「……結婚しないとな」

 ふと、漏れた言葉は自分にしか聞こえていなかったようだ。麦茶を継ぎ足して戻ってきた母の明るい顔にホッとする。

「そうだ。今から、林檎の配達を頼める?」

「ま、また!?」

 前回同様、突然のお願いに大きな溜め息が漏れる。

「今度は、一体どこに行かせるつもり?」

「真由ちゃんのところ」

 その名前に心臓がトクンと跳ねる。  
 最悪の再会を果たしたすぐ後に、一体どんな顔で配達に行けばよいのだろうか。悶々としていると、秋雄の切ない声が私の背中をそっと押す。
 “__……本当は一人じゃないのにお前の居場所だってちゃんとあるのに、自分から逃げて孤独になる道を選んでは欲しくない”
 秋雄の想いを無駄にしたくない。それに「逃げない」と宣言してしまった手前、嘘をつきたくない。

「わかった」

「じゃあ、用意してくるから」

 素早く段ボール箱を組み立てると玄関へ運ぶ母の後についていく。倉庫にいた父がいくつか林檎を選んで箱詰めしてくれた。

「真由ちゃんかい?」

「うん」

「今は貴司くんと犀川の向こう側に住んでるから、迷わないようにな」

「うん」

 父から住所の書かれた伝票を受けとると、すぐにスマホで場所を確認する。その間に母が林檎の入った段ボールを玄関まで運ぶと、脇に止めた自転車の後ろにロープでくくりつけてくれた。

「夏実。手拭い」

「あ、忘れてた」

 一度部屋に戻ると引き出しから手拭いを取り出す。

「着替えるから、ちょっと待って!」

 そしてこのままでは動きずらいと、すぐにワンピースを脱ぎ捨ててデニムとTシャツに着替える。そして髪を一つに纏めて玄関へと戻った。

「お待たせ」

「あら、その手拭い」

「びんずるの時に農協の人達から貰ったの」

 私の首に巻かれた白い手拭いを見て驚いた顔をした母に、伝えそびれていたことを思い出す。