「……これ」

 細いのに筆圧が強い文字。私はいつも小心者なのか堂々としているのかわからないと笑っていた。

 “__八月二日。ナツに告白をした”

 ちょうど九年前の今日。
 私達の関係が大きく変わった日。秋雄は生徒手帳に書き込んでいた。
 日頃からメモをとることすら面倒だと言っていたのに。驚きならがらも、私は生徒手帳を片手にリビングへと戻る。

「これ貰ってもいいですか?」

 振り返ったおばさんは「勿論」と優しく微笑む。
 __貰って、どうするのか。
 考えるよりも先に私の身体が勝手に動いていた。

 北村さんの家を出ると道路の蜃気楼に夕焼けの光が反射していた。まるで二つの夕日が連なるような光景を昔の私は不思議だとは思わなかった。しかし、都会に出て初めて壮大な土地だからこそ見ることのできた貴重な景色だということを知った。当たり前のことから一度離れてみると思いもよらぬ「価値」に気づくものだ。

 私は自転車に跨ぐとペダルに足を乗せる。ゆっくりと踏み込むと林檎箱から解放された車体は驚く程に軽かった。それは緊張から解放されたこの心と同じ。だからだろうか。私は、ふと方向を変える。
 少し寄り道でもしていこう。
 家とは反対方向に向かって漕ぎ出す。過去から逃げていた私にはない発想だった。

 だけど今は、過去が恋しくて堪らない。
 私は逸る気持ちを抑えながら自転車を二十分程走らせると、駅前の近くにある小さな公園の前に自転車を止めた。

 “__八月二日。ナツに告白をした”

 場所までは記されていなかったけれど、今でもハッキリと覚えている。