裏庭が裏ダンジョンでした



(イラスト:有機ひややっこ先生)

 ムツヤ・バックカントリーは今、外の世界に出て来て早々パンツ一丁にされてしまった。

 月明かりに照らされるムツヤ少年の前にはオークが3人。その内1人は人間の美的感覚で見ると美人だ。

 拾った本で外の世界の事を勉強していたムツヤは最悪の展開に気付いてしまい、一瞬で血の気が引いてしまう。

「あ、あの、オーグさん、ひとつぅー…… いいですか?」

「なんだ」

 ムツヤは今にも泣きそうな、震えた声でオークへと質問をする。

「ご、これから私は、あのー、いわゆる『っく、殺せ』って奴んなるんでしょうか? お、おれ、外の世界で女の子とは、ハーレムしだかったのに、お、オーグに」

「何を気持ち悪いことを言っているんだ馬鹿者!!」

 女のオークは顔を怒りと恥ずかしさで顔を赤くしてムツヤを怒鳴り散らす。

 どうしてこんな状況になってしまったのか、それは少し時間をさかのぼって説明をする事になる。




 ムツヤ・バックカントリーはクソ田舎に住んでいる。

 生まれも育ちもクソ田舎だ。

 田舎と聞いて何を思い浮かべるだろうか。

 雄大な自然、のどかな暮らし、どこまでも続く草原。

 それを思い浮かべたら間違いなく田舎を勘違いしている。

 実際の田舎は気持ちの悪い虫が当たり前のように部屋に現れ、のどかと言えば聞こえは良いが、娯楽も何もない暮らし。

 草原は基本的に肥やしを撒いているので臭い。

 草原の爽やかな風なんてものは幻想だ。基本的には肥やしの匂いが風と共にやってくる。

 遊び場やゲーム等の気の利いた娯楽が無い場所で、子供たちはどの様に遊ぶだろうか。外を駆け巡り冒険をするしか無い。

 田舎の子供たちが元気に外を走り回るのも、それしか選択肢が無いからだ。

 ムツヤもその田舎少年の例に漏れず、物心が付く前から家の周りを探検していた。



 ここまでは田舎のよくある話だろう、そしてここから先が田舎ではよくある話でなくなる。

 ムツヤの住む家のすぐ後ろは、世界中の冒険者が求める幻の裏ダンジョンだ。その事はここに住むムツヤですら知らない。

 裏ダンジョンの家の前に住む人間の朝は早い、ムツヤの祖父であるタカクは今年で73歳になる。

 動きやすさを重視し、ゆったりとしたローブを着て、曲がった腰に手を当てながら玄関のドアを開け一歩一歩ゆっくりと外へ出ていく。

 するとそこに全長2メートルはあるコウモリのような化物が上空から3匹タカクへ襲いかかってきた。

 タカクは不気味なコウモリを見上げると面倒臭そうに右手を天に上げる。

 その瞬間老人のシワシワの手から轟音と閃光が鳴り響き、地上から天へと雷が打ち上げられた。

 コウモリ達は即死したらしく地上に落ちると煙と共に消えた。

「じいちゃーん、今日こそ最上階行ってくるからよー!」

 そんな光景を見たら一般人どころか、冒険者でさえ何事か、どこかの高名な大魔法使いかと注目するだろう。

 しかし、孫のムツヤは一切動じずあっけらかんと玄関から顔を出し、こげ茶色の目で祖父を見ていた。

 コバエを叩き潰したぐらいで自慢をする人間も、倒した相手を英雄のように称える人間も少ないだろう。彼らにとって今の行為はそれぐらいの感覚に近い。

「わかったわかった、気を付けて行って来い」
 タカクの言葉を聞いているのか聞いていないのか、ムツヤは倍速の魔法を使う。

 肩まで伸びた黒髪が全て後ろに逆立つ速さで塔へ走り出した。軽く見積もっても馬の数倍は早い。

 ムツヤにとって裏ダンジョンは最高の遊び場だ。塔の中のはずなのに大きな池もあれば、林も、砂漠も、谷もある。

 それらが毎回入る度に地形も変わり、誰かが丁寧に置いたかの様に使いみちの分からない道具や武器、それに防具や薬も宝箱も新しいものが落ちていた。

 その為、同じモンスターを倒すこと以外は毎日が新鮮だったので、祖父からたまに聞く外の世界にそこまで興味は無かった。

 そう、無かったのだが、とある本がムツヤを変えてしまった。

 それは冒険者がよりどりみどりの美女達と冒険をしてハーレムを作る小説だ。

 ムツヤが生まれてからこの場所には誰も人が来たことがない。

 しかし、何故かある日その本が家の前に落ちていたのだ。

 文字の読み書きが出来ないムツヤだったが、何故か指に付けていると文字が読めるようになる指輪が腐るほどあったのでそれを付けて本を読んだ。

 そして衝撃を受けた。

 この外の世界には黒く長い髪で、一見戦闘にしか興味が無いように見えて実は主人公が大好きなことを隠している女と。

 金髪を左右で結んで意地悪な事を言いながらも実は主人公が好きで好きでたまらない女が居ること。

 そして、見ると胸が高鳴る挿絵、祖父から話には聞いていた『女』とやらの挿絵の笑顔を見ると、ドキドキして夜眠れなくなってしまったこと。

 ムツヤは外の世界に出てみたくなった。

 そして、そのハーレムというものを作ってみたくなる。

 そんなムツヤだったが、この場所と外の世界は『けっかい』とか言う青白く光る壁で隔たれていた。

 これがまたやっかいで、剣で斬りつけても弾かれ、触ると電気が走って物凄く痛いのだ。

 脚力を魔法で強化して飛び越そうとしても、どこまでもどこまでも空高く壁は続いている。

 ムツヤは何度もその壁を壊そうとした。それはもう何度も壊そうとした。

 壊そうとして『スゲー爆発が起こる玉』を何度も投げつけた事もある。

 100個ぐらい投げつけてもビクともしなかった時はちょっとだけ涙が出た事もあった。

 そんなある時にムツヤを見かねてか祖父のタカクが言う。

「外の世界は危険だ、お前が行ってもすぐに怪物の餌食になってしまうだろう」

 組んでいた腕を崩してタカクは続けて言う。

「しかし、あの裏の塔の最上階にまで行けるぐらい力を身につけたらこの結界を解いて外の世界へと行かせてやろう」

 その言葉を聞いた日からムツヤは塔の最上階を目指す日々が始まった。

 物心が付く前から塔の60階までは冒険をしていたムツヤだったが、そこから先の階段には『触手だらけのキモいし臭いしデカイトカゲ』が居る。

 近付きたくなかったので、いつもそこまで行って帰ってを繰り返していた。

 それでも塔は毎回入る度に使い道も名前も知らないけど、面白そうな物がたくさん落ちている。

 そして、それを試して遊ぶモンスターも充分に居たので、遊ぶだけだったら退屈はしなかった。

 ムツヤは塔の外まで来るとカバンから鎧を取り出す。

 走る時に邪魔になるので装備はこの便利な肩掛けのカバンにしまってある。

 だが、カバンは剣を入れるには少し小さいように見えた。

 中身が入っていたとしても全然膨らみが無かったのだが、カバンから取り出されたムツヤの手にはしっかりと鎧が握られている。

 仕掛けは簡単で、このカバンは念じながら手を突っ込むと入れておいた物をすぐに取り出せるのだ。

 更にいくらでも入るし、食べ物や薬を入れても腐らないのでムツヤの大切な宝物だった。

 まぁ、宝物と言ってもこのカバンは年に1度ぐらいは落ちているので家には10個以上予備はあるのだが。

 その予備はただ家に置いても仕方がないので、1つはタカクが体調を崩した時にと薬をたくさん入れたカバンを作ってある。

 他には多くとった魚やモンスターの肉、食べきれなかった食事も入れておく食料の備蓄用に家に1つと。

 もう1つはカバンの口を広げられたままトイレの底に置かれている。こうすると臭わない上に虫も沸かず、肥溜めに持っていく時も楽なのだ。

 後はゴミ箱に2つ使い、残りは特に使い道が思い浮かばなかったので家のタンスに入れてある。
 このカバンは使い道によっては無限の可能性があるはずだった。

 商人であれば、自分の身と馬一頭あれば無数のキャラバン隊を連れる事が出来るようなものだ。

 ありとあらゆる物を入れて移動し、売って莫大な富を生み出す事が可能だろう。

 戦争で使うのならば、余剰の武器をしまい込み、軍隊の移動中の負担を減らせる上に、腐らずに調理済みの食事がいつでも取り出せる夢のような武器庫兼兵糧庫にもなる。

 そんな、夢のような道具がご家庭の救急箱と貯蔵庫。

 それならまだマシだが、トイレにも使われている事を商人や軍師達が知ったらと思うといたたまれない。

 このカバンの存在を知ったら彼らどころか世界中の人間が喉から手が出るぐらいに欲しがるだろう。

 そんなカバン自体が値千金であるというのに、収集癖と貧乏性を兼ね備えたムツヤは基本的に塔で拾ったものは全部このカバンの中にしまっていた。

 取れた腕がくっつく薬から、何に使うのか分からない道具まで全てだ。悪知恵の働くものがこのカバンを手にしたらと思うと恐ろしい。

 話は戻り、ムツヤは裏ダンジョンである塔の扉を開けて中に入る。まず出迎えて来るのは『でっかいサワガニ』みたいなモンスターだ。

 こいつはムツヤが5歳の時から戦っているのでもはや敵というより親しみのあるおもちゃのような扱いだ。

 一度、飼ってみようと思い、家に連れて帰ってみたが、餌をやろうが撫でてやろうが襲いかかってくるので、諦めて手刀で粉砕した。

 その際にムツヤは加減を誤って部屋中にかにみそを飛び散らせ、タカクに酷く怒られたのを覚えている。

 ムツヤは剣を構え、目にも留まらぬ速度でカニを一刀両断する、カニの断面からは業火が吹き出した。

 塔の中程ぐらいまでは、触っても毒のないモンスターであれば篭手を付けた手で殴るか、足で蹴るだけで充分なはずなのだが。

 ムツヤは最近手に入れた『斬ると炎が出てくる剣』が面白くて気に入っており、ずっと使っていた。

 次々と襲いかかってくる『紫でぷるぷるした水』みたいな奴や『デカイ蝶々』『でっかい蛇』をムツヤは殴り飛ばし、蹴り飛ばし、剣で真っ二つにして燃やし、何度も階段を駆け上がる。

 そんな中、ガラスの小瓶に入った青い液体が転がっていたので拾い上げてムツヤは中身を飲み干した。

 詳しいことは知らないが、甘みがあり、味がよく、落ちている薬の中では喉が乾いた時に一番ピッタリなのでムツヤはよく愛飲している。

 これがありとあらゆる病気を治す幻の秘薬で、一本で豪邸が一軒買える代物だということをムツヤが知るのはだいぶ先の話だった。

 階層を数えながら登ると1時間もしない内に例の『触手だらけのキモいし臭いしデカイトカゲ』の下層である59階まで来る。

 アイツは近づくと吐気がするほど臭いし、触手で触られると、肌が物凄く痒くなるので今まで関わらないようにしてきた。

 だが、今日こそはアイツを倒すぞとムツヤは気合を入れて階段を登る。

 接近戦で倒せる自信はあったが、出来れば近付きたくないのでムツヤはその階の入り口に隠れて、カバンから弓と矢を取り出した。

 塔の最上階にまで行けたら外の世界へと行っても良いと言われてからずっとこの為に練習をしてきたのだ。

 ムツヤは昔から直接殴りに行ったほうが早いと弓と矢にはあまり興味が無かったので弓の扱いは初心者だった。

 だが、ここ二週間で『命中するとメッチャ光ってモンスターがパパウワーってなる弓』を練習してきたので、ムツヤにはあの触手トカゲを仕留める自信がある。

 最悪、我慢して剣で斬ればいいしと楽観的だ。

 しかし、何度か臭いで吐いてしまうだろうから出来ればやりたくは無かったが。

 片目を閉じて弓を引き絞ると、ムツヤは左手を離す。

 放たれた矢は触手トカゲの顔に当たり、例の光がパパウワーと現れ、触手トカゲは部屋中にビリビリと響き渡る咆哮を出してのたうち回った。

 その間もムツヤは素早く弓に矢をつがえ直し第2射、3射と矢を浴びせ続ける。

 命中した矢の光が消えると、そこを中心に半径40cmほどのグロテスクなクレーターを触手トカゲの体に作る。

 怒った触手トカゲは緑の毒液を放射状にばら撒いて階段の入り口の後ろに隠れていたムツヤへと降らせた。

 流石に毒液を浴びたくないとムツヤが飛び出すと、待っていたとばかりにトカゲは伸ばした触手を鞭のようにしならせて襲いだす。

 それでも、足の早くなる魔法を使い、部屋を縦横無尽に駆け巡るムツヤを捉えることは出来なかった。

 その間も絶え間なく矢の雨が降る。

 触手トカゲの発する咆哮も段々と弱くなり始め、天を見上げて一度だけ一際大きく咆哮を上げると、それを最後にその巨体は煙とともに消え去ってしまった。

 今までのムツヤの経験上、モンスターの中には死ぬと死体が残るやつと煙になって消えるやつの二種類が居る。

 死体が残るやつは食べると大体は美味いので食料になっていた。

 触手トカゲを初めて倒した達成感などは微塵も感じず、ムツヤはアイツは煙になるタイプだったのかとちょっと関心を持っただけだ。

 まぁ、肉が残ったとしてもあんなに臭いモンスターは食べる気がしないのでどうでもいいのだが。
 ムツヤは『割ると辺りのクサイ匂いが消える青い玉』を触手トカゲの消えた場所に投げる。

 これは割れた場所を中心として、約半径30メートルの空間に漂うどんな有害物質でも除去できる代物なのだが、普段は使い道が見つからないのでトイレのちり紙の横に山積みにされていた。

 大きい方をした後のエチケットだ。

 もちろん、これも外の世界で1玉売れば1週間は酒場で豪遊が出来る価値がある。

 部屋は快晴の空の下で心地の良い風が吹いたように、爽やかな空気になった。

 さっきまでの匂いを嗅いでいたムツヤは普段より余計に清々しく感じている。

 ムツヤは知らない事が多い。

 触手トカゲの吐き気を催す臭いは、常人であれば一吸いで昏睡状態に。ゆっくり深呼吸すれば次の瞬間にはあの世へ行っている毒ガスだと言うこと。

 触手で触られれば痒みを感じるどころか、その部分から細胞の壊死が始まり体が腐り落ちる事を。

 それでは、何故ムツヤは平気なのかと言うと、おそらくどんな病気も治す幻の秘薬を小さい頃からジュース代わりにガブガブと飲んでいるからだろう。

 長年気持ち悪いと思っていたトカゲが消えて、ムツヤはもっと早く倒しておけば良かったかと思いながらもちょっとした喪失感じた。

 ヤツが居た場所には鱗が数枚落ちていて、変わった匂いも、触って皮膚がどうこうなる事も無かったので、とりあえずカバンにしまって階段を登り始める。

 ここから先は未知の場所なので少しだけ身構えたが、そんなムツヤの心配は杞憂に終わり、どのモンスターも一撃で真っ二つに出来た。というか素手でも倒せるぐらいに弱い。

 それから塔の内部の森を抜け、砂漠を抜けてこれまた1時間もしない内におそらく最上階付近まで来た。

 そこには開けた広間があり、天井からはガラス製の燭台がいくつも垂れ下がっている。

 床にはフカフカの赤い絨毯が広がっている。そして奥の大きな扉の前の豪華な椅子に何者かが座っていた。

「あー、やっと登ってきたのね」

 突然の声にビックリしてムツヤの視線は釘付けになる、人影だ。

 暗闇の中で蝋燭の光を浴び、黄金色に赤みを含ませて照らし出される椅子、そこから誰かが立ち上がるのが見えた。

 剣先をそちらに向けたまま姿をよく見てみる。

 一歩一歩近付いてくる相手は自分とは違う褐色の肌、長い髪は真っ白。

 だが同じ白髪でもじいちゃんとは違う感じだなとムツヤは思った。

 なんというか高級感がある。例えるならたまに拾う上質なローブの様な感じの艷やかな髪だ。

 目の上や唇、爪などは毒々しく紫色で、火に照らされて怪しく揺らめいていた。

 纏っている触り心地の良さそうな上質な服は、たまに塔の中で拾い『それは女が着るものだと』教えてもらった服と似ている。

 それらは外の世界の本で挿絵のヒロイン達が着ている『ドレス』や『ローブ』に似たものだった。

 目の前の人間が来ているのは、無理に例えろと言われればローブが近いだろうか。

 胸を隠しているが、胸元ははだけさせ、胴体は布を纏わずに、腰から床付近までを長い布がぐるりと覆い、横に切れ目が入っている。

 その面積が少ない布が支える胸の筋肉ではない2つの大きな塊と、何故か分からないがドキドキするこの感じ。

 この鼓動は相手の正体がわからないからという理由だけではないと直感でわかった。

 戦いでなる鼓動とは少し違う、この感覚はどちらかと言うとあの小説を呼んでいる時の感覚に近い。

 そうだ、小説の挿絵や描写と照らし合わせても完全に一致だ。

 その相手はムツヤが初めて出会う女という生き物だった。



(イラスト:海季鈴先生)
「あ、お、あ、えっと、は、はじめまして俺じゃなくて、私はムツヤと言いまず!」

 外の世界に出た時の挨拶をずっと練習してきたはずが、さっとその言葉を言えずムツヤは顔が赤くなってしまった。

「はじめまして、ねぇー…… 私は『はじめまして』じゃないつもりだったんだけどもな~」

 そう言って女は近づいてくる。

 最上階付近ということもあり、知能の高いモンスターの可能性は捨てきれないのでムツヤは剣を構えたままだ。

 人のようなモンスターはよく見かけたが、奴らは言葉も話さず襲いかかってくる。

 だが、今回はそうではない。

 今のムツヤには相手の正体が誰かわからないままだ。

「私の名前はサズァン、いわゆる邪神様ってやつよ」

 邪神。外の世界の本の中にも書いてあった。

 ムツヤの中で邪神というのは、人を呪い、時には殺すよりも残酷なことをするらしい何か凄くヤバイ奴ぐらいの認識だ。

「その邪神様が何のようでごじゃ、ございますでしょうか」

 相手をからかっている訳ではない。

 ムツヤはいたって真面目だが、慣れない尊敬語を緊張しながら使った結果このような言い方になってしまったのだ。

 するとサズァンは口元を手で隠してクスクスと笑い始めた。

「私はね、この扉を…… まぁ言ってしまえばこの塔自体を何千年と守っているの。この先に行きたかったら私と戦って勝たなくちゃいけないわ」

 人間ではないといえ、祖父以外で初めて言葉を交わして、胸が変にドキドキする相手と戦いたくない。

 剣を構えたままどうすれば良いか答えも出てこないのでムツヤはじっと立っていた。

「でもね、私はあなたと戦いたくないのよ、ムツヤ。あと邪神様じゃなくてサズァンって呼んで」

 初めて他人に、まぁ、正確には人ではないのだが。

 ともかく知らない相手に名前を呼ばれてムツヤは胸が高鳴る。

 腰をくねっくねさせながら一歩一歩サズァンはムツヤの元へと歩いてきた。

 これが本で読んだ色っぽいという奴なのだろうか、そんな風に冷静に考える自分と、一方で胸の高鳴りで死にそうになる自分がいる。

「私はね、あなたが子供の頃からあなたを見守っていたわ。最初はもうビックリしたわよ?」

 そう言ってサズァンはクスクスと笑った。

「だって、子供がこの塔の中に入ってきちゃうんだもん。しかもそれが危なっかしいけど中々に強くて」

 こちらは相手のことを今日初めて知ったというのに、相手からは自分を子供の頃から知っていたと告げられる感覚は実に妙なものだ。

「ねぇ、覚えてるかしら? あなたが油断してコカトリスに噛まれちゃって、死にそうになってた時に助けてあげたの私なのよ?」

「コカトリス?」

 頭をひねってみるがムツヤにはコカトリスが何者かわからない。

「あぁ、アレよ。鶏に蛇のしっぽが生えたやつ」

 あー、とムツヤは声を出して合点が言ったようだ。

 あの『しっぽに毒を持ってて、目を合わせ続けると段々と体が動かなくなる鶏の化物』だ。

 ムツヤは外の世界の本に載っているモンスターならば正しい名前を知っているが、それ以外は自分の付けた安直な名前で読んでいるので無理もない。

「確かに一回噛まれた時がありますたね」

 今度は敬語を意識しすぎてしまい、語尾を噛んでしまった。

「あの時、目の前に解毒薬置いてあげたの私よ。本当はそういうのダメなんだけど」

 完全に思い出した。ムツヤは鶏の化物に噛まれて冷や汗が止まらなくなり、体が死ぬほど重くなった時があった。

 当時はまだ、何でも入る小さなカバンを持っていなかったので、手持ちに飲むと元気になる青い薬が無い時だ。

 そんな時、目の前にガラスが転がる音がし、どこからともなく青い薬が現れたのだ。

「そうだったのですか、それはもうあの時はご親切にごありがとうごぜぇました」

 剣を収め、勉強して覚えたての敬語をムツヤは使うが、あいかわらず所々で訛りが顔を出してきてしまう。

 その度サズァンは堪えきれなくなってクスクスと笑っていた。

 田舎者をバカする気持ちからではなく、小さい頃から知っている子供が一生懸命に背伸びをしようとしている事が可愛らしくて、面白くもあったからだ。

「それで、この先に行くためには私を倒さなくちゃいけないんだけど、どうするの?」

 そこまで言ってサズァンは困った顔をした。

「私としてはあなたの事は近所の可愛い子供とか弟みたいなものだから出来れば殺したくないんだけど……」

 そう言われてしまうとムツヤも困る。

 武器を手に取って襲いかかって来るのであれば戦う覚悟も決められるのだが、そう言われてしまったら戦いづらい。

 元より出会った時から戦う意志は消えてしまっていたのだが。
「えーっと、うーんと、どうしたのものでずかねー」

 またも言葉に訛りを出しながらムツヤはうんうんと悩んでいた。

 サズァンはそんなムツヤを見て問いかける。

「そもそもなんで急に最上階に行きたいなんて思ったのかしら? いつもテンタクルドラゴンきもいーくさいーって言ってあの階より上に近付きもしなかったのに」

 テンタクルドラゴンという名前は知らなかったが、会話の中から例の触手トカゲの事を言っているのだとムツヤは理解した。

「えーっどですね、なんずったらいいか、ウチのじいちゃんが外の世界は危険だからって、せめてあの塔の最上階に行くぐらいは強くならなくちゃダメだって言っでてそれで」

 それを聞いてサズァンは今日一番の笑い声を上げた。

 クスクスなんてものじゃない、口元を隠していた手をお腹に当ててもうゲラゲラとだ。

「あなたねぇ…… あなたもおじいちゃんも正気で言ってるのかしら? ここまで来られたらもう外の世界のモンスターなんて寝ながらでも倒せちゃうわよ?」

 笑いすぎて目に涙を浮かべたサズァンの言葉にムツヤは衝撃を受ける。

 強いと信じていた外の世界のモンスターを寝ながら倒せるなんてと。

「っていうかあなたのおじいちゃんってタカクよね? まだ元気にしてる?」

 ムツヤには驚きの連続だ、目の前の邪神は自分の祖父のことを知っていたのだ。

「え、えぇ、最近ちょっどー弱ってきちゃいましだけんど、まだまだ元気だって言ってまず。サズァン様はじいちゃんの事を知ってるんですか?」

 その質問をするとサズァンはふっと軽く笑ってムツヤから目を逸らして言った。

「むかーし、ちょっとねー。それよりどうするの? 私を倒して最上階まで行くの?」

 ムツヤは腕を組んで考える、外の世界のモンスターは案外大したこと無いんじゃないか。

 しかし、強さの証明の為には最上階へ行かなくてはならず、行くためにはサズァンを倒さなくちゃいけないけど、倒したくない。

 でも、外の世界には行ってみたい。

 ぐるぐると思考を巡らせた結果ムツヤが生み出した結論はこうだ。

「嘘ついちゃうか、じいちゃんに」

 ムツヤはぼそっとそう言った。

 右の人差し指を頬に添え「あら、それで良いの?」とサズァンは聞き返す。

「一番上まで行っだっでじいちゃんに嘘付いて外の世界に行きます。俺はサズァン様と戦いたくないですし」

「ふふっ、そう」 

 笑顔を作った後にサズァンはムツヤの元へ近付いてくる。

 ふわっと香る今まで嗅いだことの無い良い香り。綺麗な花を目の前に散りばめられたような甘い香りだ。

「私はこの塔から外に出ることは出来ないけど、あなたにコレをあげるわ、私も退屈だから外の世界を見てみたいし」

 サズァンはムツヤの手を両手で握り占めるようにして紫色のガラス玉付いたペンダントを渡した。

 邪神とはいえ初めて異性に触れたことで胸の高鳴りが一周して気絶しそうになる。

 頭に残った印象は温かくて柔らかかったという事だけだ。

「コレを付けていれば、困った時に助けてあげられると思うわ。と言っても直接手出しはあまり出来ないからアドバイスしてあげるだけだけど」

 フフッと笑ってサズァンは続ける。

「後はどうしても寂しくなったらこの塔に戻ってくるのよ? いつでも私がたっぷり慰めてあげる」

 恐ろしい邪神様なのだろうが、案外いい人、いや、いい神なのかもしれないとムツヤは思い、決心して言うことにした。

「サズァン様、俺のハーレムに入って貰えませんか?」

 5秒間ぐらい静寂が流れる。

 最初はポカンとした表情をしていたサズァンは次第に笑いを我慢するような表情になり、また両手で顔を隠して後ろを振り返った。

「待って待って待って、本当この子可愛すぎ、どーしよ、年の差なんてまぁうーんいやでもーうー…… やっぱり小さい頃から見てたから情が移っちゃったのかしらね」

 さっきまでの気品と神々しさはどこへ言ったのか、サズァンは小声を言いながらくねくねと悶ている。

 ふと、独り言をピタリとやめて振り返った。

 そのサズァンには気品と妖艶さが戻っている。

 そして、聞き分けのない小さい子供を諭すように言う。

「いいムツヤ? 私は神で、あなたは人間、しかも私にとってあなたは弟とかそんな感じなの」

 そう言われたムツヤはこの世の終わりが来てしまったとそんな顔をしていた。

 その後はもう、わかりやすいぐらいに落ち込んだ。

 おそらく人生初の恋はすぐに幕を閉じたのであった。

「あーそのえーっと、あなたが嫌いってわけじゃ無いわよ? むしろ好きだし、でも私は邪神だしね、それにアナタには外の世界を見て来て欲しいの」

 ムツヤは聞いているのか聞いていないのか、口を開けたままアホっ面をしてピクリとも動かない。

「わかった、もうわかったから! 外の世界を見て成長なさい。それでハーレムでも作って、色んな女の子を知るの、それでも好きな人間の子が出来なかったらその時はまた戻ってらっしゃい。そうしたらまたもう一回考えてあげる」

 ムツヤはその言葉を聞くとコレまたわかりやすくパァッと笑顔を取り戻した。

 この時サズァンはムツヤが尻尾を振る可愛い子犬の様に見え、抱きしめて頭を撫で回したい衝動に駆られたがぐっと堪える。

「わかりました、サズァン様。俺は外の世界を見て、外の世界で成長すてハーレムを作ります!」

「はいはい、わかったわかった。そのペンダントを付けてればたまーにお話もできるから困ったら頼って頂戴ね」

 ムツヤはハッと思い出して頭を下げる。これは感謝の気持ちを表す行為らしい。

 来た道を戻る途中、一度だけサズァンを振り返ると笑顔でひらひらと手を振り返してくれた。


(イラスト:東原望美先生)

 急いで階段を駆け下りた。

 途中またモンスターと出くわしたが剣を取り出すのも面倒だったので全てぶん殴って片付ける。

「じいちゃん、てっぺんまで登ってぎだからあの結界って奴を壊しでぐれ!」

 ムツヤは家に帰るなり祖父のタカクへと言った。

 タカクはお茶を飲みながら目線だけをムツヤに移して、とうとうこの時が来てしまったかと湯呑を置く。

「そうか、それならば仕方がねー、明日の朝に結界を解いでやっがら」

「いんやダメだじいちゃん、俺は外の世界で成長しでハーレム作んだ! もう今すぐに行く!! 今すぐじゃなぎゃダメだ!」

 ムツヤは鼻息を荒げてそう言うと、やれやれとタカクは重い腰を上げた。

 家から結界の間際まで歩く二人の間に言葉は無い。

 途中また巨大なコウモリが何度も襲撃してきたが、ムツヤが飛び上がって平手打ちで全て叩き落とした。

「ムツヤ、いづがはこの日が来るど俺も思ちょった」

 タカクは家から出て初めて話し出した。その表情は当然だがどこか寂しげだ。

「外の世界を見てこい、ムツヤ」

「じいちゃん……」

 タカクがそう言って結界に手を伸ばすと青白い光に切れ目が現れ、左右に開いた。

 あれほど行きたかった外の世界なのにムツヤは少し足取り重くその裂け目へと歩く。

「じいちゃん、カバンの予備に薬死ぬほど入れでおいだがら死にそんなっだら飲めよ! あどー広げたら竜巻が起こる巻物も入れとったから魔法使うのしんどい時は使えよ、それから」

「俺の心配はすんでねーよ、ムツヤ」

 シワだらけの顔を更にクシャクシャにし、ニッと歯を見せてタカクは笑った。

 ムツヤは黙って頷いて一気に結界の裂け目に走り出す。

 中は一面が真っ白で、急に高い所から落ちたような浮遊感がし、たまらず叫び声を上げる。そのまま気を失い、気付いたら。

「おい人間、こんな時間に何故ここにいる」

 ムツヤは夜の闇に包まれて月明かりに照らされていた。

 気を失っていたはずだがその足はしっかりと大地を踏みしめて立っている。

 そんなムツヤの周りを緑色の肌をした人が囲んでいた。相手は今にも斬り殺さんばかりの殺気を帯びていた。

「あ、え、あーっと、は、はじめましで私はムツヤと言います」

「貴様ふざけているのか」

 あれとムツヤは思う。

 言い方がおかしかったのか、原因は分からないがどうやら相手を怒らせてしまったらしい。

「いいか、質問をしている、何故ここに居る」

 目の前の緑色の人間がそう言った。緑色…… ムツヤは目の前の人間をじっと見る。

 変な形の耳と少し低めの鼻と、下顎から覗く牙。もしかして

「わかった、オーグだろ、オーグ!」

「だからどうした、また貴様はオークを醜いと殺しに来たか?」

 醜い? 確かに緑色だが胸にはサズァンに負けずとも劣らぬ塊が付いているし、顔もモンスターっぽくはない。



(イラスト:太極剣先生)

 それ故に、特に醜いと言った印象を目の前の一人には抱かなかったが、その両隣はどう見ても豚のお化けのようだった。

 と言ってもムツヤはその『豚』も小さな頃に絵本でしか見たことが無かったが。

 オークと言ったらムツヤの印象にあるのは1つだ。

 外の世界の本で何故か知らないがよく女騎士を襲って「っく、殺せ」と言わせ、その後色々と、色々とするモンスター。

 もしくは、その状況に冒険者が割って入り助けると、ハーレムに女騎士も加わる展開になるアレ。

「えーっと、アレでずアレなんですよぉ! 私はえーっと別の場所って言ったらいいのがなー…… 多分別の世界から来たばかりでよぐわがらなくてー」

 多分この世界のモンスターだろうと思ったが下手に手を出して怒らすのは避けたかった。

 強さがわからない上に話すぐらいに知能がある相手。

 しかも、攻撃の手段も武器で殴りつけてくるのか、意外にも魔法なのか、飛び道具を飛ばしてくるのかも分からない。

 そして、相手は三人も居るのだ。ムツヤは言葉を紡いで相手の出方を見ることにした。