愛と禁欲のサーガ・腐食の魔法[第一部・人間界都市編]

 四名の元老院(げんろういん)、王女エッダ、アルダリが一段高い議員席に座り、ソングだけがぽつんと前に立たされ、秘書官から配られたプロフィール用紙に目を通すと、老齢の議長が儀礼的に質問して面接試験がスタートした。

「安室尊具で間違いないかね?」
「うん。ソングって呼んでくれ」

 ソングは特に緊張感もなく笑顔で答え、背後の傍聴席には妖精のチーネ、鍵師トーマ、ジェンダ王子、女戦士エリアンが見学している。

「なんであいつだけ面接してんだ?」

 アヒルの被り物をした鍵師トーマが隣のチーネに質問して、ジェンダ王子と女戦士エリアンをチラッと見て警戒した。

「たぶん、態度が悪いからよ。ってか君、それ脱ぎなさいよ」

 チーネが無理やり被り物を剥ぎ取り、トーマは恥ずかしそうにゴーグルだけして凌ぐ。盗賊の癖に人見知りで臆病者なのだ。

「トーマだっけ?なんで君がすんなりメンバー入りして、ソングがダメなのか不思議」
「アイツ、弱いからだろ?」
「どう見ても、トーマめっちゃ弱そう」

 チーネにバカにされて苦笑いしたが、トーマはチーネとは仲良くなれそうだと思った。可愛いし、本音で話してくれる。

「ソングは人間の血を引き、しかも父親がゼツリだからだ」
「なに、あの伝説の勇者ゼツリの息子か?」

 ジェンダ王子の答えに前の席に足を投げ出していた女戦士エリアンが驚き、身を乗り出してソングに興味を示す。

「ゼツリは王お気に入りの最強の勇者であったが、人間界の女と結婚して、王国を見捨てたと噂された」
「ふん、神族ってのは心が狭いんだね。偏見で真実が見えてない」

 チーネが鼻を鳴らして批判したので、トーマも頷いて手を上げる。

「そうすっよね。俺もドワーフの血が流れってからよく分かる」
「そうなんだ」
「プライドが高いのさ。妖精族は昔から人間界と交流があるが、神族は人間は信じられないと毛嫌いした」

 ジェンダ王子が小声で解説し、元老院(げんろういん)の議長が席を睨んで木槌を叩き、「静粛に」と注意してからソングに質問した。

「それでソングとやら、人間界から精霊の地へ来て何年が経つ?」
「よく覚えてねーし、そこの爺さんの方が詳しいと思うぜ。異世界には恋人募集中の可愛い子が、山ほどいると誘われたからな」

 元老院(げんろういん)の四人が一番端に座っているアルダリを睨み、その隣の王女エッダが頭を抱え、アリダリは苦笑いして「ふむ、少年には夢が必要じゃ」と呟く。

 傍聴席ではチーネが花冠の耳を真っ赤にして顔を両手で隠し、ジェンダ王子とエリアンがそれを横目で見たが、トーマは妖精族の内情を知らずに素直に憧れた。

「恋人募集中、なのか?」
「ち、違う。んなわけねーだろ」

 チーネが否定するのも気にせず、ソングは堂々と自分の力をアピールして、母の名誉の為にも面接試験を突破したかった。

「そんな事より、俺が強いか知りたいんだろ?母が人間だからって、馬鹿にされたくはないんでね」

 ソングは首のペンダントを手で握りしめ、母の思いを感じ取る。父の写真が入った母の形見はいつもソングを勇気付けた。

「俺は誰よりも強い」

 クリスティアーノ・ロナウドがサッカーの両手を広げて仁王立ちするゴールパフォーマンスをアレンジし、両手の親指で股間を指し示して背筋を伸ばす。

「ドラゴンのパワーを感じろ」
「な、なんじゃ」

 アルダリがすぐに反応して身を乗り出し、ソングの股間がキルトの生地を押し上げ、膨れ上がっているのに気付いて唖然とした。
 ソングの周辺に熱エネルギーが漂い、頭髪がハリネズミみたいに跳ね上がると、鍛え上げた体の中に一瞬だけ何かが見えた。

「まさか、お前、ゼツリの神器を引き継いだのか?」

 元老院(げんろいん)の四人と王女エッダには見えなかったが、アルダリは未曾有のドラゴンのエネルギーと、背骨の剣、臀部の盾がソングの体の中に隠されている事を知る。

 傍聴席のジェンダ王子とエリアンも荒ぶるエネルギーを感じ取り、目を凝らしてソングを見つめた。

「な、なんだ?」
「ゼツリの遺産だろ。勇者ゼツリはドラゴンを倒し、そのエネルギーを剣と盾に宿らせたと云われている」
「そうだよ」

 チーネが我が事のように喜び、深呼吸をして火照った顔を手で扇ぐ。

「ドラゴンの炎で呪いを焼き払えるんだ」
「マ、マジか?ソングってすげ〜な」

 トーマが素直に感心し、ソングとも仲良くなれそうだと思った。隙を見て秘書官からプロフィール用紙を盗み、自分と同じく両親がいないのを知って親近感を持つ。

「悲しみを乗り越えて、強くなったのか?」

 しかしソングは思いのほか苦戦し、股間のドラゴンを出現させる事も、体に隠された剣と盾を手にする事もできなかった。

「なんか、違う。上手くいかねー」

 あの時、ドラゴンが火を吹いて呪いを焼き払い、背骨には剣があり、臀部には盾があったとチーネに教えられたが、それをコントロールして扱うのは難しかった。
『快感のイメージ。チーネのアソコ』

 ソングは両手を広げて全身に力を込め、チーネとSEXをした時の天にも登るような快感を思い起こして、局部にエネルギーを集中させた。

『いや、いきなりじゃダメだ。苺の唇に……桃のオッパイ。メロンのお尻。そしてアソコはマンゴーか?』

 ソングが手と腰をくねくねさせて動き、勇者ゼツリの子かと感嘆していたジェンダ王子とエリアンの表情が変わる。

「どう見ても、変なこと想像してないか?」
「妙ではあるが、武器を扱うルーチンなのでは」
「いや〜、あの腰付き、あれだろ」

 トーマが声を押し殺して笑い、チーネが顔を真っ赤にしてトーマのゴーグルを手で覆う。

 元老院(げんろいん)の四人も、ソングが恍惚の表情で匂いを嗅ぐのを見て、何事かと顔を顰めた。

『まったく、ソングったら何やってるのよ?』

 チーネは恥ずかしいのを通り越して、怒りで黄金色の髪を逆立てて、思わず立ち上がって叫んだ。

「ソング。エッチなこと考えるのやめなさい」

 言い終えてから、あちゃーって感じで口を押さえて席に着き、王女エッダがソングの小指を見て推察する。

『なるほどね』

 ソングに秘められた能力はある衝動により発現され、愛の証として使用が可能になる。

『ゼツリはラグナロクの戦いで、敵とはいえ神々を殺して嘆き苦しみ、ドラゴンの武器は封印したいと、人間界へ去ってしまったのだ』

「ソング、貴方のその小指。それが勇者である事を証明しています。最高点で貴方を合格とし、その力を戦士チームで発揮する事を期待する。ゼツリの名にかけて、魔の呪いに打ち勝つのよ」

 王女エッダはソングの左手の小指が欠けている事に気付き、チーネの恥ずかしくも熱い眼差しを見て、ソングとチーネは恋をして愛し合ったと見抜いた。

『やったのね?でも、ソングとチーネは生きている』

 女王が両手を前に出してハートマークを作り、笑顔でソングに合格を伝え、チーネを残して秘書官と傍聴席の者を退席させ、ソングとチーネに詳しい説明を求めた。

「チーネも前に出て、ソングの横に並びなさい」
「わかりました。女王さま」

 女王エッダは若い二人の恋愛を考慮して内密に進め、城の中にスパイがいる危険性も考慮した。

 アルダリは席を立ち、胸ポケットの中の拡大鏡を手にして、ソングの体の中を隅々まで覗いて調べている。(拡大鏡は大きさと透明度をアップさせ、エネルギーの流れと物体の中まで見通せる。錬金術師アルダリのエッチアイテムの一つである。)

「ソング、ちょっとパンツ脱いで見せてくれぬか?」
「アルダリ、もうよしなさい。それよりチーネとソングに確認したい事があるの」
「王女、どういう事でしょうか?我ら元老院を差し置いて合格と決めたからには、それなりの理由があるのでしょうな?」
「ふん、まだ気付いてないのか?」

 錬金術師アルダリが振り返って四人の年寄りどもを一瞥し、鼻で笑ってそう告げた。既にアルダリはソングに秘められた武器を見抜き、腐食の呪いを操る魔術師と戦うにはソングとチーネの力が必須だと理解していた。
 元老院(げんろういん)の老齢議員は神の能力を失いながらも、数千年もの間権力の座に居座りつ続け、封建的な考えで権力を行使して、腐敗し始めた世界を改善しようとしなかった。ラグナロクの神々の最終戦争は、このような年老いた強欲な権力者によって巻き起こったと云う者さえいる。

「ソング。その小指は腐食の呪いによるものだろう?」

 錬金術師アルダリがソングの欠損した左手の小指を拡大鏡で見て、炭黒い残り滓が傷口に付着してある事を調べた。

「まさか、あの性器から腐る恐ろしい呪いから逃れたと言うのか?」
「信じられぬ。どうやったのだ?」

 元老院(げんろういん)の議員が顔を見合わせて驚き、ソングは小柄で禿頭の動転振りに、火星人みたいだと吹き出しそうになる。

「タ、タコジジイ……」
「ソング。失礼だよ。えーと、どうと言われてもこまりますが」
「そうね。私から質問します。ソングとチーネはSEXをしたけど無事だった。言いづらいと思うけど、詳しく説明してくれないかしら?」

 王女エッダが無能な議員に代わり、どうやって腐食の呪いを免れたか問い質す。

「マジで聞きたいのか?いやー、自慢話になるけどいいのかよ。とにかくもう、最高の初体験で……スゲー、気持ちい……」

 ソングが身振り手振りで喋るのをチーネが手を伸ばして口を塞ぎ、「バカ」と睨み付けて股間を足蹴りにし、王女と元老院に頭を下げてから話し始める。

「チーネもその時に初めて知ったのですが、ソングの体の中には剣と盾が隠され、アソコには毒煙を焼き払うドラゴンが潜んでいます」
「なるほど。ドラゴンの神器、ゼツリの仕業じゃな?」

 席に戻ったアルダリが白髪を手で撫でながら聞き返し、チーネは蝶に変身してソングの精霊秘体に侵入し、ドラゴンが火を吐いて、湧き上がる毒煙の獣を消し去るシーン想い浮かべた。

「ソングの性器に潜むドラゴンは、蜜液を放出する前に湧き上がる呪いを焼き払ったのです。それでチーネも助かり、ソングは小指だけに呪いを受けた」

 チーネの背中にテントウムシがとまり、その盗聴器から通路にいるトーマのヘッドホンに伝わり、ジェンダ王子とエリアンが奪い合って耳に当てて聴いている。

 トーマは傍聴席から出される時、ショルダーバッグから虫型の吸盤をチーネの背中に貼り付けた。(テントウムシは五センチ程のブローチであるが、マイクが仕込まれてヘッドホンに音声が届く。聴診器の先端にセットする器具で、コード接続すると高感度な鍵師アイテムになる。)

「でも、今のところはドラゴンも武器も上手く使えないのです」
「つまり……ソングとなら、SEXしても大丈夫」

 王女エッダの呟きが、通路の隅に集まってヘッドホンに聞き耳を立てるジェンダ王子とエリアンに伝わり、意味深な言葉を交わす。

「男に興味はないが、ドラゴンは気になる」
「僕も試してみたいよ」

 トーマは腐食の呪いを知らず、興奮気味な二人を見て首を傾げた。

 王女はソングの股間を横目で見て、『凄そうね……』と顔を上気させ、考え込んでいた錬金術師アルダリがソングに苦言を施す。

「ソングよ。このままではお前は指を全部失い、剣を持つ事もできなくなるぞ。欲望に走らず、禁欲を心がけて、ドラゴンと剣と盾の使い方を学ぶが良い」

 アルダリは羨ましくもあるが、ソングは愛と禁欲の狭間で難しい選択をし、最強の戦士へと成長しなければならないと推察し、アドバイスを受けたソングは複雑な表情でチーネと見つめ合う。

 そして元老院(げんろういん)の四名がこそこそと話し合い、議長が「ソングを合格とする」と告げて閉廷した。
 戦士の面接試験を合格したソングが審議室を出て、チーネと通路を歩きながら両手の指を広げて嘆く。アリダリの忠告は理にかなっていたが、快感を知った若者には残酷な宣告である。

「チーネとしたら、また指を失うってことか?」
「ソングったら、今頃気づいたの?下手したら死ぬかもよ。それよりエッチなことばっか考えてないで、スーッと背骨の剣を抜く練習しなさいよ。このままでは宝の持ち腐れだぞ」

 チーネは指南役として背中から剣を抜く構えを見せたが、『あの時のドラゴンを想い出すと、愛液でアソコが濡れて紐の下着が食い込み、変な気分になる』と苦笑する。

「チーネ、ほんとは俺のドラゴンが使えないのが残念なんじゃねーのか?」
「バカね。とにかく、全部使えないとダメだろ」

 ソングがチーネの耳元で囁き、チーネが怒ってソングを突き飛ばし、先に歩き出したので背中にテントウムシがついているのをソングが見つけ、足の吸盤を不審に思って床に落として踏み潰す。

「なに?」
「いや、変な虫がいた」

 その時、通路の先の曲がり角でヘッドホンをしたトーマが、盗聴器が壊れた衝撃音で悶絶して床に倒れ込む。

「ソング、合格したようだね」
「おめでとう。これで一緒に戦えるな」

 ジェンダ王子とエリアンが笑顔で出迎えたが、王子は素早く弓を構えて矢を放ち、エリアンは王子と放たれた矢を見返し、一直線にソングへ向かった矢は顔の手前で薔薇の花に変化した。

「僕のプレゼントだ」
「ふん、乙女チックな魔法だな?」

 ソングは空中に静止した一輪の薔薇を手にし、足早に近寄るジェンダ王子が握手を求めて花を取り上げ、ウェディングブーケのように背後に投げてエリアンの胸の谷間に挿す。

『なんだ?』

 エリアンは薔薇を胸から抜き取り、「変なことすんな」と王子に投げ返そうとしたが、触れた瞬間に電流が走って心臓がドキッとした。

 その光景を目で追っていたチーネは『恋の魔法か?』と、ジェンダ王子がキューピッド の弓を使って、エリアンのハートに恋の魔法をかけたと見破る。

 何も知らないトーマは起き上がってヘッドホンを首に掛け、両耳を手で押さえながらふらふらとチーネとソングに近付き、改めてソングに挨拶した。

「鍵師トーマだ。よろしくな」

 ソングと握手してチーネにヘラヘラと微笑みかけ、「俺に開けられない金庫はねーからよ」と自慢する。

 ジェンダ王子はエリアンから薔薇の花を回収し、変化した矢を元に戻して背中の革ホルダーに収めた。

 チーネは一癖も二癖もありそうなメンバーが揃い、『揉めなければいいけど』と顔を曇らせ、万全な体制で暗黒の魔術師と戦えるのか不安視した。
 翌朝、塔と門に王旗が掲げられて、王サーディンの盛大な葬儀が城で行われた。王国の兵士と民衆が大広場に集まり、ドラゴンとイワシの紋章の彫刻が施された帆船が湖岸に着けられ、棺に入れられた王の遺体(黒炭の残骸)が、飾り付けをした台座に乗せれて運ばれてゆく。

 大空にはカワゲラやシダの大葉を羽にした運搬機に乗る妖精族が見送りに集まり、ランフォリンクスの翼竜が引き上げる篭に乗る妖精もいて、精霊の地へ向かうチーネとソングはユニコーンに跨って、名残惜しそうに城の上空を振り返る。

「カワゲラで飛びてーな」
「うん。でも、ソングの故郷に行くんだ。楽しいかもよ」

 チーネが後ろに乗るソングに微笑みかけて、ユニコーンの手綱を振り下ろして走らせ、その背後をゆっくりと走るコブロバの水陸車にはアルダリとジェンダ王子が寝そべり、馬に乗るエリアンが近寄って声をかけた。

「アルダリ。葬儀が終わってからでも良かっただろ。そんな慌てて人間界へ行く必要があるのか?」
「僕は王に軟弱だと嫌われ、母からは戦士として武勲を上げろと背中を押された。つまり、葬儀に出てる場合じゃないんだ」
「フム、夜までには人間界へ着きたい。ここで王とはお別れじゃ」

 水陸車の後部席でジェンダ王子とアルダリがグラスになみなみと葡萄酒を注ぎ入れ、高々と掲げて一気に呑み干し、女戦士エリアンは「王への忠義心はないのか?」と顔を顰めた。

 精霊の地を遊び場にするチーネが巨石の連なる岩山へ案内し、遠くにユグドラシルの木が見え始めた頃、王の葬儀は佳境に入り、城の見張り台から火矢が放たれ、王の遺体を積んだ帆船に火が燃え移り、ミーミル湖から海へ流れ着く。

「あれは……なに?」

 祭壇に立って祈る王女エッダが異変を感じて空を指差し、大広場に集まった兵士と民衆もざわつき始めた。

「なんか変じゃねーか?」
「空に穴が開いたみたいだ」
「しかも船の周辺だけ、海が荒れてるぞ」

 葬儀の帆船は海上で燃え尽きて、積んだ羊と鶏肉に巨大魚が群がって海中へと葬られるのだが、空が割れて船の周辺に激しいスコールと風が巻き起こっている。

「王の葬儀を汚すのか?」

 先頭のカワゲラに乗っていた族長チャチルが雨と竜巻で火の消された帆船を見下ろし、何者かの仕業だと怒る。しかも海面が波立ってオオダコの足が船に巻き付き、海の底へ引き摺り込まれ、チャチルはカワゲラを上昇させて空の切れ目へ向かう。

「チッ、不快な魔術を使いやがる」

 チャチルは背中に装着していた弓を構え、閉じてゆく空の切れ目へ矢を放った。
 蝋燭の灯る教会の暗い地下室の応接間で、五十センチ程の水晶玉の中にアーズランド島の全景を映し出し、王の葬儀を邪魔する魔術師が人間界に存在した。

 水晶玉の真上から海上の帆船に黒いスポットライトを当て、空が割れて嵐が巻き起こり、王の遺体を乗せる船が沈むのを覗いて笑みを浮かべたぁ、水晶玉に映る雲の切れ目からチャチルが放った矢が飛んで来て、目に突き刺さる寸前に瞼を閉じて顔を手で覆う。

「クソババアめ」

 魔術師ランス・マンダーがチャチルに悪態をつき、蝋燭の灯りで鏡に顔を映し、瞼に突き刺さった(トゲ)を指で摘んで外す。

「ランスさま。大丈夫ですか?」

 部屋の壁際に立つヤズベルが暗がりから心配そうに声をかけたが、本心は報酬を貰って早くこの地下室から退散したかった。

 『金払いは良いが、執念深く恐ろしい闇の錬金術師だ。気分を害したら自分にも被害が及ぶ……』

「お遊びが過ぎたようだ」

 ランス・マンダーは蝋燭の火を吹き消して、水晶玉を暗幕で覆い隠して異界・アーズランドとの交信を断ち、魔術の痕跡を消してチャチルの追跡を躱す。(この時、チャチルは手応えを感じて矢を放った空を目を凝らして見詰めたが、切れ目が閉じて何も見えなくなり、諦めてカワゲラを下降させた。)

 室内の電灯が点けられ、ランス・マンダーの姿とクラシカルな装飾をされた応接間が露わになる。ランスは背が高く痩せ気味で、精悍な顔付きに濃い眉毛と髭を蓄え、容姿は人間とさほど変わらないが、裸になると骨格がデフォルメされ異形の神族であると分かる。

 ヤズベルは鼻髭をピンと伸ばし、髪はきっちりとポマードで固め、黒ずくめの服装に帽子を手にして、丸テーブルの対面の席に着く。

「しかし、異界に亀裂を生じさせるとは、さすがランスさまです」
「完全に船を沈める前に、チャチルの奴が毒矢を撃ちやがった」

 ランスの右の瞼が見る見るうちに腫れ上がり、左眼だけでヤズベルを睨んでいるが、痛みはないのか、それほど機嫌を損ねている感じはしない。

「ヤズベル。それで情報とは何だ?」
「はい。戦士チームにチーネとソングが加わったようです」
「ゼツリの息子、ソングか?」
「ええ、チャチルの孫娘チーネが剣術を教えて鍛え上げたと思われます」
「それは楽しみだ。しかし、人間界までたどり着けるのか?」
「そうですな……」

 含み笑いを噛み締めて、ランス・マンダーとヤズペルの会話が続く。

「それで、報酬の方は……?」
「心配するな、金貨をはずむ。性器具の代金の全額支払うぞ」
「ありがとうございます」

 ランス・マンダーとヤズベルの声が地下室の応接間に響き渡り、流浪の商人と暗黒に堕ちた錬金術師の密約が取り交わされた。
 巨石の連なる危険な崖道を軽快に進むチーネとソング。ジェンダ王子はアルダリに手を貸し、足を踏み外すと最後尾の女戦士エリアンが襟首を掴んで助けた。

「アルダリ、しっかりしろ」
「ふむ、そろそろトーマと待ち合わせた場所に着く頃じゃが」

 登り坂が緩やかになり、波の紋様の岩肌に囲まれた自然の通路を抜けると、陽が射し込む岩の上に、トーマとベールゼブフォというビーチボール大のカエルが座り、アリダリ達へ同時に右手を上げて迎えた。

「ヤー、遅かったな」
「王の葬儀で慌ただしくてな。しかも恋人が別れを悲しんで大変じゃったわ。トーマ、それで何か変わった事は?」
「一昨日、怪しい商人が通ったそうだぜ」

 旅慣れたトーマは夜明けと同時に出発し、アルダリから情報収集して欲しいと頼まれて、仲良しのベールゼブフォから流浪の商人がイグドラシルに向かったと教えられた。

「ヤズペルだ。アイツ、キライ」
「トーマ、カエルと友だちなのか?」
「まーね」

 ソングがベールゼブフォの頭を恐る恐る撫で、チーネは珍しくもなくツノを指で弾いて揶揄う。(二本のツノがある古代種で口はかなり大きい。)

「ヤズペルって商人は希少品種を捕まえて、異界へ密輸してたらしいぜ」
「フム、その商人が人間界の者と通じ、悪事を働いているやもしれぬ」
「神々の世界は滅び、七つの道は閉ざされた。現在、ユグドラシルは人間界へしか通じてないんだろ?」

 ジェンダ王子がそう聞くと、アリダリは悲しげに霧の向こうに聳えるユグドラシルの木を眺めて、一角獣の杖をついてよろよろと歩き出す。

「無事に通り抜けられるといいのじゃが」
「ユグドラシルの中は迷路だけど、途中までは行ったことあるよ」

 チーネがアリダリを追い越して石の上を飛び跳ねて進み、ソングも負けじとその後を追いかけ、トーマはショルダーバックを持ってベールゼブフォに別れを告げる。

 ジェンダ王子はブランドの長髪を風に靡かせ、白いブラウスに防具のチョッキを着け、ブラウンのパンツにブーツを履き、弓と盾を背負って腰には剣を装着している。

 女戦士エリアンはいつもの黒革の戦闘服で太い剣と盾を持ち、パンクヘアーでメイクも野獣仕様で三角の耳をピンとさせている。

 アリダリはサファリファッションで一角獣の角骨の杖とリュックを背負い、トーマは迷彩服にゴーグルと十字架のペンダントをしてショルダーバックを抱えている。

 ソングはキルトのジャケットにハーフパンツ。腰のベルトに剣を装着し、甲虫の防具を胸と肘と膝にしている。

 チーネは黄金色の髪を編み込んだハーフアップスタイル。キルトの鮮やかな花柄の服を着て、甲虫(コウチュウ)の胸当て、厚手のスリットを腰に巻き、背中の剣はもちろん蜜蜂の剣で、腰の皮ベルトに短剣を装着している。

 やがて霧の中に聳え立つ巨大なユグドラシルの枯れ木へ戦士チームが迫り、時折、尊厳な雰囲気に足を止めて、精霊の木の息遣いに耳を澄ます。

「木というより、化石ですね?」
「いつ朽ち果てても、おかしくねーぞ」
「中で崩れたら、全滅っすね」

 その時、エリアンに背負われていたアリダリが豊満な胸の谷間に手を入れ、投げ落とされて地面に腰を打ち、「大丈夫じゃ。まだ、生きとるわ」と自分の事のように返答した。
 ユグドラシルの木は背後の巨石の壁面に張り付いて同化し、根も枝も幹も石化して岩肌にめり込み、下部の太い幹に蔓の絡み合った門の入り口がある。

「すげーな」
「驚くのはこれからよ」

 チーネとソングが先頭になって門をくぐり抜け、ジェンダ王子が巨木を見上げてアリダリに質問する。

「岩山と一体化しているのか?」
「ああ、幹が空洞化して巨石の内部に洞窟の通路を張り巡らせ、地の底まで続いている。風化して崩れておるが、真の道は変わらぬ」

 数歩進むと明かりが途絶えて洞窟の奥が見えなくなり、チーネが背を向けたまま手招くが、ソングは足を止めてアルダリが来るのをを待つ。

「こっちだ」
「チーネ。松明をつけるから待てよ」
「問題ない。夜目は利く」

 チーネとエリアンが瞳を光らせて先に進み、「俺も見えるっす」とゴーグルをしたトーマも続く。(妖精のチーネは視聴能力が鋭敏であり、エリアンは猫の瞳をしている。トーマは岩穴を好むドワーフの血筋だ。)

 しかしチーネが途中で足を止めて手を背後に向けて制し、エリアンも三角の耳を傾けて風の流れを聴き、猫の瞳で洞窟の奥に目を凝らす。

「何か変ね」
「風が不規則になった……」
「気のせいだろ?心配性すね〜」

 トーマは適当なことを言って、エリアンの背後に隠れ、アルダリのリュックから取り出した火種で松明に火を付けたソングとジェンダ王子が駆け寄る。

「どうした?早く行こうぜ」
「よせ。ソング」

 制止するチーネの手をソングが払い除け、松明の明かりを前に出して踏み出した時、何かに触れて奥の暗闇から矢が数本飛んで来た。

「クォレルだ」

 エリアンが素早く大きな盾をソングの前に出して二本の矢を防ぎ、もう一本の矢はチーネが背中の剣を抜いて叩き落とす。(クォレルとは古代のクロスボウであり、洞窟の奥の台の上に設置された三台のクォレルが入り口付近を狙っていた。)

「罠っすね。光を遮ると発射されるみたい」

 ソングの足元を見ていたトーマがゴーグルのスイッチを切り替えて、赤外線が張り巡らせてあるのを見つけた。
 
「トーマ。見えるなら早く教えろって」
「わりい。このゴーグル、切り替えが鈍くてさ。まさか、こんな罠があるとは思わねーだろ」

 ソングがエリアンの盾に刺さって矢を抜いてトーマに文句を言い、ジェンダ王子はセンサーに手を翳して、クォレルのスイッチが入る仕組みを確認した。

「もしかして、ヤズペルという商人の仕業ですか?」
「フム、人間界の技術かもしれぬ。この炎の錬金術師を恐れる者が、人間界にいるってことじゃな」
「いや、戦士の方だと思いますよ」
「スケベジジイを狙ったなら、セクハラの恨みだろ?」
「うん。たくさんいそうだ」
「と、年寄りを脅かすな。旅の楽しみが半減するわ」
「ねっ、もう大丈夫だと思うけど、警戒して進も。アルダリ、こっちでいいよね?」
「ああ、チーネ。今日も可愛いな」

 チーネは親しみを込めてアルダリを呼び捨てにしたが、尻を触ろうとしたのでノールックで背中の剣を向けた。

「サンキュー、エリアン」
「き、気にすんな」

 盾で矢を防いでくれたエリアンにソングが礼を言い、『親密になってる』とチーネが振り返る。

 チーネは審議会を終えた通路で、ジェンダ王子がキューピッドの矢でエリアンに恋の魔法をかけたと疑い、それとなくエリアンに好きなタイプを聞くと、「俺はレズなので、キュートな女の子が好きなんだ」と教えられた。

『だったら、チーネじゃないか?』

「しかしこの盾、デカッ」
「まーな。いつでも守ってやる」

 エリアンがソングにそう言って微笑みかけ、猫目で松明の炎を見たせいか、ソングの顔がボヤけて目がクリッとした可愛い女性に見え、慌てて目を瞬いて指で擦る。

「チーネ。エリアンが先頭で、戦士チーム全員の盾になる」

 女戦士エリアンはソングの幻影を振り払い、チーネに追いつくとサーディン王の紋章の盾を前方に翳し、後続を引き連れて早足に突き進んだが、暫くすると洞窟の先は途絶えた。

「行き止まりだ」

 広い岩室の中央でエリアンが盾を下ろし、閉ざされた三方の岩壁を茫然と眺め、隣で両腕を組むチーネに聞く。

「ここで間違いないのか?」
「うん。チーネはここまでしか来たことがないんだ。上に行けばアースガルズがあり、下にはミズガルズへの入り口があると聞いてる」

 ソングが付近を松明で照らし、王子とトーマは岩壁に扉の痕跡がないか調べている。アルダリはリュックからビフレスト(虹の橋)と云われる、九つの国を円で結ぶ図柄の描かれた九角形の鍵を取り出し、戦士チームを集めて見せる。

「この鍵で、下への扉が開く筈だ」

 アリダリの指示でソングが岩壁の隅を松明で照らし出すと、ビフレストがピッタリ嵌る窪みがあり、アルダリがミズガルズの文字の位置に回して合わせると、ユグドラシルの幹の年輪が回転し、ギシギシと木材が軋る音が響いて石の扉が開き始めた。

「気をつけろ。螺旋階段が、腐りかけておるからな」

 アルダリがそう言ったように、扉の前に立って下を覗くと、中心の柱に太い蔓が巻き付き、踏み板の螺旋階段が下へ続いていたが、老朽化して何箇所が崩れている。