ふと、視界の隅に目をやると、なにか黒いものが見えた。黒猫だった。黒猫が、柵の少し向こうにちょこんと座っていた。その生まれ持った愛くるしさ故、なにか仕草をするだけで地球上の半分の人口ぐらいは軽く虜にする黒猫。かく言う僕もその半分の一人なわけで、自然と見つめていた。猫はどうやら人馴れしているようで、こちらを見ても別に気にもとめず、ただ大きなあくびを一つして手をペロペロと舐めると、また一眠りを始めた。その様子を見て思った。猫はいいな。何も考えずにあちこち歩き回って、あくびかなんかすればちやほやされて、何より、首輪がない。猫になってみたい。でも、猫にも猫なりの悩みとかあるのかな。ちやほやされるのがストレスだったり、追い返されたりするときもあるし、仲間とか敵とかも、勿論猫の世界にだってあるだろうし。...ああ、またか。一個なにか思いついたら、それを壊しに来る反対の意見が出てくる。だから何かを考えたりするのは嫌なんだ。
 僕が一人で悩んでいると、流石に僕の視線が鬱陶しかったのか、こちらをチラッと睨むと、角っ子の方へ行って、何処かにストンと降りた。そっちに建物か足場があるなんて心当たりがなかった僕は、急いで降りた方へ向かった。そして、下の方を向いた。そこに建物はあった。今まで縁がなかった別教室に備わっているベランダがあった。日陰になっている上に、昇降口からは完全に死角だから全然分からなかった。猫はそこにまたちょこんと座っていた。流石ねこだなあと、変な場面で感心してしまった。その横に、一人の女子がまたちょこんと座っていた。どうやら、絵を描いているようだった。その子がふと、描く手を止めて黒猫を撫で始めた。
「今日もお前はのんびりしているねえ、メーメ。」
「メーメ?」
思わず声に出してしまった。下にいる女子と目が合った。やっば..!思わず固まってしまった。だって、女子とロクに会話なんてしたことがない。小学生の頃は何も思わずに接していたけど、おとなになっていくにつれて、なんだか、同じだと思っていたものがちょっとずつずれ始めた感じがして、前と同じように接することができなくなっていた。話すときも、委員会とか、クラブの事務的会話ぐらいだし。だから、こういう時はどう接すれば良いのか分からない。話そうとすると、頭の中の言葉が溶けるように崩れ始めるから。
「貴方、誰?」
固まっていると、下から声が聞こえた。急いで頭の中で溶けかけている言葉を組み立てた。
「えっと、猫がいて、かわいいなって思ったから、その、目で覆っていたら、急にそっちに降りちゃって、えと、そのあたりに建物があったなんて知らなかったから、心配になって、その...」
友達の誰かがこんな会話をしていたら軽く小突いているところだけど、自分の番になると、笑っている場合ではない。
「ねえ、とりあえず、そこにいるとあんま良く聞こえないからー、ここに来てよ。」
「え!?」
突然のことにびっくりしたけど、まさか断るなんてそんな事できやしないし、急いでお弁当を持ってそっちに向かうことにした。...あっ!僕は急いで戻ると聞いた。
「そっちの方、どうやって行くの?」
道を聞くと、僕は駆け足でそこにむかった。