「お茶でいい?」

「うん」

 母はリビングへ。父は紺色のキャップを被るとすぐに外へと出ていく。

「お父さん」

 帽子の鍔を上げながら振り返る父に私はゆっくりと口を開く。

「……ありがとう」

 たった五文字。それだけでも伝わったのか、父は嬉しそうに頷くと農園の仕事へと戻って行った。
 収穫期が多忙極まりないことは幼い頃から見てきた故に知っている。なのに時間を割いて迎えに来てくれたことに感謝する前に、文句を言ってしまったことを内心では気にしていた。
 素直に謝れば良いものを口から出たのは「ありがとう」という感謝の言葉。父の顔を見ればその選択も失敗ではなかったとわかってはいるものの、素直に謝罪ができない自分にモヤモヤが残る。

 __本当、大人って面倒。

 遠ざかる父の背中を見送っていると母に呼ばれた。急いでリビングに行くとダイニングテーブルの上には麦茶と櫛形に切られた林檎が用意されていた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 椅子に座り一息つくと冷たい麦茶で渇いた喉を潤す。そしてお茶請けとして出された我が家の林檎を頬張る。
 我が家のシナノレッドは酸味と甘味のバランスが良くて、とてもみずみずしい。

「どう?」

「今年も美味しい」

 そう素直に答えると母は嬉しそうに微笑む。

「今年は日差しが強いから、いつもより早めに採れてね。まず夏実に毒味させようと思って」

「ちょっと、毒味って」

「ふふ。だって昔から毒味は夏実と……」

 突然途切れた言葉の続きも。伏せられたその瞳に今何が映っているのかも。私は知っている。

 ”__旨っ!今年も最高!”

 シナノレッドが好きな人がいた。その人は私なんかよりもうちの林檎が大好きだった。