朝食を済ませると、たまには片付けの手伝いをしようと両親の食器も洗ってから自室へと戻る。満腹感で満たされた身体をベッドの上で休ませると、枕カバーやシーツからは柔軟剤の良い香りがした。

「……癒されるな」

 開け放した窓から流れ込む優しい風。外から聞こえる蝉の声。年に一度は帰省しているのに、こんな気持ちになるのは久しぶりだ。
 いつもは殻に籠るように、スマホの動画を一人眺めているだけだった。実家に戻ってきても、東京に一人でいる時と変わらぬ生活をしていた。

 なのに今年は初日から北村宅に行くことになり。その帰りには秋雄の幽霊と遭遇して。昨日は久しぶりに一緒に軽トラの荷台に乗って。今日は久しぶりに実家の朝食を食べて……。
 すると不思議なことに詰まっていた息が自然と吐き出せるようになった。固まっていた心が柔らかくなって、何だか穏やかな気持ちになっていく。

「……秋雄」

 私は枕元に置いてあった一枚の写真を手に取る。紺色の浴衣を着た秋雄と桃色の浴衣を着た私は、相変わらず楽しそうに笑っている。あの頃の私は秋雄の隣にいるだけで、ただ楽しくていつも心が弾んでいた。
  ふと、この胸に自分の両手を当ててみる。けれど、あの頃のように弾むこともない。ただ一定のリズムを刻むだけ。
 ……恋って、どんな感覚だったけ?
 白い天井にできた染みを眺めながら呆然としていると、心の奥にスースーと冷たい風が通り抜けていく。この心の穴は、空いたままもう二度と塞がることはない。そんなことはもうわかっている。

「……ふっ」

 今更、過去の感覚を思い出そうとしている自分に苦笑する。
 __恋なんて子供がするもの。大人には、もっと大事なことがある。
 大きな溜め息を吐きながら目を閉じると瞼の裏に啓太の顔が映る。
 __早く答えを出さなければ。
 だけどもう少しだけ、この穏やかな時間に流さていたい。
 窓の外から聞こえる蝉の声が。優しい風が。カーテンを揺らす音が。まるで子守唄のように私を眠りへと誘った。