「貴様の方から、面会を申し出てきたというのに……時間に遅れるとは、いい度胸だな」
「も、ももも申し訳ございませんッ!!」
俺は平伏して、頭を床にこすりつける。
床には一面にふかふかの絨毯が敷き詰められていて、痛くはなかった。
「まったく、これだからゴロツキは……まぁよい。それで、何の用だ? 詰まらぬ内容だったら処刑してやるぞ」
「へへへ、それはもう」
揉み手で顔を上げる。
ソファにはでっぷりと太ったお貴族様が座っている。
この方は俺の雇い主。
全国の独自ネットワークを持ち、領地貴族におもねろうとしない冒険者ギルドに代わって、冒険者界隈の情報を集めては、こうやって上奏して小遣いを得ているってわけだ。
「閣下は300本以上もの治癒一角兎のツノが冒険者ギルドに納品された話をご存じでしょうか?」
「知らぬが、それが?」
「ギルド職員の話によれば、300本と言えば、数年分の納品量に匹敵するとのこと。それだけの量が市場に出回れば、回復ポーションの価格暴落は必死です」
「なっ――そんなものが隣領に流出すれば我が領が悪風を被る! 急ぎ関税を掛けねば! いや、それどころでは済まんかも知れん――…」
お貴族様が顔色を悪くする。
「私は、300本ものツノを納品し、閣下の領地を窮地に陥れようとしている者の名前を知っております」
「誰だ、それは!?」
■ ◆ ■ ◆
手の中には小銀貨が1枚。
これだけ有用な情報だ。もっともらえるものと期待していたのに……やはり、遅刻したのが心証を悪くしちまったらしい。
クソっ、クソクソクソっ、何もかもクリスの所為だ!
結局あの後、俺が持っていたマジックバッグだけじゃあの野郎が出した薪は入りきらなくって、残りの薪は置いて行こうかとも思ったんだが、自警団の奴らに呼び止められちまって。
クリスの所為だっつったんだが、連中も『無能な冒険者』クリスのことはよくよく知っていたから、『あのクリスにこんな上質な薪が作れるもんか』、『いいから馬車が来る前にさっさとどけろ』の一点張り。
ならお前らのマジックバッグを貸せって言ったら、三割寄越せときたもんだ。
おまけに断ったら罰金だと。
自警団なんて名ばかりの、チンピラどもが!
そんなごたごたの所為で、お貴族様を訪問する時間に遅れちまったってわけだ。
■ ◆ ■ ◆
「……ねぇオーギュス。クリス、元気だった……?」
『猫々亭』で遅めの昼飯を食っていると、同じ孤児院仲間で幼馴染のシャーロッテが話しかけてきた。
客は俺しかおらず、暇らしい。
長い銀髪を結い上げているのが、給仕服によく似合ってる。
「知らねぇよ」
「でも……その、今日、会ったんでしょう?」
「会ってねぇよ」
「ウソ。さっき、お客さんが言ってたもん。クリスとオーギュスが通りで話してるのを見たって」
「ちっ――」
シャーロッテの口からクリスの名前が出てくるたびに、俺は自分でもはっきり分かるほど不機嫌になる。
「お前だって、あいつのことは見限ったんだろ? だったらもう、あいつのことは無視しろよ」
「た、確かにあたしはこの前、クリスを追い返した……で、でもそれはっ、て、店長に、もうクリスには食わせるなって言われたから――」
……そう。
そして、お人好しなここの店長に、クリスについてあることないこと吹き込んだのはこの俺だ。
まぁもっとも? あいつがツケを払える見込みもないのに毎日毎日ここに来てたのは事実だし、クリスが冒険者ギルドですこぶる評判が悪かったのも事実だ。
「クリスのことなんて忘れちまえ」
「でも――…」
シャーロッテもシャーロッテだ。
クリスはガタイだって腕っぷしだって、魔法でだって俺より弱っちい。
いっつもなよなよしてイジメられてて、そのたびにシャーロッテに守られていた。
「クリス、大変そうで、可哀想で……」
こいつだって、きっと内心分かってるはずだ。
その感情が、犬猫に対する感情と同じものだって。
あいつがもっともっとみっともない姿を見せれば、きっと冷めるはずだ。
……つぶしてやるぞ、クリス。
もとより、他人の悪いウワサを流すのは得意技なのだから。
「というわけで、いよいよ実戦さね」
「や、や、やっぱり無理ですってお師匠様!!」
おなじみ、西の森にて。
今日は何と、ゴブリン討伐の常時依頼を受けてしまった。
「儂の【万物解析】抜きでやりな」
「そ、そんな! 目視できる距離でなんて、殺されちゃいます!!」
「ほれ、11時方向600メートル先にゴブリン3!」
「無理です無理です!! ぜぇったいに無理です死にます!!」
「はぁ~~~~……冒険者家業が聞いて呆れるさね。分かったよ、儂のとぉっっっっっっておきの魔法でサポートしてやるさね。まずは、【念話】」
お師匠様と精神がつながる、なんとも不思議な感覚。
「続いて――【思考加速4倍】!」
――その瞬間、世界が止まった。
いや、正確には、ゆっくりとだけど世界は動いている。
地面の草木はひどくゆっくりと動いている。
それに、その光景を見ようとしている僕の動きも、ひどく緩慢だ。
こう、悪夢の中で、水の中にいるみたいに上手く動けない感覚。
『これが、4分の1の世界さね』
お師匠様の声が聞こえた。その声は普通の速度だ。
ゆっくりとお師匠様の方へ顔を向けてみれば、ちょうどお師匠様も、こちらを向こうとしているところだった。
『お前さんはいま、敵ゴブリンよりも4倍もの速さで思考することができる。そりゃ手足の動きは4分の1のままだが、思考が速くなれば魔法の発動も速くなる。特に、お前さんの【収納空間】は特別製だからね』
【念話】で話しかけてきながら、お師匠様が微笑む。
なるほど、お師匠様はこの魔法に――この感覚に慣れてるってわけだ。
『さ、お行き。大丈夫だ、後ろでちゃんと見てて上げるし、治癒魔法の準備もしておいてやるから』
『――はい!』
僕は森の中へ走って行こうとして、あまりの体の重さに上手く進めず転びそうになり、けれど100メートルも走るころには慣れてきた。
何しろ4倍思考して試行できるのだ。
――彼我の距離100メートルほどで、木々の間からゴブリンたちの姿が見えた。
目が合う。
弓持ちが1、槍持ちが2。
僕が数歩走る間に、槍持ちたちがこちらに体を向け、弓持ちが矢を番える。
思わず僕は立ち止まる。両手を掲げ、丹田の魔力を意識する。
槍持ちたちがこちらへ突進し出して、同時に弓持ちが矢を放ってきた!
矢が、正確に僕目がけて飛んでくる!
『【収納空間】ッ!!』
泣きそうになりながらも、目で追える速さの矢を睨み、唱える。
――矢が消えた。
消えた! 【収納】に成功した!
――よし、いける、戦える!
見れば槍持ちたちがあと数歩のところまで来ていたので、
『【収納空間】ッ!!』
今度は比較的落ち着いて、2本の槍を【収納】することに成功する。
『そのまま首を狩っちまいな!!』
お師匠様の声。
『は、はい――』
驚き戸惑う2体のうち1体の頭部を睨みながら、
『【無制限収納空間】ッ!!』
――バチンッ!
と、ゴブリンの首元で真っ白な光。
『お、お師匠様! 抵抗されました! やっぱり精神力を持った魔物を【収納】し殺すなんて無茶です!!』
『やれる! 気合の問題さね!』
『んな無茶な!』
僕はゴブリンに背を向け、逃げ出しながらお師匠様に抗議する。
『あ、こら逃げなさんな! 気持ちの問題さね! 魔法ってのはイメージが大事だ! 気づいてるだろう、お前さん? お前さんは口を動かさずに【収納空間】の行使に成功した――つまりお前さんは、「無詠唱」に成功したんだよ! 英雄クラスの快挙だ! この街に「無詠唱」使いなんているさね!?』
『いない、いません!』
『つまりお前さんは――こと【収納空間】に関して言えば天才なんだ! お前さんに【収納】できないもんなんてこの世にないさね! さぁ、立ち止まって振り返りな!!』
言われた通り、振り返った。
得物を奪われた2体のゴブリンは、どうしていいか分からず戸惑っているようだった。
弓持ちの1体だけが、ちょうどこちらに矢の1本を飛ばしてくるところだった。
『【収納空間】ッ!!』
まずは危なげなく、その矢を【収納】することに成功する。
――――そして。
『さぁ、あの醜いゴブリンどもの首を狩り取るところをイメージするんだ』
イメージ、した。
『儂の言う通りに唱えるさね! ――首狩りぃッ!』
『首狩りぃッ!』
『『【収納空間】ッ!!』』
――――果たして。
果たして3体のゴブリンが首から上を失い、ゆっくりゆっくりと倒れていった。
「おめでとう! これでお前さんも、【首狩り収納空間使い】さね!」
ふと、時間の流れが普通に戻った。お師匠様が思考加速の魔法を解いたんだろう。
「な、なんですか、【首狩り収納空間使い】って……」
僕は思わず、その場に座り込んでしまった。
「こちら、Dランクの冒険者カードです。順調ですね、クリスさん!」
いつもの受付嬢さんの良く通る声が、ギルドホール中に響き渡る。
「お、お師匠様のおかげですから……」
受付嬢さんは僕の名を上げようと善意でやってるのかも知れないけれど、僕はあんまり悪目立ちしたくないんだ。
現にいま背後からは、
「あのクリスがDランクだって……?」
「何か不正でも働いてんじゃねぇのか」
「でも治癒一角兎のツノを何百本も納品したとこ、俺も見てたぜ!」
「そうそう、薪の話だって――」
といった、顔なじみの――一度は僕をパーティーに迎え入れ、あまりの使えなさに罵倒し、足蹴した挙句に追放した――冒険者の皆々様による話が聞こえてきている。
「はぁ~……お師匠様、お昼にしましょう」
■ ◆ ■ ◆
ギルドホールの端、酒場にて。
僕は白パンとシチューにありつく。
お師匠様はと言えば、そんな僕を頬杖ついて楽しそうに見ている。
今日こそ食べるかな? と思ったけれど、やっぱり食べないらしい。
お師匠様は極度の小食らしく、朝、自室で食べたっきりでそれ以上の食事をしないんだ。
まぁ、詮索はすまい、と思う。
お師匠様がこうやってニコニコ微笑みながら無言でいるときは大抵、『いいから何も聞くんじゃないよ』って感じのオーラを出してるんだよね。
この世界には様々な種族がいる。
魔族、人族、獣族、エルフ族、ドワーフ族……お師匠様は見た目人族っぽいけれど、もしかしたらもっと未知の種族なのかも知れない。
もう、あれだ。種族『お師匠様』でいいや。
――そんなことを考えていたら。
「貴方がクリス君かしら?」
いきなり、初対面の、滅茶苦茶美人でグラマラスなエルフの女性に声をかけられた!
「――ふぇ!?」
口の中をパンでいっぱいにしたまま、情けない声を上げてしまう。
魔法使い風の旅装に身を包んだ美女――耳の長さからして、純血かそれに近いエルフだろう――が、僕たちのテーブルに座り、ずずいと僕に顔を寄せてくる。
……顔が、近い。
「へぇ、ウワサでは『川辺に打ち上げられたナマズのような目』をしてるとか、『さらし首にされたゴブリンよりなお生気のない顔』だなんて言われてましたけれど、ずいぶんと生き生きとした、可愛らしいお顔じゃありませんの」
なんて言いながら、美女が僕の頬についたパンくずをつまみ、口に運ぶ。
「~~~~ッ!?」
言語を喪失しつつも、僕はその美女を観察する。
編み上げた白髪に、紫水晶のような綺麗な瞳。
顔はびっくりするほど整っていて、歳は20手前くらいに見えるけれど、相手は――いまや魔族では手も足も出ないほどの――長寿な種族だ。見た目通りじゃないだろう。
若々しい顔つき体つきに比べると、白髪頭に違和感があるけれど……女性の魔法使いに限って言えば、白髪はそれほど珍しくはない。
そして、服装。
これが、すごい。何がすごいって、露出がすごい。
いかにも魔法使い然としたローブ姿なのだけれど、胸元をばーんっと開けていて、エルフ族にあるまじき巨乳がこぼれ落ちんばかりに強調されている。
「……ごくり」
「こぉらクリス、どこを見てるさね」
ジト目のお師匠様に注意される。
かく言うお師匠様もとんでもなく美人なのだけれど、その全身は首から足元に至るまでローブと外套ですっぽりと包み込まれていて、夜の魔力『養殖』のときに部屋着を見せてくれるとき以外はメチャクチャ身持ちが固そうなんだよね。
「あ、あの……貴女はどなたですか?」
必死に美人エルフの胸元から目を逸らしつつ、問いかける。
エルフが「うふふ」と笑い、
「あら失礼、思わず舞い上がってしまいましたわ。わたくしの名はノティア・ド・ラ・パーヤネン。Aランク冒険者、『不得手知らず』のノティアと言った方が通りがよいかしらね?」
「「「「「えぇぇええええ~~~~ッ!?」」」」」
僕は絶叫した。
周りで聞き耳を立てていた冒険者たちも絶叫した。
全国に何十人もいない、冒険者の頂点たるAランク冒険者。
そして、ノティア・ド・ラ・パーヤネンと言えば――
「全属性で上・聖級を極めた稀代の天才魔法使い!!」
「宮廷筆頭魔法使いの席を蹴った怖いもの知らず!!」
「地竜を轢きつぶし、風竜を叩き落すことができる魔王国最強生物!!」
「何百年と生き続けている永遠の美女!!」
と、冒険者たちが囃し立てていく。
ウソかまことかは分からないけれど、どれもこれも冒険者の間では定番のウワサだ。
そして、
「エルフ族自治領・パーヤネン公国の、末の皇女様!」
と、これは僕の発言。
そう、この方は公族――パーヤネン公国の王族とも言うべき身分のお方なんだ!
誰も彼もがびっくりするやら囃し立てるやらで大狂乱の中、
「……ふぅん?」
ただ一人、お師匠様が『誰それ?』って顔をしている。
「え、ご存じないんですかお師匠様!? 旅の魔法使いなのに!?」
僕の指摘に、
「し、知ってるさね! あれだろ、『不得手知らず』だろう!?」
慌てて言うお師匠様。
いや……それはさっき、ご本人が口にしたふたつ名じゃあないか。
「そ、そんな雲の上のお方が、ぼ、僕に何のご用で……?」
もはや胸をのぞき見る余裕もなく、顔中冷や汗まみれの僕。
「うふふ、そんなかしこまらないで下さいまし。同じ冒険者同士じゃありませんか」
朗らかに笑うAランクお姫様。
「わたくし、貴方に興味がございますのよ、クリス君」
「ぼ、僕に!?」
「わたくし、貴方に興味がございますのよ、クリス君」
巨乳美人エルフのAランク冒険者でお姫様のノティア様が、僕に迫ってくる。
「ぼ、僕に!?」
「そう――キミの加護、広大な西の森から数百本もの治癒一角兎のツノだけを正確に【収納】せしめた【無制限収納空間】の力。たった一日で西の森に道を作り出してしまった、神級にも等しきキミの力に」
「あ、あぁ……それは」
僕はちらりと、隣のお師匠様を見る。
「僕の――僕だけの力じゃあない、です。お師匠様の支援魔法があったから、お師匠様がいて下さったから、できたことです……すべて」
「それも、存じておりますわ。何でもそこのお嬢さんは、聖級の探査魔法【万物解析】の使い手だそうですわね」
ノティア様がお師匠様を見て、くすりと笑う。
「ですが、【万物解析《アナライズ》】ならわたくしも使えますわ」
「いや、でも……【視覚共有】とか【念話】とか、あと【思考加速】とか!」
「すべて得意魔法ですわ」
「――――……」
「お前さん……ノティアちゃんだったか、何が言いたいさね?」
お師匠様が珍しく、不機嫌そうに尋ねた。
「聞いたまんまですわ。――ねぇクリス君、キミ、このお嬢さんは止めにして、わたくしとパーティーを組みません? 今言った通り、このお嬢さんができることはわたくしもすべてできますし、その上――このお嬢さんが使えない攻撃魔法も、使えますわ」
――お師匠様が攻撃魔法を使えないって、どこで聞いたんだ!?
…………いや、考えても見れば、一緒に狩りをしたエンゾたちはお師匠様が攻撃魔法を一切使わなかったのを見ていたし、このごろは西の森で戦闘訓練をしていたのに、お師匠様はただの一度も攻撃魔法を使わなかった。
森では他の冒険者たちも活動していて、みな他の冒険者のことをよく見ているものなんだ。
「ふんっ、小娘が偉そうに。この子は儂が先に見つけたんだ。渡す気はないよ?」
「あら、それはお嬢さんではなく、クリス君が決めることではなくって? ――ねぇ?」
ノティア様がずずいと胸を強調しながら迫ってくる。
「え、あ、ちょっ……」
思わず椅子を引きながらお師匠様の方を見るも、お師匠様は居心地悪そうに腕組をしてそっぽを向いている。
……駄目か。
胸を強調するお師匠様が見れるかと期待したのだけれど、そういう邪なのは、いまはやめておこう。
「その…………すみません!」
僕はノティア様へ頭を下げる。深々と、テーブルにこすりつけるようにして。
「申し訳ございませんが、ノティア殿下とパーティーを組むことはできません。お師匠様は……アリス師匠は、僕の命の恩人で、人生の恩人なんです。だから、お師匠様から『お前はもう要らない』って言われるまでは、僕はずっとずぅっとお師匠様について行くつもりなんです……だから、……申し訳ございません」
「………………………………」
ノティア様は無言だ。
恐る恐る顔を上げると、ノティア様は残念そうな、それでいて吹っ切れたような表情をしていた。
「仕方ありませんわね。今日のところは退いて差し上げましょう」
言って立ち上がる。
そこから、ふと思いついたように僕の顔をのぞき込んで来て、
「――あ、パーティーメンバーがダメなら、伴侶としてならどうです?」
「ぶっふぉっ!!」
飲みかけていた水を、正面にいたお師匠様の顔に思いっ切りぶちまけた。
■ ◆ ■ ◆
……怒られた。それはもう。
その代わりに、【万物解析】と【視覚共有】を使った身体や衣類の汚れを除去する、通称【洗浄収納空間】を伝授された。
お師匠様曰く、これも『マスター』とやらが使う【収納空間】奥義のひとつらしい。
ますます、お師匠様の『マスター』が誰なのか気になる……。
「そ、それで……午後からは何の依頼を受けますか、お師匠様?」
お師匠様が掲示板の依頼書を眺めながら、
「ゴブリンの次と言えば定番のオーク、いや一足飛びにオーガなんてどうだい?」
「こ、これ! これにしましょうよ!」
僕は適当な肉体労働任務の依頼書をお師匠様に見せる。
オークとかオーガなんて、今度こそ死んでしまう!
「ん~なになに? 水汲み……供給先は西の森に急に発生した謎の街道……依頼主は商人ギルドの若手有志!?」
お師匠様が急に目を輝かせて、
「良い! 実に良いさね! いやぁどこの国も商人ってのは目ざとく耳ざといものさね! 動きが早くて助かるよ」
「へ? どういうことです?」
「ほら先日、西の森で思いっきり木を伐採して西の王国に続く道を作っただろう?」
「あぁ、そう言えば」
あの時に作った大量の薪は、ギルドではとても引き取り切れないと言われ、僕の【収納空間】内でひしめき合っている。
「それが?」
「急に出来た交易路を、商人たちが捨て置くと思うかい? この街の商人ギルドが、行商に必須の水を売りつけようとしているってわけさ」
「水? 水なんてマジックバッグにあらかじめ大量に入れておけば、わざわざ買わなくっても」
「バカだねぇお前さん、大容量のマジックバッグがタダ同然の値段で手に入るのなんて、世界広しと言えどもここ、魔王国くらいなものさね」
「えっとつまり――…商人っていうのは、西の科学王国の!?」
「そりゃ、休戦から100年も経っているんだ。交易くらいあるだろうさ」
「言われて見れば……」
この街でも、取っ手を回したら音楽が流れる機械とか、雷魔法を流し込んだら明かりがつくランプとか、これまた雷魔法を流し込んだら壁に映像が流れる謎の機械とか……というよく分からないものが、たまに骨董品店に出回っている。
「よし、じゃあ訓練がてら北の山で大量に水を汲んで、そいつを【収納空間】で綺麗にして、そいつを売りつけるとしよう」
「はい!」
「……何でついて来ていらっしゃるんですか?」
冒険者ギルド会館を出て、城塞都市の西門に続く大通りを通り、西門から出て北の山へ向かう道すがら。
たまらず、僕は後ろを歩くノティア様に尋ねた。
僕らの後ろをずぅ~っとついて来ていたノティア様が、悪びれもせずににっこり微笑み、
「それはもちろん、クリス君の魔法を見る為ですわ」
「あの……いくら頼まれても、お師匠様とパーティーを解消するつもりはありませんからね? ま、ましてや、け、け、結婚なんて……」
「そのことなんですけれど」
ノティア様が僕とお師匠様の間に割って入って、僕の腕に絡みついてくる。
胸が腕に当たる。
鎖帷子やらでガチガチに守られたお師匠様の胸と違い、メチャクチャ柔らかい……ッ!!
「実は、伴侶のお話の方こそ大本命なのですわ。無論、実際に結婚に踏み切る前には、クリス君のことを、ちゃんと見極めさせて頂きますけれど」
「僕のことを……あぁ、【無制限収納空間】が有用かどうかってことですね?」
「うふふ。貴方は、あくまで自分のことを加護の付属品として見ている……謙虚な男性は大好きですわ」
お師匠様からは『しゃんとしろ』とか『自信を持て』とかさんざん言われているのに、相手が変われば意見も変わるものだなぁ。
「まったく、この国の男性ときたら!」
と、ノティア様が憤慨して見せる。
「どいつもこいつも驕り高ぶっていて、女と見れば性欲を満たす道具か、自分の面倒を見させて子供を産ませる道具くらいにしか見ていないんですもの」
「あ、あははは……」
……まぁ確かに、荒くれ冒険者たちには、そういうところがある。
かなり、ある。
「でも」
ノティア様が、ずずいと顔を近づけてきて、
「貴方は随分と違いますわね、クリス君」
僕は生まれてこの方ずぅ~~~~っとオーギュスや他のイジメっ子たちにイジメられてきて、その度に幼馴染のシャーロッテに助けてもらってきた。
僕が『女性』と言われて真っ先に思い浮かべるのはシャーロッテなわけで、でもそんな強くて頼もしいシャーロッテですら、猫々亭で男性客にお尻を触られたり罵倒されても、文句のひとつも言わずに粛々と働いているんだ。
そういう光景を目の当たりにして、そして上、冒険者になってからの一年以上、あらゆる男女の冒険者から徹底的に虐げられてきたものだから……僕の中では『僕以外の人は全員僕より上』という感覚が染みついてしまっていた。
『いた』というのは、近頃はそういう――お師匠様が言うところの――『負け犬根性』を矯正するように、お師匠様に鍛えてもらっているからだ。
貧しくて危険で毎日が死と隣り合わせのここ、辺境では、腕っぷしの強い男が一番偉く、それ以外の人たち――特に女性は、息を潜めて生きている。
もっとも、有能な女性冒険者に限ってはそうじゃない。彼女たちはちやほやされて引く手あまただ。
それもまぁ、当然と言えば当然だろう。
いつ大怪我を負うとも、死ぬとも知れない冒険者家業で、命を預けるに足る、命を賭すに足る女性を追い求めるというのは、冒険者の性なのだから。
「パーヤネン公国はそうではないのですか?」
「我が国は魔力至上主義ですから。たとえ夫婦でも、妻の方が魔力が高ければ妻が家父長になりますの」
「なんと……」
エルフ族が魔力至上主義なのは知っていたけれど、まさかそこまでとは。
「ですから、まぁ……わたくしのように魔法に秀でた女性というのは、公国では煙たがられるのですわ」
「――――……」
「そういう意味でも、あなたのように女性を蔑視せず、かつ自分より魔力が高くても忌避しない男性というのは貴重なんですの」
ノティア様が、ますます体を密着させてくる。
「これで【無制限収納空間】が我が国の血脈に取り入れるに足る魔法でしたら、是非とも子を成したいですわね」
「か、か、からかうのもいい加減にしてください!!」
僕が遠慮がちに体を押し返すと、果たしてノティア様は腕を離してくれた。
「本気なのですけれどねぇ」
「……………………終わったかい?」
空気に徹していたお師匠様が、ものすごく不機嫌そうな声で言った。
「さっさと山に行って水を汲んでこなきゃ、日が暮れちまうんだがねぇ」
「あら、これは失礼しましたわね、お嬢さん。でも、急いでいるなら【瞬間移動】を使えば良いのではないですの?」
「え、ノティア様、【瞬間移動】が使えるんですか!?」
【瞬間移動】は、遠いところに瞬時に移動できる奇跡のような聖級時空魔法だ。
「わたくしからすれば、お嬢さんが使えない方が意外なのですけれど」
お師匠様はぷいっとそっぽを向いている。可愛い。
「まぁいいですわ。あの山の――」
ノティア様が、北の方角にそびえ立つ山々を指差して、
「川がある場所でよいのですわよね?」
「あ、はい」
「では――【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】」
山の上空が、数秒ほど巨大で真っ赤な魔法陣で覆われる。
「見つけましたわ。ではお二方とも、私の腕なり服なりをつかんでくださいまし。【地獄の君主セアルよ・三千世界を瞬く間に移ろう翼の主よ・我を望む場所へ転送し給え】」
足元に白い魔法陣が浮かび上がり、すさまじい量の魔力が巻き上がる風となる。
「――瞬間移動】!」
――――気がつけば、僕らは山中に立っていた。
「……こ、これが【瞬間移動】!」
かなりの魔力を消費したはずだろうに、隣に佇むノティア様は顔色ひとつ変えていない。
水の音がする方を見てみれば、目の前に大きめの川が流れていた。
「ほれ、呆けてないでさっさと水を酌むよ」
お師匠様もまた、急に景色が変わったことに戸惑うでもなく、いつもの調子でそう言った。
「ほれ、呆けてないでさっさと水を酌むよ」
「はい!」
そこからはお決まりのパターンだ。
お師匠様が【万物解析】で川底の地形を確認し、川底から上の部分を選択する。
その上で【視覚共有】でお師匠様の視界を借り、
「【無制限収納空間】!」
果たして、川を流れていた大量の水が視界の限り一瞬で消え、少し経ってから再び上流から流れてくる。
「す、素晴らしいですわ……ッ!!」
その――僕にとってはもはや見慣れた――光景を見て、ノティア様が全身を震わせながら感動している。
「く、くくくクリス君! 是非、是非我が伴侶に……ッ!!」
両肩をつかまれた。
ノティア様の鼻息が荒い。
「ちょちょちょっ! ノティア様、落ち着いて下さい! そういうのは、もっとお互いをよく知ってから――」
「様だなんて、そんな他人行儀に呼ばないで下さいまし! どうぞお気軽に、『ノティア』と呼んで下さい!」
「え、えぇと……」
「さぁ!」
「……の、ノティア」
ノティア様――じゃなかった、ノティアが全身をくねくねさせて、
「……いい。いいですわぁ」
「なぁ小娘や、いい加減におし。早くしないと日が暮れるって言っているだろう?」
横からお師匠様の苦情が入る。
「あら、ごめんあそばせ」
素直に離れるノティア。
この切り替えの早さは、熟練の冒険者を思わせる。
「じゃ、もう十数回ほど水を酌むよ」
「はい!」
■ ◆ ■ ◆
あっという間に、一生水に困らないんじゃないかってくらいの量が手に入った。
「よし、じゃあ【目録】で中身を確認おし」
「はい! ――【目録】」
*****
川の水
*****
長押しすると、『水』『魚』『水中昆虫』『小石』『木の葉』『その他ゴミ』と出てきた。
「まずは、水以外をここにぶちまけちまいな」
「はい!」
言われるがまま、ポチポチとタッチしていって川辺に出していく。虫は気持ち悪いので、できるだけ遠くに出した。
「魚は【収納】しなおしな」
「はい――【収納空間】」
大小さまざまな魚が一瞬で姿を消す。
「じゃあ、水を【収納空間】で濾過する前に、まずは魚でウォーミングアップといこうか」
「水は難しいんですか?」
「ああ、難しい。【目録】を見せてもらってもいいかい?」
「もちろんです」
言ってお師匠様に【目録】のウィンドウを見せる。
「ニジマスか! サイズもちょうどいい。ではクリス、こいつを下処理してくれるかい」
「し、下処理……【収納空間】で、ですか?」
「左様」
「うーん……」
『ニジマス』を長押しすると、『ニジマス』『汚れ』『ぬめり』と出た。
『汚れ』と『ぬめり』を選択すると、地面にべちゃりとぬめついたものが落ちる。
「ほほぅ、【万物解析】なしでも、ぬめりまで取れるか。が、やはりあくまで見える範囲しか無理なようさね。よしじゃあ――【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】からのぉ【念話】!」
再び『ニジマス』を長押し。
すると今度は、『身』『内臓』『骨』『寄生虫』『皮』と出た。
「す、すごい……」
「んじゃ、『内臓』と『寄生虫』と『骨』は捨てて、『皮』は長押ししてみな」
「はい」
言われた通り『内臓』と『寄生虫』だけ【収納空間】から取り出して、地面に捨てる。
『皮』を長押ししてみると、『皮』と『鱗』と『臭み』に。
「『鱗』と『臭み』は捨てよう。あと、『身』にも『臭み』があるようなら捨てちまいな」
「はい」
言われた通りにする。
「じゃあ出してみな」
お師匠様が最近いろいろと買ってくれた家財道具の中から適当な机を出し、まな板を出し、その上に『下処理』が済んだ、両手のひらくらいのサイズのニジマスを取り出す。
依頼遂行中に野宿をしたときなんかは、魚を釣って食べたりもするけれど……ここまでぴっかぴかに磨き上げられ、鱗ひとつないニジマスは初めて見たよ。
「こいつを、頭から尻尾まで真っ二つにする」
「はい――【収納空間】」
半身を【収納】し、
「【収納空間】」
再び、まな板の上に取り出す。
「これで、ニジマスの三枚おろしならぬ二枚おろしの完成さね」
「「おぉぉぉおおお……」」
思わず声が出る。
と、横を見るとノティアも同じように感動しているようだった。
「くんくん……これ、すごいですわね! 川魚と言えば臭みが強いもののはずですのに、まったく嫌な臭いがしませんもの!」
「これが、マスターの誇る七大奥義のひとつ、【お料理収納空間】さね」
得意げに、お師匠様が言った。
「これが、マスターの誇る七大奥義のひとつ、【お料理収納空間】さね」
た、確かにこれは奥義かも。世の中の料理人たちを敵に回しそう……というか、絶望させそう。
っていうか『マスター』とやらの奥義、また出てきたな。
【首狩り収納空間】
【洗浄収納空間】
【お料理収納空間】
あとの4つは何なんだろう?
まぁ、お師匠様が適当にふかしてる可能性も十分にあるんだけど。
「あの、これ調理させて頂いてもよろしくって!?」
と、目を輝かせてノティアが言った。
「儂ゃ構わないが、お前さんは?」
「え、僕ですか!? も、もちろん構いませんよ!」
というか、パーティー解消云々、結婚云々はともかくとして……そのくらいの頼みなら、公女殿下相手に断ることなんて無理だ。
「ではお言葉に甘えて……【念力】」
2枚の半身がふわりと宙に浮く。
半身はゆっくりと回転しており、ノティアがマジックバッグから取り出した塩と香辛料で彩られていく。
香辛料の王様と言えば黒胡椒だけれど、あれは南方でしか育たないから、この辺りでは超高級品なんだ。
かく言う僕は、香辛料にうるさい猫々亭に勤めるシャーロッテから聞きかじったことがあるくらいで、食べたことがない。
ちなみに猫々亭で出てくる香辛料はコリアンダーでも胡椒でもなく、花椒とか山椒とかだ。
「【火炎の壁】」
ノティアの両手から発生した極小の炎の壁が、ニジマスの半身を両面から熱していく。
たちまち、ものすごくおいしそうな匂いが漂ってきた。
ノティアはマジックバッグからお皿を出して、ニジマスの塩焼きを【念力】で盛り付ける。
ナイフとフォークを添えて、
「召し上がれ」
「え、いいんですか? 頂きます!」
「あー……悪いが儂は遠慮しておくよ」
「もぐもぐ……うっま!? あ、ノティア、気を悪くしないでくださいね。お師匠様は小食なんです」
「あら、そうなんですの。じゃあわたくしが頂きますわ。――ぱく。こ、こ、これは美味しいですわ!」
ノティアが僕の手を取ってくる。
「クリス、わたくしの伴侶兼専属料理人になってくださいまし!」
「えぇぇ……いやいや、料理したのはノティアじゃないですか」
「わたくしは焼いただけですわ。やはり、小骨や鱗はおろか『臭み』まで分離できてしまうあなたの【無制限収納空間】がすさまじすぎますわ!」
「…………ごほんっ!」
お師匠様が不機嫌な様子で咳払いをした。
「お前さん、ここに来た目的を忘れちゃいないだろうね? 魚はあくまで、【目録】による分離の練習代だ。さっさと水の精製をするよ!」
「は、はい! すみませんでした!」
お師匠様の命令は絶対服従。
僕は直立不動で返事をする。
「よし、じゃあ儂の【万物解析】影響下にある状態で、『水』の詳細を見てみな」
「はい! ――んげっ」
『水』『水中昆虫』『寄生虫』『細菌』『小石』『砂』『その他有機物』『その他無機物』……。
川の水は煮沸させないと飲んじゃいけない、ってのは冒険者の間じゃ常識だけれど……ここまで気味悪いものだったとは!
なんだよ、『寄生虫』って……。
「じゃ、虫と虫と細菌と小石、砂、その他有機物は捨てちまいな……遠くに」
「はい!」
森の中の方へ射出した。
「お師匠様、この『その他無機物』? っていうのは捨てないんですか?」
「これがねぇ、水精製におけるキモなのさ」
「はぁ」
「じゃあその『水』を両手の指で長押しして、片方の指を動かしてみな」
「はい? お、おぉおお!?」
『水』が『水』と『水』に分離した。
分離元の『水』の量は『計測不能』って書いてるんだけど、分離した方の『水』は『1リットル』と書いてある。
「そんなふうにして【目録】の中で好きな量だけ分けることができるのさ」
「すごいですねぇ!」
「お前さんの加護さね。んじゃ、少ない方の水から、『その他無機物』を取り除いた上で、飲んでみな」
「はい――【収納空間】」
言われた通り1リットルの水から『その他無機物』を地面に捨て、コップをテーブルの上に取り出し、その中に水を注ぎ込む。
嗅いでみる。匂いは――しない。
飲んでみる。……ん? んんん?
「なんか変わった味……味? いや、これは味が……しない?」
「超純水だからねぇ!」
「超純水?」
「そう。普通の水ってのは、ミネラル――超微細な鉱物が含まれていて、水の味ってのはその、ミネラルの味なんだよ。ミネラルの中にはナトリウム――塩が入っているからね」
「へぇ……?」
「この国の知識水準じゃあ、ちと難しかったかねぇ。まぁとにかく、ミネラルの入っていない水は美味しくないし、何より飲み続けているとミネラル不足になって、体調を崩しちまうんだ」
「――え!?」
「あぁ、一口飲んだくらいじゃ何も影響はないから心配しなさんな。儂がお前さんの体調を害するようなことをするわけないだろう?」
「――――……」
毎晩の『魔力養殖』でしこたま吐かされてるんですが……。
おかげで最近は、お風呂とご飯の前に魔力養殖の時間を持ってくるようになった。
「というわけで、その水はもう捨ててしまって、残りの方の水を長押ししてみな」
「はい」
【目録】の『水』を長押しし、『その他無機物』をさらに長押しすると、果たして『ミネラル』と『その他』と表示された。
「よし、『その他』を捨てれば最高の飲み水の完成さね」
こうして僕は、一生困らない量の飲み水を手に入れた。
「それでは、次は西の森に行けばいいんですの?」
ノティアの問いに、お師匠様がうなずく。
「ああ、頼む。恐らく人がいるだろうから、少し手前にね」
「分かりましたわ。【地獄の君主セアルよ・三千世界を瞬く間に移ろう翼の主よ・我を望む場所へ転送し給え】――瞬間移動】!」
僕らの足元に魔法陣が展開し、そして――
■ ◆ ■ ◆
「な、ななな……」
西の森、僕が木々を【収納】して道を作った場所に来て、僕は言葉を失った。
――――市場が、できていた。
僕が作った道の終着点辺りにいくつもの天幕や屋台が軒を連ねていて、そこかしこに馬車があり、行商人らしき人たちがござの上に商品を広げている。
たくさんの行商人がいて、それを目当てにした料理屋や即席宿屋、厩や馬車の修理人なんかが商売を始めている。
城塞都市の中央広場もかくやという賑わいっぷりだ。
ひときわ大きなテントには、
『商人ギルド 西の森支部』
という看板がかかっていた。
■ ◆ ■ ◆
「あ、あのぅ、水の納品に来たんですけれど……」
テントの外から声をかけると、
「水!? 冒険者の方ですか!?」
中から、随分と年若い――僕と同い年くらいの――男性が飛び出してきた。
身なりがよく、こんな辺境にあっても清潔そうな見た目。
人当たりがよさそうで、それでいてメガネの奥の瞳は抜け目がなさそう。
いかにも、『やり手の商人』って感じの人だった。
「あ、はい! Dランク冒険者のクリスと申します。このたび、飲み水の配達依頼をお受けしまして」
「お待ちしておりました!」
商人さんが、すっと姿勢を正して手を差し伸べてくる。
「わたくし、商人ギルド若手有志『西の森交易路権益確保の会』リーダーを勤めます、ミッチェンと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「は、はい!」
握手する。
と、背後でお師匠様が『ぷぷぷぷっ』と吹き出し、
「あははっ、『権益確保の会』て! いっそ清々しいほどにあけっぴろげな団体名さね!」
お師匠様笑い、若き商人――ミッチェンさんが嗤う。
「商売が上手くいかずにワラをもすがる気持ちでいる商人が、思わず飛びつきたくなるような名前でしょう?」
一転、彼は爽やかな笑顔になって、
「ま、その程度の意図は、商人ならば誰でも容易く見抜くでしょう。いま、この場がこれほどまでに賑わっているのは、ひとえに貴方のおかげですよ――クリスさん」
「――――ふぇ!?」
……思わず、情けない声が出た。
「貴方様が、この鬱蒼とした森の木々を根っこから消滅させ、この広大な道を開通させて下さったのでしょう?」
「んなっ……どうしてそれを!」
「それはまぁ、商人は情報が命ですから。――それに」
ミッチェンさんが微笑む。
「冒険者と行商人を兼業している方っていうのは、意外と多いんですよ?」
■ ◆ ■ ◆
「こ、こ、これは……」
コップに注いだ一杯分の水を見て、ミッチェンさんは言葉を失った。
「他ならぬクリスさんの納品物ですから、報酬額に多少色をつけておこうかとか、そんなことを考えていた自分が恥ずかしいですね」
ミッチェンさんはむにゃむにゃと何か唱えてから、
「――【鑑定】!」
お師匠様の【万物解析】にこそ劣るものの、それでもいろんなものの性質や品質を判別できる上級魔法を行使した。
この若さで、商人としてこれだけの市場を取りまとめて、しかも上級魔法が使えるのか……なんか、お師匠様なしじゃ何もできない自分が恥ずかしくなってきた。
「な、な、な……」
おや? ミッチェンさんが固まっておられる。
「さ、『最高品質の飲み水』~~~~ッ!?」
ミッチェンさん、やおら絶叫してから、ウィンドウ――【鑑定】の付随機能かな? 分からないけど――を表示させ、
「え、え、え? 有害物質ゼロ!? 密閉空間ならば、長期保存しても腐る可能性なし!? あ、あぁぁぁ……アリソン様!」
と、魔王国の主神、魔法神アリソン神の名を叫ぶ。
どこまで本当かは分からないけれど、先王であらせられる勇者アリソン様は、当時悪逆の限りを尽くしていた魔法神マギカを倒して魔王国を恐怖から解放し、その穴を埋める為に自ら魔法神になったのだとか。
……まぁ、おかげで魔王国は数千年かけて荒廃し、いまに至るわけだけれど。
「く、クリスさん――いえ、クリス様!」
ミッチェンさんに、がしっと両肩をつかまれた。顔が近い。
「この水! どのくらい持って来て頂けましたか!?」
「え、ええと……たくさん、です」
「たくさん!? それは、この樽500個分以上ですか!?」
ミッチェンさんがマジックバッグから1個の樽を取り出す。
「あ、そのくらいなら全然余裕です」
「な、なんと……」
■ ◆ ■ ◆
というわけで、樽500個分の水を納品し、さらにミッチェンさんが中身を空にしたマジックバッグが満タンになるまで水を注ぎ込んだ。
また、大金が手に入り、お師匠様と山分けした。
ノティアに【瞬間移動】代としていくらか渡そうとしたんだけれど、『美味しいお魚が食べられただけで十分ですわ』と断られた。
■ ◆ ■ ◆
翌日は、お師匠様に引きずられるようにしてオーク討伐とオーガ討伐任務に従事させられた。
……本当に、死ぬかと思ったよ。
なぜかノティアもついて来ていて、地水火風色とりどりな攻撃魔法で魔物たちをばったばったとなぎ倒していく様子がものすごくカッコよかった!
『カッコイイです!』
って素直に言ったら、
『じゃあ結婚しましょう! そしたら毎日お見せできますわよ!』
って言われて、思わず退いてしまった。
隣では、お師匠様が苦々しい顔をしていた。
■ ◆ ■ ◆
そうして、さらにその翌日。
カランカランカラン……
朝、お師匠様とともにギルドホールに入る。
扉に備え付けられた鐘が鳴り、中の人たちが一斉にこちらを見て、ついっと視線を逸らす。
もう、僕に絡んでくる冒険者はいなくなった。
僕はもうすっかり、いっぱしの冒険者としてこの場に溶け込んでいる。
ほんの一週間ほど前、ここでエンゾたちからパーティーを追放され、そのことをオーギュスにからかわれ、ここにいる冒険者たちから大笑いされたのがウソのようだ。
「――あ、クリスさ~ん」
と、いつもの受付嬢さんがこちらに駆け寄って来て、
「クリスさん、お待ちしておりました!」
一枚の紙を渡される。
「クリスさんに、指名依頼です!」
「「…………指名依頼?」」
僕とお師匠様の声が重なった。
「「…………指名依頼?」」
依頼書の内容は、
「飲料水の納品。量は、あるだけ。あるだけってすごいなぁ。依頼主は――」
「『西の森交易路権益確保の会』代表・ミッチェン――あぁ、あのメガネの小僧さね」
「え? あんなに水渡したのに、もうなくなったの!?」
「お前さん、在庫は?」
「【目録】! ――まだまだ『計測不能』のままです」
「ってことは、お前さんが認識できないほど大量の水が、まだまだ残ってるってことさね」
「じゃあさっそく行きましょうか」
「【瞬間移動】は必要でして?」
どこからともなくノティアがやって来た。
「いいんですか? いつもすみません」
「気になさらないで下さいまし。これもわたくしの作戦の為ですもの」
「作戦?」
「ええ。貴方をわたくしなしじゃ生られない体にして差し上げて、わたくしと結婚して頂くという作戦ですわ」
「い、言い方!」
■ ◆ ■ ◆
「でも、なんでそこまで結婚にこだわるんです? それも、僕なんかと……」
西の森の手前に転移し、そこから少し歩きながらノティアに尋ねる。
「理由のひとつは、以前にも申し上げた通り、貴方が女性を蔑視せず、かつわたくしを忌避しない男性だからですわ」
「はい」
「もうひとつは、これも以前に言った通り、貴方の加護。もっとあけすけに言うなら、加護を宿した子種ですわ」
「こ、子種て……」
「有用な加護をその血脈に取り込むことは、我が公国の繁栄に繋がりますわ。わたくし、こうして冒険者として好き勝手させてもらっておりますけれど、やはり公女としての義務からは逃げ切れませんの」
「――――……」
昨日は攻撃魔法でオーガたちをぎったばったとなぎ倒してたけど……お姫様なんだよなぁ、この人。
「ほほぅ! また一段と賑わっているじゃあないか!」
先頭を歩くお師匠様がうれしそうに言う。
見れば、西の森の入り口に広がるテントや屋台、馬車と露店の数が、さらに数倍に増えていた。
■ ◆ ■ ◆
「ようこそおいで下さいました!」
ミッチェンさんからは熱烈な歓迎を受けた。
商人ギルド西の森支部で、お菓子と果実水をご馳走になる。
「クリス様の水が西の商人に大人気で!」
ミッチェンさんが揉み手ですり寄ってくる。
「科学王国では『下水道』とかいうものが整備されていて、この国に比べて水の品質が格段によいらしいのですが、クリス様が卸して下さった水は、そんな西の商人たちをして驚嘆させるほどの品質だったとのことで! 元は西の商人たちの補給用に用意したものだったのですが、いまや水目当てでやってくる方まで出てくるほどですよ!
この場所に道が出来た、と謎の情報提供者A氏に教えられ、半信半疑で人と物資をそろえてこの場に交易所を開いてみて、耳の早い行商人たちが西から東から集ってきたのはよいのですが、科学技術で西王国に劣る魔王国では、西王国に売る為の交易品が不十分だという問題がありました。
え、魔王国自慢のマジックバッグを始めとした魔道具の数々があるじゃないかって? いやいやあれは使用者に少なからず魔力が必要でしょう? 聞いたところ、西王国の人族たちはもうほとんど魔力を持っていないのだそうです。
これでは、遠からず貿易赤字になって首が回らなくなるのは明白でした。――そんなところに現れたのが、クリス様の水なのです! あれはすごい! あれは本当に素晴らしい! あれのおかげで長くやっていけそうです! 本当にありがとうございます!」
ミッチェンさんがものすごい勢いでまくしたててくる。
「そ……それはよかったです」
「あの水、どこで入手されたんですか?」
「あぁ、あれは――」
「クリス――」「クリスく――」
「ただの、川の水です」
「あぁ、もう!」「言う必要ありませんのに……」
「へ?」
左右から、呆れ果てられたような声。
「え、いま僕、何か間違ったことした?」
「「はぁ~……」」
お師匠様とノティアがふたりして溜息をつく。
「仕入れ先を商人相手にバラす奴があるか!」
「そうですわよ? 今回のはまぁ、クリス君のスキルありきなので実害はありませんが……商人相手に安易に情報を渡してしまったら、仕入れ先ごと奪われかねないのですから。こういうのは本来、【取引契約】の魔法を【付与】した証文を交わした上でやることなんですから」
「す、すみませんでした……」
なぜかミッチェンさんが謝ってくる。
「わたくしも、他愛のない世間話のつもりで……てっきり『いやぁ教えるわけないじゃないですか』って返ってくるものと思っていたのですが」
「――――……」
つまりこの中で、間抜けなのは僕ひとりということらしい。
「ですが、川、ですか? 確かに川の水を濾過して煮沸すれば、かなり上質な飲み水を精製することはできますが……それにしても、あの品質の高さは異常です」
「はぁ~……分かったよ、お望み通りタネ明かしをしてやるさね。その代わり」
お師匠様の目がギラリと輝く。
「買取価格は……分かってるんだろうねぇ?」
「も、もちろんですとも! 1リットルあたり、前回の2倍の価格で買い取りましょう!」
「10倍さね」
「10倍ぃ!? い、いや……それはさすがに」
「水目当てで来てる商人すらいるって、あの水のおかげで赤字になり過ぎずにすんでいるって、お前さん、さっき自分で言ったさね。そこら中にいる西の商人たちに、お前さんが水をいくらで売りつけたのか聞いて回ってもいいんだがねぇ?」
「さ、3倍でお願いできれば、と」
「せめて9倍さね」
「4倍でご勘弁を!」
「この水を作った魔法を応用すれば、もっともっとものすごいことがたくさんできるさね。その秘密を知りたいとは思わないさね?」
「5倍で!」
「――――……」
「あ、貴女様方が仕入れた商品、手に入れた素材等で西に売りたいものがありましたら、最優先で店頭に並べましょう! 買取価格にも色をつけますとも!」
「…………ほぅ?」
お師匠様が怪しく微笑む。
「どんな商品でもいいのかい?」
「うっ……まぁその、わたくしが【鑑定】して、商売に耐え得る品物だと判断したものには限らせて頂きますが」
「いいだろう、5倍だ」
なに勝手に決めちゃってんのさ、とは思うけれど、お師匠様が楽しそうなので問題はない。
「それでいいさね、クリス?」
「あ、はい」
「さて、タネ明かしだが……クリス、コップに水を1杯。さらにその中に砂をひとつまみ入れな」
「はいはい」
言われた通りにする。
「【収納空間】」
ミッチェンさんと僕らの間のテーブルにコップを出現させ、
「【収納空間】」
その中に水をなみなみと注ぎ、席を立ってテントの外に出て、
「【収納空間】」
地面の砂を収集し、
「【収納空間】」
戻って来てコップの中に砂を注ぐ。
「な、なんと器用な……」
「あ、あはは……でも、【収納空間】だけなんですよ」
言いながら、指でコップの中をかき混ぜる。
そこからは、川の水から飲み水を精製したときと同じ流れ。
砂の混ざった水をコップごと【収納】し、お師匠様の【万物解析】と【念話】経由で繋がって、【目録】の機能で砂を取り除く。
厳密に言うと、空気中の砂埃なのか僕の指についていた汚れなのか、『その他無機物』と『その他有機物』がついていたけど、これは単なるパフォーマンスで実際に飲むわけではないので問題ない。
「【収納空間】」
テーブルの上にコップと、砂が除去されて透明になった水が現れる。
「と、こんな具合で川の水の汚れを全部除去したんです」
「す、す、す」
ミッチェンさんが顔を真っ赤にして、
「す?」
「素晴らしぃぃぃいいいい~~~~っ!!」
ミッチェンさんがテーブルに乗り出して、こちらの手をつかんできた!
「素晴らしい素晴らしい素晴らしいです!! この魔法は、無限の可能性を秘めています! あぁ、あんなことやこんなことにも転用できるかも!! このミッチェン、クリス様に一生ついていきます!!」
「え、えぇぇ……」
僕が戸惑っていると、
「おおい、何を騒いでるんだ?」
テントの中へ、3名の男性が入ってきた。
みんな年若く、メガネで、ミッチェンさんと同じ服装をしている――ってことは彼らは商人ギルドの職員で、この服装は制服なのだろう。
「「「――――はっ!?」」」
3名の商人ギルド職員が、僕らを見て固まる。
「男ひとり、女ふたりの3人組――」
「金髪碧眼、気の弱そうな男――」
「女の方はふたりとも魔法使いふう――」
3人はわなわなと震え、
「「「道神様ぁ~~~~ッ!? ありがたやありがたや……」」」
絶叫したあと、僕に対して拝み始めた!?