どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい──こんな自分のことが大嫌いだ。

「遥ちゃん、すごいね」
 私は、褒められることに人一倍敏感だった。
 私の存在意義は「誰かに認められること」だった。褒められ、尊敬されるのが私にとって幸福だった。
 ずっと前から「完璧」が好きだった。憧れいたし、「完璧」に近づいた時の嬉しさと高揚感は私にかなりの刺激を与えたと思う。
 そんな「完璧」を追い求める理由……。「誰かに認められたい」という願望の「誰か」が明確に定まったのは、いつだっただろうか。そう考えた時、中学生になった時だらうな、と思った。
 私は、中学生に入って「恋」を知った。初恋は小学生の時……なんなら低学年の時だったが、これが恋だと、胸を張って言えるのは……恋の切なさと苦しみと、それ以上の楽しさを知ったのは中学一年生だった。
 君の前にいて、猫をかぶっていると、時々自分がわからなくなることがあった。君に嫌われるのは怖い。いやだ。まだ君と話していたい。笑い合っていたい。でも、ありのままの私をみて欲しい。神と喋って、笑い合っているのは、私じゃないよ。私をみて。本当の私を。

 苦しい。水の中にいるかのような、そんな苦しさだ。一回だけ、思い切って口を開いた。でも、口から空気が漏れるだけで、苦しくなるだけ。それならば、開けなければいい。ずっと開かないで、上辺だけ、見ていればいい。
 
 「誰か」には他の人だって含まれていた。先生。友達。家族。認められたい人なんて、たくさんいた。
 ──あの子は、今どこで何をしているだろうか。
 私の恩師とも言える、尊敬していたあの先生は、今もなお教師をしているのだろうか。
 高校に入ってから通らなくなったけれど、横断歩道にいつものおじさんは立っているのかな。

私は今、電車の中。たまに思い出すことがある、昔のことについて考えていた。そしてだんだん、自分がわからなくなっていく。

 学校に着くと、すでに半分以上のクラスメイトが友達との会話を楽しんでいた。
 私は、気晴らしに、とつけていた無線イヤホンを外し、音楽を止めると、教室じゅうの騒音が耳を通り抜けていった。……そんな、いつもと変わらない一日になる予定だった。

 今日も私は、あの人を目で追っていた。もはいっても、二年生になるタイミングのクラス替えでクラスが離れてしまったから、君を見ることができる時間は限られている。それでも、私は君のことを想っていた。
 ふと目を閉じて思い浮かぶのは君の姿。笑った時の顔だって、テストの点が悪くて落ち込んでいる顔だって、この間、友達を見に行くという口実で見に行った、陸上の駅伝の時の、走っている真剣そうな顔だって。少したりとも君を忘れたことはない。この気持ちを、君への想いを、恋と言わないのならなんというのだろう。
 君が可愛いと言ってくれたシャーペンを使って今の授業で使っているプリントの隅っこに君の似顔絵を落書きしていた時、後ろから声は聞こえた。多分、後ろの席の松川隼と相原誠だ。松川は君と仲が良いし、相原は君と同じ陸上部だ。
 もちろん、授業中だったから、小声での会話だったけれど、二人の声は私の耳に十分届いた。
「そーいやさ、天宮、告られたらしいな」
「おぉ、さすが隼。情報早いな。お、でも、今日返事言うらしい。もちろんイエスな。」
「やつぱそうだよな。5組の中村さんだっけ?可愛いし性格いいもんな。天宮、いいなぁ」
 君の名は、天宮律という。
会話を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。血の気が引いてら心臓も止まって、その直後にバクバクとなり出した、そんな気がした。あぁあ、そのまま止まったままで良かったのに。そんな想いが頭をかすめた。
 ……結局、頑張ったって無駄なんだ。完璧だと思ってたって、上がいるんだ。
 一番大切なものは、必死になって頑張ったって守らないんだ。
 好きな人の好きな人にはなれないんだ。君のことを考えたら、なんだってできた。自分を鼓舞させて、頑張ってきた。
 それすらも無駄だったのかな。君はどうして、私じゃなくてその子が好きなの?
 私は出会った時からずっと君が好きなのに。君以外見ていないのに。……君以外見られないのに。
 私の方がずっとずっと好きなのに。ずっとずっと長く愛し続けられる自信があるのに。
 あれ。今まで私はなんのために頑張ってたのだろう。毎日笑顔でいるように心がけて、誰にでも親切にして、本当の自分を覆い隠して、なんのために生きてきたんだろう。君のため?誰のため?なんのために……?
 ……苦しい。息が、苦しい。

 気がつくとベッドの上にいた。私の家だ。記憶が抜けていた。自力で帰ってきたのだろうか。あるいは早退して、親に迎えにきてもらったのだろうか。
ベッドのすぐそばに、投げ捨てられた様子の学校指定のリュックサックがあるのを見て、自力で帰ってきたのだと悟った。
 苦しかった。息が思うように吸えなかったし、呼吸の仕方を忘れていた。

 たくさん眠って、眠って眠って眠って、翌日の朝になった。でも起き上がれかった。体が拒絶していた。行きたくない。君が私以外の人を想っている空間になんて、行きたくない。
 結局その日は、学校を休んだ。その次の日も、また次の日も。結局私が学校に行けたのは、翌週の月曜日だった。
 学校に着くと、いろんな人が声をかけてくれた。
 でも、うまく答えられなかった。前までできていたことができなくなった。また一つ、完璧から遠のいていく。また一人、認めてくれる人が減っていく。
 教室の全ての目が、自分に向いているような錯覚に陥る。突き刺さる。声も出ない。動けない。みんなの声が全部、私に向けられたもののような気がする。
 怖い。

 その日の一時間目、結局私は教室の空気に耐えられなくなって、保健室に行った。
 保健室に怪我や病気で来たのは初めてだった。私の取り柄は、元気なことなのだ。保健室に来たのは、身体測定以来だった。
 私が来たことに気がついた養護教諭は、笑顔で迎えてくれた。
 保健室には、二つのベッドがあった。一つはカーテンが閉まっていたためら誰かが利用しているのだろう。養護教諭は、カーテンが開いている右側のベッドに私を腰掛けさせた。どうしてきたの、具合悪い?などの質問を投げかけられたが、うまく表現することができず、曖昧に答えた。
「とりあえずしばらく寝てみようか。寝るとすっきりすることが多いし。具合がもっと悪くなるようなら、私を呼んでね。あ、私中野っていうの。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
 そんな会話をした後、ベッドにゴロンと横になってみたが、眠るどころか目が冴え渡っていて、すぐに暇だなと感じた。でも、教室に帰りたいかと行ったら、絶対に嫌だった。
 ちょっと用事ができちゃったから席外すね、と言って養護教諭……中野先生が部屋を出て行った時、こりゃ困ったと思った。
 沈黙が重い。忘れていたが、隣のベッドには誰かいるのかもしれないのだ。そんな中で誰が安眠できるというのか。
「好きな人の隣にいるのが自分じゃなくたって、愛する人には幸せになってほしい。そんな綺麗事だけで、この傷は拭えない」
「え?」
突如聞こえてきたその声は、隣のベットから聞こえてきたようだった。男子にしては高い声。もしかすると、声変わりの途中なのかもしれない。 そう思わせるような、不安定な声だった。でもその声は、私の耳にスゥッと入ってきて、溶けていくような感覚に陥った。
「あ、やっぱり起きてた。体調は大丈夫なの?」
 柔らかい口調だった。あの人……天宮くんとは全然違う系統だったけれど、不思議と嫌ではなかった。
「あ、う、うん。ど、どうもありがとう。え、えっとさっきの言葉って……?」
「好きな人の隣のなんちゃらかんちゃらってやつ?」
「あ、えっと、はい」
 適当な奴だな、と思った。でもこの人の言葉は、不思議なくらい胸に響いた。私の胸の奥の何かをどかしてくれるようなら綺麗事をどこか馬鹿馬鹿しいと思っている私の感情に共感してくれるような、そんな言葉だ。
「……なんか、悩んでそうだったから。病は気からって言うでしょ?髪の悩みがどこか体を悪くしているなら、直してあげたいなって思って。それで、最近の女子の悩みなら、恋愛関係かな?って思ったから、俺の好きな言葉、贈ったんだよ」
 適当な奴。そう思った。病は気からの使い方も怪しいし、なんだよ最近の女子って。しかも微妙に図星ついてるし。
「私は大丈夫。ちょっと、疲れが溜まっているだけだから。あなたの方こそ、具合は大丈夫なの?」
 また、私は猫を被る。完璧を装って、親切で気が利いて、なんでもできる十時遥を装おうとする。
「あ、俺は保健室登校してるだけだから、全然平気なんだけどさ、君は……」
 気を遣わせた。完璧で、話しやすくて、秀才で、信用されている十時遥が。
 ──糸が切れる、音がした。
「あぁ、もう、だめだなぁ」
 何もかも、崩れ落ちて、割れて、潰れて。何も見えない、聞こえない。息が苦しい。私はなんなの。何がしたくて、なんのために、ここまで……。
「──全部、吐き出しちゃえ。大丈夫、俺と君は、顔も名前ももしらない。たまたま同じ学校に通っていて、たまたま同じ時間に保健室に居合わせただけだよ?吐き出したら息だってしやすくなる。次の息を吸える」
 この人は、頭でも覗けるのだろうか。私が思っていることをそのまま知っているかのような。
 もう、どうてもよかった。ただ酸素が欲しかった。
「生きてる理由って何なのかな。人はみんな、傷つけあって、傷ついて、最後には何も残らない。」