翔平が家に戻ると、玄関に知らないスニーカーとローファーが並んで置かれていた。奥から祖母の笑い声が聞こえてくる。
翔平はそれが不安になった。
客が来たということは、介護認定調査員が祖母の様子を見に来ているに違いない。この間から家族で話し合ってきたことだった。でも翔平はまだ割り切れていない。
祖母の様態次第でどうするのかが決まる。施設に入れるのか、それとも訪問介護員を利用して家で暮らすのか、翔平は後者を希望していた。
高校生の翔平にとって祖母と一緒に暮らせる時間が少ないのは分かっていた。だからこそ少しでも長く一緒にいたい。
自分も手伝うつもりでいるけども果たしてどこまで役に立てるのか。学生だからやれることは少ないし、負担は母親に全ていってしまうこともわかっていた。それでも祖母が施設に入ったらもう会えないような気持ちになってしまう。
最近家庭の事情のせいで、気持ちが大らかになれずについ不満を人にぶつけてしまう。普段から慕われてリーダー的な存在だ。それが自然に振舞えていたのに、自分が中心になれずに思うようにいかないと、無理に引っ張って振り回してしまうのだ。だから言うことを聞いてくれる奴らとつるんでいた。
当たり前に思っていたことがどうしてそうじゃないと苛立ったとき、自分は依怙地に陥ってしまう。
俯瞰的にはそんなことをしてはいけないと自分の行動がおかしいと分かっていても、コントロールが効かない衝動に駆られていく。
これだけしているのになぜ分かってくれない。君のためなんだよ。自分は間違っていない。
強気の部分が目立っていくのを感じていた。周りはまだ翔平の暴走に気がついてない。翔平はいい奴だと思う人たちが大部分だ。だけど、ひとりでもそう思わない者が現れたら翔平の心のバランスが崩れてしまいそうだった。
自分を保つために、平気なふりをして我を通す。人に好かれることが唯一、翔平の心のバランスを保っていた。大丈夫だ。自分はやっていける。おまじないのように言い聞かせるも、家に帰ってくると祖母のことで不安が拭えない。
ため息をひとつ吐いてから、居間へ続くドアを開けた。
「あら、翔ちゃん、お帰り」
祖母が自分を翔ちゃんとはっきり呼んだ。嬉しさと同時にダイニングテーブルを囲んで座っている男女に翔平はびっくりしてしまう。
「なんで、坂内と中瀬が居るの?」
「お帰り、八頭君」
中瀬は冷静に声を掛けた。
耀は苦笑いしながら「どうも、お邪魔してます」と弱弱しい声で恐縮していた。
「あのね、ヨウちゃんとモモちゃんが遊びに来てくれたの。それでね、今、一緒にお絵かきしてたのよ」
祖母はとてもご機嫌だった。でも翔平はまだ状況が飲み込めない。
「ヨウちゃんとモモちゃん?」
「えっと、僕が礼子先生とぶつかって、それでその、あの、中瀬さんも偶然そこにいて、礼子先生が困っていたから、それで気がついたら八頭君の家にあがりこんでました。ごめんなさい」
耀は要領が得ていない。
「礼子先生の大体の事情は把握してます。きっと道に迷ったんだろうなと思って、家に連れてきました。たまたま私たち、幼稚園のとき礼子先生に習って知っていたんです」
中瀬が簡単に説明する。
「そうだったのか。それはありがとう。でもなんで家を抜け出したんだろう。家にはお母さんがいたはずなのに」
翔平は母親を探そうときょろきょろした。
「あのね、八頭君のお母さんが二階で掃除しているときに、礼子先生外に出ちゃったみたいです。それで、今、お茶菓子買いに行ってます。遠慮したんだけど、私たちの制服見て八頭君と同じ学校でクラスも一緒って知っちゃって、お礼がしたいから待っていてと引き止められました」
中瀬が自分の家に居て、自分に話しているのが翔平には不思議だった。その隣で耀は翔平を恐れていた。
「邪魔だったら僕帰るし……」
耀は放課後、翔平に引き止められたことがトラウマになっている。この家に礼子を連れてきたとき表札が八頭となっていたから不安があったけど、偶然の一致だと願っていた。でも八頭翔平の家だと判明し、いつ帰ってくるかとはらはらしていた。とうとう目の前に翔平が現れてしまう。体がこわばって怯えていた。すぐにでも逃げたい。
「ヨウちゃん、ほらほら、もっと絵を描いて。まだいいでしょ」
礼子に引き止められ、耀は居心地が悪くなりながらもペンを取って絵を描き出した。
「翔ちゃん、見てみて。ヨウちゃんは天才なのよ。本当に絵が上手いの」
すでに描いた絵を翔平に見せた。確かに、それはプロのイラストレーターのように絵のタッチが素人ではなかった。そこにピンクのゾウの絵が描かれていて翔平ははっとする。
「どうしてピンクのゾウなんか、描くんだよ」
つい気持ちをぶつけてしまった。
「えっ、ご、ごめん」
一瞬で動きが止まり耀の身が縮こまった。
「ピンクのゾウの何が悪いのよ。それに坂内君もなんでそんなに八頭君を怖がっているのよ。別に謝る必要なんてないでしょ」と中瀬。
「だって、ばあちゃんがピンクのゾウが見えるっていうんだぜ。それがどういう意味かわかってないだろう。ばあちゃんがそんなこというなんて俺にとっちゃ絶望なんだよ」
泣きそうに嘆く翔平。
「なんで絶望なの? 僕にも見えるよ、ピンクのゾウ」
「私にも見えるっていったら、八頭君は私たちがおかしくなったって思う?」
ふたりがまじめに言った。
「ちょっと待ってくれよ、本当にピンクのゾウが見えるのか?」
翔平が尋ねるとふたりは「うん」と首を縦に振った。
「でも、僕の見え方は礼子先生とはちょっと違うかもしれない。僕は現実と空想が時々ごっちゃになって頭の中のイメージが強く目の前に現れ、それを見えるって表現するんだ」
「私は、自分がピンクのゾウだと思いたいの。いつも目を瞑るとね、子供のときに描いたピンクのゾウの絵が頭に浮かんでくる。それはいつも自分の中にあるから。だからピンクのゾウが見えるって意味なの」
ふたりの解釈に翔平は虚を突かれた。
「何を言ってるんだ。ばあちゃんは認知症で頭がおかしくなって見えるって言ってるんだ」
自分で言って翔平は凍りついた。悲しくなる言葉を本人の前で言ってしまったことをすぐに後悔した。祖母を見れば、ニコニコとして楽しくチューリップの絵を描いていた。その様子に翔平は目を真っ赤にしだした。
「あのさ、礼子先生は全然おかしくないよ。八頭君がおかしいって思っているだけだと思う。礼子先生の記憶は少しずつ失われているのかもしれない。でも私たちを覚えていたし、ピンクのゾウが見えるって言ったのは、私がその絵を昔描いたからだと思う。だから礼子先生は印象に残っていてそれを今でも思い出してくれているんだと思う。私は礼子先生が『ピンクのゾウが見える』っていってくれて嬉しい」
中瀬の言葉に翔平ははっとする。
「僕も言っていいかな。あのね、僕はあまり人から好かれるようなタイプじゃないけど、人に馬鹿だとかおかしいとか言われるとやっぱり傷つくんだ。だから礼子先生には今言った言葉を謝った方がいい。ついでに言うけど、どうか僕が嫌いでもクラスでは何も言わないで僕を無視してほしいんだ」
耀は翔平の様子を窺い怯えながら必死に言葉を振り絞った。
「あら、あら、今はお絵かきの時間よ。何を描いてもいいんだから、人の絵を悪く言っちゃだめなのよ」
礼子にはかつての幼稚園での記憶が蘇っている。その表情は穏やかで、常に優しい先生の姿だった。それはずっと翔平が見てきた姿でもあった。
「ばあちゃん、ごめん。本当にごめん」
「どうしたの? 翔ちゃん。翔ちゃんはいつもいい子ですよ。謝ることなんて何もないわ」
「ばあちゃん、一緒にピンクのゾウを描いてもいい?」
「もちろんよ。ピンクのゾウってね、本当にいるのよ」
「うん、そうだね」
素直になる翔平を見て耀の体の硬直が軟化していく。しばらく祖母と孫の様子を見守っていた。
「ところで、坂内、クラスでは無視をしてほしいってどういうことだよ」
急に我に返ったように翔平は耀に突っ込んだ。耀はまたドキッとして身構えた。
「だって、放課後に虐めてきたじゃないか」
「はぁ、虐め? なんでそう思った?」
翔平が訊き返すと中瀬が口を出した。
「私も坂内君が八頭君から虐められているように見えたけど?」
「ちょっと待ってくれよ、俺はいつもひとりでいる坂内があまりにもおかしいから、それで仲良くなろうと努力したつもりだったんだけど」
「ええ!?」
耀は納得がいかなかった。
「正直、俺と口聞かないのがちょっと腹立ったところがあったかもしれない。いつだって俺はクラスの中心だったから、自分を慕わないやつがいるなんて信じられなかった。それでばあちゃんのこともあって、自棄もはいってたかもしれない……。やっぱり強引過ぎたか。ごめん」
「えっ? そんな理由で僕に迫ってきたの?」
「やっぱり、クラス全員と仲良くなりたかったし、坂内は今まで会った中で本当に変わってたから、あんな風に無理に捕まえないとしゃべれないと思った」
「じゃあ、僕のことが嫌いとかじゃなかったんだ」
「しゃべってもないのに、なんで見かけだけで人を嫌いになるんだ?」
「だって僕、気持ち悪いし」
「それって、坂内が勝手に思い込んでいるだけだろ。お前、すごい才能もってるじゃないか。こんなに絵が上手いなんて、すげーよ。俺、益々、お前と友達になりたくなった」
その言葉は冷たく凍っていた耀の心を簡単に溶かしていた。ドキドキとして体がカァッと熱くなっていく。
「僕、そんな風に言われたの初めてだ……」
「じゃあ、これで俺たち友達だな」
翔平の笑顔に耀は感動していた。自分を受け入れてもらえることが起こった。人に認められることのすごさがこんなにも心地いいとは思わなかった。
「ありがとう、八頭君。僕嬉しい」
「いや、こっちこそ、ありがとうな。あんな風に俺のこと意見した奴なんて坂内が初めてかも」
ふたりは照れくさそうにしていた。
「ちょっと待って、私もそこに入れてよ。言っとくけど、自分から友達になりたいなんて私は普段思わないんだからね」
中瀬は自分で言っていてツンデレっぽいなと思ってしまう。だけどどうしても輪の中に入りたかった。自分だけ置いてけぼりなんて許せなかった。
「あら、みんな仲良くして、先生は嬉しいわよ。みんな本当にいい子ね」
記憶の中ではいつまでも礼子は先生だった。忘れたこともいっぱいあるけど、礼子らしいところはまだまだ残っている。
ぐずっと鼻をすする翔平。耀が描いたピンクのゾウの絵を持ち、じっとそれを見つめた。いつの間にかそれが幸せを運んでくる存在のように思えていた。
その後暫くしてから、翔平の母が箱を抱えて帰ってきた。
翔平はそれが不安になった。
客が来たということは、介護認定調査員が祖母の様子を見に来ているに違いない。この間から家族で話し合ってきたことだった。でも翔平はまだ割り切れていない。
祖母の様態次第でどうするのかが決まる。施設に入れるのか、それとも訪問介護員を利用して家で暮らすのか、翔平は後者を希望していた。
高校生の翔平にとって祖母と一緒に暮らせる時間が少ないのは分かっていた。だからこそ少しでも長く一緒にいたい。
自分も手伝うつもりでいるけども果たしてどこまで役に立てるのか。学生だからやれることは少ないし、負担は母親に全ていってしまうこともわかっていた。それでも祖母が施設に入ったらもう会えないような気持ちになってしまう。
最近家庭の事情のせいで、気持ちが大らかになれずについ不満を人にぶつけてしまう。普段から慕われてリーダー的な存在だ。それが自然に振舞えていたのに、自分が中心になれずに思うようにいかないと、無理に引っ張って振り回してしまうのだ。だから言うことを聞いてくれる奴らとつるんでいた。
当たり前に思っていたことがどうしてそうじゃないと苛立ったとき、自分は依怙地に陥ってしまう。
俯瞰的にはそんなことをしてはいけないと自分の行動がおかしいと分かっていても、コントロールが効かない衝動に駆られていく。
これだけしているのになぜ分かってくれない。君のためなんだよ。自分は間違っていない。
強気の部分が目立っていくのを感じていた。周りはまだ翔平の暴走に気がついてない。翔平はいい奴だと思う人たちが大部分だ。だけど、ひとりでもそう思わない者が現れたら翔平の心のバランスが崩れてしまいそうだった。
自分を保つために、平気なふりをして我を通す。人に好かれることが唯一、翔平の心のバランスを保っていた。大丈夫だ。自分はやっていける。おまじないのように言い聞かせるも、家に帰ってくると祖母のことで不安が拭えない。
ため息をひとつ吐いてから、居間へ続くドアを開けた。
「あら、翔ちゃん、お帰り」
祖母が自分を翔ちゃんとはっきり呼んだ。嬉しさと同時にダイニングテーブルを囲んで座っている男女に翔平はびっくりしてしまう。
「なんで、坂内と中瀬が居るの?」
「お帰り、八頭君」
中瀬は冷静に声を掛けた。
耀は苦笑いしながら「どうも、お邪魔してます」と弱弱しい声で恐縮していた。
「あのね、ヨウちゃんとモモちゃんが遊びに来てくれたの。それでね、今、一緒にお絵かきしてたのよ」
祖母はとてもご機嫌だった。でも翔平はまだ状況が飲み込めない。
「ヨウちゃんとモモちゃん?」
「えっと、僕が礼子先生とぶつかって、それでその、あの、中瀬さんも偶然そこにいて、礼子先生が困っていたから、それで気がついたら八頭君の家にあがりこんでました。ごめんなさい」
耀は要領が得ていない。
「礼子先生の大体の事情は把握してます。きっと道に迷ったんだろうなと思って、家に連れてきました。たまたま私たち、幼稚園のとき礼子先生に習って知っていたんです」
中瀬が簡単に説明する。
「そうだったのか。それはありがとう。でもなんで家を抜け出したんだろう。家にはお母さんがいたはずなのに」
翔平は母親を探そうときょろきょろした。
「あのね、八頭君のお母さんが二階で掃除しているときに、礼子先生外に出ちゃったみたいです。それで、今、お茶菓子買いに行ってます。遠慮したんだけど、私たちの制服見て八頭君と同じ学校でクラスも一緒って知っちゃって、お礼がしたいから待っていてと引き止められました」
中瀬が自分の家に居て、自分に話しているのが翔平には不思議だった。その隣で耀は翔平を恐れていた。
「邪魔だったら僕帰るし……」
耀は放課後、翔平に引き止められたことがトラウマになっている。この家に礼子を連れてきたとき表札が八頭となっていたから不安があったけど、偶然の一致だと願っていた。でも八頭翔平の家だと判明し、いつ帰ってくるかとはらはらしていた。とうとう目の前に翔平が現れてしまう。体がこわばって怯えていた。すぐにでも逃げたい。
「ヨウちゃん、ほらほら、もっと絵を描いて。まだいいでしょ」
礼子に引き止められ、耀は居心地が悪くなりながらもペンを取って絵を描き出した。
「翔ちゃん、見てみて。ヨウちゃんは天才なのよ。本当に絵が上手いの」
すでに描いた絵を翔平に見せた。確かに、それはプロのイラストレーターのように絵のタッチが素人ではなかった。そこにピンクのゾウの絵が描かれていて翔平ははっとする。
「どうしてピンクのゾウなんか、描くんだよ」
つい気持ちをぶつけてしまった。
「えっ、ご、ごめん」
一瞬で動きが止まり耀の身が縮こまった。
「ピンクのゾウの何が悪いのよ。それに坂内君もなんでそんなに八頭君を怖がっているのよ。別に謝る必要なんてないでしょ」と中瀬。
「だって、ばあちゃんがピンクのゾウが見えるっていうんだぜ。それがどういう意味かわかってないだろう。ばあちゃんがそんなこというなんて俺にとっちゃ絶望なんだよ」
泣きそうに嘆く翔平。
「なんで絶望なの? 僕にも見えるよ、ピンクのゾウ」
「私にも見えるっていったら、八頭君は私たちがおかしくなったって思う?」
ふたりがまじめに言った。
「ちょっと待ってくれよ、本当にピンクのゾウが見えるのか?」
翔平が尋ねるとふたりは「うん」と首を縦に振った。
「でも、僕の見え方は礼子先生とはちょっと違うかもしれない。僕は現実と空想が時々ごっちゃになって頭の中のイメージが強く目の前に現れ、それを見えるって表現するんだ」
「私は、自分がピンクのゾウだと思いたいの。いつも目を瞑るとね、子供のときに描いたピンクのゾウの絵が頭に浮かんでくる。それはいつも自分の中にあるから。だからピンクのゾウが見えるって意味なの」
ふたりの解釈に翔平は虚を突かれた。
「何を言ってるんだ。ばあちゃんは認知症で頭がおかしくなって見えるって言ってるんだ」
自分で言って翔平は凍りついた。悲しくなる言葉を本人の前で言ってしまったことをすぐに後悔した。祖母を見れば、ニコニコとして楽しくチューリップの絵を描いていた。その様子に翔平は目を真っ赤にしだした。
「あのさ、礼子先生は全然おかしくないよ。八頭君がおかしいって思っているだけだと思う。礼子先生の記憶は少しずつ失われているのかもしれない。でも私たちを覚えていたし、ピンクのゾウが見えるって言ったのは、私がその絵を昔描いたからだと思う。だから礼子先生は印象に残っていてそれを今でも思い出してくれているんだと思う。私は礼子先生が『ピンクのゾウが見える』っていってくれて嬉しい」
中瀬の言葉に翔平ははっとする。
「僕も言っていいかな。あのね、僕はあまり人から好かれるようなタイプじゃないけど、人に馬鹿だとかおかしいとか言われるとやっぱり傷つくんだ。だから礼子先生には今言った言葉を謝った方がいい。ついでに言うけど、どうか僕が嫌いでもクラスでは何も言わないで僕を無視してほしいんだ」
耀は翔平の様子を窺い怯えながら必死に言葉を振り絞った。
「あら、あら、今はお絵かきの時間よ。何を描いてもいいんだから、人の絵を悪く言っちゃだめなのよ」
礼子にはかつての幼稚園での記憶が蘇っている。その表情は穏やかで、常に優しい先生の姿だった。それはずっと翔平が見てきた姿でもあった。
「ばあちゃん、ごめん。本当にごめん」
「どうしたの? 翔ちゃん。翔ちゃんはいつもいい子ですよ。謝ることなんて何もないわ」
「ばあちゃん、一緒にピンクのゾウを描いてもいい?」
「もちろんよ。ピンクのゾウってね、本当にいるのよ」
「うん、そうだね」
素直になる翔平を見て耀の体の硬直が軟化していく。しばらく祖母と孫の様子を見守っていた。
「ところで、坂内、クラスでは無視をしてほしいってどういうことだよ」
急に我に返ったように翔平は耀に突っ込んだ。耀はまたドキッとして身構えた。
「だって、放課後に虐めてきたじゃないか」
「はぁ、虐め? なんでそう思った?」
翔平が訊き返すと中瀬が口を出した。
「私も坂内君が八頭君から虐められているように見えたけど?」
「ちょっと待ってくれよ、俺はいつもひとりでいる坂内があまりにもおかしいから、それで仲良くなろうと努力したつもりだったんだけど」
「ええ!?」
耀は納得がいかなかった。
「正直、俺と口聞かないのがちょっと腹立ったところがあったかもしれない。いつだって俺はクラスの中心だったから、自分を慕わないやつがいるなんて信じられなかった。それでばあちゃんのこともあって、自棄もはいってたかもしれない……。やっぱり強引過ぎたか。ごめん」
「えっ? そんな理由で僕に迫ってきたの?」
「やっぱり、クラス全員と仲良くなりたかったし、坂内は今まで会った中で本当に変わってたから、あんな風に無理に捕まえないとしゃべれないと思った」
「じゃあ、僕のことが嫌いとかじゃなかったんだ」
「しゃべってもないのに、なんで見かけだけで人を嫌いになるんだ?」
「だって僕、気持ち悪いし」
「それって、坂内が勝手に思い込んでいるだけだろ。お前、すごい才能もってるじゃないか。こんなに絵が上手いなんて、すげーよ。俺、益々、お前と友達になりたくなった」
その言葉は冷たく凍っていた耀の心を簡単に溶かしていた。ドキドキとして体がカァッと熱くなっていく。
「僕、そんな風に言われたの初めてだ……」
「じゃあ、これで俺たち友達だな」
翔平の笑顔に耀は感動していた。自分を受け入れてもらえることが起こった。人に認められることのすごさがこんなにも心地いいとは思わなかった。
「ありがとう、八頭君。僕嬉しい」
「いや、こっちこそ、ありがとうな。あんな風に俺のこと意見した奴なんて坂内が初めてかも」
ふたりは照れくさそうにしていた。
「ちょっと待って、私もそこに入れてよ。言っとくけど、自分から友達になりたいなんて私は普段思わないんだからね」
中瀬は自分で言っていてツンデレっぽいなと思ってしまう。だけどどうしても輪の中に入りたかった。自分だけ置いてけぼりなんて許せなかった。
「あら、みんな仲良くして、先生は嬉しいわよ。みんな本当にいい子ね」
記憶の中ではいつまでも礼子は先生だった。忘れたこともいっぱいあるけど、礼子らしいところはまだまだ残っている。
ぐずっと鼻をすする翔平。耀が描いたピンクのゾウの絵を持ち、じっとそれを見つめた。いつの間にかそれが幸せを運んでくる存在のように思えていた。
その後暫くしてから、翔平の母が箱を抱えて帰ってきた。