「でも、楽しんでるならよかった。夏実も最近は忙しかったみたいだし。たまには、ゆっくりしてな?」

 __忙しい。
 その言葉に押し黙る。しかし、そんな私に気付くことなく啓太は明るい声を出す

「来年は、一緒に見にいこう」

 __来年。

「俺も今年は早めに戻れそうだから。顔を出すよ。あの話は、また落ちついてからで」

 __あの話。

「じゃあ、また連絡する」

「あ、うん」

 プツリと切れる通話。私はしばらくスマホを耳に当てたまま、目の前に広がる煌びやかな景色を眺めていた。
 __あの話。
 __来年。
 突然、現実に引き戻されたかのようにこの胸から熱が引いていく。
 __来年、私と啓太は結婚する。秋雄は……。
 ふと、目が覚める。きっとこれは夢なのかもしれない。だから、いつか覚める時がやってくる。いつか、また元の現実に戻る日がやってくる。
 そうしたら、私はまた秋雄のいない現実を生きなければならない。

「ナツ!」

 振り返ると遠くから秋雄が両手を大きく振っている。
 __トクン。
 この名前を呼ぶ少し掠れた声。こちらを見つめる優しい瞳。この胸が大きく跳ねる理由を私は知っている。
 秋雄は黙ったまま立ち尽くしている私の姿に不思議そうな顔をする。その顔すら、この目に焼き付けておきたい。
 この先も忘れることなんてないけれど、近くで見つめ合える距離にいる瞬間に思う存分その姿をこの瞳に映しておきたい。

「早く来いよー!」

 ツンと痛む鼻で思いっきり空気を吸い込むと大きく吐き出す。

「ごめん! 今、行くー!」

 まだ、覚めたくない。私はまだ、この優しい夢の中にいたい。
 まるで、自ら夢の中へと戻るようにこの現実を蹴りあげる。そして私は秋雄の元まで駆けて行った。