どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しいーーこんな自分のことが大嫌いだ。
また、ふと思い出していた。僕の昔の記憶。今でも鮮明に脳に焼き付いて離れない。僕は多分あの頃からずっと自分が嫌いだ。

薄暗い部屋で目を覚ます。カーテンの隙間からは光が射し込んでいる。僕は起き上がって用意をする。今日からまた学校だ。学校と聞くだけであまり気分がのらない。けれど、今日から短縮授業だ。学校にいる時間はいつもより短い。
「いってきます。」
外に停めていた自転車にまたがり、ペダルを思いきり踏んだ。風が少し伸びてきた髪を揺らしている。空は雲一つない青空だ。僕は少し太陽を睨んで真っ直ぐ学校へと向かった。
「おはよう。翼くん。」
校内を歩いているとクラスメイトの女の子から話しかけられた。
「うん。おはよう。」
「ねぇ、今日一緒に帰らない?」
彼女が数歩先に進んでから立ち止まって振り返る。
「え...。」
「だめ、かな?」
「別に…いいけど。」
「ふふ、ありがとう。終わったら校門前で待っておくね。じゃあ、私友達待ってるから先に教室行くね。また、放課後。」
「うん。放課後...。」
どうして、彼女は僕に話しかけてくるのだろう。きっと、僕といるより友達といる方が楽しいに違いないのにと思った。
最近、彼女とよく話すようになった。確かあの日からだ。晴れが続いていたのにも関わらず、あの日だけ雨が降っていた。僕は傘をさしながら、帰り道をゆっくりと歩いていた。いつもならすることのない遠回りをして。すると、電柱の隣にまるで子猫か子犬が箱に入れられて捨てられてしまったような、そんな様子で彼女が座り込んでいた。
常に笑っていて、クラスで人気な彼女が泣いていた。いつも巻いているふわふわの髪も、制服もすべてが雨でびしょびしょに濡れてしまっていた。
僕は思わず、彼女に傘をさしていた。自分が濡れることなんてなんとも思わなかった。
『大丈夫だよ。次は僕がーー。』
あの日のことを思い出していると、予鈴のチャイムが鳴った。僕は早足に教室へと向かった。
あと十五分。学校から早く出たい僕は六限目の授業の後半ずっと外ばかり気にしていた。朝は晴れていたのに、空に薄暗い雲がかかりだす。あいにく折り畳み傘は鞄に入っているが、雨はあまり好きではない。泣いていたあの頃を思い出す。
「ねぇ、ねえってば...。瀬戸翼!起きろ〜!」
僕を呼ぶ声が聞こえた。重い險をあげると彼女が立っていた。
「やっと起きたね。終礼終わっても起きないからここで待ってたよ。」
「あぁ、ありがとう。」
『私、寄り道したいところあるんだけど、いいかな。」
「うん。」
外を見ると数十分前まで薄暗かった雲が嘘のように綺麗な夕焼けに染まっていた。僕は彼女の小さな背中を追いかけた。
僕はこの場所を知っていた。昔、一度だけここに来たことがある。暗く、シーンと静まり返っているトンネルの中。僕と彼女の足音、僕が押している自転車の音だけが響いている。
「ねえ、翼。」
彼女ははっきりとした、けれどどこか優しげな声で僕を呼ぶ。僕は息をのんだ。彼女は泣いていた。あの日のように。
「私、翼のこと好き。」
トンネルの中では彼女の声だけがずっと残っているように感じた。

新学期が始まってクラスには馴染めたもののあまり楽しくない。そんな日々が続いていた。そんなとき私は中学生のときのクラスメイトに出くわしてしまった。中学生のとき、仲は良かった。けれど、多分私は嫌われている。もしくはどうでもいいと思われている。
「わぁー、ひかり。久しぶりだね。元気にしてた?私はねーーー。」
彼女は自分の高校での話を楽しそうに話す。そこまでは、良かった。
「そういえばね、あいつ彼女出来たらしいよ。ほら。」
彼女が私に見せたSNSの画像は私の中のとても嫌いな人と女の人のプリクラの写真だった。
「そうなんだね。」
脳裏に焼き付いた吐き気を催すような記憶が一気に身体中を駆け巡るようにして私を暗闇に引きずり込んだ。彼女は満足したのか、二つ返事で去っていった。
この記憶を消してしまいたかった。体が気持ち悪くて吐きそうで何度も何度も自分自身を傷つけた。彼女にも関わりたくないと話して話題さえ消してもらおうとしたほどに嫌な記憶だった。上を向いて歩こうと決めていたのに、気がつくと下を向いて歩いていた。ぽつりぽつりと冷たい雨がコンクリートの地面を濡らしていく。静かにうずくまって、目を瞑る。生きていたって、こんなにも自分のことを愛せないのだから、傷つけてしまうのだから消えて仕舞えばいい。そう思った。この時は一粒も涙は出なかった。けれど、日が暮れて月が地面を照らした頃、私に傘を差し出す人が現れた。それが彼。瀬戸翼だった。

何故彼女があのトンネルに足を運んだのか、そして泣いていたのか。好きと伝えられたことも含め、僕にはさっぱり分からなかった。誰かを好きになったことなんてない。だから余計に好き、という感情が分からなかった。家族の好きや愛してると恋人に感じるそれはどのような違いがあるのだろう。あの後、彼女は返事はいつでもいいよと言って一人で帰ってしまった。
好きという告白以降、彼女は、より一層僕に話しかけるようになった。他愛もない話をして、途中まで一緒に帰るというのが日課になりつつもあった。
「ねぇ、翼くん。また、あの場所行かない?」
「いいよ。放課後な。」
「うん!」
あのトンネルは、もう使われなくなって何十年も経っているらしい。トンネルの先はたくさんの自然や光に包まれてとても美しく見えるのだ。そういえば、あの日、僕が初めてあのトンネルを訪れた日も雨だった。トラウマのような出来事に耐えられず、ふらふらと歩き回って疲れ果てて、たまたま見つけたトンネルに入った。暗いトンネルの中僕は泣いていた。大粒の涙が頬を伝って、靴を、地面を次々と濡らしていった。泣き疲れて座り込み、トンネルの先を鼻をすすりながら見た僕は自分の目を疑った。そこは、晴れていた。たくさんの美しい自然の景色がそこには広がり光り輝いていて、とても美しかった。立ち上がってゆっくりゆっくり、手を伸ばす。きっとあそこに行けば、僕が求めている人に会えると思った。涙は自然と止まり、光の方に早足で向かう。もう少しでトンネルの先に行き着くという時、声が聞こえた。
「そっちはだめだよ」
振り向いた先には、僕と同い年くらいの女の子が立っていた。
「いかないで!」
はっと我に返った僕は声のする方に視線を流した。演劇部がセリフの練習に勤しんでいる。あのとき、進まなくてよかった。ふと、そう思った。
ゆっくり、歩いている足を止めて深呼吸をする。
少しだけもやもやとした気持ちが身体中を巡っていくようだった。

「ねえ、知ってる?この場所にまつわる話。」
彼女は僕を横目に話す。僕が首を横に振ると足を止めて彼女は口を開いた。
「昔ね、ここによく来てた愛し合う二人が居たんだって。二人は自分たちの秘密を来るたびに教え合う約束をした。そして、小さな秘密から順番に教えあっていたの。ロマンチックでしょ。」
「その二人は全部の秘密教えあったの?」
「ううん。女の人が亡くなって、結局男の人も...。」
彼女は悲しげな表情を浮かべていた。
「そんな...。」
『私たちも、秘密の教えあいっこしよっか。」
「え...。」
「ここに来る時だけ、お互い一つずつ話すの。昔この場所に来ていた二人みたいに。あるはずだよ、翼にもたくさん秘密が。」
「わ、わかったよ。」
彼女にはすべてお見通しなんじゃないかと思った。そして、それと同時に彼女にも誰にも話せていない秘密があるのだと知った。彼女の表情を見ているうちに、時折見せる苦しげな表情が僕の中で目立つようになってきていた。だから、きっとそれは僕だけでなく彼女も苦しくなるのではないか、とも思った。誰にも話せない秘密を口にしてしまったら、僕も彼女もその現実に耐えられるのだろうか。

彼は私から視線を逸らして頷いていた。私が一緒にいるときだけ名前を呼び捨てにしていることに彼は気がついているのだろうか。あの時、傘を私に差し出して髪を濡らした彼。昔私が言ったことをそのまま口にした。
『大丈夫だよ。次は僕が君を助ける。』
私は知っていた。昔助けた雨の日に彼が泣きながら話した過去や気持ちを。けれどやはり、口にしただけではだめだったのだ。私も彼とは違うけれど、分かる。話を聞いてもらうだけでは、楽にならないのだ。今の彼もどこか向こうを見ているような気がする。
私は一人、トンネルへ向かった。昔彼が行こうとした世界へ足を踏み出そうと決意して。あのトンネルの先は常に美しく輝いている。けれど、あそこに入ってしまうともうここには戻ってくることはない。正確に言うならば戻れない。繋がっているように見えて、天と地では時空自体が違うのかもしれない。現実に耐えられないと思った。中学の頃のクラスメイトに会ってしまった日から、自身を傷つけることが多くなり、体調の悪い日も増えた。唯一の大切な彼に迷惑をかけてはいけないと思った。彼も大きなものを抱えているのに、私という負担をかけてはいけないとも思った。静かに立ち止まって深呼吸をする。この世界に静かに立ち止まって深呼吸をする。この世界に静かに別れを告げて一歩足を前へと踏み出した・・・つもりだった。彼が息を切らせて私の腕を引っ張っていた。
「そっちは・・・だめだ」
私は全身の力が抜けてその場に座り込んだ。彼は何も聞かずに黙って隣に座っていた。

珍しく一人で、僕は夕焼けに染まった道を歩いていた。以前までは一人が当たり前だったのにもかかわらず彼女がいないだけで寂しさを覚えるくらいには彼女の存在が僕の中で大きくなっていた。僕が彼女と初めて話したあの日。僕は昔あった女の子と彼女が重なって、つい昔女の子にかけられた言葉を彼女に言ってしまった。彼女は目を見開いて僕を見つめて、少ししてからぷっと吹き出して笑っていた。今となっては懐かしい。最近の彼女は普通に見ていても体調が悪そうで、今日も先に帰るねと言って帰ってしまった。正直言って心配だった。いつ、何が起きてもおかしくない。誰が急に消えてもおかしくないのが現実なんだ。僕は幼いながらにしてそれを強く、強く実感したのだから。だから、大切な人を作りたくなかった。線を引いて、知り合いでありたかった。無力な僕自身が大嫌いだった。誰かが、自分を愛せない人は他人を愛せないと言っていた。僕は人を愛せないと言っていた。僕は人を愛するということもあまりよく分からないのかもしれない。
車の急ブレーキ音が聞こえた。驚いて見た先には彼女が座り込んでいた。
「おい!危ないだろ!」
車に乗っている男性は怒鳴り声を浴びせて車を発進させた。恐怖で冷や汗が止まらない中僕は走った。
「ひかり!」
慌てて自転車を停めて彼女の手を取り。安全な場所まで連れて行く。数日前のあの場所での彼女の表情が頭をよぎる。
「大丈夫、じゃないよな。」
「ごめん、ごめんね。ちょっとぼーっとしてた。」
彼女は苦笑して左腕を隠した。地面には赤い液体が溢れていた。僕は息を呑んだ。
「暁・・・さん・・・。」
「ひかりでいいよ。さっきも私の名前呼んでくれてたでしょ。」
「ごめん。驚いて・・・。ひかり、これ着て。」
僕は鞄からジャージを取り出して彼女に渡す。誰にも見せたくないであろうものを人目にさらすわけにいかないと思った。
「でも汚れちゃう。」
僕は気にしないでいいと一言伝えて彼女とあの場所へ向かった。

フラッシュバッグというものだろうか。最近、よく中学の頃を思い出す。その度におぞましい記憶が私の中をぐるぐると駆け巡る。空気が薄くなって、もう、思い出したくないと一人で何度も何度も自分自身を傷つけた。けれど、どれだけ傷つけても息が苦しく消えたい気持ちは残った。学校では平気を装いながら生活していたけれど、彼だけは心配の声をかけてきた。私は隠すのが上手な方なのにもかかわらず、彼はすぐに私の体調の変化にまで気がついた。好きだと伝えた彼はなぜか、怖くなかった。けれど、信用するまでに至らない。どうしても信用、というものができない。私以外全てが敵に見えて、怖くて仕方がない。身体中が不安定な沈んだ気持ちでいっぱいになった。帰宅する前に彼に先に帰ることを伝えて帰り道を早足に歩く。息がだんだん苦しくなって、落ち着かせるために人目のないところでポケットからいつもの物を取り出して左腕を赤色に染めた。私はもう限界だった。ふらふらと歩いていると車がぶつかりかけて私の前で急停車する。車に乗っていた男性に怒られて私は何をやっているのだろうと少し我に返ってその場にへたり込んだ。すると、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。まだ私の名前を一度も呼んだことのない彼が、慌てて私の手を取った。彼の手は暖かく、少し安心した。
彼は私が隠した左腕をちらりと見て悟ったのか、もしくは以前からそれを感じていたのか驚く様子はなくむしろ気遣う様子を見せた。汚れてしまうからと断った私に何の躊躇もなくジャージを貸してくれた。私が着たそれは大きくてなんだか彼に包まれているようで気恥ずかしかった。

「秘密、教えてよ。僕も言うから。」
僕はトンネルの入り口で彼女に言った。彼女は笑って、これでもかと言うほど空気を吸い込んで静かに吐き出す。
「本当は私、これだけは話さないつもりでいたの。誰にでもある小さな隠し事だけ、話すつもりだった。でも、こんなの見られたら話すしかないよね。」
彼女の苦しげな表情に僕の胸は締め付けられた。こんな顔をさせるつもりではなかった。彼女にこれ以上辛い思いをして欲しくなかった。ただ幸せに、生きたいと思って欲しいといつからか彼女を見るうちに思い始めていた。
「無理に話すことない。ひかりが言いたくないことから言わなくてもいい。誰かに話したって、過夫の苦しかったこと、悲しかったこと、辛かったことは消えないんだ。消したくても、やり直したくてもできない。...だから、きっと僕らは前を向くしかないんだ。僕は、ひかりに僕の抱える過去を知って欲しい。話すよ。ただ、話長くなるけど、聞いてくれる?」
「うん、聞く...。聞くよ。」
泣いている彼女を横に僕は話した。
彼は私と同じように、普通感じることのない辛さを感じてきたのだろう。昔、幼い彼から聞いた話だけでも十分すぎるほどの気持ちや過去を彼は私に話してくれた。
「僕が生まれた頃に父を病気で亡くして、母は一生命僕を育ててくれた。だから、母子家庭で母と二人でも寂しくなかったんだ。母は病気で、本人もきっと分かっていたんだ。自分の命がそう長くないこと。母はいつも僕に言っていた。『私はいったくなってもおかしくない。けど、翼は私が亡くなっても笑っていてね。翼の笑った顔は世界一可愛いんだから。』泣き虫な僕はその言葉を聞くたびに泣いていた。まだ小さい僕には母しかいなかったんだ。僕の初めての夢を誰よりも真剣に応援してくれて、誰よりも僕を愛してくれた。
僕、母の病気を治したくて薬剤師になるって夢を持ったんだ。今はもう、いないから直せない。だから、諦めた。周りの人には当たり前のようにいる両親。心の奥底からずるいと思った。母が亡くなったのは僕が小学生のときで、子どもの僕は親戚に引き取られた。親戚の従兄第ですら、もちろん両親がいて沢山の愛情を注がれて。誰の一番でもないことを悟った僕は前を向くのが怖くなった。僕を大切にして愛情注いでくれた恩返ししなきゃいけないくらいの大切な人がもういない現実に耐えられないと思った。母が病院に運び込まれて、バイタルがゼロになる瞬間が何度も頭の中を支配して、一人で鳴を漏らして泣いた。成長するにつれて、僕があのとき応急処置出来ていれば、母は助かったのではないかという考えに囚われ動けなくなった。大切な人を殺したのは僕なのではないかと心の底から思った。きっと、そんなことないよとか、大丈夫だよ、乗り越えるしかないよとか口で言うなら簡単なんだ。ひかり、僕は大切な人を殺してしまった無力な自分が大嫌いだ。これが誰にも話していない僕の本当の気持ちや過去だよ。」
「うん・・・。でも本当に翼は、何も悪くないんだよ。私がこんなこと言っても翼の心の奥の傷までは届かないかもしれない。けどね、そんな過去を経て生きてきた翼のことが私はまだ好きだよ。出会ったときから翼のことが気になって、翼を知るたびに好きが積み重なっていった。だから、これからも一緒にいて欲しいんだ。私と同じ。現実を見ようとしない、隠してばかり。自分の本当の心の叫びを隠して、平然とした顔で過ごしている。
お互いがお互いの苦しいことを吐き出して、ゆっくり前に、進めるといいなって思う。」
沢山の涙が頬を伝って零れ落ちる。視界が歪んでも、彼から目を離さなかった。
「僕は、僕自身が嫌いだ。けれど、自分を守るために大切な人を作らず、出来るだけ他人との関わりを避けてきた。でも、どうしてもひかり、君だけは...。どこか惹かれて、一緒にいてしまった。いつの間にか、誰よりも大切な存在になっていた。」
彼は私に優しい笑顔を向けて口を開く。彼の目にも涙が浮かんでいた。
「ひかり、君のことが好きだよ。この世界は僕たちが思うよりずっと広い。今が辛くてもきっと、楽しいことは間違いなくある。沢山のことを知って、嫌いな自分と同じくらい好きな自分を見つけ出すことができるはずなんだ。だから一人で抱え込んで、傷つけて消えることはしないで欲しい。諦めないで、二人で辛いことも苦しいことも、楽しいことも沢山の感情を分かち合って生きていこう。僕を助けてくれたのはひかりだから、今度は僕が君を助け出す番だ。」
私はハッとした。彼は気がついていた。彼も私も幼い子どもだったから彼は覚えていないと思った。
「私が、助けたって・・・。」
「昔このトンネルで僕を助けて、母が亡くなって泣いていた僕に優しく寄り添って泣き止むまで隣にいてくれた女の子。拙い言葉で話した僕の気持ちと過去を知っているたった一人の女の子。」
「初めから、気がついていたの?」
「ううん、始めは気がつかなかった。ここに来たことと、話し方が昔と変わらない優しいままだったこと、他にも色々なことが重なったんだ。パズルのピースがはまっていくみたいに。」
「そうなんだ。気がついてるの私だけかと思ってた。」
なんだかおかしくなって口角が自然と上がる。私は自分のことを今はまだ話す勇気は足りないけれど、彼にならいつか話せると思った。

今にも消えてしまいそうな表情をしていた彼女が話し終えると出会ったときより楽しそうな、そんな顔をしていた。
「いつでも待ってるから。」
きっとまだ彼女の抱える何かを彼女が僕に話すのは難しいだろう。あんなにも彼女自身を追い詰めてしまうものなのだから。話すだけでも勇気のいることだ。
「ありがとう。いつか、きっと話す。」
彼女はそう言って、目に残った涙を拭き取り、外に視線をながした。僕はそっと彼女の手を取り、トンネルの外へと向かって歩き出す。どれくらい時間が経っていたのか分からない。外は気持ちのいい風が吹き、太陽が僕たちを優しく包み込むように照らしている。暖かい日差しを浴びながら外の空気をめいいっぱい吸い込んだ。苦しい、辛い過去は消えない。けれど、彼女と歩むこの世界でなら大丈夫だと思えた。一歩、二歩と彼女と共に外へと踏み出した。少しだけ息がしやすくなった気がした。