「大丈夫。自転車で行くから」

「気をつけなさいね。夕飯は?」

「いらない。適当に食べてくる」

「そう。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 白いスニーカーを履いて玄関の外にでると、脇に止めてある自転車に跨ぎペダルに足をかける。そして思いっきり踏み込むとペダルが妙に軽く感じた。
 
「夏実ー。びんずるに行くのかー?」

「うん!」

「気をつけろー!」

「はーい!」

 遠くで収穫コンテナを両手に抱えながら声を掛けてくれた父に、大きな声で答えると私は農園のなだらかな道をくだる。昼間より温度の下がった夜の風に、ワンピースの裾が軽やかに翻り襟足から落ちる後れ毛が軽やかに揺れる。
 ……この感じ。
 懐かしい感覚に思わず両足をペダルから離すと、緩やかに進んでいく自転車に身を任せる。
 木々から漂う甘い蜜の香り。遠くで燻している草の匂い。この肺一杯に詰め込むように大きく息を吸い込むと思いっきり吐き出す。

「気持ちー!」

 真っ直ぐと伸びるアスファルトの向こう側には、燃えるような紅色がキラキラと輝いている。
 ……秋雄。
 時間にはまだ余裕がある。なのに逸る気持ちを抑えることができずに、沈む夕日に向かい自転車を全力で漕ぎ続けた。

 私が長野駅に着いたのは約束の時間の十五分前だった。
 いつもよりも沢山の自転車で混雑している駐輪場に、自分の自転車を置くと中央通りを一人ぶらぶらと歩きながら時間を潰す。恐らく、この道を歩くのは九年ぶりぐらいだろうか。実家に戻っても、殆ど家に引き込もっていた私にしたら驚く程の進歩だと思う。
 __進歩。 
 そう思うのは、やはりこの場所を避けていた証拠だ。

 “__だって、あれがナツとの初デートだから”

 この場所は私達にとって特別な場所だから。
 __びんずるのお囃子の音色。
 __沢山の人で賑わう町並み。
 久しぶりに味わう祭り独特の雰囲気に、自然と足取りが弾みだす。
 ……やっぱり、お祭りっていいな。
 私は連合会の人達が列になり踊りながら練り歩く光景を眺めながら、待ち合わせの場所まで急いだ。