帰る場所はない。

 その夜は怪物の木の下で寝た。寒さに震えながらだ。朝になると落ち葉に少女は埋まっていた。少女は落ち葉って暖かいんだなと初めて知る。

「やっと起きたのね、あんたの食べ物を取りに行くから一緒に来なさい」

 メキメキと音を立てて怪物は木から出てきた。

 初めて見るその光景にヨーリィは目を丸くする。生き物を閉じ込める結界魔法を張り、イノシシに木の杭を数発刺して絶命させる。

「そう言えば人間って火で焼かないと肉食べられないんだっけ」

 そう怪物が尋ねるとヨーリィはコクコクと頷いた。

「はぁ、面倒くさい生き物ね」

 半分木のような存在の怪物は火が嫌いだったが、魔法で使えないわけではない。数十年ぶりに怪物は火を起こして雑にイノシシを解体して焼き始める。

「ヨーリィ、で合ってたかしら」

 怪物が言うと少女は軽く頷いた。

「あの、迷い木の怪物様のお名前は何ていうのですか?」

「私は名前なんて持ってないわ」

 イノシシの肉をかじりながら怪物は答えた。ヨーリィはそうなんだと納得し、またイノシシの肉を食べ続けたがもう1つ疑問が浮かんだ。

「それでは何とお呼びしたら良いのでしょうか?」

「好きに呼んだら良いわ」

 少女は腕を組んでうーんと考えてみる。

「怪物様…… じゃなくて、マヨイギ様、マヨイギ様とお呼びしていいですか?」

「それでいいわ」

 自分の名前のことなのに興味なさげにマヨイギは返事をした。

「あんたはアレね、私の歩くお弁当。その時が来るまでせいぜい死なないことね」

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 マヨイギとヨーリィが出会って1か月が経った、マヨイギは森を出ることをしないし、ヨーリィもマヨイギから逃げることをしない。それは春の日差しの暖かな日だった。

「マヨイギ様! マヨイギ様に渡したいものがあって」

 そう言ってヨーリィが持ってきたものは花で作った冠だ。

 きっと喜んでくれるだろうと信じていたヨーリィだったが、マヨイギの反応は予想とは違うものだった。

「ヨーリィ、あなたは私に贈り物を作るために花の命を奪った」

 言われてハッとしたヨーリィ。だが続けてマヨイギは話し続ける。

「弱者から奪うことは強者の特権よ。だからあなたは悪くない、悪いのは自分を守れないその花たち」

 ヨーリィは言葉を失ってしまった。

 そして泣き出してしまう。真顔を崩してマヨイギは少し慌てる。

「ちょ、ちょっと。泣き出さないでヨーリィ!」

 それでもヨーリィはわんわんと泣いた。申し訳ありませんと何度も繰り返し……

「わかった、わかったわよ言い過ぎたわ。それはありがたく貰うから」

 そうだ、美しいから、気に入ったからという人間の都合で命を奪われる花に自分自身を重ねてしまい、ついキツイ物言いをしてしまった。

「ごめん、ごめんってばヨーリィ」

 生きていて初めて人間に謝る。ぐすぐすと泣いていたヨーリィも泣き止み始めてマヨイギはホッとしていた。

「小さいあなたに言い過ぎちゃったわ」

「でも、でも、私がお花の命を奪ったことは本当です」

 小さくて奴隷でろくな教育も受けていないヨーリィだったが、彼女は賢い子だ。

 これでは自分も優しいマヨイギ様を狙う人間と同じだと理解してしまった。

「本当に後悔しているならせめて奪った命を無駄にしないようにするの」

 マヨイギは頭に花の冠を乗せた。ヨーリィには怪物であるはずのマヨイギが女神に見える。

 いや、もしかしたらヨーリィにとってマヨイギこそ救いの神そのものだったのかもしれない。

「おいで、ヨーリィ」

 木からパキパキと両腕を出すマヨイギ、ヨーリィは誰かに抱きしめて貰うのは初めてだった。