「嫌味を言って、ごめん」

「ううん。私も「乗り越えた」なんて無神経だった」

 ゆっくりと顔を上げた真由に、私は違うと思って小さく首を横に振る。

「私は乗り越えたように見せたかった。そのくせ「乗り越えた」って言われてカチンとくる面倒な性格なんだよ」

 秋雄にも言われたけれど自分が一番自覚している。

「……過去になんかできるはずないもの」

 小さく呟いた真由の心の痛みは私とは違う形をしている。けれど、秋雄を大切に想う気持ちは同じなんだ。

「……そうだね。九年経っても悲しいや」

 みんなのように秋雄の死と向き合ってこなかったぶん、私の心はまだ現実を拒絶している。ましてや秋雄の幽霊は現れるし、心が追い付くはずもない。だけど、また必ず別れはやってくる。私は今度こそ逃げずに向き合えるだろうか。

「泣かないで」

 顔を上げると、この頬にそっとハンカチが触れる。

「……ありがとう」

 いつの間にか目の前にいたマオちゃんを抱き締めると、温かくて柔らかな幸せの匂いがした。

「ナッちゃんの林檎美味しいよ。マオ大好きだよ」

 必死に慰めようとしてくれている姿に、みんなも自然と笑顔になる。

「まあ、林檎娘が作ったんじゃねえけどなー」と、私からマオちゃんを取り上げるとぶーちゃんが膝の上に乗せてあやしている。

「まあ、私には無理ですけど」

「サボテンも枯らすもんね」

 なんて、便乗する真由に佐藤まで笑っている。

「あれは昔だよ。今は金魚を育ててるんだから」

「え! その金魚の未来はもう見えてるな」と、目元に手を当てて天井を仰ぐぶーちゃんの豚足を蹴りあげる。お返しに足を踏まれた。

「でも夏実の林檎も食べてみたいな」

 真由はそっと微笑むと立ち上がりキッチンへ消えていく。
 __私の林檎。
 最初から無理だと思っていたから考えたこともなかった。けれど、やろうと思えば可能性は生まれるのだろうか。

「まあ、無理だな」

 瞬時に言い切るぶーちゃの額をこの手で叩く。「ペチン!」と鳴った良い音にマオちゃんはキャッキャッと楽しそうに笑い、キッチンからは「今の音は何ー?」と真由が出てくる。佐藤が説明して、まだ額を押さえたぶーちゃんの姿にみんなでケラケラと笑い合う。
 いつものように口角がひきつることはない。自然と大きく口を開け思う存分に笑う。秋雄が死んでからこんな風に笑ったのは始めてだ。