「どこ行くんだ?」

「ちょっと、金魚のお墓」

 リビングから顔を出した父に一言告げると、私は寝巻きに素っぴんのまま家を出た。
 朝の澄みきった空気と朝露に濡れた木々の匂いを思いっきり吸い込むと、息をゆっくりと吐き出す。都会だと、こんな格好でベランダに出ることも躊躇われる。
 __ここはありのままの私でいられる。

 金魚のお墓に手を合わせると、農園を散歩しながら鮮やかな景色を目に焼き付ける。名残惜しく感じるのはいつもより長く滞在していたせいだろうか。私はすっかり平和ボケしてしまったようだ。
 “__ナツはこういう温かい場所で生きるべきだ”
 脳裏に蘇る秋雄の声が優しく響く。けれど理想だけでは生きてはいけない。生きるということは、秋雄が思うよりも窮屈で不自由だ。だけど……。

「……覚悟か」

 母の言葉がこの胸に刺さったまま揺れている。
 “__大抵のことは覚悟があればやっていけるのよ”
 もし私に覚悟があれば何処で何をしても生きていけるものだろうか。目を閉じて考えてみたけれど、瞼にビジョンが浮かぶことはなかった。

 家に戻ると実家での最後の朝食を頂き、母の片付けを手伝い一人部屋に籠る。両親と共に農園へと出掛けて行く啓太の姿は理想の婚約者なのかもしれない。だけど、今の私には足りない。

 静かな部屋で秋雄と撮った十一枚の写真を眺めると、蓋をするように元の場所に戻しクローゼットの奥へと隠すようにしまった。
 “__ナツ。久しぶりだな”
 能天気な幽霊は人の気持ちも知らずに突然現れると好き勝手なことを言って私を困らせて。
 “__その答え、つまらない”
 いつから口癖になったのか何度も言われたその言葉に時に傷ついて。
 “__俺が好きなのは昔のナツだから”
 幽霊という非現実的な存在のくせに私には現実を突き付けて沢山のことを考えさせられた。